柄澤 照文(からさわ てるふみ、1949年 - )は、日本の… 柄澤 照文(からさわ てるふみ、1949年 - )は、日本のペン画家、イラストレーター。農山村や都市の路地、江戸期の日本の風景などを描く。新聞連載多数。細やかな線画と、ほのぼのした作風で知られる。1978年に『おかざきしんぶん』を創刊。同紙は地元岡崎市のミニコミ紙の先駆となった。 愛知県宝飯郡赤坂町(現・豊川市)に生まれる。赤坂町は、名古屋市で教員をしていた父親の疎開先だった。3歳のときに一家は岡崎市に転居。同市六供町で育つ。岡崎市立梅園小学校、岡崎市立葵中学校卒業。 絵の教室の手伝いをしているときに結婚。1978年(昭和52年)1月、妻と二人でミニコミ紙『おかざきしんぶん』を発刊。市民の聞き書きや町ルポを中心に、山中八幡宮のデンデンガッサリの概要、八丁界隈の家並み図、板屋町二十景、戦後の岡崎市の選挙記録などをペン画入りで作成した。
鈴木 翁二(すずき おうじ、1949年 - )は、日本の漫画… 鈴木 翁二(すずき おうじ、1949年 - )は、日本の漫画家、ミュージシャン。別ペンネームはカルメ・コウチ。 愛知県西尾市出身、北海道日高支庁浦河郡浦河町在住。 『ガロ』等で活躍した漫画家で、安部慎一、古川益三と並び「ガロ三羽烏」と称される漫画家の一人。漫画家の森雅之は義弟。[要出典] 少年時代は漫画に傾倒し、1967年に上京して漫画を描き始める。1969年に『眼球譚』がガロに入選するが、掲載される事はなかった。同年11月に『庄助あたりで』でガロにてデビュー。 その後、水木しげるのアシスタントを1年間務めた。学生運動が盛んだった1970年代頃から熱烈な支持を受けるようになる。 近年は寡作になりつつあるが、漫画雑誌『夜行』などに連載していた、過去の多数の未掲載作品が単行本化されたりしている。
佐々木 雅幸(ささき まさゆき、1949年 - )は、日本の… 佐々木 雅幸(ささき まさゆき、1949年 - )は、日本の経済学者。同志社大学教授。大阪市立大学名誉教授。名古屋市生まれ。
加藤 能敬(かとう よしたか、1949年 - 1972年1月… 加藤 能敬(かとう よしたか、1949年 - 1972年1月4日)は、日本の革命運動家。連合赤軍メンバー。 愛知県刈谷市出身。東海中学校・高等学校を経て和光大学人文学部入学。京浜安保共闘に参加。 あさま山荘事件で逮捕された加藤兄弟(加藤倫教、その弟)は彼の弟達で、「加藤3兄弟」と呼ばれた。女性メンバーと交際していたのが元で、山岳ベース事件でリンチに遭い、死亡。22歳没。なお、相手は1月1日に殺害されている。 父親は小学校教員であったが、あさま山荘事件直前に引責辞職していた。
金井 照久(かない てるひさ、1948年12月20日 - 2… 金井 照久(かない てるひさ、1948年12月20日 - 2012年2月27日)は、日本の財務官僚。血液型はA型。
金森 喜久男(かなもり きくお、1948年12月5日 - )… 金森 喜久男(かなもり きくお、1948年12月5日 - )は、愛知県名古屋市出身で、日本の実業家。元ガンバ大阪代表取締役社長。富山大学経済学部卒業。 1971年4月、松下電器産業株式会社へ入社。同社北陸支店長や情報セキュリティ本部上席審議役などを歴任した。 2008年4月16日、佐野泉の後任として、ガンバ大阪代表取締役社長に就任。 就任直後からサービス面を重視し、サポーターが快適な時間を過ごせるように工夫を凝らす。その一環として、スタジアムのグッズや食事などの改革に着手。また、2009年の新体制発表にサポーターを招き公開したり、クラブ・サポーター共に切望する新スタジアム問題に取り組んだ。 2013年1月11日、ガンバがJ2に降格したことで、成績不振の責任をとり社長を引責辞任した。
夏目啓二(なつめ けいじ、1948年11月21日- )は、日… 夏目啓二(なつめ けいじ、1948年11月21日- )は、日本の経営学者。学位は、博士(経営学)(立命館大学・論文博士・1997年)(学位論文「現代アメリカ企業の経営戦略」)。龍谷大学名誉教授。愛知東邦大学教授。 名古屋市生まれ。愛知大学経済学部卒、大阪経済大学大学院修士課程修了、立命館大学大学院経営学研究科博士後期課程単位取得満期退学、1997年「現代アメリカ企業の経営戦略」で立命館大学より博士(経営学)の学位を取得。 龍谷大学経営学部講師、助教授、1994年教授、経営学部長、社会科学研究所長、2016年退任、名誉教授、愛知東邦大学教授。米国の企業経営を専門とする。
