橋本 和(はしもと わたる、1986年9月14日)は、滋賀県… 橋本 和(はしもと わたる、1986年9月14日)は、滋賀県伊香郡高月町(現長浜市)出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(SB)。 父の影響で幼い頃からサッカーに親しみ、小学2年生の時に地元のクラブチームへ入団。利き手は右だが、物心がついた時から左足でボールを蹴っていた。 高月町立高月中学校に入学後、サッカー部がなかったことから、小学生時代の指導者が立ち上げたジュニアユースのクラブチーム「バーニングブラッドFC」へ入団。中学3年生の秋、青森山田高等学校のセレクションに合格し、特待生として進学した。同校サッカー部の同級生に盛礼良レオナルド、那須川将大がいた。 高校卒業後は、大阪体育大学に進学。
馬場 悠企(ばんば ゆうき、1986年8月2日 - )は、滋… 馬場 悠企(ばんば ゆうき、1986年8月2日 - )は、滋賀県出身のサッカー選手。ポジションはMF。 草津東高校から京都産業大学を経て、2009年よりJFLのSAGAWA SHIGA FCに加入。加入初年度から中盤の守備的なポジションで起用され、2009年、2011年の2度のJFL優勝に貢献した。 2012年からはタイに活躍の場を求め、タイ・ディヴィジョン1リーグのスパンブリーFCに移籍。中盤の要として活躍し、チームのタイ・プレミアリーグへの昇格に貢献した。2013年シーズンはディヴィジョン1のバンコクFCに移ってプレーした。 2014年にはタイ・プレミアリーグの強豪チョンブリーFCに移籍して大学同期の櫛田一斗とともにプレーし、通年でのレギュラー獲得はならなかったものの17試合に出場した。
松尾 元太(まつお げんた、1986年5月26日 - )は、… 松尾 元太(まつお げんた、1986年5月26日 - )は、滋賀県出身の元サッカー選手。ポジションはDF(おもに右サイドバック)。 滋賀県立野洲高等学校卒業後、大阪体育大学へ進学。大学では3年時からレギュラーに定着 し、右サイドバックとして活躍。2007年の関西学生サッカー選手権優勝と2008年の準優勝に貢献した。また、2008年度の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントでも優勝を経験している。 2008年11月12日に名古屋グランパスへの入団が内定。2009年1月26日に新人選手6人で入団会見を行った。なお、同年には大学同期の橋本和が柏レイソルに、田所諒がファジアーノ岡山に入団している。 2009年5月20日、ACLグループリーグ北京国安戦で初先発。
吉川 健太(よしかわ けんた、1986年5月16日 - )は… 吉川 健太(よしかわ けんた、1986年5月16日 - )は、滋賀県出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF、DF。 2008年度の関西学生リーグ年間最優秀選手。 2009年に阪南大学を卒業し愛媛FCに入団。 2011年からカターレ富山へ期限付き移籍し、2012年に完全移籍。 2015年3月、MIOびわこ滋賀へ期限付き移籍。シーズン終了後に引退。
井田 健太郎(いだ けんたろう、1985年11月17日 - … 井田 健太郎(いだ けんたろう、1985年11月17日 - )は、滋賀県大津市出身のサッカー選手。
村瀬 和隆(むらせ かずたか、1985年9月11日 - )は… 村瀬 和隆(むらせ かずたか、1985年9月11日 - )は、滋賀県出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。
前田 高孝(まえだ たかのり、1985年6月30日 - )は… 前田 高孝(まえだ たかのり、1985年6月30日 - )は、滋賀県東浅井郡出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード。2015年4月より近江高等学校教員・サッカー部監督。 長浜市立虎姫小学校、近江兄弟社中学校を経て、2001年滋賀県立草津東高等学校に入学してサッカー部入部。1年次に第80回全国高等学校サッカー選手権大会、3年次には2003年 長崎ゆめ総体への出場を経験した。2003年度に静岡県で開催された国民体育大会に出場した際にスカウトの目にとまり、2004年に清水エスパルスに入団した が、同年6月に出場したJサテライトリーグでの試合中に膝を負傷、全治6か月の重傷を負った。
