今福 和志(いまふく かずし、2007年5月21日 - )は… 今福 和志(いまふく かずし、2007年5月21日 - )は、日本の男子競泳選手。大阪府出身。長水路800m自由形および短水路1500m自由形の日本記録保持者。 2024年パリオリンピック競泳日本代表選考会の1500m自由形で15分04秒36の高校新記録で優勝したが、派遣標準記録14分56秒31を突破できず、オリンピック代表に落選した。 2025年3月の第100回日本選手権水泳競技大会では400m・800m・1500m自由形で三冠を達成し、2025年世界水泳選手権日本代表に選出された。800mでは7分50秒01の高校新記録、1500mでは11年ぶりとなる日本新記録14分50秒18を樹立した。 そしてさらに、その約1週間後となる全国JOCジュニアオリンピックカップ春季水泳競技大会では、1500mで14:23.26の短水路日本新記録を樹立し優勝。
梶本 一花(かじもと いちか、2004年3月7日 - )は、… 梶本 一花(かじもと いちか、2004年3月7日 - )は、日本の女子競泳選手。大阪府出身。2025年世界水泳選手権のオープンウォータースイミング競技の女子5kmで史上初となる銅メダルを獲得し、3kmノックアウトスプリントで金メダルを獲得した。 枚方市立五常小学校・枚方市立第四中学校・四條畷学園高等学校卒、同志社大学スポーツ健康科学部在学中。 2023年4月の第99回日本選手権水泳競技大会で800m自由形、400m個人メドレーで3位。同年の世界水泳選手権で代表に初めて選出され、オープンウォータースイミングの5kmで14位、男女混合4✕1500mリレーで7位入賞を果たした。 2024年世界水泳選手権の400m自由形で10位、800m自由形で6位入賞、1500m自由形で13位、400m個人メドレーで8位入賞、10kmで21位と2種目で入賞した。
谷川 亜華葉(たにがわ あげは、2003年6月15日 - )… 谷川 亜華葉(たにがわ あげは、2003年6月15日 - )は、日本の元女子競泳選手。大阪府出身。2020年東京オリンピック競泳日本代表。 大阪市立大正東中学校、四條畷学園高等学校出身、近畿大学在学中。4歳のときに、両親の影響で水泳を始める。 2019年、全国高等学校総合体育大会水泳競技大会で200m・400m個人メドレーで2冠を達成。 2021年4月3日、第97回日本選手権水泳競技大会の400m個人メドレーで派遣標準記録を突破し、2位に入ったため2020年東京オリンピック日本代表に内定した。 2024年パリオリンピック競泳女子400メートル個人メドレー予選では4分43秒18のタイムで同組の8位、全体の13位となり予選敗退となった。
林 希菜(はやし きな、2001年7月14日 - )は、日本… 林 希菜(はやし きな、2001年7月14日 - )は、日本の女子競泳選手。大阪府出身。 大阪市立天下茶屋中学校・近畿大学附属高等学校出身、同志社大学在学中。 2019年、全国高等学校総合体育大会水泳競技大会の200mバタフライで優勝。 2022年国際大会代表選考会の200mバタフライで派遣記録を切って優勝し、2022年世界水泳選手権の代表に内定した。
京極 おきな(きょうごく おきな、本名は京極 翁(読み同じ)… 京極 おきな(きょうごく おきな、本名は京極 翁(読み同じ)、2001年 - )は、日本のアーティスティックスイミング選手である。マーメイドジャパン代表メンバー。近畿大学附属高等学校在学中で井村アーティスティックスイミングクラブに所属している。 2016年8月に行われた全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会(13-15歳の部)では、フリールーティンソロ・デュエットともに優勝を果たして最優秀賞を受賞した。2017年9月に全日本の井村雅代ヘッドコーチの推薦により代表候補メンバー入りを果たした。 2018年4月、代表デビューとなった日本選手権のチームフリールーティーンでジャンパーとして活躍し、優勝に花を添えた。
安永 真白(やすなが ましろ、1999年7月11日 - )は… 安永 真白(やすなが ましろ、1999年7月11日 - )は、日本の元アーティスティックスイミング選手。 大阪府吹田市出身。吹田市立千里第一小学校、吹田市立片山中学校、近畿大学附属高等学校を経て、近畿大学卒業。岡三リビックに勤務する。2024年のパリオリンピックを最後に現役を引退した。
