西山 将貴(にしやま まさき、1999年 - )は、日本の映… 西山 将貴(にしやま まさき、1999年 - )は、日本の映画監督。 愛媛県松山市北条出身。松山市立北条小学校、新田青雲中等教育学校卒。 14歳の頃から自主的に映像制作を始める。高校進学後はSF映画「The Flap of the Butterfly's Wings」を制作し、Mindfilmフィルムフェスティバル 2018 プラチナ賞を受賞。同年、全編ロンドンロケの”The Eternal Moment"を制作した。 2021年には監督作「スマホラー!」が国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア2021」で新設されたバーティカルシアター部門の最優秀賞を受賞した。同作はスマートフォンで視聴することを前提にしたバーティカル(縦型)画面で撮影されており、西山によると撮影には約2年を要したという。
渡部 亮平(わたなべ りょうへい、1987年8月10日 - … 渡部 亮平(わたなべ りょうへい、1987年8月10日 - )は、日本の脚本家、映画監督、演出家。
平野 陽三(ひらの ようぞう、1985年10月9日 - )は… 平野 陽三(ひらの ようぞう、1985年10月9日 - )は、日本の実業家、映画監督。実業家の前澤友作のマネージャー兼プロデューサーを務める。ロシアの宇宙船ソユーズMS-20により、2021年12月に前澤友作とともに宇宙飛行を実施。国際宇宙ステーション(ISS)に滞在した12日間や宇宙飛行にいたるまでに密着した映画『僕が宇宙に行った理由』の監督を務めた。 2007年にZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイに入社。退社後にCMプロダクションでの勤務や独立を経て、2018年に前澤友作と再合流した。2021年現在は前澤のマネージャー兼dearMoonプロジェクトなどでプロデューサーを務める。 アメリカ合衆国のスペース・アドベンチャーズによる宇宙旅行プランに参加。
冨永 昌敬(とみなが まさのり、1975年10月31日 - … 冨永 昌敬(とみなが まさのり、1975年10月31日 - )は、日本の映画監督である。 1975年、愛媛県喜多郡内子町に生まれる。1999年、日本大学藝術学部映画学科を卒業。卒業制作『ドルメン』が2000年のオーバーハウゼン国際短編映画祭にて審査員奨励賞を受賞。2002年の水戸短編映像祭にて『VICUNAS』がグランプリを獲得する。 2006年、オダギリジョーと香椎由宇を主演に迎えた『パビリオン山椒魚』にて長編商業映画デビューを飾る。2007年、安彦麻理絵の漫画『コンナオトナノオンナノコ』を映画化する。2009年、太宰治の小説『パンドラの匣』を映画化する。2010年、本谷有希子の戯曲『乱暴と待機』を映画化した。
大森 研一(おおもり けんいち、1975年 - )は、日本の… 大森 研一(おおもり けんいち、1975年 - )は、日本の映画監督・映像作家・脚本家。香川大学大学院非常勤講師、砥部焼観光大使(愛媛県砥部町)、伊達なうわじま観光大使(愛媛県宇和島市)、新居浜ふるさと観光大使(愛媛県新居浜市)、三原アンバサダー(広島県三原市)、合同会社ウサギマル代表。 愛媛県伊予郡砥部町出身。砥部町立砥部中学校、愛媛県立松山工業高等学校、大阪芸術大学卒業。 映画祭で多数の受賞歴を持つ。テレビ朝日ブロスタTVアワードでの準グランプリ受賞(実写グランプリ)を機に製作した初の商業用長編映画『ライトノベルの楽しい書き方』(監督・脚本)は、東京・池袋テアトルダイヤほか全国で公開。小規模封切りにもかかわらず王様のブランチミニシアターランキング全国3位、ぴあ初日満足度ランキングでは全国6位を記録し7週間ロングラン上映となり、DVDオリコンチャートにおいては販売デイリーランキング映画総合において全国1位を記録した。
杉作 J太郎(すぎさく じぇいたろう、本名:杉恭介、1961… 杉作 J太郎(すぎさく じぇいたろう、本名:杉恭介、1961年〈昭和36年〉9月26日 - )は、日本の漫画家・俳優・タレント・ミュージシャン・ライター・映画監督。狼の墓場プロダクション代表。 愛媛県伊予市生まれ、松山市出身。愛光中学校中退、駒澤大学卒業。駒澤大学在学中、芸人を目指して友人の正狩炎(まさかり ほのお)とお笑いコンビ「コントB級ステークス」を組み『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」に出場したが、2日目の本番前、ビートたけしに楽屋で「がんばれよ」と声をかけられたことで、舞い上がった相方がセリフを全部忘れてしまい、0点で落選。芸人への道を諦める。 1982年、自販機本『ガール・ハンター』で漫画家デビューし、「ガロ」などで活動。