酒井 悠基(さかい ゆうき、1985年6月28日 - )は、… 酒井 悠基(さかい ゆうき、1985年6月28日 - )は、日本のサッカー選手。ポジションはDF。滋賀県甲賀郡甲西町(現・湖南市)出身。 滋賀県立草津東高等学校卒業後、2004年にアルビレックス新潟入団。同年U-19日本代表選出。2004年6月よりシンガポールのアルビレックス新潟シンガポールに期限付き移籍。Sリーグでは2シーズンで30試合に出場して1得点。2006年1月、新潟に復帰。
安藤 淳(あんどう じゅん、1984年10月8日 - )は、… 安藤 淳(あんどう じゅん、1984年10月8日 - )は、滋賀県野洲市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF、MF。 関西大学在籍時の2006年、京都パープルサンガの特別指定選手となる。2007年に京都に入団。元々はボランチを務めていたが、大木武が監督に就任した2011年からは中盤に加えてセンターバックやサイドバックまでこなすユーティリティープレイヤーとして開花した。2013年より主将に抜擢される。 2014年よりセレッソ大阪に完全移籍。しかし出場機会が少なく、2015年6月に松本山雅FCへの完全移籍が発表された。2017年シーズン末、松本山雅FCより契約期間の満了が発表。同年12月に行われたJリーグ合同トライアウトに出場した 2018年、愛媛FCへ完全移籍。
中井 昇吾(なかい しょうご、1984年6月19日 - )は… 中井 昇吾(なかい しょうご、1984年6月19日 - )は、滋賀県社会人リーグの守山侍2000所属のサッカー選手。滋賀県大津市出身。 中学生時代はセゾンFCでプレーしていた。滋賀県立野洲高等学校に進学し、同時にサッカー部に入部。全国高等学校サッカー選手権大会で同校サッカー部が初出場でベスト8に進んだ時の中心選手のひとり。 卒業後、柏レイソルに入団するが、出場機会には恵まれず、2005年に水戸ホーリーホックにレンタル移籍した。 2006年からは地元滋賀のヴィオラSCに入団。2009年、地元の女子サッカークラブ、おおつヴィクトリーズサッカークラブのコーチに就任した。
河野 高宏(こうの たかひろ、1984年6月13日 - )は… 河野 高宏(こうの たかひろ、1984年6月13日 - )は、滋賀県出身のサッカー指導者。 大学時代までは選手としてプレー。大学卒業後は指導者の道へ進み、母校の筑波大学蹴球部のGKコーチなどを経て、2011年、水戸ホーリーホックのGKコーチに就任。
矢島 卓郎(やじま たくろう、1984年3月28日 - )は… 矢島 卓郎(やじま たくろう、1984年3月28日 - )は、滋賀県滋賀郡志賀町(現:大津市)出身 の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 県内有数の進学校である滋賀県立膳所高校から早稲田大学へサッカー推薦ではなく一般入試で進学。2004年、2005年は川崎フロンターレの特別指定選手となるが、早稲田大学ア式蹴球部監督の大榎克己の薦めもあり清水エスパルスに入団する。その後3シーズン、清水でプレーした後、2009年から川崎に完全移籍。2013年限りで契約満了により退団。横浜F・マリノスへの移籍が決まった。 2016年に京都サンガF.C.へ完全移籍で加入したが、同シーズンをもって現役を引退した。
小寺 一生(こてら かずき、1983年7月10日 - )は、… 小寺 一生(こてら かずき、1983年7月10日 - )は、滋賀県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 2020シーズンより、レイラック滋賀FCのトップコーチ就任。
前田 雅文(まえだ まさふみ、1983年1月25日 - )は… 前田 雅文(まえだ まさふみ、1983年1月25日 - )は、滋賀県野洲市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。愛称は前さん、前ちゃん。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。 地元のセゾンFC、野洲高校(同期に田中大輔らがいる)を経て、2001年に関西大学に進学。在籍時の2003年には、特別指定選手として名古屋グランパスエイトへ選手登録され、公式戦出場はなかったがサテライトリーグに出場した。また同年8月にはユニバーシアード・大邱大会の日本代表メンバーに選出され、中盤のポジションで活躍し、日本の大会連覇に貢献した。 大学を卒業した2005年にJ1・ガンバ大阪に加入。初めてベンチ入りした第7節・FC東京戦にて途中出場で公式戦デビューを果たす。
