髙島 誠(たかしま まこと、1958年(昭和33年)3月31… 髙島 誠(たかしま まこと、1958年(昭和33年)3月31日 - )は、日本の銀行家。三井住友フィナンシャルグループ会長。広島県東広島市出身。 父は農家の長男だったが、農業が肌に合わず、広島県の地方公務員となった。 広島県立広島皆実高等学校卒業後、京都への思いを抗しきれず、仮面浪人し、京都大学法学部に入学。 弁護士を目指し司法試験に2度チャレンジするも、1982年に住友銀行に入行。 2010年4月に執行役員経営企画部長兼三井住友フィナンシャルグループ企画部長、2012年に常務執行役員、2016年12月に取締役兼専務執行役員。 2017年4月、頭取に就任。2023年4月には代表権のない会長に退く。
大西 義久(おおにし よしひさ、1948年(昭和23年) -… 大西 義久(おおにし よしひさ、1948年(昭和23年) - 2024年3月4日)は、広島県出身の銀行家。日本銀行人事局長、セントラル短資代表取締役社長等を務めた。2024年3月4日夕刻、入浴中に急逝。 広島県広島市生まれ。1971年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。1977年香港大学留学。1981年外務省在中華人民共和国日本国大使館出向。1988年日本銀行ロンドン駐在参事付パリ駐在。1991年日本銀行国際局為替課長。1993年日本銀行岡山支店長。1995年日本銀行国際局次長。1996年日本銀行香港駐在参事。1999年日本銀行情報サービス局長。2000年日本銀行人事局長。2001年金融情報システムセンター理事。
岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月2… 岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月29日 - )は、日本の大蔵官僚、銀行家。国税庁調査査察部長、大阪国税局長、国税庁次長、証券局長、広島銀行副頭取、同行会長などを務めた。 衆議院議員岸田正記の二男。衆議院議員岸田文武の弟。第100代・第101代内閣総理大臣岸田文雄の叔父。 広島県広島市出身。東京都立第一中学校、東京高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中に国家公務員六級職試験を合格。1955年 大蔵省に入省(大臣官房財務参事官室)。 1962年7月 萩税務署長。1963年7月 国税庁調査査察部調査査察課長補佐。
池内 正昭(いけうち まさあき、1928年(昭和3年)10月… 池内 正昭(いけうち まさあき、1928年(昭和3年)10月2日 - 2020年(令和2年)9月18日)は、日本の銀行家。ジェーシービー (JCB) 元社長。広島県出身。 1952年京都大学法学部卒業。三和銀行(現:三菱UFJ銀行)入行。1976年取締役、1978年常務を経て1982年、谷村隆に引き抜かれ株式会社ジェーシービー (JCB) 専務に転じる。国際化に打って出た同社は、谷村-池内の師弟コンビで、日本初唯一のクレジットカード国際ブランドを確立した。1984年副社長、1990年社長。東京ディズニーランドオフィシャルカードやアッパープレミアムカード「ザ・クラス」、若年層向けゴールドカード「ネクサス」発行や「JCBプラザ」設立に尽力、北海道拓殖銀行の経営破綻時には、同行直系のカード会社エイチ・シー・ビー(HCB)を俊敏に子会社化した。
守分 勉(もりわけ つとむ、旧姓藤井、大正5年(1916年)… 守分 勉(もりわけ つとむ、旧姓藤井、大正5年(1916年)4月19日 - 平成12年(2000年)8月16日)は、日本の銀行家。元中国銀行頭取・会長。 中国地方各地で、税務署長を務めた地主藤井宇一郎の5男として、広島県深安郡千田村(現福山市)で生まれる。 京都帝大卒後、神戸海上保険勤務を経て守分家の婿養子となる。 1948年(昭和23年)中国銀行入行。支店長、役員等歴任。義父である守分十の死去に伴い、頭取に就任する。 頭取在任時は、自主健全経営を堅持したほか、時代に即応した経営戦略を打ち出し人事諸制度の整備、改革の実施、事務管理体制の強化、店舗網の整備拡充、総合オンライン体制への移行や相次ぐ関連会社の設立などの施策を講じた。
芳川 周二(よしかわ しゅうじ、1903年8月25日 - 1… 芳川 周二(よしかわ しゅうじ、1903年8月25日 - 1992年3月3日)は、日本の銀行家。関西相互銀行(現在の関西アーバン銀行)社長を務めた。広島県広島市出身。 1926年に山口高等商業学校を卒業し、同年に住友銀行に入行。1958年10月に関西相互銀行専務に就任し、1968年4月には社長に就任。1973年11月に取締役相談役と明光証券社長に就任し、1978年12月に会長を経て、1982年3月から取締役相談役を務めた。 1970年10月に藍綬褒章を受章し、1976年4月に勲五等双光旭日章を受章した。 1992年3月3日急性心筋梗塞のために死去。88歳没。
