玉木 幸則(たまき ゆきのり、1968年8月23日 - )は… 玉木 幸則(たまき ゆきのり、1968年8月23日 - )は、日本の著述家、テレビタレント、障害者相談支援専門員。 特定非営利活動法人メインストリーム協会理事、社会福祉士。 脳性まひを持つ。テレビ番組『きらっといきる』、『バリバラ』(いずれもNHK Eテレ)などにレギュラー出演。 兵庫県姫路市出身。出産時の事故が原因で脳性まひとなる。日本福祉大学社会福祉学部第2部卒業。 既婚。妻は大学の先輩。一男一女の父である。 玉木がテレビへ出演するようになったきっかけは、バリバラの前身である『きらっといきる』の番組プロデューサーの要請により、2009年4月より前任者の牧口一二の後を継ぎレギュラー出演したことに始まる。
稲垣麻由美(いながき まゆみ、1968年- )は、文筆家・編… 稲垣麻由美(いながき まゆみ、1968年- )は、文筆家・編集者。ブランディングを手掛ける株式会社一凛堂代表取締役でもある。Japan Craft Book project 代表。 神戸市生まれ。大阪教育大学卒業。 ライター・編集者を経て執筆活動をスタート。現在、執筆の活動と並行し、政治家・経営者・ビジネス書著者を主なクライアントとしたブランディング事業も展開。7年近い取材を経て刊行した『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』(扶桑社)は、舞台『逢いたくて』の原案となった他、「一筆啓上 日本一短い手紙の館」(福井県)にて1ヶ月の企画展にもなり、話題の1冊となる。2021年、画家・書家・デザイナー・表装美術家・伝統工芸職人などのクリエイターともに「Japan Craft Book project」をたちあげ、 2024年『神迎え』を完成させた。
若菜晃子(わかな あきこ、1968年 - )は、兵庫県神戸市… 若菜晃子(わかな あきこ、1968年 - )は、兵庫県神戸市出身の編集者・文筆家。 学習院大学文学部国文科を卒業後、山と溪谷社に入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長をへて独立。山や自然、旅に関する書籍を編集・執筆。2020年、『旅の断片』で斎藤茂太賞受賞。
中本 千晶(なかもと ちあき、1967年3月22日 - )は… 中本 千晶(なかもと ちあき、1967年3月22日 - )は、日本の文筆家、演劇ジャーナリスト。 兵庫県加古川市生まれ、山口県周南市出身。山口県立徳山高等学校卒業後に東京大学法学部に進学して卒業。卒業後、新聞記者を希望していたが、1989年に株式会社リクルートに入社。入社時同社はリクルート事件で大揺れの時期であった。営業やwebディレクターなどを経て2000年退社、文筆家となる。2023年、早稲田大学大学院文学研究科にて博士(文学)学位を取得。舞台芸術、とりわけ宝塚歌劇に深い関心を寄せ、独自の視点で分析し続けている。早稲田大学教育学部非常勤講師。
永井正敏(ながい まさとし、1967年 - )は、日本の映画… 永井正敏(ながい まさとし、1967年 - )は、日本の映画プロデューサー、著述家。ペンネームは永井堂元(ながい たかゆき)。東京大学法学部私法コース卒業後、映画業界でプロデューサーとして活動した。 1967年、神戸市生まれ。東京大学法学部私法コース卒業後、ジェネオン・ユニバーサル・エンタテインメント映画製作部に所属し、外国映画のチーフバイヤー、日本映画の製作・商品企画を担当した。 2008年、映画『GSワンダーランド』のプロデューサーを務めた。同年、映画『平凡ポンチ』のプロデューサーも担当している。 2017年、ペンネーム「永井堂元」として、吉野邦昭との共著で『イラスト記憶法で脳に刷り込む英単語1880』(あさ出版、監修:佐藤文昭) )を発表した。
心屋 仁之助(こころや じんのすけ、1964年11月 - )… 心屋 仁之助(こころや じんのすけ、1964年11月 - )は、日本の心理カウンセラー、著述家、ミュージシャン。兵庫県加西市出身。心理カウンセリングやセミナー活動、著書の出版などを行い、日本テレビ系『解決!ナイナイアンサー』への出演などメディア活動も行った。同番組などでは「性格リフォームの匠」として紹介されたことでも知られる。2012年頃より音楽活動を開始し、2017年には日本武道館で弾き語り公演を行った。2020年12月をもって心理カウンセラーとしての活動を終了し、2021年より「Jin佐伯仁志」名義で音楽活動を行っている。 兵庫県加西市出身。桃山学院大学卒業。佐川急便に入社し約19年間勤務した後、心理カウンセラーとして独立し、個人カウンセリングやセミナー活動などを行った。