田中 大輔(たなか だいすけ、1983年1月6日 - )は、… 田中 大輔(たなか だいすけ、1983年1月6日 - )は、MIOびわこ草津所属のサッカー選手。ポジションはMF。
近江 孝行(おうみ たかゆき、1982年10月6日 - )は… 近江 孝行(おうみ たかゆき、1982年10月6日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションは、MF。 小学生の頃からサッカーを始め、滋賀県立草津東高等学校時代の第79回全国高等学校サッカー選手権大会では準優勝に貢献。同大会の優秀選手に選ばれ、高校選抜の一員としてヨーロッパ遠征のメンバーにも選出される。高校卒業後は近畿大学に進学し、4回生の時は主将を務める。 大学卒業後、ドイツに渡り、2005年シーズンにSSV Eintracht Überherrnに入団し、2006年から2008年まではEisbachtal 1919に所属する。その後、コーチの勉強のためにニュージーランドへ渡り、ドイツで長年活躍したウィントン・ルーファーが立ち上げたサッカースクール、ウィナーズ(WYNRS)で働く。
中川 英之(なかがわ ひでゆき、1982年7月13日 - )… 中川 英之(なかがわ ひでゆき、1982年7月13日 - )は、滋賀県長浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
神崎 亮佑(かんざき りょうすけ、1982年6月21日 - … 神崎 亮佑(かんざき りょうすけ、1982年6月21日 - )は、滋賀県甲賀郡信楽町(現甲賀市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 滋賀県立草津東高校から2001年川崎フロンターレへ加入。しかし、出場機会に恵まれず、2004年に戦力外となり退団。2005年にバンディオンセ神戸(現:Cento Cuore HARIMA)へ移籍。2009年からはカマタマーレ讃岐に所属し、同年の全国社会人サッカー選手権大会において前所属の加古川からゴールをあげる。2013年シーズン終了後、契約満了により退団、引退した。 2014年よりヴィッセル神戸のスクールコーチを務めている。また、三菱重工神戸サッカー部に選手登録されている。
菅原 太郎(すがはら たろう、1981年6月14日 - )は… 菅原 太郎(すがはら たろう、1981年6月14日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。JFA A級ジェネラルライセンス所持。 静岡学園高校卒業後、同校サッカー部監督井田勝通の勧めによりブラジルのミラソウFCに入団。翌年複数クラブの誘いから柏レイソルに入団。 2014年に引退し、2015年にブラウブリッツ秋田のアシスタントコーチに就任。 2018年7月、ブラウブリッツ秋田との契約が解除された。 2019年、奈良クラブのコーチに就任。 2020年、J.FC MIYAZAKIの監督に就任した。 2024年シーズンよりY.S.C.C.横浜のヘッドコーチ就任を発表。
岡谷 良(おかたに りょう、1981年1月13日 - )は、… 岡谷 良(おかたに りょう、1981年1月13日 - )は、滋賀県蒲生郡竜王町出身のサッカー選手、フットサル選手。 ポジションは、MF。 滋賀県立草津東高等学校サッカー部時代には、高校総体、近畿大会、天皇杯、全日本ユース、高校選手権などに出場。立命館大学に進学後も、関西大学新人戦に出場して優勝を果たす。 2003年、アルゼンチン国内1部リーグ所属のクラブ・オリンポ(英語版)とプロ選手契約を交わし、日本人としては、高原直泰以来2人目のアルゼンチン国内1部リーグプレーヤーとなった。2005年には同国2部リーグのティロ・フェデラル(英語版)にも在籍したが、トップ出場は果たせなかった。アルゼンチン、ウルグアイに約2年間滞在し、帰国。
高木 和道(たかぎ かずみち、1980年11月21日 - )… 高木 和道(たかぎ かずみち、1980年11月21日 - )は、滋賀県野洲市出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。2026年からはIKOMA FC 奈良の監督を務める。 野洲市で生まれ育ち、小学校3年生のときにサッカーを始める。高校時代は滋賀県立草津東高等学校で2年時からレギュラーとして活躍するが、全国的にはそれほど有名な選手ではなかった。3年生からセンターバックとしてプレーする。この頃から空中戦には絶対の自信を持つようになる。1999年に当時、関西学生リーグ2部であった京都産業大学に進学。元々プロサッカー選手を目指すつもりはなく、大学卒業と共にサッカーを辞める予定だった。
