田中 健(たなか けん、1988年3月16日 - )は、日本… 田中 健(たなか けん、1988年3月16日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の元騎手。現調教助手。 広島県廿日市市出身。競馬とは無縁の家庭で育ったが、中学3年生のとき父親から騎手という職業があることを聞かされたことをきっかけに、JRA競馬学校に入学。乗馬未経験であったが、卒業時には騎乗技術が特に優秀だった者に与えられるアイルランド大使特別賞を受賞している。卒業時の同期(23期生)には浜中俊、藤岡康太、宮崎北斗、丸田恭介らがいる。 2007年3月3日、浅見秀一厩舎(栗東トレーニングセンター)所属騎手としてデビュー。同日の2戦目で初勝利を挙げた。なお、登録外ではあるが川村禎彦、木原一良両厩舎にも所属し、3厩舎で1人を育てるという形がとられており、初騎乗馬は川村厩舎所属、初勝利は浅見厩舎所属馬であった。
池田 敏樹(いけだ としき、1984年7月29日 - )は、… 池田 敏樹(いけだ としき、1984年7月29日 - )は、地方競馬の笠松競馬場栗本陽一厩舎に所属していた、広島県庄原市出身の元騎手。地方競馬教養センター騎手課程第75期生。 2002年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得。同年4月13日第1回福山競馬1日目第5競走アラブ系3歳条件戦ナタリーサンダーで初騎乗(9頭立て3番人気6着)。同日第8競走アラブ系C2条件戦をタッカーコトワで優勝(10頭立て2番人気)し、3戦目で初勝利。 2003年NARグランプリ2003、地方競馬優秀新人騎手賞受賞。同年第36回内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞地方競馬新人賞受賞。 2004年地方競馬通算100勝達成。同年3月22日第18回全日本新人王争覇戦出場(12人中4位)。
黒川 知弘(くろかわ ともひろ、1978年7月28日 - )… 黒川 知弘(くろかわ ともひろ、1978年7月28日 - )は、地方競馬の福山競馬場所属の元騎手。 黒川幹生元騎手・調教師は実父で、黒川都起哉元騎手・調教師は実祖父。福山競馬騎手会長を務めていた。 地方競馬教養センター長期課程第63期生。 1996年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得。同年4月20日第2回福山競馬1日目第1競走アラブ系C2二十二組条件戦ニューリンボーで初騎乗(8頭立て4番人気6着)。同年4月21日第2回福山競馬2日目第8競走アラブ系C2二組条件戦をシブシホープで優勝(9頭立て3番人気)し、初勝利。 1997年9月23日第12回全日本新人王争覇戦出場(12人中8位)。 1998年2月15日第17回福山競馬5日目第9競走第18回福山マイラーズカップをスマノロメオで優勝(8頭立て6番人気)し、重賞初制覇。
池本 徳子(いけもと のりこ、1974年9月25日 - )は… 池本 徳子(いけもと のりこ、1974年9月25日 - )は、地方競馬の福山競馬場若林達彦厩舎所属の元騎手である。旧姓は2つあり、最初の姓は大場(おおば)、2つ目の姓は佐藤(さとう)。現在の姓名は3つ目である。 勝負服の柄は胴白・赤N字縞、袖黄。広島県福山市出身、血液型はB型、身長152cm。 1996年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、戸川吉和厩舎からデビュー。同年4月20日福山競馬第4競走マルブツドールで初騎乗(6頭立て6着)。同年4月28日福山競馬第2競走をウイナーズゴテスで優勝し、8戦目で初勝利(7頭立て)。 1997年9月23日第12回全日本新人王争覇戦出場(12人中3位)。同年11月13日、14日中津競馬場で実施された第1回卑弥呼杯出場(9人中2位)。
岡田 祥嗣(おかだ よしつぐ、1971年10月16日 - )… 岡田 祥嗣(おかだ よしつぐ、1971年10月16日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の騎手。 父は福山競馬場の元厩務員。中央競馬に所属している騎手としては少数派である高校卒業者である。 盈進高校卒業後に地方競馬教養センター短期騎手課程に第22期生として入る。同期は岩田康誠ら。 地方競馬の福山競馬場高本修一厩舎に所属して1991年7月27日、福山競馬第6競走(アラブ系C2条件戦)でレース初騎乗(騎乗馬はシズヒロヒカリ、8頭立て7番人気6着)。同年8月15日、福山競馬第2競走(アラブ系3歳一般戦)でアレッポランク(9頭立て2番人気)に騎乗し、初勝利を挙げる。 1992年8月9日、第7回全日本新人王争覇戦出場(10人中8位)。
