石丸 文男(いしまる ふみお、1954年〈昭和29年〉10月… 石丸 文男(いしまる ふみお、1954年〈昭和29年〉10月28日 - )は、日本の銀行家。山陰合同銀行頭取を務めた。 鳥取県鳥取市気高町出身。鳥取県立鳥取東高等学校を経て、1977年(昭和52年)に神戸大学法学部を卒業し、4月に山陰合同銀行に入行。 1998年桜谷支店長。2001年総合企画部ALM室長。2006年鳥取営業部長。2007年取締役鳥取営業部長。2008年取締役経営企画部長。2009年常務取締役経営企画部長。2010年常務取締役。2011年代表取締役兼専務執行役員鳥取営業部長。2013年代表取締役兼専務執行役員。 2015年(平成27年)6月24日、山陰合同銀行代表取締役頭取に昇格。
宮崎 正彦(みやざき まさひこ、1954年3月11日 - )… 宮崎 正彦(みやざき まさひこ、1954年3月11日 - )は、日本の経営者、銀行家。鳥取銀行頭取を務めた。鳥取県出身。 米子東高等学校を経て、1976年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に鳥取銀行に入行した。2007年に常務に就任し、2008年に専務を経て、2010年6月に頭取に就任。2016年6月から2022年6月までに会長を務めた。
木島 可恵(きしま よしえ、1883年〈明治16年〉12月2… 木島 可恵(きしま よしえ、1883年〈明治16年〉12月2日 - 1973年〈昭和48年〉1月22日)は、日本の会社役員、地主、鳥取県多額納税者、銀行家、政治家。木島合名会社代表社員。鳥取県会議員。鳥取大丸相談役。 鳥取県八頭郡若桜村大字若桜(現・若桜町)出身。木島七次郎の二男。1901年に鳥取中学校を卒業し、第一高等学校に入学したが、父親の死のため中途退学する。 農業、山林業を営む。家業に従事するとともに若桜町会議員となる。さらに森林開発が県産業発達上急務であることに着眼し、常に意をここに注ぎ、地方森林会、県山林会等に関与する。 1910年11月、若桜銀行頭取に就任する。1921年、八頭木材取締役になる。
楠城 嘉一(くすき かいち、1883年〈明治16年〉10月3… 楠城 嘉一(くすき かいち、1883年〈明治16年〉10月3日 - 1942年〈昭和17年〉)は、大正から昭和時代前期の政治家、銀行家。鳥取県鳥取市長。旧姓は西垣。 西垣新次郎の三男として鳥取県八頭郡隼村(現・八頭町)に生まれ、楠城勘太郎の養嗣子となる。1917年(大正6年)10月、鳥取市会議員に当選し、以来1927年(昭和2年)12月まで在職する。ほか、協立銀行取締役、鳥取市参事会員、鳥取市会議長などを歴任し、1927年(昭和2年)12月20日、鳥取市長に就任した。 市長在職中は、下水道の新設、鳥取市立病院の設置、市立高等女学校・青年学校の新設、鳥取放送局の設置などに尽力した。
小川 貞一(おがわ ていいち、1882年(明治15年)1月1… 小川 貞一(おがわ ていいち、1882年(明治15年)1月19日 - 1943年(昭和18年)10月27日)は、大正から昭和時代初期の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。旧姓・山崎。 鳥取県八橋郡赤崎宿(赤崎村、東伯郡赤崎村、赤碕町を経て現琴浦町赤碕)で山崎元一の長男として生まれ、東伯郡倉吉町(現倉吉市河原町)の小川貞四郎の養子となる。1915年(大正4年)倉吉町会議員に就任したのを皮切りに、東伯郡会議員、鳥取県会議員などを歴任。女子教育の振興に貢献し、鳥取県立倉吉高等女学校(現鳥取県立倉吉西高等学校)、鳥取県女子師範学校、鳥取高等農業学校の設立に尽力した。 また、小川合名会社を設立して酒・醤油醸造業、製糸業を経営した。
木島 岩太郎(きしま いわたろう、1875年〈明治8年〉9月… 木島 岩太郎(きしま いわたろう、1875年〈明治8年〉9月5日 - 1957年〈昭和32年〉)は、日本の会社役員、地主、銀行家、政治家。 鳥取県八頭郡若桜村大字若桜(現・若桜町)出身。木島嘉七郎の長男。因幡高等小学校に学ぶ。貨物運送業、倉庫業、木材製造販売業を営む。1902年、若桜赤松組合村会議員となり、以来継続して若桜町会議員となる。 1911年4月に若桜町助役、1912年5月に辞任する。八頭郡所得税調査委員を4年つとめる。八頭郡会議員に6年在職し、副議長を1年つとめる。 合資会社若桜銀行業務担当社員、木島合名会社社員、因幡木材合資会社有限責任社員となる。1918年4月、同志と共に若桜運送を創立し、その監査役となる。
矢田貝 平重(やたがい へいじゅう、1851年 - 1904… 矢田貝 平重(やたがい へいじゅう、1851年 - 1904年〈明治37年〉9月20日)は、日本の醸造家、銀行家、素封家、鳥取県の大地主。矢田貝家2代目。中国貯蓄銀行取締役。 伯耆国会見郡上細見村(のち鳥取県会見郡大幡村大字上細見、西伯郡岸本町大字上細見、現・西伯郡伯耆町大字上細見)出身。屋号を「久良屋」と称し、酒類醸造業を営む。家はもと微々として振るわなかったが、先代が苦心経営を重ねて業務に励精したため富裕となる。平重は父の志を継ぎ、専心酒類の精醸に努める。大地主となり、郡内屈指の富豪家と目される。 矢田貝家は、古くはたたら吹きに関係していたと言われる。近世初期に出雲地方より伯耆国日野郡へ移住し、帰農したと伝えられる。