竹中 優子(たけなか ゆうこ、1982年11月22日 - )… 竹中 優子(たけなか ゆうこ、1982年11月22日 - )は、日本の歌人、詩人、小説家。 山口県下関市出身、福岡市在住。早稲田大学第一文学部卒業。 2015年より「未来」黒瀬珂瀾選歌欄に所属。2016年、「輪をつくる」50首で、第62回角川短歌賞を受賞。第1歌集『輪をつくる』を上梓。2022年、『輪をつくる』が福岡市文学賞、第48回現代歌人集会賞、第23回現代短歌新人賞を受賞。 詩人としては、投稿詩により2022年の第60回現代詩手帖賞を受賞。第1詩集『冬が終わるとき』を上梓。同詩集が2023年2月に第28回中原中也賞最終候補となる(受賞は青柳菜摘『そだつのをやめる』)。 2024年、「ダンス」で第56回新潮新人賞を受賞し小説家デビュー。
尾中 俊介(おなか しゅんすけ、1975年 - )は、日本の… 尾中 俊介(おなか しゅんすけ、1975年 - )は、日本のグラフィックデザイナー、詩人。山口県宇部市出身。 工業高等学校の機械科を卒業後、絵本作家を志して福岡のデザイン専門学校に進む。1998年に福岡のデザイン事務所に入り、グラフィックデザインに関心を持つ。2004年、キュレーターの遠藤水城、美術家の安部貴住、映画研究者でミュージシャンのシェーン・ボーデンらとともにオルタナティブスペース art space tetra を福岡市博多区に設立、2012年まで展覧会や実験音楽イベントなどの企画・運営に携わる。2007年にデザイナーの田中慶二とデザイン事務所 Calamari Inc. を共同設立、主に芸術関連の印刷物や書籍のデザインを手がける。
角谷 美知夫(かどたに みちお、1959年5月14日 - 1… 角谷 美知夫(かどたに みちお、1959年5月14日 - 1990年8月5日)は、日本のギタリスト、ボーカリスト、シンガーソングライター、宅録音楽家(英語版)、詩人。サイケデリック・ロックバンド「腐っていくテレパシーズ」リーダー。角谷 美智夫、角谷 未知夫とも表記される。 精神分裂病(現・統合失調症)に起因する幻覚や幻聴を創作に反映させた唯一無二の作風で知られる。1979年前後の吉祥寺マイナー周辺で頭角を現し、1980年代初頭の日本アンダーグラウンド・シーンにおいて特異な存在感を示した。オーバードーズにより31歳で夭折した後も、没後に編まれたP.S.F.の追悼盤により伝説的なアーティストとして語り継がれている。
御庄 博実(みしょう ひろみ、1925年3月5日 - 201… 御庄 博実(みしょう ひろみ、1925年3月5日 - 2015年1月18日)は、日本の詩人、医師。広島共立病院名誉院長。医師としては本名の丸屋博名義での著書もある。 山口県岩国市出身。岩国中学校から広島高等学校に学び、1945年、岡山医科大学に入学。帰省中のその年8月、近隣の住人の消息を探りに被爆直後の広島に入り入市被爆する。1949年、峠三吉と知りあい、峠たちの詩誌『われらの詩』に1950年から寄稿をはじめる。1951年、肺結核で入院中の岩国病院の患者自治会報に掲載した詩「失われた腕に」が、政令325号(占領目的阻害行為処罰令)違反にあたるとして逮捕される(不起訴となった)。 1952年、詩集『岩国組曲』を上梓、詩誌『列島』のグループに加わる。
上山 政夫 (うえやま まさお、1910年 下関市 山口県 … 上山 政夫 (うえやま まさお、1910年 下関市 山口県 日本 - 1988年 下関市 山口県 日本 )は日本のエスペラント詩人・作家。 世界エスペラント協会の文芸コンクール1位を含め、国内外のエスペラント文芸コンクールで受賞歴をもつ、日本のエスペラント文学における先駆者のひとり。宮本正男との活動によってエスペラント語の俳人としても知られる。 死後、太宰治『斜陽』の翻訳である『La Suno Sinkanta』が雑誌『Riveroj』に掲載された。彼は1964年から1980年まで刊行された文学雑誌『L'omnibuso』で林健をはじめとする若い作家たちを育て、次の世代に大きな影響を与えた。 世界エスペラント協会文芸コンクールの原作詩部門で1位になった日本人は1963年、1965年の宮本正男に次いで2人目。