高野 綾(たかの あや、1994年3月14日 - )は、日本… 高野 綾(たかの あや、1994年3月14日 - )は、日本の女子競泳選手(自由形)。大阪府茨木市出身。 幼稚園の頃から水泳を始める。近大附属高校を経て、同志社大学スポーツ健康科学部に進学。イトマンスイミングスクール所属選手は近畿大学へ進学することが多いが、あえて遠隔地の大学を選択した。 2012年4月の日本選手権200m自由形で、1分59秒46のタイムで4位に入賞、ロンドンオリンピックの女子800mリレーのメンバーに選出された。
林 愛子(はやし あいこ、1993年11月17日 - )は、… 林 愛子(はやし あいこ、1993年11月17日 - )は、日本のアーティスティックスイミング選手。芦屋大学卒業。 3歳からバレエを習い始め、小学2年生のときにシンクロナイズドスイミング(当時)を始めた。大阪薫英女学院高校から芦屋大学へ進学し、教育心理学を学んだ。卒業論文のテーマは「シンクロナイズドスイミング」だったという。現在は[いつ?]、井村アーティスティックスイミングクラブでコーチをしている。 2015年世界水泳選手権で3位。 2016年リオデジャネイロオリンピックでは補欠として同行。チームで銅メダルを獲得した。
丸茂 圭衣(まるも けい、1992年3月6日 - )は、日本… 丸茂 圭衣(まるも けい、1992年3月6日 - )は、日本のアーティスティックスイミング選手。大阪府立千里青雲高等学校、関西外国語大学卒業。 小学校4年生のときにシンクロナイズドスイミング(当時)を始めた。関西外国語大学卒業後、JOCの仲介による就職支援ナビゲーションシステム「アスナビ」により三菱電機に所属し、井村シンクロクラブにて競技生活を送っている。 2014年アジア競技大会で日本代表入り。 2016年リオデジャネイロオリンピックでチームで銅メダルを獲得。
藤井 拓郎(ふじい たくろう、1985年4月21日 - )は… 藤井 拓郎(ふじい たくろう、1985年4月21日 - )は、日本の元競泳選手、競泳指導者。大阪府河内長野市出身。2008年北京オリンピック400mメドレーリレー銅メダリスト、2012年ロンドンオリンピック400mメドレーリレー銀メダリスト。
寺川 綾(てらかわ あや、1984年11月12日 - )は、… 寺川 綾(てらかわ あや、1984年11月12日 - )は、大阪府大阪市出身の日本の元競泳選手、スポーツキャスター。専門種目は背泳ぎ。スポーツメーカーミズノ社員。2012年ロンドンオリンピック100m背泳ぎ銅メダリスト、400mメドレーリレー銅メダリスト。 所属:ミズノ株式会社 寺川が水泳を始めたのは3歳の頃で、地元を本拠地としていたイトマンスイミングスクールに入り、そこで頭角を現し選手コースで力をつけた。クラブの先輩には千葉すず、その夫でもある山本貴司、同じ種目の選手である中尾美樹(シドニーオリンピック競泳女子200m背泳ぎ銅メダリスト)がおり、山本らは学校の先輩ともなった。特に中尾は、引退後も大学職員として寺川をサポートし続けてきた。
奥村 幸大(おくむら よしひろ、1983年5月9日 - )は… 奥村 幸大(おくむら よしひろ、1983年5月9日 - )は、大阪府富田林市出身の競泳選手。2004年アテネオリンピック男子400mメドレーリレー銅メダリスト。近畿大学附属高等学校、近畿大学卒業。 引退までに個人種目では100m自由形・200m自由形で、リレー種目では400mメドレーリレー・400mフリーリレー・800mフリーリレーでそれぞれの日本記録を更新したことがあった。 2019年現在はイトマンスイミングスクールにてコーチを務めている。師事していた選手に、全国ジュニアオリンピックカップ等で優勝経験のある丸山夏輝 等がいる。
三田 真希(みた まき、1983年4月22日-)は、大阪府八… 三田 真希(みた まき、1983年4月22日-)は、大阪府八尾市出身の元競泳選手である。須磨学園高等学校、早稲田大学教育学部卒。コナミ西日本所属。2001年世界水泳選手権800mフリーリレー銅メダリスト。
