碇潟 夘三郎(いかりがた うさぶろう、1879年8月 - 1… 碇潟 夘三郎(いかりがた うさぶろう、1879年8月 - 1928年3月18日)は、大阪府大阪市中央区出身で草風部屋(京都相撲)、出羽海部屋に所属した力士。本名は山口 卯太郎(やまぐち うさぶろう)(旧姓的場)。7代山響、9代佐ノ山。身長166cm、体重88kg。最高位は東前頭筆頭。得意手は掻っ撥き、下手投げ、叩き。 大工の長男で家業を継ぐべく修業していたが相撲好きで遊び回り、不義理もあり進退が窮まっていると、1896年に名古屋相撲の大関だった常陸山が大阪に来た際入門を願ったが、小兵で非力だったので断られた。そこで、同じ名古屋力士の相見山にも入門を願ったが雑用係代わりに使われたので逃げ、京都相撲の草風部屋に入門、糸柳で幕下上位へ進んだ。
尼ヶ嵜 清吉(あまがさき せいきち、1871年12月14日〈… 尼ヶ嵜 清吉(あまがさき せいきち、1871年12月14日〈明治4年11月13日〉 - 1947年〈昭和22年〉3月4日)は、現在の大阪府大阪市西淀川区出身で高砂部屋に所属した力士。本名は半田 清吉。10代振分、12代間垣。170cm、79kg。最高位は西小結。 大阪府下西成郡福村(現在の大阪市西淀川区)の鮮魚商の家に生まれる。宮相撲で活躍し、宮相撲仲間の兄が尼崎に居住していて入門時に世話となったため尼ヶ崎と名乗る。 1896年1月初土俵(序ノ口)、この時24歳と晩成であった。相撲名人と呼ばれた逆鉾与治郎から押し相撲の極意を教わり開花。好成績を続け1899年5月新十両、1900年1月新入幕。大砲万右エ門と2度の引分を演じ、1908年1月に36歳の高齢で小結昇進。
浪花崎 信蔵(なにわざき のぶぞう、1871年9月?(明治4… 浪花崎 信蔵(なにわざき のぶぞう、1871年9月?(明治4年8月)ー ?) は、明治時代の大相撲力士。本名は平野信蔵か。引退後は若者頭を務めた。175cm、85kg前後。 大阪府摂津国島下郡畑田村(のち大阪府島下郡春日村→三島郡春日村、現在の茨木市)生まれ。19歳で大坂相撲に入門し幕下まで進むが、1893年東京相撲に移籍。高砂部屋に入り、1894年1月幕下付け出しで初土俵となる。 1900年5月新十両。1907年5月まで十両を連続15場所務め、十両筆頭まで進むも入幕はできず。1912年1月場所をもって力士を引退し、翌1912年5月場所より二十山部屋所属で若者頭となる。 1927年10月場所を最後に相撲協会を退職。
一の濱 音吉(いちのはま おときち、1868年7月17日(慶… 一の濱 音吉(いちのはま おときち、1868年7月17日(慶応4年5月28日) - 1906年(明治39年)6月11日)は、摂津国豊島郡豊中村(現・大阪府豊中市大島町)出身の大相撲力士。本名は高橋 乙吉。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 8代猪名川に入門、一の濱を名乗り1888年(明治21年)9月見習が初見。一時広角組に加わるが1894年(明治27年)4月入幕。174cm100kgの筋肉質の体格で左差しからの寄り、吊り、投げを得意とした。 1897年(明治30年)9月小結、1898年(明治31年)4月関脇。同年10月には大関となるがこの場所4勝4敗1分の五分ながら1899年(明治32年)6月は関脇に下げられた。
綾瀬川 三左エ門(あやせがわ さんざえもん、1849年(嘉永… 綾瀬川 三左エ門(あやせがわ さんざえもん、1849年(嘉永2年)または1850年(嘉永3年) - 1887年(明治20年)8月29日)は、大阪府大阪市(旧摂津国西成郡)出身で雷部屋に所属した力士。大坂相撲時代には枝川部屋、東京へ移行してからは梅ヶ谷部屋にも所属していた。本名は北井 三右衛門(後に宮下に改姓)。身長は不明、体重は95kg。小兵力士だった。最高位は東前頭5枚目。 最初は大坂相撲に所属。1885年1月、東上して東前頭9枚目格番付外でデビューした。この場所3勝2敗2休3分の好成績を挙げ、幕内に定着した。その後、2年余り相撲を取っていたが、1887年5月場所終了後の8月29日に急死した(死因及び死没場所は不明)。
宇良 和輝 は、大阪府寝屋川市出身で木瀬部屋所属の現役大相撲… 宇良 和輝 は、大阪府寝屋川市出身で木瀬部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長176.0cm、体重138kg、血液型はB型。最高位は西小結(2024年1月場所)。平成4年度生まれの関取を指す「花のヨン組」の1人。幕内経験後に怪我の長期休場により西序二段106枚目まで降格したが、その後再入幕を果たすという史上最低地位からの幕内復帰記録を持つ。廻しの色はピンク。珍しい決まり手を使うこともある技巧派力士、メディアによってはアクロバット相撲とも評されている。