瀬尾 育生(せお いくお、1948年11月16日 - )は、… 瀬尾 育生(せお いくお、1948年11月16日 - )は、日本の詩人、ドイツ文学者。東京都立大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1973年、東京大学文学部独文科卒業。東京大学大学院人文科学研究科独文科修士課程修了。1991年、湾岸戦争の際に藤井貞和と論争を行った。1996年、詩集『Deep purple』で第26回高見順賞を受賞。2006年、『戦争詩論 1910-1945』で第15回やまなし文学賞を受賞。2010年、稲川方人との共著『詩的間伐―対話2002-2009』で第1回鮎川信夫賞受賞。文芸評論家の神山睦美、詩人の福間健二などとGENIUSの会をつくり、ガリ版刷GIPを発行した。名古屋工業大学助教授、旧・東京都立大学教授、首都大学東京教授を経て、同名誉教授。
溝口 常俊(みぞぐち つねとし、1948年(昭和23年)11… 溝口 常俊(みぞぐち つねとし、1948年(昭和23年)11月8日 - )は、日本の地理学者。名古屋大学名誉教授。 1948年、愛知県名古屋市で生まれた。愛知県立明和高等学校を卒業し、名古屋大学文学部史学地理学科に進んだ。1972年に卒業し、同大学院文学研究科に進学。1979年に博士後期課程を単位取得後満期退学。 1981年、名古屋大学文学部助手に採用された。1983年、富山大学教養部助教授に就いた。1994年に教授昇格。1996年、名古屋大学文学部教授に転じ、2001年からは環境学研究科教授。2002年、学位論文『日本近世の畑作地域史論』を京都大学に提出して文学博士号を取得。2013年に名古屋大学を定年退任し、名誉教授となった。
眞木 準(まき じゅん、1948年10月20日 - 2009… 眞木 準(まき じゅん、1948年10月20日 - 2009年6月22日)は、日本のコピーライター。愛知県知多市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。 1971年に博報堂に入社。同社の制作室クリエイティブチームに在籍し、全日空やサントリー、キヤノンなどの企業の広告コピーを12年に渡って書き続けた。 1983年に博報堂を退社し、フリーに転じた後は伊勢丹、資生堂、三陽商会などの企業のコピーを手掛ける一方で、1988年に朝日新聞社から刊行された週刊誌『AERA』のネーミング考案などにも携わった。特に伊勢丹のキャンペーン広告は、博報堂在籍時の1978年から手掛けていたが、1984年からは前任者で同じくコピーライターの土屋耕一から引き継ぐ形で、長期間にわたり同キャンペーン広告のコピーを担当した(土屋も1989年まで同キャンペーンのコピーを担当していた)。
内田 和孝(うちだ かずたか、1948年10月14日 - )… 内田 和孝(うちだ かずたか、1948年10月14日 - )は、日本の彫刻家。 愛知県豊田市生まれ。石彫をメインとし、木彫、ブロンズ、和紙や光など多岐にわたり制作をした。豊田市にアトリエを持ち主にモニュメントを制作。2017年まで金城学院大学の教授を務める。その後は東京を拠点に日本とアメリカで活動を続け、2024年10月に肺癌にて逝去。
マック 赤坂(マック あかさか、本名:戸並 誠〈となみ まこ… マック 赤坂(マック あかさか、本名:戸並 誠〈となみ まこと〉、1948年〈昭和23年〉9月18日 - )は、日本の政治家、実業家、民間セラピスト、美容研究家。一般財団法人スマイルセラピー協会会長、スマイル党総裁。 東京都港区議会議員(1期)を務めた。 愛知県名古屋市出身。貧しい家で育った。1967年、愛知県立瑞陵高等学校卒業。現役時に東京大学を受験するも不合格。一浪して京都大学農学部に入学、バイオ研究に取り組んだ。1972年、京都大学農学部卒業。伊藤忠商事退社後にレアアースの輸入商社、マックコーポレーション株式会社を設立、同社社長となる。名前の「マック」は本名の誠(まこと)、「赤坂」は自身が好きな街の東京・赤坂が由来である。