山田 沙知子(やまだ さちこ、1982年10月15日 - )… 山田 沙知子(やまだ さちこ、1982年10月15日 - )は、日本の元競泳選手。現在は水泳指導者、フィジカルトレーナー。種目は自由形長距離。身長177センチ、体重64キロ。A型。 大阪府生まれ。2歳の頃から近所のピープルスポーツクラブ(コナミスポーツの前身)で水泳を始め、小学生の頃からその活躍ぶりは注目を集めた。小学6年生当時、1994年11月13日開催のJSCA近畿ブロック対抗大会で女子400m自由形の日本学童記録(4分20秒82)を打ち立てた。 恵まれた体格でその後も着実に力をつけ、1998年、須磨学園高等学校に進学。在学時は「将来のメダル候補」と目されており、2000年、3年生でシドニー五輪に出場。
大塚 愛(おおつか あい、1982年〈昭和57年〉9月9日 … 大塚 愛(おおつか あい、1982年〈昭和57年〉9月9日 - )は、日本のシンガーソングライター 大阪府大阪市出身で、趣味はカメラ、特技はピアノ、水泳、似顔絵。幼少期から絵を描くことに強く興味があり、小学6年生の時には「実現させたい夢」という題の作文で「友達と二人で漫画家になること」と書いた。マンガ家の前の夢は水泳の先生になることであった。初期の特技は剣道ともしていた。大阪芸術大学短期大学部時代に幼稚園教諭・保育士・社会福祉主事の資格を習得。 笠置シヅ子を尊敬し、ファンクに乗れるパンチっぷりを好む。 デビュー前は自分で打ち込みと歌の録音をしていたが、デビューしてからはともに楽曲制作してきたIkomanのもとで作業するようになった。
鳥飼 淳子(とりかい じゅんこ、1975年8月3日 - )は… 鳥飼 淳子(とりかい じゅんこ、1975年8月3日 - )は、日本の元競泳選手。神奈川県出身。1992年バルセロナオリンピック日本代表。 近畿大学附属高等学校・中学校、近畿大学出身。 1989年パンパシフィック水泳選手権日本代表に選出。 1992年バルセロナオリンピック選考会では200m背泳ぎで優勝し、日本代表に選出された。バルセロナオリンピック本大会では200m背泳ぎでB決勝3位(全体11位)となった。
西岡 由恵(にしおか よしえ、1974年7月11日 - )は… 西岡 由恵(にしおか よしえ、1974年7月11日 - )は、日本の元競泳選手。大阪府出身。ソウルオリンピック日本代表。200m・400m個人メドレー元日本記録保持者。女優・フードコーディネーター「黒岩よし」名義として活躍。 樟蔭中学校・高等学校、筑波大学出身。元ミキハウス所属。 中学1年時に1987年パンパシフィック水泳選手権日本代表に初めて選出された。1988年ソウルオリンピック選考会でそれまで国内無敗だった長崎宏子を破り、オリンピック代表に選出された。オリンピック本大会では200m個人メドレーでB決勝8位(全体16位)、100m・200m平泳ぎと400m個人メドレーは予選落ちだった。 1992年バルセロナオリンピック選考会では100m・200m平泳ぎともに3位となり、代表入りはならなかった。
加藤 真志(かとう まさし、1970年8月14日 - )は、… 加藤 真志(かとう まさし、1970年8月14日 - )は、日本の元競泳選手。1988年ソウルオリンピック・1992年バルセロナオリンピック日本代表。800m・1500m自由形の元日本記録保持者。日本選手権水泳競技大会1500m自由形で6連覇を達成した。 近大附属高校・近畿大学卒。イトマンスイミングスクール所属。 ソウルオリンピック選考会の400m自由形で2位、1500m自由形で優勝し、オリンピック日本代表に選出された。1988年ソウルオリンピックの400m・1500m自由形はともに予選落ちとなった。 バルセロナオリンピック選考会の1500m自由形で優勝し、2大会連続オリンピック日本代表に選出された。
本間 三和子(ほんま みわこ、旧姓は元好、1960年12月2… 本間 三和子(ほんま みわこ、旧姓は元好、1960年12月21日 - )は、元アーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)選手、(公財)日本水泳連盟理事・シンクロ委員長。筑波大学大学院人間総合科学研究科教授。学位は博士(体育科学)。専門はスポーツ科学。 大阪府大阪市出身。12歳からシンクロを始める。 筑波大学に進学後、高橋清彦が堺市の自宅に建設したシンクロ用室内プールに毎週通って特訓を積む。筑波大学大学院在学中の1984年ロサンゼルスオリンピックで木村さえ子とともにデュエット種目で銅メダル、ソロ種目でも銅メダルを獲得。コーチは井村雅代。 その後は母校で研究と教育に関わりながら、国際水泳連盟の役員を務め、アーティスティックスイミングの普及に努めている。