沢原 精一(澤原 精一、さわはら せいいち、1871年9月1… 沢原 精一(澤原 精一、さわはら せいいち、1871年9月18日〈明治4年8月4日〉 - 1953年〈昭和28年〉7月1日)は、明治から昭和時代戦前の政治家、実業家、銀行家、広島県多額納税者、地主・家主。貴族院多額納税者議員。勲四等。呉商工会議所顧問。族籍は広島県平民。 広島県比婆郡山内東村(現・庄原市)出身。戸谷次助の二男。幼少の頃に賀茂郡荘野村の叔父岡崎鼎の養子となる。1896年(明治29年)7月に先代ウタの入夫となり1902年(明治35年)9月に家督を相続した。 1896年(明治29年)以降、呉貯蓄銀行取締役、呉陽倉庫、瀬戸内海横断電力、呉製氷各社長、沢原銀行取締役のほか、呉商業会議所会頭、呉市会議長、日本放送協会理事、広島県商工団体連合会顧問、呉信用組合長などを歴任した。
二階堂 三郎左衛門(にかいどう さぶろうざえもん、1867年… 二階堂 三郎左衛門(にかいどう さぶろうざえもん、1867年1月28日(慶応2年12月23日) - 1944年(昭和19年)4月16日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。前名は熊七郎。 安芸広島藩領佐伯郡大竹村(現・大竹市)出身。望戸清四郎の長男として生まれ、先代二階堂三郎左衛門寿光の養嗣子となり、襲名する。1890年(明治23年)25歳にして大竹郵便局長となる。ついで大竹町油見村組合会議員、大竹貯蓄銀行頭取、芸防抄紙社長、広島県農工銀行、日本紙業各取締役などを経て、広島県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1918年(大正7年)5月3日から1925年(大正14年)9月28日まで務めた。
青盛 常太郎(あおもり つねたろう、1864年3月27日〈元… 青盛 常太郎(あおもり つねたろう、1864年3月27日〈元治元年2月20日〉 - 没年不明)は、日本の商人、銀行家、広島県多額納税者、家主。呉銀行取締役。族籍は広島県平民。 広島県呉市出身。青盛喜一郎の弟。高等小学校を出て、若いときはタバコの行商をしたり、商売をしていた。また借家を建て、借家の収入で生活をした。分家して一家を創立する。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。 趣味は建築。住所は呉市元町。本籍は呉市和庄町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
八田 謹二郎(はった きんじろう、1853年(嘉永6年9月)… 八田 謹二郎(はった きんじろう、1853年(嘉永6年9月) - 1928年(昭和3年)6月22日)は、明治時代の政治家、銀行家、林業家。衆議院議員(2期)。 安芸広島藩領佐伯郡玖島村(広島県佐伯郡佐伯町を経て現廿日市市)で、酒醤油醸造業・先代新七の長男として生まれる。漢学を修め、広島県下の多額納税者に列した。広島県農工銀行監査役、同頭取、八田貯蓄銀行頭取などを歴任した。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では広島県第2区から無所属で出馬し当選。つづく第2回選挙でも当選した。在任中は中央交渉会に属した。 林業家としては、1万余町に数万株の諸苗を増植、灌漑に努めるなど郷里の農林業に貢献し、その功を賞して1900年(明治33年)緑綬褒章を下賜された。
米田 武八郎(よねだ ぶはちろう、1852年10月13日(嘉… 米田 武八郎(よねだ ぶはちろう、1852年10月13日(嘉永5年9月1日)- 1919年(大正8年)5月15日)は、明治から大正前期の銀行家、政治家。衆議院議員、広島県会議長。 備後国三谿郡、のちの広島県三谿郡吉舎村(双三郡吉舎村、吉舎町を経て現三次市)で、米田為三郎の長男として生れた。国学、漢学を修めた。1875年(明治8年)11月、家督を相続した。 副戸長、郡書記、町村連合会議員、同議長、広島県会議員、同常置委員、同議長、双三郡会議員、同議長、同参事会員、徴兵参事員、地方衛生会委員、広島県農会議長、双三郡教育会長、所得調査会長などを務めた。 1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(広島県郡部、無所属)で当選し、衆議院議員に1期在任した。