近藤 孝男(こんどう たかお、1948年9月10日 - 20… 近藤 孝男(こんどう たかお、1948年9月10日 - 2023年11月16日)は、日本の生物学者(時間生物学)。理学博士(名古屋大学・1979年)。名古屋大学名誉教授。文化功労者。名古屋大学大学院理学研究科教授、名古屋大学大学院理学研究科研究科長などを歴任。 愛知県出身の生物学者である。専門は、生物の体内時計(概日リズム)の仕組みを研究する時間生物学。シアノバクテリアの研究により時計機能を司る遺伝子及びタンパク質を発見。また、それらによって、生物時計を再現する実験にも成功した。理学博士(名古屋大学)。名古屋大学大学院理学研究科で教授となり、研究科長などを務めた。退官後は、特任教授として引き続き教鞭を執った。
杉本 誠(すぎもと まこと、1948年9月10日 - )は、… 杉本 誠(すぎもと まこと、1948年9月10日 - )は、日本基督教団の牧師。1980年代後半から統一教会(現・世界平和統一家庭連合)信者の脱会ならびに救出活動を支援。脱会者は500人以上にのぼり、なかでも山﨑浩子の脱会に携わったことで知られる。日本脱カルト協会の元理事。2001年に名古屋弁護士会(現・愛知県弁護士会)人権賞に選ばれた。 愛知県岡崎市に生まれる。両親はキリスト教を信仰していた。1964年、洗礼を受ける。1967年、東京神学大学に入学。1970年の大阪万博へのキリスト教館の出展をめぐり、日本基督教団の内部で反対派と推進派が対立。東京神学大学教授の北森嘉蔵が推進派であったことから、反対派の学生は東京神学大学全学共闘会議を組織し闘争を展開。
外山 博(とやま ひろし、1948年9月1日 - )は、愛知… 外山 博(とやま ひろし、1948年9月1日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(投手)。
鈴木 敏夫(すずき としお、1948年〈昭和23年〉8月19… 鈴木 敏夫(すずき としお、1948年〈昭和23年〉8月19日 - )は、日本の映画プロデューサー、編集者。株式会社スタジオジブリ代表取締役議長、徳間記念アニメーション文化財団副理事長。 徳間書店取締役、徳間書店スタジオジブリ・カンパニープレジデント、徳間書店スタジオジブリ事業本部本部長、東京大学大学院情報学環特任教授、スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立金城小学校、東海中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学文学部社会・心理・教育学科社会学専攻を卒業。 大学在学中は執筆作業など多くのアルバイトを経験した。就職活動では執筆作業の経験があることから知人の助言もあって新聞社や出版社を志す。
二十四世本因坊秀芳(にじゅうよんせいほんいんぼう しゅうほう… 二十四世本因坊秀芳(にじゅうよんせいほんいんぼう しゅうほう 、1948年8月15日 - )本名:石田 芳夫(いしだ よしお)は、日本の囲碁棋士。愛知県西春日井郡新川町(現清須市)出身、木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。1971年に22歳の当時史上最年少で本因坊となって秀芳と号し、本因坊5連覇により名誉称号を名乗る。正確な目算とヨセから「コンピューター」のニックネームがある。タイトル獲得数は24。 碁好きが嵩じて碁会所を開いていた父から小学2年の時に囲碁を教えられる。碁を覚えて1年でアマ5段まで到達した。その年木谷實が名古屋に来た際に同行していた大竹英雄初段(当時)と六子で打って認められ、その1957年に木谷道場に入門する。
福山 透(ふくやま とおる、昭和23年(1948年)8月9日… 福山 透(ふくやま とおる、昭和23年(1948年)8月9日 - )は日本の有機化学者。名古屋大学大学院創薬科学研究科特任教授、東京大学名誉教授、元評議員(2007年4月〜2009年3月)。研究分野は天然物全合成、有機合成化学、有機反応開発。愛知県安城市出身。 ライス大学時代より天然物全合成に取り組み、マイトマイシン、デュオカルマイシン、(–)-CP-263,114、ストリキニーネ、レイナマイシン、FR900482など数多くの複雑な化合物の合成を完成している、アルカロイド類合成の世界的第一人者である。特にマイトマイシンの大量合成法は医薬品合成化学に多くのインパクトを与えた[要出典]。 またその過程で2-ニトロベンゼンスルホニル基(アミノ基の保護基の一つ)、インドールの合成法(福山インドール合成と呼ばれ、第一世代と第二世代がある)、穏和な条件でアルデヒドをチオエステルより生成する福山還元、ヨウ化銅(I)を用いた穏和な芳香族アミノ化反応などの合成手法や反応を多数開発しており、いずれも広く使われる有用な合成手段となっている。