東 崇史(あずま たかし、1979年11月21日 - )は、… 東 崇史(あずま たかし、1979年11月21日 - )は、滋賀県甲賀郡水口町(現在は甲賀市)出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF。
濱田 堯(はまだ たかし、1979年9月19日 - )は、滋… 濱田 堯(はまだ たかし、1979年9月19日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。日本サッカー協会公認A級コーチジェネラル、GKレベル3コーチ。
大谷 未央(おおたに みお、1979年5月5日 - )は、滋… 大谷 未央(おおたに みお、1979年5月5日 - )は、滋賀県甲賀市出身の元女子サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 比較的小柄な選手だが、2003 FIFA女子ワールドカップ・アルゼンチン戦ではハットトリックを決め、またL・リーグでは3年連続を含む4度の得点女王にもなるなど、なでしこジャパンのゴールハンターとして知られる。アテネオリンピックでは初戦のスウェーデン戦で荒川恵理子のゴールをアシストした。 2005年7月10日、日本の女子サッカーリーグ史上最速となる114試合目での通算100ゴールを達成した。 2008年限りで11年間所属したTASAKIペルーレFCが休部することになったのに伴い現役を引退し、京都精華女子中学校・高等学校サッカー部コーチを務める。
倉貫 一毅(くらぬき かずき、1978年11月10日 - )… 倉貫 一毅(くらぬき かずき、1978年11月10日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 滋賀県大津市立南郷中学校卒業。中学時代は父である岩谷篤人(のち野洲高校コーチ、現セゾンFC総監督)が当時監督を務めていた地元の強豪クラブ・セゾンFCでプレーし、「『監督の息子やから試合に出てる』と思われたくない」と練習に打ち込んだ。静岡学園高校卒業後、1997年にジュビロ磐田へ入団したが、磐田在籍中の公式戦の出場は無かった。 坂本紘司とは、セゾン、静学、磐田でのチームメイトであり、現在でも親交は厚い。試合後には「紘司には顔では負けるがプレーで勝ちたい」とコメントしている(2007年第2ターム対戦にて)。
上田 晋也(うえだ しんや、1977年6月20日 - )は、… 上田 晋也(うえだ しんや、1977年6月20日 - )は、滋賀県五個荘町(現、東近江市)、栗東市 出身の元サッカー選手。
中村 聖(なかむら きよし、1971年5月20日 - )は、… 中村 聖(なかむら きよし、1971年5月20日 - )は、元サッカー選手である。現役時代は主にディフェンダー、ミッドフィールダーとして活躍。滋賀県湖南市出身。現役終盤の登録名は中村 樹佳(なかむら きよし)。
瀬尾 清(せお きよし、1970年6月14日 - )は、滋賀… 瀬尾 清(せお きよし、1970年6月14日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手。選手時代はセンターフォワードでプレーした。 滋賀県立守山高等学校時代には全国高校総体優秀選手に選ばれた。柏レイソルでプレーした後、フットサル日本代表になった。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
上野 展裕(うえの のぶひろ、1965年8月26日 - )は… 上野 展裕(うえの のぶひろ、1965年8月26日 - )は、滋賀県甲賀市(旧甲賀郡信楽町)出身の元サッカー選手・指導者(JFA 公認S級コーチ)。 滋賀県立膳所高等学校から一浪で早稲田大学に進学、同期に松山吉之がいる。在籍時にはユニバーシアード代表を経験したほか、AFCアジアカップ1988に出場する日本代表Bのメンバーに選ばれた。 大学時代からマリウス・ヨハン・オフト率いるマツダSC(現サンフレッチェ広島F.C)のモダンなサッカーに魅せられており、卒業後はマツダでサッカーをやりたいという意志を持っていたが、なぜか誘いはなく、大学を卒業後は日本サッカーリーグ(JSL)1部の全日空サッカークラブ(横浜フリューゲルスの前身)に入団。