野田 誠(のだ まこと、1971年8月20日 - )は、地方… 野田 誠(のだ まこと、1971年8月20日 - )は、地方競馬の福山競馬場・堀部重昭厩舎に所属していた元騎手である。勝負服の柄は紫、胴黄縦縞、袖黄一本輪。広島県出身、血液型A型。 1992年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得。同年4月25日第2回福山競馬1日目第10競走アラブ系C2一組条件戦アサマダイリンで初騎乗(9頭立て6番人気3着)。同年5月5日第2回福山競馬6日目第1競走アラブ系4歳十一組条件戦をクリトモエで優勝(8頭立て3番人気)し、初勝利。 1993年8月8日第8回全日本新人王争覇戦出場(10人中7位)。 1994年5月1日マカオで行われた第2回マカオ国際見習騎手招待競走に地方競馬代表として招待され2鞍騎乗し5着・4着、また一般レースにも騎乗し8着・5着・8着・2着であった。
笹田 和秀(ささだ かずひで、1956年9月29日 - )と… 笹田 和秀(ささだ かずひで、1956年9月29日 - )とは、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属する調教師である。 主な管理馬に2011年の優駿牝馬(オークス)優勝馬エリンコートがいる。 妻・笹田淑(旧姓・伊藤。伊藤雄二の実娘)はJRA初の女性調教助手として知られる。舅は伊藤雄二。ニュージーランドでデビューし現在は地方競馬の兵庫県競馬組合の騎手である笹田知宏は次男。 広島県福山市出身。父は地元の福山競馬で馬主資格を持っていた。盈進高校時代はサッカーで広島県選抜に選ばれるなど活躍し、その後拓殖大学に進学。在学中、中央競馬の厩務員に嫁いでいた従姉から、大卒の厩舎関係者が増加していることを聞かされ、もともと馬好きであったことから、大学卒業後の1980年に従姉の夫が勤めていた栗東・島崎宏厩舎に厩務員として入った。
中島 敏文(なかじま としふみ、1950年7月29日 - )… 中島 敏文(なかじま としふみ、1950年7月29日 - )は、広島県高田郡吉田町(現・安芸高田市)の元騎手・元調教師である。 実父・中島時一も元騎手、中島啓之は実兄。 父・時一は戦前の騎手・調教師で、牝馬のヒサトモで1937年の東京優駿をレコードタイムで制覇している。父母の疎開先の広島で生まれ、時一のダービー優勝時には啓之と敏文はまだ生まれていなかった。 1968年に京都・上田武司厩舎の騎手候補生となり、1969年3月にデビュー。同期には田村正光、上野(伊藤)清章、須貝四郎、楠孝志、内田国夫、西浦勝一がいる。同1日の京都第5競走障害5歳以上未勝利・フェアダッシュで初騎乗を果たすが、落馬で競走中止というほろ苦いデビューとなった。
中島 啓之(なかじま ひろゆき、1943年6月7日 - 19… 中島 啓之(なかじま ひろゆき、1943年6月7日 - 1985年6月11日)は、昭和後半期の日本の競馬騎手。日本中央競馬会の所属であった。 1974年の東京優駿(日本ダービー)優勝など八大競走を4勝、1970年代から1980年代にかけて関東を代表する騎手であったが、1985年に病死した。通算729勝は当時歴代9位の記録。 父・中島時一は戦前の騎手・調教師で、牝馬のヒサトモで1937年の東京優駿をレコードタイムで制覇している。また、弟の中島敏文も元騎手で、引退後にJRA調教師となった。 夫人の父(義父)は同じくJRA調教師であった高松三太。 1943年、父の転戦先、東京都府中市に生まれる。太平洋戦争激化により競馬が休止となり、これを受けて競馬界から引退した父時一の故郷・広島県高田郡吉田町(現・安芸高田市)に、生後間もなく移り住む。
久保谷 唯三(くぼたに ただぞう、1921年1月25日 - … 久保谷 唯三(くぼたに ただぞう、1921年1月25日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家、馬主。 1921年1月25日、広島県竹原町(現竹原市竹原町)で煙草、塩の販売業を営む家庭に生まれる。学校を卒業後、一度大阪府に出たのち長崎県へ向かい、三菱長崎造船所に入社した。1941年には現役兵として下関第72部隊に入隊したが、終戦に伴い除隊となると故郷の竹原に戻った。1946年5月には25歳ながら竹原町議会議員選挙に立候補し2位当選を果たすと、町議会内で起こった不正事件にかかるリコール問題でリコール派の筆頭として活動し議会の解散に持ち込む。翌1947年にトップで再選を果たすと同議会副議長に就任した。
吉原 貞敏(よしはら さだとし、1909年5月3日 - 19… 吉原 貞敏(よしはら さだとし、1909年5月3日 - 1995年9月17日)は、日本の実業家、馬主。広島県向島(現・尾道市)出身。東京鐵鋼創業者である。東京鐵鋼現社長で、馬主の吉原毎文は長男。 祖父は広島県向島の八幡神社の神官で、祖父まで137代を数える家系。父・吉原敏(1885-1962)が明治大学在学中から清浦奎吾に私淑し卒業後、清浦の秘書として仕えたあと、日本兵器製造の東京支社長などを経て、長男にあたる貞敏とともに1940年に大和製鉄を買収して同社を名称変更したものが東京鐵鋼の創業となる。貞敏は明治大学商学部を1932年に中退し、飛島組に入社。1937年に有明鉄工所、1938年に高級鋳鉄研究所を設立した後、高級鋳鉄の生産を目指して父とともに東京鐵鋼を創業。