本間 政雄(ほんま まさお、1948年8月3日 - )は、元… 本間 政雄(ほんま まさお、1948年8月3日 - )は、元学校法人立命館副総長、元立命館アジア太平洋大学副学長、元学校法人関東学院常務理事、元文部官僚。2013年4月から学校法人梅光学院理事長に就任。2005年に設立された国立大学マネジメント研究会の会長となり、2011年の大学マネジメント研究会への改称後も引き続き会長を務めている。2021年7月31日、任期途中にもかかわらず梅光学院理事長の職を突然辞任した。 愛知県名古屋市出身。名古屋大学法学部政治学科を卒業し、1971年(昭和46年)に文部省入省。入省3年目に人事院の行政官長期在外研究員制度によりロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。
矢沢正(やざわ ただし、1948年8月2日 - )は、愛知県… 矢沢正(やざわ ただし、1948年8月2日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(捕手)、解説者。
中野 吉晴(なかの よしはる、1948年7月24日 - )は… 中野 吉晴(なかの よしはる、1948年7月24日 - )は、日本の実業家。雪印メグミルク代表取締役社長や、日本乳業協会会長を務めた。 愛知県出身。愛知県立瑞陵高等学校を経て、1972年神戸大学経営学部卒業、雪印乳業入社。長く営業を担当した。2002年九州統括支店長。2005年取締役家庭用事業部長。2006年取締役常務執行役員。2007年専務取締役。2009年に雪印メグミルクが発足すると同社専務取締役として経営企画などを担当した。2011年から雪印メグミルク代表取締役社長を務め、海外戦略や、システム統合などを進めた。2012年日本乳業協会会長。2015年雪印メグミルク相談役。
北原 ミレイ(きたはら ミレイ、1948年7月18日 - )… 北原 ミレイ(きたはら ミレイ、1948年7月18日 - )は、日本の女性歌手。本名、南 玲子(みなみ れいこ)。 愛知県豊川市出身。私立桜丘高校卒業。テニスの名手で高校では特待生だった。8人兄弟の末っ子。 高2で高校の先輩大津美子に憧れテニスをやめ歌を始める。高校2年生より浜松市在住の作曲家兼歌手佐伯一郎に師事。高校卒業後、上京。ナイト・クラブで唄いながらヘンリー倉田をはじめ浜口庫之助にジャズ、大本恭敬にカンツォーネなど様々な作曲家に師事、その実力を磨く。 ナイト・クラブで唄う姿を水原弘が注目、歌声を作詞家の阿久悠に見出され、1970年「ざんげの値打ちもない」(作曲:村井邦彦)でデビュー。その後もコンスタントに活動を続ける。
原 宗子(はら もとこ、1948年7月8日 - )は、日本の… 原 宗子(はら もとこ、1948年7月8日 - )は、日本の東洋史学者。流通経済大学名誉教授。 1967年愛知県立旭丘高等学校卒業。1971年慶應義塾大学文学部史学科(東洋史専攻)卒業。1974年学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻修士課程修了。1977年同博士課程単位取得満期退学。1995年学習院大学より博士(史学)の学位を取得。 1977年学習院大学東洋文化研究所助手・研究員。1984年流通経済大学専任講師。1986年助教授。1991年教授。
犬飼 隆(いぬかい たかし、1948年(昭和23年)7月2日… 犬飼 隆(いぬかい たかし、1948年(昭和23年)7月2日 - )は、日本の日本語学者、元愛知県立大学教授。 愛知県名古屋市生まれ。1972年東京教育大学国文科卒、1977年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1977年より学習院女子短期大学専任講師・同助教授、1984年神戸大学助教授・同教授を経て、1996年より2014年まで愛知県立大学文学部(のち日本文化学部に改組)教授。1993年「上代文字言語の研究」で筑波大学博士(言語学)。木簡から古代日本語を再現する研究を行っている。