柴田 智恵野(しばた ちえの、1953年11月30日 - )… 柴田 智恵野(しばた ちえの、1953年11月30日 - )は、日本の元競泳選手。静岡県出身。1968年メキシコシティーオリンピック・1972年ミュンヘンオリンピック日本代表。200m平泳ぎの元日本記録保持者。 大阪市立巽中学校・浪速女子高校・愛知学院大学出身。1967年全国中学校水泳競技大会で100m・200m平泳ぎの2冠を達成した。1969年全国高校総体200m平泳ぎで優勝した。 1968年メキシコシティーオリンピックに出場し、200m平泳ぎで7位に入った。 1970年アジア競技大会に出場。200m平泳ぎと400mメドレーリレーで優勝し、100m平泳ぎで銀メダルを獲得した。 1972年ミュンヘンオリンピックに出場し、200m平泳ぎで予選敗退となった。
西側 よしみ(にしがわ よしみ、1953年4月8日 - )は… 西側 よしみ(にしがわ よしみ、1953年4月8日 - )は、大阪府茨木市出身の元競泳選手。現在は茨城県守谷市在住。武庫川女子大学短期大学部卒業。オリンピックに3大会連続で出場した。現在は村山よしみの名前で日本水泳連盟常務理事、社団法人日本マスターズ水泳協会理事やトータル・オリンピック・レディス会幹事等を務める。 夫の村山隆志は1976年モントリオールオリンピックボート競技エイト代表で、現在はトランスメタ日本法人代表取締役社長である。 吉広紀代子 『わたし流、プレッシャー物語-オリンピックの女たちの素敵な生き方』 日本文化出版、1988年(ISBN 4-93-103382-2)
中野 悟(なかの さとる、1947年1月9日 - )は、日本… 中野 悟(なかの さとる、1947年1月9日 - )は、日本の元競泳選手。広島県出身。1964年東京オリンピック・1968年メキシコシティーオリンピック日本代表。 広島市立高陽中学校、大阪府立桜宮高等学校、早稲田大学卒。 1964年東京オリンピック選考会兼日本選手権の1500m自由形で2位に入り、オリンピック代表に選出された。1964年東京オリンピックでは1500m自由形に出場し、予選落ちとなった。 1968年メキシコシティー選考会兼日本選手権の200m自由形で2位に入り、2大会連続となるオリンピック代表に選出された。1968年メキシコシティーオリンピックの200m自由形で予選落ち、400mフリーリレーで8位、800mフリーリレーで予選落ちだった。
長谷 景治(はせ けいじ、1935年7月3日- 2024年1… 長谷 景治(はせ けいじ、1935年7月3日- 2024年11月13日)は、日本の競泳選手。早稲田大学商学部卒業。日本マスターズ水泳協会の副会長を務めている。 大阪市立高倉中学校、大阪市立都島工業高等学校普通科卒業。早稲田大学商学部在学中の1956年のメルボルンオリンピックの100m背泳ぎに出場、準決勝で敗退した。 1954年、1958年のアジア競技大会の100m背泳ぎでともに金メダルを獲得している。 1954年9月17日、田中守・長沢二郎・谷訯との400mメドレーリレーで4分17秒2の世界新記録、1955年8月13日、古川勝・石本隆・古賀学との400mメドレーリレーで4分15秒7の世界新記録をつくり、1954年度、1955年度の朝日スポーツ賞に選ばれている。
奥田 精一郎(おくだ せいいちろう、1920年 - 2020… 奥田 精一郎(おくだ せいいちろう、1920年 - 2020年11月13日)は、競泳コーチ。オリンピック選手を多く輩出しているイトマンスイミングスクール名誉会長。 大阪府生まれ。旧制茨木中学(現大阪府立茨木高等学校)卒業。中学5年時には水球日本代表にも選出された。早稲田第二高等学院を経て、早稲田大学に入学、水泳部である「稲泳会」に入部。1942年9月末の繰上卒業で従軍。愛知県豊橋市の陸軍南方軍第2航空師団入隊。その後第7飛行師団司令部付きとなり、フィリピン、ビルマを転戦。鹿児島県知覧町(現南九州市)の知覧陸軍飛行場で終戦を迎え、戦後は家業の造り酒屋で働く。後に競泳コーチに転身。山田スイミングクラブを経て、イトマンスイミングスクール会長となった。
入江 稔夫(いりえ としお、1911年(明治44年)11月5… 入江 稔夫(いりえ としお、1911年(明治44年)11月5日 - 1974年(昭和49年)5月8日)は、日本の水泳選手。大阪府高槻市出身。オリンピック出場2回。1932年ロサンゼルスオリンピックでは100メートル背泳ぎで銀メダルを獲得した。 1924年(大正13年)に茨木中学(現・大阪府立茨木高等学校)に入学。茨木中学校は、体育教諭杉本伝が指導に当たった水泳強豪校で、当時珍しい学校プールを擁し、高石勝男や石田恒信といったオリンピアンを輩出していた。3年生時に早くも背泳ぎの日本新記録を作る。1928年アムステルダムオリンピックには男子100m背泳ぎで参加。なお、アムステルダムオリンピックには茨木中から入江・高階富士夫(およびOBの高石)が選手として、杉本が飛込コーチとして参加している。
