伯乃富士 哲也(はくのふじ てつや、2003年8月22日 -… 伯乃富士 哲也(はくのふじ てつや、2003年8月22日 - )は、鳥取県倉吉市出身で、伊勢ヶ濱部屋(入門時は宮城野部屋)所属の現役大相撲力士。本名は落合 哲也(おちあい てつや)。血液型はO型。最高位は東前頭筆頭(2025年11月場所)。アマチュア時代の華々しい経歴や史上初の幕下付出から所要1場所で十両昇進を果たしたことから、メディアでは「令和の怪物」と称される。2023年7月場所から2025年11月場所までの旧四股名は伯桜鵬 哲也(はくおうほう てつや)。 53代横綱・琴櫻と同じ倉吉市立成徳小学校出身。後述にもあるように幼少期はサッカー少年だったが小学校4年生のときに本格的に相撲を始めた。 鳥取市立西中学校を経て鳥取城北高校に入学し、2年次、3年次の高校総体では高校横綱のタイトルを獲得した。
石浦 将勝(いしうら まさかつ、1990年1月10日 - )… 石浦 将勝(いしうら まさかつ、1990年1月10日 - )は、鳥取県鳥取市西品治出身で宮城野部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長173cm、体重115kg。最高位は西前頭9枚目(2017年1月場所)。憧れの力士は体格の近い元関脇鷲羽山。好物はさんまの蒲焼き[7]。
石浦 鹿介(いしうら しかのすけ、1990年1月10日 - … 石浦 鹿介(いしうら しかのすけ、1990年1月10日 - )は、鳥取県鳥取市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名および旧四股名は石浦 将勝(いしうら まさかつ)。身長172.5cm、体重98.8kg。最高位は西前頭5枚目(2022年3月場所)。憧れの力士は体格の近い元関脇・鷲羽山。好物はステーキ、ワタリガニのトマトクリームパスタ。 現在は年寄・間垣として、伊勢ヶ濱部屋で後進の指導に当たっている。 鳥取城北高校相撲部・石浦外喜義(いしうら・ときよし、石川県出身)監督の長男として生まれ、幼少期から相撲をしていた。母も同校で養護教員を行っている。『暴れん坊将軍』のワンシーンで力士たちが褌を締めて戦う様子を見てかっこいいと思っていた所を父に「相撲をやってみるか」と提案され、「やりたい」と返答したことが相撲を始めたきっかけとされる。
重太郎(しげたろう、1979年(昭和54年)8月22日 - … 重太郎(しげたろう、1979年(昭和54年)8月22日 - )は、大相撲の十両呼出である。本名は服部 勝則(はっとり かつのり)。鳥取県米子市出身。九重部屋所属。血液型はB型。
琴櫻 傑將(ことざくら まさかつ、1940年11月26日 -… 琴櫻 傑將(ことざくら まさかつ、1940年11月26日 - 2007年8月14日)は、鳥取県東伯郡倉吉町(のちの鳥取県倉吉市)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。第53代横綱。本名は鎌谷 紀雄(かまたに のりお)。 1940年11月26日に、鳥取県倉吉町の借家地で警察官の子として誕生する。倉吉町立成徳小学校を卒業後、倉吉町立東中学校時代に実父から柔道を仕込まれ、本来は中学生では取得を認められていない段位を特例で認めてもらうほどの腕前にまで上達する。偶々柔道の全国大会のTV中継を見てその才能を見出し、そうして鳥取にやって来た佐渡ヶ嶽から熱心に勧誘されたが、周囲に反対されるもののどうにか了解を得て佐渡ヶ嶽部屋に入門、1959年1月場所に初土俵を踏んだ。
7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924… 7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924年〈大正13年〉10月16日 - 2002年〈平成14年〉9月30日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1988年1月〜1989年9月。鏡山部屋→伊勢ヶ濱部屋所属。鳥取県境港市出身。本名は江川鶴夫。 師匠は5代式守勘太夫(6代鏡山勘太夫)である。 1938年に式守鶴夫の名で初土俵。以後貢市、勘之助、更一郎と改名し、1954年3月に式守勘之助の名で十両格に昇格。1958年7月6代式守与之吉襲名。1961年11月に幕内格昇格。1967年5月に7代式守勘太夫襲名。幕内格昇格から27年後の1988年1月に三役格に昇格。三役格を11場所務め、1989年9月場所後停年。