中条 博(ちゅうじょう ひろし、1948年6月24日 - )… 中条 博(ちゅうじょう ひろし、1948年6月24日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
成田 昇(なりた のぼる、1948年6月9日 - )は、愛知… 成田 昇(なりた のぼる、1948年6月9日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
鈴木 政二(すずき せいじ、1948年〈昭和23年〉6月6日… 鈴木 政二(すずき せいじ、1948年〈昭和23年〉6月6日 - )は、日本の政治家。 自由民主党所属の元参議院議員(3期)、元愛知県議会議員(4期)。 愛知県碧海郡知立町(現・知立市)生まれ。父親は仏壇店「仏壇の三河屋」を営んでいた。知立町立知立中学校、愛知県立岡崎北高等学校卒業。中学、高校時代は「野球一色の青春」だったという。日本大学法学部政治経済学科卒業後、家の都合で知立市に戻り家業を手伝った。 1974年、知立市議会議員に初当選。 1975年4月、愛知県議会議員選挙に無所属で立候補するも、同じく無所属新人の続木義公に敗れる。同年、福田派の衆議院議員村田敬次郎の秘書となる。 1979年の県議選も再び無所属で立候補。
伊熊 博一(いぐま ひろかず、1948年5月29日 - 20… 伊熊 博一(いぐま ひろかず、1948年5月29日 - 2010年10月31日)は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
加藤 英夫(かとう ひでお、1948年5月18日 - )は、… 加藤 英夫(かとう ひでお、1948年5月18日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
赤松 広隆(あかまつ ひろたか、1948年〈昭和23年〉5月… 赤松 広隆(あかまつ ひろたか、1948年〈昭和23年〉5月3日 - )は、日本の政治家。 大学時代は社青同解放派の学生活動家。日本社会党の愛知県議から国会議員になった後は書記長を務め、民主党国会対策委員長、副代表、選挙対策委員長、最高顧問、農林水産大臣(第49代)、民進党両院議員総会長、立憲民主党所属の元衆議院議員(10期)、元衆議院副議長(第65・67代)、立憲民主党最高顧問を歴任した。 父は日本社会党国会対策委員長や副委員長を務めた元衆議院議員の赤松勇。旧社会党から民主党へ移った後は、2021年の引退まで後継政党の党内左派グループを率い続けた。 愛知県名古屋市生まれ。東海中学校、早稲田大学高等学院を卒業。
榊原 悟(さかきばら さとる、1948年5月3日 - )は、… 榊原 悟(さかきばら さとる、1948年5月3日 - )は、日本の美術史学者、群馬県立女子大学名誉教授。岡崎市美術博物館・おかざき世界子ども美術博物館館長。近世日本美術専攻、屏風絵が専門。 愛知県西尾市生まれ。1972年、早稲田大学美術史学科卒業。1979年、同大学院博士課程単位取得満期退学。サントリー美術館主席学芸員を経て、群馬県立女子大文学部教授。 2003年、「贈呈屏風の研究」で早大文学博士。同年『美の架け橋』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 2010年4月、岡崎市美術博物館・おかざき世界子ども美術博物館館長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
水谷 孝(みずたに たかし、1948年4月28日 - )は、… 水谷 孝(みずたに たかし、1948年4月28日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。右投げ右打ち。投手。
夫馬 進(ふま すすむ、1948年4月7日 - )は、日本の… 夫馬 進(ふま すすむ、1948年4月7日 - )は、日本の歴史学者、京都大学名誉教授。専門は中国社会史。愛知県出身。