国本 雅広(くにもと まさひろ、1959年 - )は、日本の… 国本 雅広(くにもと まさひろ、1959年 - )は、日本の映画監督、TVドラマのディレクター、テレビプロデューサー。 愛媛県松山市出身。1979年東放学園卒業。在学中からドラマの世界にアルバイトのADとして参加し、テレメイト、テレキャスト、カノックスを経て1993年メディアミックス・ジャパン入社、現在はケイファクトリーの取締役も務める。1989年『小春の春』で監督デビュー。
奥山 和由(おくやま かずよし、1954年12月4日 - )… 奥山 和由(おくやま かずよし、1954年12月4日 - )は、日本の映画プロデューサー・映画監督。 松竹株式会社専務取締役を経て、現在は株式会社チームオクヤマ代表取締役社長。株式会社KATSU-do代表取締役会長。株式会社祇園会館代表取締役社長。吉本興業株式会社エグゼクティブプロデューサー。沖縄国際映画祭エグゼクティブディレクター。実父は松竹元社長である奥山融。母方の曽祖父は教育者の横地石太郎。 愛媛県で生まれ、東京都で育つ。東京学芸大学の附属小学校〜付属中学校に通い、東京学芸大学附属高等学校に上がる予定だったが、映画好きが高じ、渋谷全線座に学校終わりにバス一本で通える東京都立戸山高等学校に進学し、同校卒業。
明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は… 明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は、日本のアニメーション演出家、映画監督。 愛媛県松山市出身。9人兄弟の三男として生まれるが、兄弟は若くして全員亡くなったという。 日本大学芸術学部文芸学科卒業。同郷の佐伯清の伝手を頼り、1959年に東映に入社。東京撮影所にて佐伯清、渡辺祐介、石井輝男、今井正らの下で助監督(サード、フォース)を務める。 映画産業の斜陽化に伴い、1964年に東映動画(現:東映アニメーション)に転籍する。転籍組の同期に日大の先輩であった久岡敬史や京都撮影所から移ってきた田宮武、勝間田具治らがいる。 アニメ初仕事となった『狼少年ケン』では山本寛巳の助手に就くが、山本が組合運動のためにしばしば会社を抜け出していたため、明比が仕事を肩代わりするようになり、第46話「ジャングルの友情」で早くも演出として一本立ちする。
坂野 義光(ばんの よしみつ、1931年3月30日 - )は… 坂野 義光(ばんの よしみつ、1931年3月30日 - )は、日本の映画監督、先端映像研究所代表取締役社長。愛媛県越智郡桜井町(現・今治市)出身。
青野 暉(あおの・あきら、1931年2月21日 - 2020… 青野 暉(あおの・あきら、1931年2月21日 - 2020年7月2日)は、日本の映画監督、演出家、脚本家。 愛媛県宇和島市出身。早稲田大学文学部仏文科卒業。就職に際しては大学の同級生だった今崎暁巳(ドキュメンタリー作家)と共にラジオ東京(後の東京放送)を受験するも、青野と今崎のふたりとも不合格であったという逸話が残る。 1954年に新東宝に入社。当初は企画部配属だったが、演出部へ異動となり石井輝男の下で宇津井健主演の『スーパージャイアンツ』シリーズの助監督を務める。 1961年に新東宝が倒産した後、国際放映へ移籍し、1964年放映のテレビドラマ『いまに見ておれ』(東京放送)で監督デビュー。 これ以後、青島幸男主演版の『意地悪ばあさん』第1作(1968年、よみうりテレビ)と第3作(1981年、フジテレビジョン)で演出と脚本を担当する。
西原 儀一(にしはら ぎいち、1929年2月28日 - 20… 西原 儀一(にしはら ぎいち、1929年2月28日 - 2009年8月16日)は、日本の映画監督、脚本家、プロデューサー、俳優。別名義に関谷四郎、千葉隆志などがある。 1960年代から1970年代にかけて制作された、葵映画での低予算、扇情主義のピンク映画で知られる。「日本で最も低俗な映画作家」、「ヤクザ映画ファンの間でカルト的人気者」と呼ばれた。 1929年2月28日大阪府大阪市に生まれ、愛媛県新居浜市で育つ。1945年に野口拳闘クラブに入門。プロボクサーとして活躍し、1946年には日本フェザー級西日本チャンピオンになる。1947年の佐伯幸三監督の大映映画『鉄拳の街』でボクサー役を演じたこのことがきっかけで1949年大映東京撮影所の助監督試験を受けて合格。
黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年〈昭和3年〉3月4日… 黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年〈昭和3年〉3月4日 - 2015年〈平成27年〉1月22日)は、日本の映画監督、特撮監督。 1928年(昭和3年)、愛媛県松山市生まれ。京都市立太秦小学校の同級生には、森田富士郎がいた。子供の頃、映画の子役を務めていた関係で、京都太秦にあった新興キネマ撮影所や、片岡千恵蔵が主宰した千恵プロの映画作品に多数出演した。 立命館大学理工学部数学科卒業。この時は子役時代の経験もあって「撮影所には入らないで、教員になろう」と思っていたことから、しばらく京都府立嵯峨野高等学校(当時は女学校だった)で数学教師を務めた。 1950年(昭和25年)、レッドパージの影響で大映京都撮影所の助監督が7人も退社して急遽助監督を募集していたこともあり、また叔父が伊藤大輔と稲垣浩で、また父親が映画会社大映で製作主任を務め、母親の弟がカメラマンの牧浦地志であるということもあって、大映の入社試験を受け合格。
佐伯 清(さえき きよし、1914年9月19日 - 2002… 佐伯 清(さえき きよし、1914年9月19日 - 2002年7月16日)は、愛媛県松山市生まれの映画監督である。代表作は昭和残侠伝シリーズ。 愛媛県立松山中学校卒業後に、同郷の伊丹万作を頼り、片岡千恵蔵の片岡千恵蔵プロダクションに入る。1935年(昭和10年)、『戦国奇譚 気まぐれ冠者』で初めて助監督のクレジットが入る。同期に助監督として活躍した市川崑とは兄弟分の関係で弟のように可愛がっていたという。日活太秦撮影所、新興キネマを経て東宝映画へ移籍した。 1945年(昭和20年)1月、榎本健一 の『天晴れ一心太助』で監督デビュー。東宝争議をきっかけに新東宝へ、1952年(昭和27年)に東映へ。主に東映京都撮影所で時代劇を撮るが、1958年(昭和33年)以降は東映東京撮影所での現代劇が中心となる。
森 一生(もり かずお、1911年1月15日 - 1989年… 森 一生(もり かずお、1911年1月15日 - 1989年6月29日)は、日本の映画監督、演出家である。通り名で「もり いっせい」とも呼ばれる。
弘津 三男(ひろつ かずお、1910年7月8日 - )は日本… 弘津 三男(ひろつ かずお、1910年7月8日 - )は日本の映画監督。愛媛県松山市生まれ。県立松山中学を卒業後、1937年新興キネマ京都撮影所に助監督として入社。溝口健二監督の下でチーフ助監督を務める。 以下に日本映画データベースに従い公開日、作品名、監督名を記載。製作会社はすべて大映京都撮影所。
伊丹 万作(いたみ まんさく、1900年(明治33年)1月2… 伊丹 万作(いたみ まんさく、1900年(明治33年)1月2日 - 1946年(昭和21年)9月21日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家。本名:池内 義豊(いけうち よしとよ)。 「日本のルネ・クレール」と呼ばれた知性派の監督で、挿絵画家として活躍後、同窓の伊藤大輔の勧めで映画界に入り、片岡千恵蔵プロダクションへ入社。作風は風刺と諧謔、人間味に富み、これまでの立ち回り主体の時代劇とは一線を画す現代的な時代劇 で稲垣浩とともに新生面を開いた。その後は闘病生活を余儀なくされるが、シナリオ執筆や映画論、社会批評など著述に専心した。主な監督作に『國士無双』『赤西蠣太』、シナリオに『無法松の一生』『手をつなぐ子等』など。
伊藤 大輔(いとう だいすけ、1898年〈明治31年〉10月… 伊藤 大輔(いとう だいすけ、1898年〈明治31年〉10月13日 - 1981年〈昭和56年〉7月19日)は、日本の映画監督、脚本家である。時代劇映画の基礎を作った名監督の一人であり、「時代劇の父」とも呼ばれる。 1898年(明治31年)10月13日、愛媛県宇和島市に中学校教師の父・朔七郎と母・寿栄の息子として生まれる。 1911年(明治44年)、旧制松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)に入学。この時に雑誌『白樺』の影響を受けて、同窓の伊丹万作、中村草田男、重松鶴之助らと回覧雑誌『楽天』を発行。文才のある伊藤が文章を書き、画才のあった伊丹が挿絵を描き、中村、重松らと文筆を競った。中学卒業後、父逝去のため進学を諦め、呉海軍工廠に製図工として勤務する。