宮崎博(みやざきひろし、1963年3月21日生まれ)は、日本… 宮崎博(みやざきひろし、1963年3月21日生まれ)は、日本の編集者、文筆家である。 兵庫県神戸市生まれ。明治大学法学部卒業。専攻は法社会学。大学のゼミでは、学者で政治家でもあった栗本慎一郎に学ぶ。 大学卒業後、学習研究社・青人社に入社して雑誌編集者として活躍。青人社で嵐山光三郎が創刊した「月刊ドリブ」5代目の編集長となる。就任後、金と女路線をサブカルチャー色の強い雑誌へと転換させた。 平成6年には、ドリブ別冊の月刊起業塾を編集長として創刊。海外での投資やベンチャービジネスのブームを仕掛ける。その後、青人社取締役を経て、フリーランスとなる。平成13年、サブカル色の濃い雑誌として「月刊レースクイーン・ア・ゴーゴー」をラパンインタナショナルより創刊し、レースクイーンブームの魁となる。
荷宮 和子(にみや かずこ、1963年 - )は日本の評論家… 荷宮 和子(にみや かずこ、1963年 - )は日本の評論家、女子供文化評論家、文筆家。 神戸市出身。神戸大学法学部卒業。 大の宝塚歌劇ファン。また、デパ地下ファンとしても有名でテレビチャンピオンに出場したこともある。
安田 謙一(やすだ けんいち、1962年1月25日 - )は… 安田 謙一(やすだ けんいち、1962年1月25日 - )は、兵庫県神戸市出身の文筆家、ラジオDJ、作詞家。自称は「ロック漫筆家」。兵庫県在住。血液型はO型。 兵庫県神戸市出身。滝川高等学校卒業後、情報系企業に就職するが2か月で退職。京都へと転居し、複数のレコード店にアルバイト勤務するかたわら、ミニコミ『3ちゃんロック』を発行。その後、現在のメールマガジンを先駆けた感もあるFAXマガジン『今週のテンチングス』を創刊、並行して『ミュージック・マガジン』(ミュージック・マガジン)等の音楽専門誌に寄稿を始める。1990年代には「安田ビル」という筆名でも活動。2002年までに書かれたこれらの批評やエッセイをまとめたものが『ピントがボケる音』として、2003年に国書刊行会から出版。
粂井 高雄(くめい たかお、1961年10月23日 -)は、… 粂井 高雄(くめい たかお、1961年10月23日 -)は、発明家、文筆家、PC環境コンサルタント、会社経営者。現、株式会社エンタシス(entersys.inc)代表取締役。
山本 精一(やまもと せいいち 、本名:山本篤宣、1958年… 山本 精一(やまもと せいいち 、本名:山本篤宣、1958年7月16日 - )は、日本のミュージシャン、文筆家、画家。兵庫県尼崎市出身。関西大学社会学部卒業。 世界的な評価を得ている大阪のオルタナティヴ・ロック・バンドボアダムスに中心メンバーとして1986年 - 2002年まで在籍。現在は、日本の人力トランスバンドのパイオニアROVO、Phewとのミニマル・パンクバンドMOST、ムーンライダースの岡田徹とのポップユニットya-to-iなど、多くのユニットで主に作曲、編曲を担当。 文筆家としても活動しており、様々なメディアへの評論、文芸雑誌等へのエッセイや小説の寄稿も行なっている。雑誌ギターマガジンに連載していたコラムをまとめた書籍がこれまでに3冊発行されている。
櫻井 久仁子(さくらい くにこ、本名:中林久仁子、1957年… 櫻井 久仁子(さくらい くにこ、本名:中林久仁子、1957年7月24日 - )は、日本の教育者、塾講師で進学塾経営者、著述家。日本では全く例がなかった、講師も生徒も女性だけというユニークな進学塾「アテネ」を運営する。『戦闘系教育論』、『教育にもセカンドオピニオンを!続・戦闘系教育論』など教育関係の著書もある。少林寺拳法有段者、フラワーデザイナー(1級)。神戸新聞カルチャー講師(夏休み読書感想文教室、フラワーデザイン教室)。 兵庫県神戸市出身。神戸大学附属住吉中学校から兵庫県立神戸高等学校、神戸大学卒業。 小学校、中学校時代は優秀な成績を修めた櫻井は第1志望校だけに絞り合格、神戸高校へ進学。順風満帆な高校生活を送るはずが、ほどなく授業内容が理解できない状態に陥り、入学後1年間で試験順位は最下位近くにまで落ち込んだ。