土井 正男(どい まさお、1948年3月28日 - )は、日… 土井 正男(どい まさお、1948年3月28日 - )は、日本の物理学者。学位は、工学博士。 愛知県田原町(現在の田原市)出身。専門はソフトマター物理学、レオロジー、計算機材料設計など。北京航空航天大学教授。名古屋大学・東京大学名誉教授。元日本学術会議連携会員。中華人民共和国国務院千人計画に参加。
種村 均(たねむら ひとし、1948年(昭和23年)3月27… 種村 均(たねむら ひとし、1948年(昭和23年)3月27日 - )は、日本の実業家。森村豊明会代表理事、中日本高速道路取締役会長。元ノリタケカンパニーリミテド代表取締役会長。三十三フィナンシャルグループ社外取締役、大同特殊鋼社外取締役。三重県員弁郡東員町筑紫出身。 東海高等学校を経て、1971年(昭和46年)、名古屋大学経済学部卒業。末松玄六ゼミ出身。同年、日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)入社。財務部長、副社長等を経て、2008年(平成20年)に代表取締役社長就任。2013年(平成25年)には代表取締役会長に就任した。 寄付金による東員町の教育行政への貢献や、子ども歌舞伎公演の松の会会長として、東員町の地域文化振興に努めたとして、2017年(平成29年)に東員町町民栄誉賞受賞。
桒山 賀行(くわやま がこう、1948年3月9日 - )は、… 桒山 賀行(くわやま がこう、1948年3月9日 - )は、神奈川県藤沢市の日本の彫刻家。愛知県常滑市出身。日展会員。父は陶彫家の桒山護朗。
桒山 賀行(くわやま がこう、1948年3月9日 - )は、… 桒山 賀行(くわやま がこう、1948年3月9日 - )は、日本の彫刻家。愛知県常滑市出身。日展会員。父は陶彫家の桒山護朗。 桒山のアトリエで、鳩が飛ぶ彫刻(『記念写真』ブロンズ)に触れた視覚障害者が、鳥が羽を広げて飛ぶ様子に感動している姿がきっかけになり、視覚障害者にも自分の展覧会で一緒に触れて見てもらおうと始めた。1991年から毎年行っている。第24、25回手で触れて見る彫刻展には桒山との出会いをきっかけに彫刻を始めた視覚障害者の作品も展示されている。
荒川 俊治(あらかわ としはる、1948年2月27日 - )… 荒川 俊治(あらかわ としはる、1948年2月27日 - )は、日本の実業家。エス・バイ・エル(現ヤマダホームズ)元代表取締役社長。サンコンサルティング株式会社代表取締役。 著者山川修平氏の取材に協力して『住宅産業界の鬼才』の出版に至る。
出口 修至(でぐち しゅうじ、1948年2月7日 - )は、… 出口 修至(でぐち しゅうじ、1948年2月7日 - )は、日本の天文学者。理学博士。国立天文台野辺山宇宙電波観測所准教授。専門は電波天文学、メーザー理論。 愛知県知多市出身。京都大学理学部宇宙物理学科卒。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。大学院では海野和三郎に師事し、博士号取得後渡米。カリフォルニア工科大学、マサチューセッツ大学の研究員、イリノイ大学の客員助教授を経て、国立天文台野辺山宇宙電波観測所准教授。野辺山45m電波望遠鏡を用いた、一酸化珪素メーザー探査プロジェクトの主宰者として世界的に名前を知られている。査読学術論文の総被引用回数は1500回を越える。
馬飼野 康二(まかいの こうじ、本名同じ、1948年1月26… 馬飼野 康二(まかいの こうじ、本名同じ、1948年1月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト。愛知県豊橋市出身。父はギタリスト・作曲家の馬飼野昇、兄は作曲家・編曲家の馬飼野俊一。 大津美子のバックバンドや、ご当地ソングの作曲を手がけていた父・馬飼野昇の影響もあり、幼少期から兄ともども家族でタンゴバンドを組むなど音楽や楽器に触れて過ごす。愛知県立豊橋商業高等学校卒業後、本格的に音楽を学ぶため尚美高等音楽学園に進むが中退。 1968年、グループ・サウンズバンド「ブルー・シャルム」を結成し、西郷輝彦に認められ1969年にデビュー(「馬飼野 睦」名義)。ブルー・シャルムの解散後は、兄・俊一の影響で作曲・編曲家となる。