まど・みちお(1909年〈明治42年〉11月16日 - 20… まど・みちお(1909年〈明治42年〉11月16日 - 2014年〈平成26年〉2月28日)は、日本の詩人。作詞家。本名は石田 道雄(いしだ みちお)。25歳のときに北原白秋にその才能を認められた。詩作りは20代から始め、以来生涯にわたって詩を作り続けた。創作意欲の源は、政治・行政・教育・経済・戦争などに対する不満である。「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」などの、そのおおらかでユーモラスな作品は童謡としても親しまれている。表現の前に存在があるという意味で「存在の詩人」とも称された。 山口県都濃郡徳山町(のちの徳山市、現在の周南市)の生まれ。幼い頃に父が仕事の都合で台湾へ渡り、さらにまどが5歳の時に母がまどの兄と妹を連れて同地に移住したため4年ほどの間、祖父と2人での生活を送っている。
中原 中也(なかはら ちゅうや1907年〈明治40年〉4月2… 中原 中也(なかはら ちゅうや1907年〈明治40年〉4月29日 - 1937年〈昭和12年〉10月22日)は、日本の詩人・歌人・翻訳家。旧姓は柏村(かしむら)。 代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待されていた。小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟が脳膜炎により病死したことで文学に目覚めた。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。その一部は、結婚の翌年刊行した第1詩集『山羊の歌』および中也の死の翌年出版された第2詩集『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』や、数は少ないがアンドレ・ジイドの作品などフランス人小説家の翻訳もしている。
氏原 大作(うじはら だいさく、1905年〈明治38年〉3月… 氏原 大作(うじはら だいさく、1905年〈明治38年〉3月20日 - 1956年〈昭和31年〉12月31日)は、日本の小説家、詩人、教育者。山口県阿武郡篠生村(のちの阿東町、現在の山口市)篠目出身。氏原大作は筆名で、本名は原 阜()。 尋常小学校高等科を卒業後、故郷の小学校の代用教員などを務めながら、同人誌を発行するとともに、短歌などを発表。1936(昭和11)年に雑誌『少年倶楽部』に投稿した『見たか青空』が同誌に掲載されたのを契機に、同誌の常連作家となる。1938(昭和13)年に、主婦の友社の懸賞小説で『幼き者の旗』が一等に当選、のちに同作が映画化するなど、注目を集めた。 1905(明治38)年3月20日、山口県阿武郡篠生村篠目の農家に生まれる。
金子 みすゞ(かねこ みすず、本名:金子 テル〈かねこ テル… 金子 みすゞ(かねこ みすず、本名:金子 テル〈かねこ テル〉、1903年〈明治36年〉4月11日 - 1930年〈昭和5年〉3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。約500編の詩を遺した。没後半世紀はほぼ忘却されていたが、1980年代以降に脚光を浴び、再評価が進んだ。 西條八十に激賞された幻の童謡詩人とされている。遺稿集が発掘され、出版(1984年)、深く優しい世界観が広く知られた。代表作に「私と小鳥と鈴と」「大漁」など。 山口県大津郡仙崎村(現:長門市仙崎)で、父・金子庄之助、母・ミチとの間に生まれる。郡立深川高等女学校(現:山口県立大津緑洋高等学校)卒業。
上田 敏雄(うえだ としお、1900年7月21日 - 198… 上田 敏雄(うえだ としお、1900年7月21日 - 1982年3月30日)は、日本の詩人、文学者。Toshio Ueda としても作品を発表した。アバンギャルディストとして青年期から晩年期にいたるまでユニークな詩と詩論を展開した。とくに昭和前期の超現実主義運動の輝ける旗手として注目された。日本における最初のシュルレアリスム宣言を発表したことでも知られる。芸術の自律的なメカニズムを認める立場から、カトリシズム・仏教思想等の外部からの概念導入なしに芸術世界の成立はないという立場に変化し、独自のネオ・シュルレアリスム詩観を提唱した。 1900年(明治33年)、山口県吉敷郡大道村(現:山口県防府市大道)にて生まれる。