木村 奈保子(きむら なほこ、1955年1月11日 - )は… 木村 奈保子(きむら なほこ、1955年1月11日 - )は、映画評論家、著述家、実業家。ヒーロー・インターナショナル株式会社代表取締役。元中部日本放送アナウンサー。木村奈保子事務所所属。血液型O型。 かつては淀川長治、高島忠夫、荻昌弘、水野晴郎などと共にテレビのゴールデンタイム枠の映画番組で映画解説者を務めた。17年間解説を担当した『木曜洋画劇場』(テレビ東京系)では「あなたのハートには、何が残りましたか?」というキャッチフレーズを用いた。 兵庫県神戸市生まれ。京都外国語大学外国語学部英米語学科を卒業後、中部日本放送にアナウンサーとして入社。同期に入社した女子アナウンサーには、地元局の毎日放送を経て、のちに歌手のASKAの妻になった八島洋子がいる。
湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、… 湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、日本の植物学者、文筆家。前東京農業大学教授。 神戸市生まれ。1963年、兵庫農科大学(現・神戸大学)農学部農林生物学科卒業。1968年、東京農業大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。1968年、同大学育種学研究所所員、1975年、進化生物学研究所研究員、2000年、東京農業大学短期大学部教授、2005年、東京農業大学農学部バイオセラピー学科教授、2011年、退任。一般財団法人進化生物学研究所理事長・所長、生き物文化誌学会会長。1994年松下幸之助花の万博記念奨励賞受賞。村田源とともにベンケイソウ科のセトウチマンネングサをツシママンネングサの新変種 Sedum yabeanum var. setouchiense として記載した(後に大場秀章によるツシママンネングサに対応する学名の変更に伴い Sedum polytrichoides var. setouchiense と改められた)。
奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 20… 奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 2005年6月16日)は、日本の元陸軍兵士(最終階級は上等兵)、バッテリー商、著述家、アナーキスト。 昭和天皇パチンコ狙撃事事件のほか、不動産業者刺殺事件、皇室ポルノビラ事件、元上官家族への殺人未遂など、過激な行動や事件を度々起こしては逮捕・服役した。また、ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』に出演したことでも知られる。 自らを「神軍平等兵」と称していた。 1920年、兵庫県明石市大蔵町6丁目で生まれる。本籍地は兵庫県三木市口吉川町槙。小学校を卒業後は木綿問屋の丁稚奉公に出た。 1940年、徴兵検査に甲種合格。1941年3月に岡山連隊に入営し、後に中国の九江にある工兵隊へ転属。
福永 操(ふくなが みさお、1907年5月8日‐1991年1… 福永 操(ふくなが みさお、1907年5月8日‐1991年1月11日)は、日本の社会運動家、著述家。兵庫県出身。東京女子大学中退。旧姓は波多野、是枝。 1907年、大浦事件の裁判長を務めた波多野高吉と高等女学校教師はまの間に生まれた。1924年、北海道庁立札幌高等女学校(現北海道札幌北高等学校)を卒業し、東京女子大学英語専攻部に入学。在学中に社会科学研究会を結成し、女子学生運動を指導した。 1927年日本共産党に入党後、『無産者新聞』編集長だった是枝恭二と結婚。翌年、三・一五事件で検挙された。1934年2月、治安維持法再犯として起訴され、服役した。 戦後は1955年に日本共産党復党後、地域活動に従事する傍ら、思想研究や運動史研究を行った。
藤井 義彦(ふじい よしひこ)は、日本の経営コンサルタント、… 藤井 義彦(ふじい よしひこ)は、日本の経営コンサルタント、エグゼクティブ・コーチング、実業家、著述家。ガンガー総合研究所代表取締役社長。一般社団法人グローバル・リーダーシップ・コーチング協会創業者兼名誉会長。日本ペンクラブ会員。 兵庫県神戸市生まれ。六甲学院に学ぶ。藤井家は代々真言宗であったが、六甲中学校・高等学校と中高一貫校に学び、中学校3年時にカトリックの洗礼を受け、幼少より異文化に触れる。中学校、高校6年間カトリック・イエズス会の一貫教育を受け英語をドイツ人の神父から教わる。中学校の3年時に洗礼を受け、スパインの聖者、アロイジオの名前をもらう。これらが契機となり、後年、哲学、宗教遍歴を経て瞑想に至る。