山脇 康(やまわき やすし、1948年1月23日 - )は、… 山脇 康(やまわき やすし、1948年1月23日 - )は、日本の実業家。日本郵船代表取締役副会長等を経て、日本パラリンピック委員会委員長、日本財団パラリンピックサポートセンター会長。 愛知県半田市出身。愛知県立半田高等学校を経て、1970年4月に名古屋大学経済学部を卒業し、日本郵船に入社。2006年に代表取締役副社長、2008年に副会長に就くなど重役を歴任した。日本郵船のスポンサー先であるFC東京の試合観戦に精力的で、スポンサー界隈の業界人による私設応援団において応援団長を担当。 2011年、公私共に懇意にしていた鳥原光憲に声をかけられ日本障がい者スポーツ協会理事に就いた。以来、国際パラリンピック委員会の理事も務めるなど東京パラリンピック成功に向けて力を注いだ。
山岸 俊男(やまぎし としお、1948年1月21日 - 20… 山岸 俊男(やまぎし としお、1948年1月21日 - 2018年5月8日)は、日本の社会心理学者。北海道大学名誉教授。2004年紫綬褒章受章。2013年文化功労者。正四位、瑞宝重光章追贈。 愛知県名古屋市生まれ。一橋大学社会学部で社会心理学者の南博教授に師事。大学院修了後、就職先がなくワシントン大学に留学。Ph.D.取得頃から社会的ジレンマ研究を開始。北海道大学教授、東京大学特任教授を経て、2011年北海道大学名誉教授、2014年より一橋大学大学院国際企業戦略研究科特任教授。2004年、紫綬褒章受章。2013年、文化功労者顕彰。2005年10月より日本学術会議会員も務めた。 2018年5月8日、病気のため逝去、70歳没。
澤木 良次(さわき りょうじ、1948年1月20日 - )は… 澤木 良次(さわき りょうじ、1948年1月20日 - )は、日本の実業家。大建工業株式会社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、一般社団法人日本建材・住宅設備産業協会副会長、日本繊維板工業会会長等を歴任した。 愛知県出身。1966年愛知県立名古屋西高等学校卒業。1970年名古屋大学農学部林産学科卒業、大建工業入社。1999年大建工業首都圏住建営業統轄部長。1999年大建工業取締役。2000年大建工業取締役首都圏住建営業統轄部長兼首都圏開発営業統轄部長。 2001年大建工業取締役東部住建営業統轄部長。2002年大建工業常務取締役兼常務執行役員。2003年大建工業常務取締役兼常務執行役員外装材事業部長。
田島 俊樹(たじま としき、1948年1月18日 - )は、… 田島 俊樹(たじま としき、1948年1月18日 - )は、日本の物理学者。独立行政法人日本原子力研究開発機構・関西光科学研究所の元所長。レーザー粒子加速器の世界的権威。カリフォルニア大学アーバイン校教授。千葉大学名誉教授の田島正樹は弟。[要出典] 愛知県尾張旭市出身。1971年東京大学理学部卒業、1975年カリフォルニア大学アーバイン校理学部物理学科博士課程修了。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
河合 満(かわい みつる、1948年〈昭和23年〉1月2日 … 河合 満(かわい みつる、1948年〈昭和23年〉1月2日 - )は、日本の技術者・会社役員。トヨタ自動車株式会社アドバイザー、日本ソフトボール協会長、日本プラントメンテナンス協会会長。 トヨタ自動車株式会社副社長、執行役員CMO、Executive Fellow、日本経営協会副会長、愛知県公安委員会委員長などを歴任した。藍綬褒章受章。愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)出身。 1948年1月2日に愛知県豊田市で生まれる。 小学4年時に父親が死去したため、中学校を卒業後、お金を貰いながら学べるトヨタ技能者養成所(現・トヨタ工業学園)に入社。1966年に卒業し、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)に入社、鍛造部に配属される。
