高木 聖雨(たかき せいう、1949年9月8日 - )は、日… 高木 聖雨(たかき せいう、1949年9月8日 - )は、日本の書家。本名は茂行。高木聖鶴の息子。教え子に中塚翠涛がいる。 岡山県総社市生まれ。1968年関西高等学校卒業後、1973年大東文化大学文学部日本文学科卒業。青山杉雨・成瀬映山に師事。大東文化大学文学部書道学科教授、大東文化大学書道研究所所長、公益財団法人全国書道美術振興会理事長、北京大学書法藝術研究所客員教授、読売書法展常任総務、謙慎書道会理事長などを歴任。2015年、改組新第2回日展文部科学大臣賞を受賞。2016年、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。2017年、第13回マルセンスポーツ文化賞を受賞。2020年12月に日本芸術院会員就任。2024年11月文化功労者。
佐藤 勝彦(さとう かつひこ、1940年3月7日 - 201… 佐藤 勝彦(さとう かつひこ、1940年3月7日 - 2017年3月13日)は、日本の画家・書家・陶芸家。 旧関東州大連生まれ。奈良県在住していた。 画壇に属さない画家として、独特の仏教観に根ざした豪放な書画を描き続けている。富士山と仏像を好むほか、朱色を多用し紙に余白を残さない点が特徴。作品を手がけるだけでなく、陶磁器や骨董品の蒐集家としても知られている。 7歳で生家の岡山県賀陽町(現・吉備中央町)に引き揚げたのち岡山県立高梁高等学校を経て、1958年、鳥取大学学芸学部入学。1960年、重度の結核で入院するが快癒。以来プラス思考に転じる。 1963年、帝塚山学園小学部で教師となるも、1968年、中川一政の作品展に影響を受け創作活動を開始。
高木 聖鶴(たかぎ せいかく、1923年(大正12年)7月1… 高木 聖鶴(たかぎ せいかく、1923年(大正12年)7月12日 - 2017年(平成29年)2月24日)は、日本の書家。男性。位階は従三位。勲等は文化勲章。本名は高木 郁太(たかぎ いくた)。朝陽書道会会長、公益社団法人日本美術展覧会顧問、公益社団法人日本書芸院最高顧問、読売書法会最高顧問、文化功労者。 社団法人日本書芸院理事、読売書法会理事、読売書法会常任総務、社団法人日本美術展覧会常務理事、社団法人日本美術展覧会理事、社団法人日本美術展覧会参事などを歴任した。 1923年(大正12年)岡山県総社市出身にうまれる。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、環境化学の権威で大阪府立大学名誉教授となる宗森信がいた。
田中 塊堂(たなか かいどう、1896年〈明治29年〉2月1… 田中 塊堂(たなか かいどう、1896年〈明治29年〉2月10日 - 1976年〈昭和51年〉2月1日)は、岡山県小田郡山田村(現・矢掛町)出身の日本の書家。本名は英市。 それまで細字に限られていた仮名(かな)の表現範囲を広め現代仮名書壇の基礎を築いた。 1896年(明治29年)2月10日、岡山県小田郡山田村(現・矢掛町)に生まれる。1922年(大正11年)、大阪貿易語学校を卒業。1924年(大正13年)、28歳で川谷尚亭に師事して漢字の書を学び、かなは独学で古筆を習得した。この時期、相沢春洋、田中親美らと親交を持った。 1931年(昭和6年)、第2回泰東書道院書道展にて特選を受賞、この後3回連続の特選となる。
藤原 鶴来(ふじわら かくらい、1893年4月15日 - 1… 藤原 鶴来(ふじわら かくらい、1893年4月15日 - 1990年1月15日)は、岡山県生まれの書家。「和漢書道史」「書源(新書道字典)」の編纂者。青龍寺の「空海記念碑」を揮毫。本名は茂(しげる)、鶴来は号。 岡山県玉野市に生まれる。岡山師範学校(現在の岡山大学教育学部)で大原桂南に学び、丹羽海鶴、鈴木翠軒、加藤飯山に師事。比田井天来、松田南溟に益を受ける。 岡山第一中学校の教員を経て、香川師範学校教諭となる。戦後香川大学教育学部教授となり後進の育成につとめる。書道の歴史解説書「和漢書道史」、名跡筆法の字典「書源(新書道字典)」を編纂。中国陝西省西安市青龍寺の「空海記念碑」を揮毫する。 1986年文部大臣より「地域文化功労者」として表彰される。
清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日… 清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。質素な生活ぶり、岡山にゆかりがあること、歌人・書家という活動分野から、晩年は「今良寛」と呼ばれた。 岡山県上房郡高梁町(現・高梁市弓之町)に清水質(ただし)と妻・すへの長男として生まれる。旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)、第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1908年(明治41年)京都帝国大学(現・京都大学)法学部を卒業。中学から大学まで同級生だった友人に神社柳吉がいる。司法官として神戸地方裁判所へ勤務。
尾上 柴舟(おのえ さいしゅう 1876年〈明治9年〉8月2… 尾上 柴舟(おのえ さいしゅう 1876年〈明治9年〉8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人・歌人・書家・国文学者。文学博士。帝国芸術院会員。勲二等瑞宝章受章者。旧名は北郷八郎。 岡山県苫田郡津山町(現・津山市)出身。本名は尾上八郎。元津山藩士・北郷直衛の三男として生まれ、同藩士・尾上動の養子となった。津山小学校高等科を卒業の後、父の転勤で兵庫県龍野(現・たつの市)に移住する。東京府尋常中学、一高を経て、東京帝国大学文科大学に進み1901年に卒業。哲学館(現・東洋大学)講師、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)講師・教授(1905年–)、高等官6等に叙せられて「第6臨時教員養成所」の教授を兼ねる(1906年–1907年度)。