沖津 賢一郎(おきつ けんいちろう、1977年7月29日 -… 沖津 賢一郎(おきつ けんいちろう、1977年7月29日 - )は、岡山県井原市出身で東京都在住の日本の映像作家、俳優、映画監督、演出家、ディレクター、カメラマン、映像編集者。 演技、映像制作以外のスキルは、剣道、書道、ピアノ、作詞・作曲・編曲。両利き。趣味は サイクリングと 耳かき。クリント・イーストウッド、馳星周、斎藤真由美、中垣内祐一などを尊敬している。 岡山県井原市立西江原小学校卒業。岡山県井原市立井原中学校卒業。岡山県立井原高等学校卒業。帝京大学中退。立教大学文学部卒業。 大学在学中、劇団員となる。その間、パーティの司会者などをつとめていたが、2000年、自分の映画を1本だけ作りたいと、長篇映画の脚本を執筆し、制作に入るも、紆余曲折を経て未完に終わる。
太田 克史(おおた かつし、1972年3月22日 - )は、… 太田 克史(おおた かつし、1972年3月22日 - )は、日本の男性編集者である。2023年現在、講談社の100%出資子会社として設立された出版社・星海社の代表取締役社長。 岡山県倉敷市出身。早稲田大学教育学部国語国文学科卒。1995年に講談社入社。『別冊フレンド』編集部へ配属され、主にジョージ朝倉を担当していた。 1998年、文芸局文芸図書第三出版部(通称「文三」)へ異動。講談社ノベルスを中心に京極夏彦、清涼院流水、上遠野浩平、舞城王太郎、佐藤友哉、西尾維新、奈須きのこ、竜騎士07などの若手作家を担当。文芸雑誌『メフィスト』での通称は"J"。 講談社ノベルスで新本格ムーブメントを作り上げた編集者・宇山日出臣の影響を色濃く受けた編集者の一人で、「最強」「最前線」「天才」「傑作」といった大仰な表現を誌面で多く使う傾向がある。
市川 哲史(いちかわ てつし、1961年3月16日 - )は… 市川 哲史(いちかわ てつし、1961年3月16日 - )は、日本の音楽評論家、編集者、ラジオパーソナリティ、大学非常勤講師。岡山県津山市出身。O型。 大学浪人中の1980年から13年間、『ロッキング・オン』の雑誌を中心に洋邦問わず音楽評論活動を続ける。 当時、硬派な雑誌であった『ROCKIN'ON JAPAN』にX・BUCK-TICKといった後にヴィジュアル系と呼ばれるようなバンドを積極的に取り上げる。アーティストとの呑みの場をレポートをしたコラム「市川哲史の酒呑み日記」も連載した。 1993年に独立して10月に『音楽と人』を創刊するが、社長と編集長を同時に務めていた1998年に自律神経失調症とうつ病を発症して失踪し自殺未遂を起こす。
朝廣 佳子(あさひろ よしこ、1960年9月26日 - )は… 朝廣 佳子(あさひろ よしこ、1960年9月26日 - )は、日本の編集者。奈良県の総合情報サイト「奈良っこ」および月刊情報誌「yomiっこ」編集長。 1960年、岡山県倉敷市生まれ。岡山県立児島高等学校、関西大学卒業。1993年、株式会社読売奈良ライフ代表取締役。1999年、奈良青年会議所第40代理事長、「カウントダウン2000 in NARA」実行委員長及び「なら燈花会」実行委員長。2000年、「なら燈花会の会」会長。観光カリスマ。 2017年の奈良市長選挙に自由民主党推薦で出馬するも、現職の仲川げんに敗れ、次点の山下真(元生駒市長)にも大きく引き離されて3位に終わった。 奈良市では、1988年(平成元年)より来訪者数20万人規模のイベント「ならまつり」が毎年8月に実施されてきたが、1998年(平成10年)に奈良市市制100周年を迎えるにあたり、さらに観光客を誘致できるイベントの開催について検討するため「祭りを考える会」が発足、朝廣は、この考える会の立ち上げ当初から参画していた。
入江 祥雄(いりえ よしお、1955年〈昭和30年〉12月1… 入江 祥雄(いりえ よしお、1955年〈昭和30年〉12月16日‐)は日本の編集者、プロデュサー。元講談社取締役、元キングレコード副社長、元文化放送非常勤取締役。 岡山県岡山市出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、1978年(昭和53年)、講談社に編集職として入社。1988年(昭和63年)に、33歳で月刊誌『なかよし』の編集長に就任。「美少女戦士セーラームーン」「カードキャプターさくら」「東京ミュウミュウ」「怪盗セイント・テール」などのヒット作を送り出し、同誌を5年間で発行部数210万部のトップ誌に成長させた。 2005年(平成17年)2月に講談社取締役に就任し、当時同社の新規事業分野であった、コンテンツのアニメ化、テレビドラマ化、映画化を推進するライツ事業局を立ち上げ、ライツ事業、デジタル事業、海外事業の基盤を作り上げる。
