伊藤 宏樹(いとう ひろき、1978年7月27日 - )は、… 伊藤 宏樹(いとう ひろき、1978年7月27日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 2001年のプロ入り後、川崎フロンターレ一筋でプレーしたバンディエラ。 地元愛媛県立新居浜工業高等学校から立命館大学経済学部に進学。福西崇史は高校の2年先輩に当たる。 大学卒業後、2001年に川崎フロンターレに入団し、同シーズン開幕戦からレギュラーポジションを確保した。以来、チームの中心選手としてほとんどの試合に出場し、2002年にはJ2リーグ戦全44試合、2005年、2006年にはJ1リーグ戦全34試合でフルタイム出場を達成している。 2005年からは川崎のキャプテンに任命された。
松岡 祐弥(まつおか ゆうや、1978年6月15日 - )は… 松岡 祐弥(まつおか ゆうや、1978年6月15日 - )は、愛媛県出身の元サッカー選手(FW)。
津川 武久(つがわ たけひさ、1978年5月20日 - )は… 津川 武久(つがわ たけひさ、1978年5月20日 - )は、愛媛県松山市出身のサッカー指導者。 松山SS(松山サッカースクール)-道後中学校ー松山商業高校ー 松山商業高校時代キャプテンを務めた。 JFA公認C級コーチライセンスを保有。 2007年から地元愛媛FCの下部組織でフィジカルコーチを務め、ユース、ジュニアユース世代などを指導。2013年、トップチームのフィジカルコーチに就任した。2014年、契約満了に伴い退任が発表されたが、2015年1月に再契約を結んだ。 2021年12月17日、ツエーゲン金沢のフィジカルコーチ就任が発表された。 2023年、愛媛FCのフィジカルコーチに復帰した。
雨野 裕介(あまの ゆうすけ、1978年4月10日 - )は… 雨野 裕介(あまの ゆうすけ、1978年4月10日 - )は、愛媛県松山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 サンフレッチェ広島ユースのセレクションに合格、高田豊治育成部長や小林伸二ユース監督からの熱心な誘いを受けて、1994年広島ユースに入団する。同期に、荒木亮次、安武亨ら。当時は左アウトサイドで、高校1年から2種登録選手としてトップチームに登録されJサテライトリーグに出場するなど、将来を嘱望されていた。1995年4月高校2年の時、左足首三角靱帯断裂の大怪我を負う。医師から引退を勧められたが、現役復帰を目指し高校を一時休学するなどリハビリに励む。結果1年留年したが、1997年Jユースカップ決勝に途中出場を果たしている。
羽田 敬介(はだ けいすけ、1978年2月20日 - )は日… 羽田 敬介(はだ けいすけ、1978年2月20日 - )は日本の元プロサッカー選手。ポジションは主にゴールキーパーを務めていた。
福田 健二(ふくだ けんじ、1977年10月21日 - )は… 福田 健二(ふくだ けんじ、1977年10月21日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 小学2年生の時に兄の影響でサッカーを始めた。両親の離婚により母子家庭に育ち、5年生の時に母が生活苦から自殺するという少年時代を過ごした。 父に引き取られて千葉県袖ケ浦市へ転居した後も金銭的な問題からサッカーを諦めかけたが、同級生で同じサッカークラブに所属していた廣山望ら友人たちの助けもあって 中学でもサッカーを続け、1992年のU-15クラブ選手権で全国3位の成績を残した。Jリーグ開幕前だったこともあり、中学卒業時にはサッカーのためにブラジルへの移住を考えるなど当時から海外志向を持っていた。
岡澤 和彦(おかざわ かずひこ、1977年6月10日 - )… 岡澤 和彦(おかざわ かずひこ、1977年6月10日 - )は、愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)出身の元サッカー選手。
福西 崇史(ふくにし たかし、1976年9月1日 - )は、… 福西 崇史(ふくにし たかし、1976年9月1日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロサッカー選手、スポーツ科学者、サッカー指導者、NHKサッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。元日本代表。元サムデイ所属。学位は修士(スポーツ科学)(早稲田大学・2023年)。 日韓、ドイツワールドカップ日本代表メンバー。 新居浜市立神郷小学校、新居浜市立川東中学校、新居浜工業高校卒業。 小学校4年生の時、地元のサッカースクールでサッカーを始めた。また、中学生の頃までは並行して器械体操に取り組んでおり、ここで養われたバランス感覚 や跳躍力、柔軟性が後にサッカーに活かされることになっていると自身で分析している。
大木 勉(おおき すすむ[注 1]、1976年2月23日 -… 大木 勉(おおき すすむ[注 1]、1976年2月23日 - )は、愛媛県出身のサッカー選手。ポジションはFW/MF。愛称はベン[注 1]。
