SONPUB(サンパブ、1980年4月7日 - )は、日本の… SONPUB(サンパブ、1980年4月7日 - )は、日本の音楽プロデューサー、作曲家、トラックメイカー、DJ、レコーディング&ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニアである。 自身が在籍するMONSTER RIONのメンバーとしてのほかグラフィックデザインや映像制作など多岐にわたり活動している。 岡山県笠岡市で中学卒業までを過ごし、高校からイギリス・ロンドンに留学し勉学と共に音楽、ファッション、アートを学ぶ。 1999年、帰国後、東京で大学進学と共にバンドBrave Race Nationを結成。この頃にWISEとイベントを通じて出会っている。 2002年、バンドBrave Race Nation - 『EP: 0001』(8曲入アルバム)をリリース。
新井 健史(あらい けんじ、1979年11月27日 - )は… 新井 健史(あらい けんじ、1979年11月27日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、キーボーディスト、ピアニスト、マニピュレーター、ギタリスト、レコーディング・エンジニア。HMRエンターテインメント代表取締役。岡山県岡山市生まれ。愛称は「あらけん」。 主に美少女ゲームやテレビアニメ等の主題歌やBGMを数多く手掛けており、キーボードやピアノ等の演奏、レコーディング・エンジニア、映像制作なども行う。「へむり」を口癖とする。 HMRエンターテインメントにおいては、「HMRのH は「Happy」、M は「Music」、R は「Ring」の頭⽂字」とされている。 ディンプスのサウンドクリエイターとして、「ドラゴンボールZ2」などの作品に参加した。
森本 登志男(もりもと としお、1962年〈昭和37年〉 -… 森本 登志男(もりもと としお、1962年〈昭和37年〉 - )は日本の情報技術者。佐賀県最高情報統括監(CIO)。岡山県生まれ。
藤原 清志(ふじわら きよし、1960年3月15日 - )… 藤原 清志(ふじわら きよし、1960年3月15日 - )は、日本の自動車技術者、実業家、コンサルタント。合同会社Office F Vision代表。株式会社ミクニ取締役専務執行役員。元マツダ株式会社代表取締役副社長。 岡山県玉野市出身。同志社大学機械工学科卒業後、1982年に東洋工業(現在のマツダ)に入社。開発部門を歩み、2002年に発売された2代目デミオでは開発責任者を担当した。その後、欧州開発部門の副社長や商品企画ビジネス戦略本部長を経て、パワートレイン開発本部長に就任し、2010年に発表されたスカイアクティブ・テクノロジーの開発を牽引した。2016年に取締役に就任し、2018年の副社長昇格後は研究開発のほか、北米事業やグローバル・マーケティング、販売なども統括。
三木 相煥(みき そうかん、1957年(昭和32年)12月2… 三木 相煥(みき そうかん、1957年(昭和32年)12月27日 - )は、日本の技術者・実業家。経営コンサルタント・技術コンサルタント。絆コーポレーション株式会社代表取締役社長。元・東洋炭素取締役執行役員営業本部長。 岡山県倉敷市水島で起業家を父に5人兄弟の四男として出生。 倉敷市立水島中学校在学中には第3回全国中学校サッカー大会への出場歴がある。岡山県立倉敷青陵高等学校を経て、岡山大学工学部に進む。病弱だった幼少期の経験から小児科医が希望だったが、医学部の受験に失敗したことで進路を変更した。 1983年に東洋炭素に入社。1988年、日本原子力研究所へ外来研究員として出向して、高温ガス炉用黒鉛と核融合炉用黒鉛の研究に従事した。
小川富太郎(おがわ とみたろう、1945年4月16日 - )… 小川富太郎(おがわ とみたろう、1945年4月16日 - )は、日本の技術者、実業家。岡山県笠岡市出身。住友ベークライト代表取締役社長、代表取締役会長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
好川 純一(よしかわ じゅんいち、1939年3月7日 - )… 好川 純一(よしかわ じゅんいち、1939年3月7日 - )は、日本の自動車技術者・実業家。トヨタ自動車取締役や、豊田紡織代表取締役社長、トヨタ紡織代表取締役会長、岡山大学経済学部特任教授等を歴任した。 岡山県久米郡美咲町出身。1961年徳島大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社。大野耐一に師事しトヨタ生産方式の整備にあたり、楠兼敬の下でトヨタ自動車生産調査室主査(部長)として、生産調査室の活動の確立を進めたのち、1988年トヨタ自動車取締役に昇格。トヨタ自動車高岡工場長、上郷工場長を経て、1994年豊田紡織取締役副社長。 1996年から豊田紡織代表取締役社長を務め、2004年にはアラコ、タカニチとの合併契約を締結し、トヨタ紡織への商号変更を行った。
