矢野 環(やの たまき、男性、1949年5月24日 - )は… 矢野 環(やの たまき、男性、1949年5月24日 - )は、日本の数学者、茶道研究家、同志社大学文化情報学部教授。専門は数理文献学、茶道・華道・香道史、伝統文化論、応用多変量解析、数学。 京都市生まれ。1972年京都大学理学部卒、1977年同大学院理学研究科数学専攻博士課程修了、「b函数の理論について」で理学博士。1977年埼玉大学理学部数学科助手、1983年助教授、1995年教授、2005年同志社大学文化情報学部教授。 1999年茶道文化学術賞受賞。
矢野道雄(やの みちお、1944年6月 - )は、日本の数学… 矢野道雄(やの みちお、1944年6月 - )は、日本の数学者、インド数学・インド占星術研究者、京都産業大学名誉教授。 京都府福知山市生まれ。1967年京都大学文学部印度哲学科卒、1972年同大学院梵語梵文学博士課程中退(専攻はインド学および科学史)、薮内清等に師事。主として古代インドを軸に、科学史から天文学・数学・占星術の進展研究・原典訳を行っている。 1973年京都産業大教養部講師、1977年助教授、1979年同・国際言語科学研究所助教授、1984年に教授、のち所長(第9代)。2000年に同文化学部教授に異動、2010年4月定年退任し特任教授。2015年4月に退職し名誉教授。 1996年「クーシュヤールの占星術書写本の校訂研究」で文学博士(京大)。
小針 晛宏(こはり あきひろ、1931年1月1日 - 197… 小針 晛宏(こはり あきひろ、1931年1月1日 - 1971年11月21日)は日本の数学者。 京都府生まれ。京都府立山城高等学校を経て京都大学理学部卒業。在学中は広中平祐らと共に機関紙『EOUS』の編集に携わる。『数学セミナー』、『大学への数学』等に投稿を重ねた。1960年、京都大学大学院理学研究科博士課程修了。京都大学理学部助手を経て、同大学教養部助教授。在任中の1971年没。 京大全共闘の支持者で、以下のような詩を書き残している。全共闘=過激派系の京大新聞六九年四月七日号に掲載された「学問とは何かーハレンチな真実の叫び」と題する記事の一節である。 ―ある自由の女神の独白―教養部は大学の下半身ね。
村上 信吾(むらかみ しんご、1927年 <昭和2年> 10… 村上 信吾(むらかみ しんご、1927年 <昭和2年> 10月21日 - 1999年<平成11年> 12月3日)は、日本の数学者。専攻は、代数学・幾何学。学位は、理学博士。大阪大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 京都市出身。第三高等学校を経て、大阪大学理学部卒。 大阪大学理学部教授、プリンストン高等研究所員、シカゴ大学、グルノーブル大学、タタ基礎科学研究所、南開大学客員教授、大阪産業大学教養部教授を歴任。 フランスパルムアカデミーク勲章受章。 1999年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
金山 らく(かなやま らく、1888年(明治21年)10月2… 金山 らく(かなやま らく、1888年(明治21年)10月22日 - 1977年(昭和52年)1月7日)は、帝国大学で学んだ日本初の女子大学生の一人、日本初の女性理学士の一人として知られる数学者。東京女子高等師範学校教授。夫は画家の金山平三で、後半生は夫の画業を支えた。旧姓名の牧田 らく(まきた らく)で言及されることも多い。 京都府京都市中京区に、呉服商・牧田久吉の次女として生まれる。京都府高等女学校(現:京都府立鴨沂高等学校の前身)在学中に数学への関心を深める。らくの父は「女に学問などいらぬ」という考えの持ち主で、女子高等師範学校への進学にも反対していたが、高等女学校時代の恩師がらくの父を説得し、進学が許されたという。
園 正造(その まさぞう、1886年1月1日 - 1969年… 園 正造(その まさぞう、1886年1月1日 - 1969年11月24日)は、日本の数学者。代数学を専門とする。京都帝国大学名誉教授。西京大学(現京都府立大学および京都府立大学女子短期大学部)初代学長。 京都市生まれ。1910年に京都帝国大学理工科大学数学科卒業。1921年、京都帝国大学教授。 日本の数学界の黎明期を支えた数学者の一人である。エミー・ネーターらと同時期に、代数学の抽象化に大きな役割を果たした。分離可能性に関する研究は後に森嶋通夫によって経済学へ応用された。 豪快な人物であったらしく、祇園から人力車で大学へ出勤したという逸話を持つ。また、数学に留まらず哲学・宗教・思想にも強い興味を持ち、雑誌「改造」などに論文を発表している。