大森 健作(おおもり けんさく、1975年11月21日 - … 大森 健作(おおもり けんさく、1975年11月21日 - )は、愛媛県西予市(旧・東宇和郡野村町)出身のサッカー解説者、スポーツキャスター、元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。西予市立野村中学校、愛媛県立南宇和高等学校卒業。
越智 新次(おち しんじ、1975年10月15日 - )は、… 越智 新次(おち しんじ、1975年10月15日 - )は、愛媛県周桑郡丹原町(現・西条市)出身 の元サッカー審判員。 丹原東中学校でサッカーを始め、東予工業高校(現・東予高校)に進学。高校では全国選手権準優勝経験もあるサッカー部に入部するが、70人以上の部員の中でレギュラーの座が遠く、4級審判員の資格を取得して審判員の道を目指す。 高校卒業後は建設業(左官・外装工事・屋根工事)の越智建装で働きながら審判員の資格を取得。1999年に1級審判員の資格を取得し、翌年から日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の副審を担当する。2008年からはJ1の試合も担当するようになった。 2013年に日本サッカー協会 (JFA) からの推薦 により、国際サッカー連盟 (FIFA) 選出の国際審判員(副審)に登録された。
山本 大輔(やまもと だいすけ、1975年3月25日 - )… 山本 大輔(やまもと だいすけ、1975年3月25日 - )は、愛媛県大洲市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは、MF。
島津 一也(しまづ かずや、1974年9月17日 - )は、… 島津 一也(しまづ かずや、1974年9月17日 - )は、愛媛県出身で、愛媛県社会人リーグ・久枝フットボールクラブ所属のサッカー選手。
谷口 圭(たにぐち けい、1974年7月15日 - )は、愛… 谷口 圭(たにぐち けい、1974年7月15日 - )は、愛媛県西宇和郡三瓶町(現、西予市)出身の元サッカー選手。
森岡 茂(もりおか しげる、1973年8月12日 - )は愛… 森岡 茂(もりおか しげる、1973年8月12日 - )は愛媛県大洲市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 愛媛県立八幡浜工業高等学校時代の1991年、全国高校サッカー選手権愛媛県大会の決勝で、南宇和を破り、全国大会に出場。決勝では自らゴールを挙げるなど、勝利に貢献。南宇和の大会6連覇を阻止した。全国選手権の初戦・山形中央戦でハットトリック達成。試合は3-3からPK戦で敗れた。高校卒業後、1992年にガンバ大阪に入団し、1996年アトランタオリンピック日本代表に選出される。1999年は京都パープルサンガ、2000年からはヴィッセル神戸でプレーした。
實好 礼忠(さねよし のりただ、1972年10月19日 - … 實好 礼忠(さねよし のりただ、1972年10月19日 - )は、愛媛県南宇和郡の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。
武田 治郎(たけだ じろう、1972年9月18日 - )は、… 武田 治郎(たけだ じろう、1972年9月18日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはゴールキーパー。 1991年にヤンマーディーゼルサッカー部に入団。正GKの伊藤裕二がいたため、3年間公式戦での出場機会がなかった。 1995年、開幕当初は正GKだったものの、その後ジルマールにポジションを奪われ、再び控えGKとなる。 1997年、1stステージでジルマールが退団後も、下川誠吾が正GKとなり、1998年の退団まで控えGKであった。 1999年にヴィッセル神戸に移籍し、チームの年間MVPに選ばれた。2000年に三浦知良、中山雅史の二人に100ゴール目を決められたGK。
吉本 祐一(よしもと ゆういち、1972年3月25日 - )… 吉本 祐一(よしもと ゆういち、1972年3月25日 - )は愛媛県出身の元サッカー選手(DF)。
大西 貴(おおにし たかし、1971年10月16日 - )は… 大西 貴(おおにし たかし、1971年10月16日 - )は愛媛県出身の元サッカー選手(DF)、サッカー指導者。
埜下 荘司(ののした しょうじ、1970年5月24日 - )… 埜下 荘司(ののした しょうじ、1970年5月24日 - )は愛媛県出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF。
幸田 将和(こうだ まさかず、1969年9月12日 - )は… 幸田 将和(こうだ まさかず、1969年9月12日 - )は愛媛県出身の元プロサッカー選手(DF、MF)・指導者。現ヴィッセル神戸スカウト部長。