青木 精太郎(あおき せいたろう、1906年 <明治39年>… 青木 精太郎(あおき せいたろう、1906年 <明治39年> 2月27日 - 1991年 <平成3年> 7月13日)は日本の鉄道技術者、実業家。京阪電気鉄道社長、京福電気鉄道会長などを務めた。位階は正四位。 岡山県岡山市出身。旧制岡山中学校(在学中に第一岡山中学校に改称、現:岡山県立岡山朝日高等学校)、第六高等学校を経て、1928年(昭和3年)に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業。当初、指導教官から日本電力への就職を紹介されたが、その年度の新卒採用がなかったため、代わりに紹介された京阪電気鉄道に入社した。当時京阪電気鉄道は、新京阪鉄道(現:阪急京都本線)の建設、名古屋急行電鉄の設立準備などをおこなっていた時期であったため、前例のない50余名もの大学・専門学校生を採用しており、のちに阪急電鉄社長を務めた森薫も同窓・同期で新京阪に入社している。
小林 正次(こばやし まさつぐ、1902年8月16日 - 1… 小林 正次(こばやし まさつぐ、1902年8月16日 - 1975年10月31日)は、日本の技術者、工学博士。元日本電気(NEC)専務取締役。元慶應義塾大学工学部教授。 岡山県久米郡加美村字亀甲(現・久米郡美咲町)生まれ。父親が広島で郡長、のち広島赤十字社主事等になったため広島県比婆郡庄原町(現庄原市)や府中市他で育つ。 1917年、福山中学校(現・福山誠之館高校)から広島高師附属中学(現・広島大学附属高校)に転入、第八高等学校を経て東京帝国大学工学部電気工学科卒業(1926年)。同年日本電気(NEC)入社。大学の先輩・丹羽保次郎が優秀な大学卒を採用するという方針で入社した第一期で、英才の誉れ高い小林が引っぱられたものであった。
土光 敏夫(どこう としお、1896年〈明治29年〉9月15… 土光 敏夫(どこう としお、1896年〈明治29年〉9月15日 - 1988年〈昭和63年〉8月4日)は、昭和時代の日本のエンジニア、実業家。位階勲等は従二位勲一等(勲一等旭日桐花大綬章・勲一等旭日大綬章・勲一等瑞宝章)。岡山県名誉県民、岡山市名誉市民。 石川島重工業・石川島播磨重工業 社長、東芝社長・会長を歴任、日本経済団体連合会第4代会長に就任し、「ミスター合理化」として「土光臨調」と称されている第二次臨時行政調査会でも辣腕を振るった。他方、橘学苑の理事長、校長を創設者の母から引き継いだ。また、質素な暮らしぶりで「メザシの土光さん」としても親しまれた。次男の土光哲夫は東芝タンガロイの元役員。
岡崎文吉(おかざき ぶんきち、1872年(明治5年)- 19… 岡崎文吉(おかざき ぶんきち、1872年(明治5年)- 1945年(昭和20年))は日本の治水技術者。北海道庁の技師として、石狩川の治水計画の基礎を築いた人物。長男の岡崎一夫は自由法曹団団長を務めた弁護士。 岡山県に士族岡崎壽の長男として生まれる。岡山尋常中学校(現在の岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、17歳と年齢をごまかし、15歳で札幌農学校工学科に1期生として入学。授業料免除で学資も給付される校費生として、「港湾工学の父」と称せられる広井勇のもとで学ぶ。卒業後は給費研究生となり、21歳の若さで札幌農学校助教授に就任。1896年(明治29年)、北海道庁の技師に任ぜられる。当時の北海道庁長官北垣国道は排水路を運河として活用することを意識しており、札幌・茨戸間運河(現在の創成川)、花畔・銭函間運河、幌向運河、馬追運河の設計と技術を担当した。
浅野 応輔(あさの おうすけ、1859年4月10日(安政6年… 浅野 応輔(あさの おうすけ、1859年4月10日(安政6年3月8日) - 1940年(昭和15年)9月23日)は、明治から昭和時代前期の電気工学者、通信技術者。 備中国都宇郡茶屋町(現・岡山県倉敷市)に生まれる。浅口郡船穂村の医師浅野意俊の三男。 1881年(明治14年)工部大学校電気工学科(現:東京大学)を卒業し、同年工部大学校教官となる。同校助教授、東京電信学校長兼幹事、逓信省電務局電気試験所(現:電子技術総合研究所)初代所長、逓信技師、電気試験所所長を経て、1899年(明治32年)東京帝国大学工科大学(現:東京大学工学部)教授となる。その後、早稲田大学教授、早稲田大学工科長を経て1920年(大正9年)早稲田大学理工学部学部長となる。