美濃部 直彦(みのべ なおひこ、1965年7月12日 - )… 美濃部 直彦(みのべ なおひこ、1965年7月12日 - )は、滋賀県守山市幸津川町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
望月 聡(もちづき さとる、1964年5月18日 - )は、… 望月 聡(もちづき さとる、1964年5月18日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(攻撃的MF、守備的MF)、FW(センターフォワード)。2007年、びわこ成蹊スポーツ大学准教授に就任。
植村 晋(うえむら すすむ、1964年4月9日 - )は、滋… 植村 晋(うえむら すすむ、1964年4月9日 - )は、滋賀県出身の元サッカー選手。 同志社大学卒業後、ガンバ大阪に所属。 1993年のJリーグ開幕節では、5月16日の浦和レッズ戦に出場。開幕戦から5試合連続でディフェンダーとして出場した。その後はほとんど出場することができず、同年シーズン終了後に引退した。
山本 佳司(やまもと けいじ、1963年11月21日 - )… 山本 佳司(やまもと けいじ、1963年11月21日 - )は、滋賀県甲賀市出身の元アマチュアレスリング選手、サッカー指導者。滋賀県立野洲高等学校保健体育科教諭で同校のサッカー部総監督を務めている。 日本体育大学時代はレスリングの選手として活躍。卒業後の1986年、ドイツ・ケルン体育大学に留学し、そこでサッカーと出会う。当時マスコミは素人監督の快挙と持て囃したが、中学時代はサッカー部で活躍した。高校、大学とレスリング部ではあるが、満更素人でもなかったという話である「同級生談より」[要出典]。 帰国後、水口東高校を経て、1996年に野洲高校に赴任。就任当時、無名で部員数16人しかいなかったサッカー部を、2002年の高校選手権に初出場でベスト8に導く。
里内 猛(さとうち たけし、1957年1月11日 - )は、… 里内 猛(さとうち たけし、1957年1月11日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。JFA 公認S級コーチ(1998年 - )。滋賀県出身。大阪経済大学卒業。 選手時代はディフェンダーとして住友金属工業蹴球団に所属した。1988年に引退した後、翌年から同部コーチに就任。その後同部が母体となった鹿島アントラーズで2001年までフィジカルコーチを務め、鹿島の隆盛の基礎を支えた。 鹿島時代からのジーコとの繋がりから、2003年から日本代表チームのフィジカルコーチとなり、2006年のFIFAワールドカップドイツ大会にもスタッフとして帯同した。その後監督がイビチャ・オシムに替わってからも引き続きフィジカルコーチを務めていたが、2006年限りで退任。
鵜飼 哲也(うかい てつや、1956年1月1日 - )は、日… 鵜飼 哲也(うかい てつや、1956年1月1日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(ストッパー、サイドバック)。息子の鵜飼宏長(JFL)、鵜飼建吾(J2)も元サッカー選手。 滋賀県立甲賀高等学校(現・水口高等学校)を卒業し、1974年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部に入る。 大型フルバックとしてプレーするが、怪我に泣かされるシーズンも目立った。1982年8月に行われたJSLカップは、5試合すべてにフル出場し優勝。また、同年11月の日ソ親善サッカーでは、JSL選抜チームとして古河から、宮内聡、早稲田一男、佐藤長栄とともに出場している。その後29歳で引退。 JSL選抜チーム(1982年)1試合0得点
鬼塚 忠久(おにづか ただひさ、1955年7月3日 - )は… 鬼塚 忠久(おにづか ただひさ、1955年7月3日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード。滋賀県甲賀郡甲西町(現・湖南市)出身。 滋賀県立甲賀高校時代、高校選手権、インターハイ、国体に出場。卒業後の1974年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)へ入部し、1年目からレギュラーの座を獲得。以後、ウインガーとして古河の黄金時代を支え、1982年シーズンにはアシスト王にも輝いた。サイドからのドリブル突破を持ち味とし、得点能力も高かった。 引退後は、芸能人で結成されたサッカーチーム、ザ・ミイラにも所属していた。また、解説者やサッカースクールのコーチなどを経て、2004年に古河時代のチームメイトだった前田秀樹が監督を務める水戸ホーリーホックの強化部長兼取締役に就任。
