杉浦 健太(すぎうら けんた、1992年11月4日 - )は… 杉浦 健太(すぎうら けんた、1992年11月4日 - )は、地方競馬の園田競馬場新井隆太厩舎所属の騎手である。地方競馬教養センター騎手課程第88期生。自称「園田競馬のかみじょうたけし」。 2010年4月1日付けで地方競馬騎手免許を取得。同年4月13日第2回園田競馬1日目第6競走4歳以上C2二組条件戦をホッカイパルニで優勝し、初騎乗初勝利(11頭立て3番人気)。 2012年2月1日付けで荒山義則厩舎から溝橋利喜夫厩舎に所属が変更された。 2013年1月21日第27回全日本新人王争覇戦に出場し、10人中総合3位の成績を収めた。 2014年10月23日、11月1日付けで溝橋利喜夫厩舎から新井隆太厩舎へ所属変更することが発表された。
荻野 琢真(おぎの たくま、1988年7月28日 - )は、… 荻野 琢真(おぎの たくま、1988年7月28日 - )は、中央競馬・栗東トレーニングセンターの騎手。騎手免許は平地競走、障害競走の両方を所持(ただし障害競走の出走経験はない)。 競馬とは無縁の家庭であった。小学5年生の時に家族で北海道へ旅行に行った際に道を間違えて日高町の牧場に迷い込み、その時にサラブレッドを見て感動し、乗馬を始めた。兵庫県内の乗馬クラブで腕を磨き、2004年4月にJRA競馬学校騎手課程第23期生として入学。2007年2月に競馬学校を卒業し騎手免許を取得する。同期には浜中俊・藤岡康太・丸田恭介らがいる。卒業前の12月16日に中山競馬場で行われた模擬レースでは、丸田に次ぐ2着であった。
高野 容輔(こうの ようすけ、1983年10月29日 - )… 高野 容輔(こうの ようすけ、1983年10月29日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属する元騎手・現調教助手。 戸籍上の表記は旧字体が含まれた髙野であるが、JRAでは旧字体等での登録を禁じている為、新字体の高野に修正して登録される。 現役当時、美浦に高野和馬(姓の読み方は「たかの」)がいたため、フルネームでの表記が出来ない一部の新聞上での表記は「高野容」となっていた。 競馬とは無縁の家庭で育ち、中学時代の1997年にシルクジャスティスが勝った有馬記念をテレビで見て騎手を志すようになるも、両親の反対に遭い1回限りという約束で受験した競馬学校に合格。競馬学校課程第18期生として卒業し、2002年3月に騎手免許を取得。
小坂 忠士(こさか ただし、1983年2月7日 - )は、J… 小坂 忠士(こさか ただし、1983年2月7日 - )は、JRA・栗東トレーニングセンターに所属の騎手。 1998年、JRA競馬学校騎手課程に第17期生として入学する。同期の騎手には川島信二、大庭和弥、田中亮、平沢健治らがいる。 2001年、JRA競馬学校騎手課程を卒業し騎手免許を取得する。デビュー時の所属は境直行厩舎だった(兄弟子は石橋守、藤田伸二、荻野要。ただし小坂と同時に所属したことはない)。3月3日、初騎乗となった阪神4レースでは、1番人気だったキクノプロスパに騎乗して2着となったが、同日第7レースで騎乗した2番人気のブリッジシャトーで勝利しわずか2戦目でJRA初勝利を挙げる。3月6日には地方競馬に初騎乗。
大西 貴久(おおにし たかひさ、1979年1月14日-)は、… 大西 貴久(おおにし たかひさ、1979年1月14日-)は、日本中央競馬会 (JRA) の調教助手。 兵庫県芦屋市出身。所属は美浦トレーニングセンター・古賀慎明厩舎。 兵庫県内の高等専門学校に在学中、騎手を目指して乗馬を始めた。高専を中退後オーストラリアに単身で渡航。オーストラリアのQRITC(競馬関係者養成施設)で1年半勉強し、同国の厩舎で1年勤務したが、いったん日本に帰国した。 帰国後は目標を騎手から調教師へと変更し、今度はイギリスにやはり単身で渡航。マーク・プレスコット厩舎で1年間、その後はイギリスよりアメリカ合衆国に移住してジョナサン・シェパード厩舎で半年間勤務した。その後ふたたび日本に帰国し、競馬学校入学を目指して鳥取県の大山ヒルズで2年間勤務した。
岩田 康誠(いわた やすなり、1974年3月12日 - )は… 岩田 康誠(いわた やすなり、1974年3月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の騎手。 兵庫県競馬組合の清水正人厩舎に所属し、1991年に騎手デビュー。同期には、山田信大(新潟→船橋、現調教師)、岡田祥嗣(福山→JRA)などがいる。 1996年にケイエスヨシゼンで兵庫アラブ三冠を達成した。1990年代後半から小牧太のJRA移籍まで、「園田の2本柱」と呼ばれていた。2000年には前年まで8年連続でリーディングジョッキーとなっていた小牧を上回り、初めて兵庫リーディングジョッキーとなった。以後2002年、2004年、2005年に兵庫のリーディングを獲得している。 NARグランプリでは1996、1997、2002で優秀騎手賞を、2005で特別賞を受賞している。