高階 富士夫(たかしな ふじお、1911年 - ?)は、日本… 高階 富士夫(たかしな ふじお、1911年 - ?)は、日本の飛込競技選手。茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)在学中の1928年、アムステルダムオリンピックに飛板飛込で出場した。のちに辻 富士夫(つじ ふじお)。 茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)に学ぶ。茨木中学校は、体育教諭杉本伝が指導に当たった水泳強豪校で、当時珍しい学校プールを擁し、高石勝男や石田恒信といったオリンピアンを輩出していた。1927年、第3回日本選手権水泳競技大会の3m飛板飛込で優勝。 1928年アムステルダムオリンピックには、茨木中から高階と入江稔夫(およびOBの高石)が選手として参加しており、杉本が飛込コーチとして参加している。
入谷 唯一郎(いりたに ただいちろう、1905年 - 198… 入谷 唯一郎(いりたに ただいちろう、1905年 - 1989年3月14日)は、日本の水泳競技黎明期の競泳選手。日本でクロール泳法を習得した初期の泳者の一人。 現在の大阪府高槻市出身。子供のころから地元の芥川で泳いでいたという。1919年(大正8年)、旧制茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)に入学。同級には高石勝男がいた。茨木中学校は体育教諭杉本伝のもとで水泳の盛んな学校であり、入谷が入学した1919年(大正8年)には中田留吉が招かれて水泳の指導に当たった。 当時、クロールは50m競泳にのみ用いられる泳法であると理解されており、長距離には片抜手や抜手が用いられていた。1919年(大正8年)の帝国水友会主催全国大会(鳴尾)の中等学校の部100mに出場した際、杉本と中田が相談の上、入谷にクロールのみで100mを泳いでしまえと指示、入谷は泳ぎ抜いた。
斎藤 巍洋(さいとう たかひろ、1903年(明治36年)9月… 斎藤 巍洋(さいとう たかひろ、1903年(明治36年)9月14日 - 1944年(昭和19年)9月5日)は、昭和時代戦前の競泳選手。1924年パリオリンピック日本代表。 大阪府に生まれる。岸和田中学校を経て、立教大学に入学。在学中、背泳ぎと短距離自由形で、何度か日本新記録を更新した。また、1924年パリオリンピックに日本代表として出場し、男子100m背泳ぎで6位に入賞した。ほか、1923年(大正12年)に開催された第6回極東選手権競技大会では100ヤード背泳ぎで優勝した。 1927年(昭和2年)大学を卒業して、大阪毎日新聞社に入社。運動部記者を務める傍ら、毎日の浜寺水泳学校の教師も務めた。 1934年(昭和9年)12月17日、ブラジルより請われ水泳コーチとして1年の契約期間で遠征し、現地で海軍生徒や関係者に日本独特の泳法を指導した。
萩原 智子 は、日本の元水泳(競泳)選手、スポーツコメンテー… 萩原 智子 は、日本の元水泳(競泳)選手、スポーツコメンテーター、タレント。愛称:ハギトモ、本名:佐藤 智子。山梨学院大学大学院卒業。スポーツバックス所属。日本水泳連盟理事。日本マスターズ水泳協会理事。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員。日本体操協会理事。
中西 悠子 は、日本の元競泳選手(マスターズ大会には出場して… 中西 悠子 は、日本の元競泳選手(マスターズ大会には出場している)で、枚方スイミングスクール(枚方SS)コーチ。専門種目はバタフライ。2004年アテネオリンピック200mバタフライ銅メダリスト。短水路200mバタフライの元世界記録保持者、100m・200mバタフライ元日本記録保持者。
青山 綾里 は、日本の元競泳選手。1998年世界水泳選手権1… 青山 綾里 は、日本の元競泳選手。1998年世界水泳選手権100mバタフライ銀メダリスト、400mメドレーリレー銅メダリスト。現在は産経新聞で記者を務めている。