小谷 守(こたに まもる、1915年(大正4年)9月23日 … 小谷 守(こたに まもる、1915年(大正4年)9月23日 – 2008年(平成20年)11月20日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 鳥取県出身。1933年(昭和8年)米子中学校、1936年(昭和11年)関西大学大学専門部法科を卒業した。1940年(昭和15年)から神戸市の旧制中学校で教員を務めた。 戦後すぐに教職員組合の結成に取り組み、神戸市教職員組合の役員を務めた。1950年(昭和25年)日本社会党に入党。同党兵庫県本部書記長、同委員長、同顧問を歴任。1951年(昭和26年)兵庫県議会議員に選出され5期在任した。 1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙に兵庫県地方区から社会党公認で出馬して初当選。
梶川 静雄(かじかわ しずお、1914年(大正3年)8月1日… 梶川 静雄(かじかわ しずお、1914年(大正3年)8月1日 - 1978年(昭和53年)2月9日)は、昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 鳥取県気高郡鹿野町(現鳥取市鹿野町)で、梶川俊造の四男として生まれる。鳥取第二中学校(現鳥取県立鳥取東高等学校)、第六高等学校を経て、1924年(大正13年)九州帝国大学法文学部法律科を卒業。 その後、満洲国の大同学院を卒業し、満洲国国務院官吏となった。その後、徴兵されて終戦を迎え、日本に帰国した。鳥取県労働組合会議顧問、日本農民組合鳥取県支部連合会顧問、日本社会党鳥取支部書記長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙に鳥取県全県区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
椿 繁夫(つばき しげお、1910年5月13日 - 1991… 椿 繁夫(つばき しげお、1910年5月13日 - 1991年10月26日)は、日本の労働運動家、政治家。元参議院議員。 鳥取県東伯郡羽合町(現在の湯梨浜町出身)。13歳の頃大阪へ出て旋盤工となる。 大阪市役所職員を経て、社会大衆党公認で大阪市会議員選挙に立候補し、当選する。 戦後日本社会党結成に参加し1950年の第2回参議院議員通常選挙で参議院議員に当選(3年議員)。1952年左右分裂で社会党左派に参加。1953年の第3回参議院議員通常選挙で落選するが、社会党再統一後の1956年に第4回参議院議員通常選挙で返り咲く。通算3期務める。 日本社会党の役員としては党参議院国会対策委員長を経て、1963年河上丈太郎委員長の下で党参議院議員会長に就任。
堀江 実蔵(實藏、ほりえ じつぞう、1903年(明治36年)… 堀江 実蔵(實藏、ほりえ じつぞう、1903年(明治36年)4月10日 - 1986年(昭和61年)1月9日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 鳥取県東伯郡八橋町(のち東伯町、現・琴浦町)出身。農業を営む。 八橋町会議員、同町農地委員会長、同町農業会理事、鳥取県果実協会副会長、日本園芸農協連理事会長などを務めた。また、日本農民組合東伯郡協議会長、日本労働農民党鳥取県支部常任執行委員、日本労働党鳥取県支部常任執行委員、日本農民組合鳥取県支部連合会副会長、鳥取県農民総同盟常任執行委員中部協議会長なども務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で鳥取県全県区から鳥取県農民総同盟公認で出馬して当選し、労働者農民党に所属して衆議院議員に1期在任した。
吉田 璋也(よしだ しょうや、1898年1月17日 - 19… 吉田 璋也(よしだ しょうや、1898年1月17日 - 1972年9月13日)は、日本の民藝運動家。医師。鳥取県鳥取市出身。 医学生時代より交流のあった柳宗悦の民藝運動に共感して活動。柳宗悦が見出した民藝の美を日常の生活の中に取り入れるため、1931年(昭和6年)新たな民藝品を作り出す活動を開始した。工種は陶芸・木工・家具・竹工・漆工・染織・金工・石工・和紙・建築等に及び、このような運動は全国各地でも起こりのちに新作民藝運動と呼ばれることになる。吉田は「民藝のプロデューサー」を自認し、「たくみ工芸店」(鳥取・東京)を開き民藝の普及に大きな足跡を残した。新作民藝のプロデューサーとして、企画・デザイン・生産・流通に関わり、また自らも多くのデザインを残しており、衣食住に渡る幅広いデザイナーとしての業績も大きい。
橋浦 泰雄(はしうら やすお、1888年(明治21年)11月… 橋浦 泰雄(はしうら やすお、1888年(明治21年)11月30日 - 1979年(昭和54年)11月21日)は、日本の社会運動家、民俗学者、画家である。 鳥取県岩美郡大岩村(現在の岩美町)に生まれる。鳥取高等小学校(現在の鳥取市立久松小学校)卒業後、実家で経営していた養蚕業蚕や雑貨商売に携わった。後に実弟である橋浦時雄と共に片山潜らと親交を持ち、社会運動活動を始める。これによって1918年(大正9年)には弟と共に日本社会主義同盟の創設に携わるが、翌1919年(大正10年)に発生した第2回メーデーに関与したとして、約2か月間拘留される処分を受けた。 1923年(大正14年)には日本プロレタリア文芸連盟の結成にも携わり、その1928年(昭和3年)には日本プロレタリア美術家同盟となりその画家や委員長としての活動も始める。
門田 定蔵(定藏、かどた さだぞう / ていぞう、1886年… 門田 定蔵(定藏、かどた さだぞう / ていぞう、1886年(明治19年)7月1日 - 1962年(昭和37年)1月12日)は、明治末から昭和期の農民運動家、政治家。参議院議員。 鳥取県久米郡中江村(上北条村、東伯郡上北条村中江を経て現倉吉市)の農家に生まれる。小学校卒業後、農業に従事し作物改良に尽力した。1917年(大正6年)上北条小作組合を設立して農民運動に加わった。1925年(大正14年)上日小作連合会、1927年(昭和2年)東伯小作聯合会を組織して同会長に就任し、地主側との小作料減額の交渉を進めた。1929年(昭和4年)暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の嫌疑により逮捕され、懲役2年執行猶予2年の有罪判決を受けた。
井田 武雄(いだ たけお、嘉永4年10月8日(1851年11… 井田 武雄(いだ たけお、嘉永4年10月8日(1851年11月1日) - 昭和8年(1933年)5月22日)は、日本の医師、実業家、政治運動家。号は陸舟。鳥取県西伯郡中浜村(現在の境港市)出身。四谷病院、後楽堂医院長。東京府平民。 井田義枝の次男として生まれた。 慶応元年(1865年)長崎に出て長崎養生所(現・長崎大学医学部)に学び、蘭方医学を修めた。 明治7年(1874年)長崎養生所を出た。明治10年(1877年)の西南戦争に警視庁医員として従軍し功をたてる。明治11年(1878年)海軍軍医に転じ、軍艦「鳳翔号」軍医として朝鮮に派遣され、朝鮮人の診療に活躍した。 帰国後海軍を辞し、養神病院長となり、明教生命保険の設立計画をした。