新美 育文(にいみ いくふみ、1948年 - )は、日本の法… 新美 育文(にいみ いくふみ、1948年 - )は、日本の法学者。専門は民事法。弁護士。明治大学名誉教授。安心ネットづくり促進協議会会長、環境省中央環境審議会会長代理、法務省司法試験考査委員等を歴任。 愛知県半田市生まれ。愛知県立半田高等学校、名古屋大学法学部卒業後、1973年名古屋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。 1986年から明治大学法学部助教授。1987年から同教授を務めた。2014年安心ネットづくり促進協議会会長。弁護士でもあり、交通事故紛争処理センター理事長、クレジット・カウンセリング協会会長、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構理事、法務省司法試験考査委員、通商産業省産業構造審議会委員、経済企画庁国民生活審議会委員なども歴任した。
友松 篤信(ともまつ あつのぶ、1948年 - )は、日本の… 友松 篤信(ともまつ あつのぶ、1948年 - )は、日本の国際関係論の学者である。専門は国際協力論、技術協力論、国際交流論。宇都宮大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1973年埼玉大学理工学部生化学科卒業、78年名古屋大学大学院農学研究科博士後期課程修了。80年名古屋大学農学部助手。JICA(現、国際協力機構)から, 80-83年インドネシア(ボゴール農科大学)、85年タイ王国(カセサート大学)、86-88年国際食料政策研究所(IFPRI)、87年世界銀行・国際通貨基金総会に派遣。91年宇都宮大学農学部助教授、94年宇都宮大学国際学部教授、1997-2007年東京大学農学部講師併任、2005-08年宇都宮大学学長特別補佐。
市川 明廣(いちかわ あきひろ、1948年 - )は、日本の… 市川 明廣(いちかわ あきひろ、1948年 - )は、日本の彫刻家。二科会評議員。 愛知県一宮市生まれ。東京芸術大学大学院彫刻科を修了後、黒御影石や大理石などの石彫を中心に数々の作品を制作。公共施設のモニュメント制作から一般家庭のインテリア作品まで幅広く制作活動を行っている。 1948年 愛知県一宮市に生まれる 1975年 東京芸術大学大学院彫刻科修了 東京芸術大学彫刻科 非常勤講師となる(~1977年) 二科展で特選受賞 1982年 二科展で会友賞受賞 1987年 神戸具象彫刻大賞展 読売賞受賞1988年 二科会会員に推挙される 1992年 二科展で会員賞受賞 1995年 名古屋芸術大学彫刻科非常勤講師となる(~2000年) 1997年 愛知県芸術文化選奨 文化賞受賞 2015年 第100回記念二科展でローマ賞受賞 北海道NTT札幌病院新潟県JR十日町駅前武蔵野音楽大学千葉県佐倉市長隈橋東京都中央区立常盤小学校神奈川県立茅ヶ崎養護学校名古屋市中区広小路歩道名古屋明徳短期大学(現 星城大学)尾西信用金庫一宮末広支店愛知県立一宮高等学校愛知県一宮市三井緑地 神戸市中央区湊川神社西側歩道 福岡県行橋市京都ホテル他 各所
蛇雄(だお、1948年 - )は、愛知県刈谷市出身の画家。無… 蛇雄(だお、1948年 - )は、愛知県刈谷市出身の画家。無所属。 一貫して独特な世界観の幻想絵画を描き続ける芸術家である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
伊藤 正直(いとう まさなお、1948年-)は、日本の経済学… 伊藤 正直(いとう まさなお、1948年-)は、日本の経済学者。大妻女子大学学長・社会情報学部教授、東京大学大学院経済学研究科名誉教授。専門は金融政策、国際金融。 愛知県生まれ。1967年、東海高等学校卒業、1971年、東京大学経済学部経済学科卒業。1973年、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。1976年、同大学院研究科博士課程単位取得満期退学、東京大学社会科学研究所助手。立命館大学経済学部助教授、名古屋大学経済学部助教授を経て、1991年東京大学経済学部助教授。1990年「日本の対外金融と金融政策 -1914~1936- 」で東京大学より経済学博士の学位を取得。1994年、同教授。2013年、大妻女子大学社会情報学部教授、東京大学名誉教授。