因州山 稔(いんしゅうざん みのる、1916年3月1日 - … 因州山 稔(いんしゅうざん みのる、1916年3月1日 - 1980年5月3日)は、鳥取県気高郡宝木村(現役当時、現在の鳥取県鳥取市気高町)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は梅原 實(うめはら みのる)→渡辺 實(わたなべ -)。現役時代の体格は174cm、101kg。得意手は右四つ、寄り。 17歳の時に、元横綱・栃木山が率いる春日野部屋へ入門し、1934年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、「久寶山」。 固く体が締まったアンコ型で、右差しで頭を付けての寄りを得意とした。ただし、右を差さないと力を出せない右一辺倒の力士であり、そのため“右の石松”の異名があった。 昇り坂の時期の1938年1月場所から、兵役により、3年間のブランクがある。
荒山 宇三郎(あらやま うさぶろう、1902年2月13日 -… 荒山 宇三郎(あらやま うさぶろう、1902年2月13日 - 没年不明)は、鳥取県西伯郡淀江町(現米子市)出身の元大相撲力士。花籠部屋→峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋→花籠部屋所属。本名は小泉 宇三郎。最高位は十両6枚目。 同郷の大関荒岩の花籠部屋に入門、1920年1月に初土俵を踏む。1928年1月十両昇進。翌場所幕下に落ちるが、5月に再十両。十両は3場所務め、1930年10月に廃業した。
荒岩 亀之助(あらいわ かめのすけ、1871年4月18日(明… 荒岩 亀之助(あらいわ かめのすけ、1871年4月18日(明治4年2月29日) - 1920年(大正9年)9月3日)は、鳥取県(現西伯郡大山町)出身の大相撲力士。本名は山崎 徳三郎(やまざき とくさぶろう)。最高位は大関。陣幕部屋(大坂)、尾車部屋(東京)に所属した。 1871年4月18日(旧暦2月29日)に木こりの二男として生まれる。子供の頃から家業を手伝っていたので自然に足腰や腕力が鍛え上げられ、相撲も好きだったので土地相撲で強豪力士として活躍した。そんな徳三郎少年を見出した大坂相撲の関係者からスカウトされ、1891年に陣幕部屋(大坂相撲)へ入門、「真竜」の四股名で初土俵を踏んだ。しかし、ある時に銭湯で兄弟子の背中を流していたところ、「流し方が悪い」と殴られたことに立腹し、すぐに大坂相撲を脱退すると同時に上京、大戸平廣吉が親方として経営する尾車部屋(東京相撲)へ入門、1894年1月場所において三段目付出で東京相撲での初土俵を踏んだ。
眞鶴 政吉(まなづる まさきち、天保12年(1841年) -… 眞鶴 政吉(まなづる まさきち、天保12年(1841年) - 1897年(明治30年)6月29日)は伯耆国日野郡溝口(現・鳥取県西伯郡伯耆町)出身の元大相撲力士。本名は木島長五郎。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 5代もしくは6代朝日山に入門、四ツ車 久吉を名乗り1861年(文久2年)6月が番付初見。1869年(明治2年)3月入幕、1870年(明治3年)3月小結に昇進し、初日から眞鶴 政吉と改めた。1871年(明治4年)6月関脇、1872年(明治5年)7月大関に進んだ。大関は5場所努めて1876年(明治9年)6月限りで引退、9代朝日山を襲名し多数の弟子を養成した。1885年(明治18年)10月限りで廃業、1897年(明治30年)6月29日没。