友道 康夫(ともみち やすお、1963年8月11日 - )は… 友道 康夫(ともみち やすお、1963年8月11日 - )は、中央競馬・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。 息子に高柳大輔厩舎所属の友道優一調教助手がいる。 兵庫県赤穂市坂越の出身。昭和57年(1982年)3月に兵庫県立赤穂高等学校を卒業。小動物の獣医を目指し大阪府立大学(現:大阪公立大学)の農学部獣医学科に入学し、大学の馬術部に入部する。馬術部の活動の一環として競馬場へ警備のアルバイトへ行くことで競馬に携わるようになる。 1989年5月にJRA競馬学校厩務員課程に入学し、9月より栗東・浅見国一厩舎所属の厩務員となり、11月からは調教助手となる。 1996年からは栗東・松田国英厩舎所属となり、松田の勧めもあり調教師を目指すようになり、2001年に6度目の挑戦で調教師免許を取得し、2002年11月21日付けで厩舎を開業(10馬房)する。
堀 紘一(ほり こういち、1945年4月11日 - )は、兵… 堀 紘一(ほり こういち、1945年4月11日 - )は、兵庫県出身の日本の経営コンサルタント、馬主。ドリームインキュベータ(DI)代表取締役会長。父親は駐イタリア大使、プロ野球パ・リーグ会長などを務めた堀新助。
松本 好雄(まつもと よしお、1938年(昭和13年)1月6… 松本 好雄(まつもと よしお、1938年(昭和13年)1月6日 - 2025年(令和7年)8月29日)は、日本の実業家、馬主。 兵庫県明石市に本社を置く船舶用部品メーカー・株式会社きしろの代表取締役会長を務めたほか、「メイショウ」の冠名を用いる馬主として多くの競走馬を所有したことでも知られていた。 1938年(昭和13年)1月6日、兵庫県明石市出身。きしろ発動機株式会社(当時)の社長であった松本金次の長男として生まれる。父の経営する工場に出入りするなどして理系を志し、千葉工業大学工業経営学科に進学。6年かけて同大学を卒業、卒業研究のテーマは「自動車部品プレス加工工程の短縮」であった。1962年(昭和37年)にきしろ発動機入社、その後取締役専務を経て、1972年(昭和47年)、父の急逝に伴い社長に就任した。
関口 房朗(せきぐち ふさお/ふさろう、1935年12月20… 関口 房朗(せきぐち ふさお/ふさろう、1935年12月20日 - 2018年5月以前)は、日本の実業家、馬主。血液型はA型。愛称は「フサロー」。多くの派手な逸話により、「豪快馬主」「異色の経営者」と評された。 名前の読みに関しては、「ふさお」とする記載、「ふさろう」とする記載で分かれているが、自身の公式サイトのプロフィールにおいては「ふさお」としている。 兵庫県尼崎市出身。尼崎市立尼崎産業高等学校を中退後、2年ほど個人経営の運送業を営むが、腰の支障により体を崩し廃業。その後は実家の工場「関口工業技術」の営業として勤務。1961年に、名古屋に移り「関口工業技術」名古屋出張所長になる。1963年に関西精器を設立し、代表取締役社長に就任するが、1973年に倒産。
森中 蕃(もりなか しげる、1934年11月29日 - 20… 森中 蕃(もりなか しげる、1934年11月29日 - 2022年10月17日)は日本の実業家、馬主。兵庫県神戸市出身。 神戸市中央区にある証券会社である光証券株式会社の前代表取締役会長。 中央競馬、地方競馬の馬主で、小田切有一、細川益男らとともに珍馬名の名付け親として知られる。勝負服は緑、赤星散、赤袖。冠名には「シゲル」を用いる。かつて宝石の卸売りをしていたことがあり、その時の仲間で馬を持とうということになったことから、1970年代より馬主としての活動を始めた。阪神馬主協会の会長を経て、日本馬主協会連合会の相談役を歴任。モットーは「安くて走る馬を見つける」。馬を選ぶポイントについて、「一番大切にしているのは歩様。
小林 稔(こばやし みのる、1926年3月10日 - 200… 小林 稔(こばやし みのる、1926年3月10日 - 2009年1月27日)は、日本の騎手、競走馬調教師。兵庫県出身(東京府出生)。 第二次大戦中の1944年に騎手デビュー。戦後、トラックオーで1951年の菊花賞と1952年秋の天皇賞に優勝した。1964年に騎手を引退し、調教師に転身。1970年代より関西の有力調教師として定着し、1996年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬フサイチコンコルドを代表として数々の活躍馬を輩出した。中央競馬通算5525戦899勝、うち重賞51勝。最多勝利調教師4回、最高勝率調教師、最多賞金獲得調教師、優秀技術調教師各1回。 父は騎手・調教師の小林三雄三(みおみ)、実弟・小林功も騎手であった。
畑江 五郎(はたえ ごろう、1915年 - 1980年11月… 畑江 五郎(はたえ ごろう、1915年 - 1980年11月9日)は、日本の競走馬生産者、馬主。 兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学法学部卒業後の1941年、北海道・日高に渡り、牧場を開設して学生時代から思い描いていた競走馬生産を始める。牧場を開設するにあたり、当時の馬産牧場の最大手であり名門でもあった小岩井農場からフロラヴァースを譲り受けるなどして自身の理想を実現しようと力を入れていた。 第二次世界大戦末期の1944年、赤紙が届く。出征前、牧場所有の繁殖牝馬を保存しておくように家族に命じていたという。 畑江は中国大陸での戦闘に従事。1945年の第二次世界大戦終結後、ソ連軍の捕虜となり、シベリア抑留を経験することとなる。