上西 一雄(うえにし かずお、1954年11月1日 - )は… 上西 一雄(うえにし かずお、1954年11月1日 - )は、滋賀県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW(主にウイング)。 滋賀県立甲賀高等学校(現・水口高等学校)を卒業後、1973年にJSL1部のヤンマーディーゼルサッカー部に入部。左足タッチのドリブルを得意とし、現役の13年間では、釜本邦茂、吉村大志郎、今村博治、阿部洋夫、堀井美晴、楚輪博、長谷川治久らとヤンマーの攻撃陣を支えた。
山出 実(やまで みのる、1954年〈昭和29年〉1月6日 … 山出 実(やまで みのる、1954年〈昭和29年〉1月6日 - )は、滋賀県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 中学校時代はバレーボール、高校からはサッカーを始めた。 大阪経済大学卒業後、東洋工業(現、マツダ)に入社、東洋工業サッカー部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)に所属し、1978年には古田篤良、渡辺由一、安原真一らと天皇杯準優勝に貢献。 1983年は中国サッカーリーグのマツダオート広島サッカー部に所属し、リーグ得点王となる。1984年は、JSL2部に落ちていたマツダSCで再びプレーした。現役引退後もマツダに社員として勤務。マツダ親和会サッカー部コーチ、国体広島女子U-15コーチなどを勤めた。
今村 博治(いまむら ひろじ、1949年4月27日 - )は… 今村 博治(いまむら ひろじ、1949年4月27日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはFW。滋賀県甲賀郡水口町(現甲賀市)出身。 滋賀県立甲賀高等学校から日本サッカーリーグのヤンマーディーゼルに入団。ヤンマー時代は不動の右ウイングとして活躍し、エースストライカーの釜本邦茂へ数多くのアシストを供給、1975年にはアシスト王を獲得した。現役を通じてリーグ通算230試合出場(歴代6位)、60得点(歴代10位)、50アシスト(歴代7位)の記録を残した。 また、日本代表としては1975年1月5日のバイエルン・ミュンヘン戦(国際Cマッチ)で代表デビュー。翌1976年8月のムルデカ大会に出場するなど、国際Aマッチ4試合に出場した。
松田 保(まつだ たもつ、1948年 - )は、滋賀県近江八… 松田 保(まつだ たもつ、1948年 - )は、滋賀県近江八幡市出身のサッカー指導者。学校法人ヴォーリズ学園副学園長。 滋賀県立彦根東高等学校ではアメリカンフットボール部に所属。金沢大学教育学部特別体育学科にてサッカー指導者としての教育を受ける。教師として初赴任先の甲南高校では初年度からサッカー部監督に就任。その後は守山高校サッカー部、守山北高校サッカー部監督を歴任。1982年度には守山高校を率いて全国高校選手権ベスト4進出、1994年度には守山北高校でもベスト4進出を果たす。 1993年から1995年までは小野伸二、稲本潤一ら「黄金世代」を擁したU-17日本代表監督を務め、FIFA U-17世界選手権に出場した。
北村 春吉(きたむら はるきち、旧姓:藤井、1897年3月1… 北村 春吉(きたむら はるきち、旧姓:藤井、1897年3月1日 - 1996年12月19日)は、滋賀県野洲市出身の数学者、旧制専門学校校長、予備校講師、サッカー選手。 1897年、滋賀県野洲郡野洲町(現:野洲市)富波甲に生まれた。滋賀師範学校(現・滋賀大学)在籍時に恩師の落合秀保と出会い、サッカーを始めた。1916年3月、滋賀師範学校卒業。 その後、東京高等師範学校に入学し、蹴球部(現:筑波大学蹴球部)に所属。在学中の1917年に第3回極東選手権大会の日本代表に佐々木等や武井群嗣らと共に選出され、2戦目のフィリピン代表戦で2得点を決めた。なお、この得点が日本代表の初得点となった(試合は2-15で敗れ、日本代表の最大差敗戦試合となっている)。
中島 依美 は、滋賀県野洲市出身の女子サッカー選手。慶州韓国… 中島 依美 は、滋賀県野洲市出身の女子サッカー選手。慶州韓国水力原子力WFC所属。元サッカー日本女子代表。ポジションはミッドフィールダー。滋賀県立野洲高等学校出身。