山中章(やまなか あきら、1948年- )は、日本の考古学者… 山中章(やまなか あきら、1948年- )は、日本の考古学者・日本史学者、三重大学名誉教授。 京都市生まれ。京都府立洛東高等学校卒、1973年広島大学文学部史学科考古学専攻卒業。1997年「日本古代都城の研究」で博士(文学)。1976年京都府向日市教育委員会職員となり、長岡京跡の発掘調査・研究に従事。財団法人向日市埋蔵文化財センター長を経て、1998年三重大学人文学部教授。2014年定年退任、名誉教授。
岡本 健一(おかもと けんいち、1937年12月3日 - )… 岡本 健一(おかもと けんいち、1937年12月3日 - )は、日本のジャーナリスト・考古学者。京都府京都市生まれ。 1961年京都大学文学部史学科国史専攻卒、毎日新聞社入社。1962年高松塚古墳発掘で被葬者の推定を行う。京都支局・社会部・学芸部に勤務。学芸部副部長、1982年部長・1985年論説委員兼編集委員、1991年論説副委員長、特別編集委員、1999年客員編集委員。1999年京都学園大学人間文化学部教授。2008年定年退職。1979年“稲荷山鉄剣銘発見”のスクープと一連の解説で日本新聞協会賞グランプリ、1999年長年の公正な文化財報道と啓発的な著作で藤森栄一賞(長野県考古学会賞)。
猪熊 兼勝(いのくま かねかつ、1937年 - )は、日本の… 猪熊 兼勝(いのくま かねかつ、1937年 - )は、日本の考古学者。専門は、日本考古学(特に古墳時代より飛鳥時代の墓制)。学位は、文学修士(関西大学)。京都橘大学名誉教授。葵祭行列保存会会長、時代祭考証委員長。所属学会は日本考古学協会、韓国考古学研究会。 京都府京都市に生まれる。猪熊家は代々猪熊通に居住していたが、応仁の乱で焼け出された。京都府立鴨沂高等学校を経て、1962年関西大学文学部史学科卒業。1964年関西大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了、文学修士。 奈良国立文化財研究所に就職し、同所埋蔵文化財センター研究指導部長、1997年同所飛鳥藤原宮跡発掘調査部部長となる。1998年京都橘大学文学部教授、のちに同名誉教授。
川勝 政太郎(かわかつ まさたろう、1905年(明治38年)… 川勝 政太郎(かわかつ まさたろう、1905年(明治38年)5月22日 - 1978年(昭和53年)12月23日)は、日本の歴史学者・考古学者・美術史家。学位は、文学博士。専門はサンスクリット、石造美術の研究。京都市生まれ。 京都府京都市生まれ。京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)卒業後、建築史家の天沼俊一に師事し、石造遺品への関心を深めた。1926年に自宅で書店をひらき、屋号をスズカケと称し、1928年にはスズカケ出版部を設け、『古美術史蹟 京都行脚』を刊行し、1929年、京都史蹟会の会誌『京都史蹟』の創刊に携わった。1930年、史迹美術同攷会(しせきびじゅつどうこうかい)を創立し、会の機関誌として研究雑誌『史迹と美術』を創刊した。
三宅 宗悦(みやけ むねよし、1905年(明治38年)3月2… 三宅 宗悦(みやけ むねよし、1905年(明治38年)3月26日 - 1944年(昭和19年)11月6日)は、日本の人類学・考古学者。医学博士。 1905年(明治38年)3月26日、京都府京都市東山区で三宅宗淳・男依の4男として生まれる。京都府立第二中学校、旧制山口高等学校(のち山口大学文理学部、現同大学人文学部)を卒業後、京都府立医科大学に入学。考古学に興味を持ち、京都帝国大学考古学教室に出入りするようになる。濱田耕作や清野謙次などから考古学・人類学の薫陶を受け、1929年(昭和4年)には同教室による須玖遺跡(福岡県春日市)の発掘調査に参加している。 1930年(昭和5年)に同医科大学を卒業後、京都帝国大学医学部助手に任命される。