和泉 茂徳(いずみ しげなり、1969年6月30日- )は愛… 和泉 茂徳(いずみ しげなり、1969年6月30日- )は愛媛県愛南町(旧南宇和郡一本松町)出身の元サッカー選手(DF)・指導者(JFA公認S級コーチ)。現JFAナショナルトレセンコーチ中国・四国担当。
長澤 徹(ながさわ てつ、1968年5月28日 - )は、愛… 長澤 徹(ながさわ てつ、1968年5月28日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 清水東高校(武田修宏の1年後輩)から筑波大学へ進み、筑波大では中山雅史、井原正巳の1年後輩。1991年に大学を卒業し、山本昌邦にスカウトされて日本サッカーリーグ1部所属のヤマハ発動機サッカー部に入団、ヤマハからジュビロ磐田への変革期に主に右サイドバックとしてチームを支え、磐田のJリーグ昇格に貢献した。 その後、ジャパンフットボールリーグの本田技研へ移籍。1996年のジャパンフットボールリーグ優勝にも貢献した。1998年より現役を引退して同チームのコーチとなり、指導者としてのキャリアをスタート。
木村 浩嗣(きむら ひろつぐ、1962年2月22日- )は、… 木村 浩嗣(きむら ひろつぐ、1962年2月22日- )は、愛媛県松山市出身のサッカー指導者、スポーツライター、雑誌編集者。 愛媛県立松山東高等学校、中央大学法学部卒業後、編集プロダクションを経て、日経ホーム出版社(2008年、日経BPに合併)に編集者として勤務。1994年に退職し、スペインのサラマンカに渡る。語学学校に通い、スペイン語での指導資格を得る。1996年に教育省公認スペイン語検定上級合格。サッカー選手の経験は全くなかったが、1998年にスペインサッカー連盟公認のコーチライセンスNIVEL I、1999年には同NIVEL IIを取得し、8シーズンにわたり少年チームを指導。スペインサッカー連盟カスティーリャ・イ・レオン州監督委員会員も務めた。
佐藤 辰男(さとう たつお、1958年10月17日 - )は… 佐藤 辰男(さとう たつお、1958年10月17日 - )は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはDF。愛媛県松山市出身。 第55回全国高等学校サッカー選手権大会に出場、準決勝に進出し大会優秀選手に選ばれた。その後、木村和司、山本昌邦、長澤和明らとともにユース日本代表に招集された。高校卒業後、トヨタ自動車サッカー部へ加入。在籍中、日本代表に選ばれた。 Jリーグ発足の際には名古屋グランパスエイトへは移らず、トヨタ自動車東富士FCでプレーを続けたのち、引退。現在はトヨタ自動車に勤務している。
西本 直(にしもと すなお、1958年8月17日 - )は、… 西本 直(にしもと すなお、1958年8月17日 - )は、愛媛県宇和島市出身のアスレティックトレーナー、サッカー指導者。 サラリーマン時代、西洋医学と東洋医学の両方の視点から発展させた治療体系「操体法」に出会い、30代の時に仕事を辞めて整体の道に進んだ。1991年に西本治療院を開業。1993年よりサンフレッチェ広島のストレングス&コンディショニングトレーナーを務め、風間八宏、高木琢也、森保一らの治療と強化を担当して、1994年の第1ステージ優勝に貢献した。1996年にヴィッセル神戸のフィジカルコーチを退任後、1999年からはトレーナーズルーム「からだ工房」開設し、パーソナルトレーナーとして広島東洋カープ投手佐々岡真司の復活を支えた。
石橋 智之(いしばし さとゆき、1955年11月16日 - … 石橋 智之(いしばし さとゆき、1955年11月16日 - )は、愛媛県宇和島市出身のサッカー指導者。元愛媛FC総監督、元愛光学園体育科教諭。元宇和島市長の石橋寛久は兄。 宇和島東高、筑波大学卒。 1978年に、南宇和高に赴任して以来、13年間で選手権出場9回、四国代表33回。1990年には高校選手権で全国制覇を成し遂げ四国勢として初優勝に導く等、1980年代後半から1990年代中盤にかけて全国屈指の強豪校に育て上げた。 同校では實好礼忠、大森健作、西田吉洋、友近聡朗、大木勉など多数の教え子をJリーグに送り出している他、愛媛県国体選抜監督時代には福西崇史を指導した。1996年にはU-17サッカー日本代表監督も務めている。
上田 亮三郎(うえだ りょうざぶろう、1936年7月26日 … 上田 亮三郎(うえだ りょうざぶろう、1936年7月26日 - )は、愛媛県出身のサッカー指導者。現大阪商業大学サッカー部総監督。 1936年、愛媛県に生まれる。父の影響で松山南高でサッカーを始め、愛媛大学から東京教育大学に編入した。2学年後輩に勝澤要、3学年後輩に今西和男・坂田信久がいる。 1961年に、当時3部だった大阪商業大学サッカー部の監督となり、1965年には1部へ昇格させた。以降、同部を関西学生選手権優勝11回、同リーグ戦優勝18回、全日本大学選手権優勝4回、総理大臣杯優勝2回の強豪に育て上げた。 1969年、加茂周・大橋謙三・清水泰男・中村義喜らとともに、千葉県で行われた第1回FIFAコーチング・スクールに参加(サッカーに関するすべての理論と実技の教官はデットマール・クラマー)。