小林 健治(こばやし けんじ、1950年12月13日 - )… 小林 健治(こばやし けんじ、1950年12月13日 - )は、日本の編集者、部落解放運動家。にんげん出版代表。 部落解放同盟東京都連合会品川支部員だったが、横領を理由に2015年6月19日付で部落解放同盟中央本部から除名処分を受け、2016年1月当時、除名処分の無効を訴えていた。2021年12月現在、除名処分が撤回された形跡はない。 岡山市生まれ。岡山県立岡山南高等学校を経て法政大学文学部日本文学科卒業。解放出版社に勤務。1980年から、部落解放同盟中央本部 マスコミ・文化対策部、糾弾闘争本部の一員として、出版・新聞・テレビにおける差別表現事件にとりくむ。2004年まで解放出版社事務局長を務める。
末井 昭(すえい あきら、1948年6月14日 - )は、フ… 末井 昭(すえい あきら、1948年6月14日 - )は、フリーの編集者、作家、サックス奏者。元白夜書房取締役編集局長。 岡山県吉永町(現:備前市)出身。7歳のとき、母親が若い男とダイナマイト心中した。 岡山県立備前高等学校の機械科に進学。高校卒業後、大阪・枚方のステンレス線の製造工場に集団就職したが、大阪の工場の過酷な労働がいやになり3か月で退職し、川崎の父親の元へ。父親と同じ自動車工場で働く。1967年、渋谷にあった青山デザイン専門学校のグラフィックデザイン科の夜間部に入学。デザイン会社に入社。主に看板のデザインをする。キャバレーや風俗店の看板描きをしていたとき、元同僚がエロ本の出版社に転職し、その縁で、のちに白夜書房を創業する森下信太郎からエロ総合誌の創刊をまかされ、1975年に『ニューセルフ』を立ち上げる。
岩本 敏(いわもと さとし、1947年7月8日 - )は、日… 岩本 敏(いわもと さとし、1947年7月8日 - )は、日本の編集者。小学館で漫画雑誌の担当や、雑誌『サライ』の編集長などを務めた。岡山県津山市出身。退職後は三重県亀山市在住。らくだ亭(小学館主催の落語会)初代席亭。フリーランス・エディター、エッセイスト。 岡山県津山市に生まれる。1963年、岡山県立津山高等学校入学。高校1年の夏、小学館発行の雑誌『ボーイズライフ』の創刊記念読者特派員として、ロンドン、パリ、ローマを巡る旅を経験。南山大学外国語学部イスパニヤ語学科卒業後、1971年に小学館に入社。 『ビッグコミック』、『FMレコパル』、『少年サンデー』編集部を経て、『BE-PAL』創刊に携わり、同誌デスク、副編集長、編集長を歴任。
松田 銑(まつだ せん、1913年 - 2002年)は、日本… 松田 銑(まつだ せん、1913年 - 2002年)は、日本の翻訳家、編集者。岡山県岡山市出身。 1913年(大正2年)岡山県岡山市に生まれる。旧制岡山第一中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制第六高等学校を経て、1939年(昭和14年)東京帝国大学経済学部を卒業する。実家の家業を手伝うが、戦時下、上京して農業関係の団体に就職。横浜正金銀行、日本銀行、ワシントンD.C.の世界銀行、メルボルンのオーストラリア放送協会、『リーダーズ・ダイジェスト』日本語版編集長などを務め、翻訳家となる。アレックス・ヘイリー『ルーツ』の翻訳で知られる。 映画監督の内田吐夢の甥にあたる。
江見 水蔭(えみ すいいん、明治2年8月12日(1869年9… 江見 水蔭(えみ すいいん、明治2年8月12日(1869年9月17日) - 昭和9年(1934年)11月3日)は、岡山市生まれの小説家、翻訳家、編集者、冒険家。本名:忠功(ただかつ)。 文学作品を皮切りに、通俗小説、推理小説、冒険小説、探検記など多岐に渡る分野に作品を残し、硯友社、博文館など数々の出版社で雑誌の編集発行に関わった。代表作に小説『女房殺し』、『地底探検記』、随筆『自己中心明治文壇史』、翻案戯曲『正劇 室鷲郎』など。 江見忠功は岡山の一番町一番屋敷に生れた。父の鋭馬は水蔭が幼少の頃死去。1881年、叔父の水原久雄の勧めで軍人を志して上京したが、次第に文学に惹かれるようになり、15歳のときに軍人を諦める。
張 文環(ちょう ぶんかん)は台湾の小説家、文芸誌編集者。岡… 張 文環(ちょう ぶんかん)は台湾の小説家、文芸誌編集者。岡山中学校、東洋大学文学部卒。日本統治時代の台湾を代表する小説家である。 張文環の作品は台湾風土の取材に基づくリアリズムに依拠した重厚な作風が特徴である。代表作の『夜猿』は皇民奉公会の台湾文学賞を受賞している。また小説『閹鶏』は舞台脚本に改作され広く親しまれた。 黄得時(中国語版)、中山侑(中国語版)らと文芸誌『台湾文学(中国語版)』を創刊した。精力的な文筆活動は戦時下の台湾文壇に大きな影響を与えていたが、戦後は逼塞した政治環境により執筆活動を放棄している。 1975年、日本語で書かれた自伝的小説「地に這うもの」が東京・現代文化社にて出版。