外山 恒一(とやま こういち、1970年〈昭和45年〉7月2… 外山 恒一(とやま こういち、1970年〈昭和45年〉7月26日 - )は、日本の政治活動家、文筆家、ストリートミュージシャン、ファシスト。政治結社・ファシスト党・我々団臨時総統。 1970年(昭和45年)7月26日、鹿児島県姶良郡隼人町生まれ。福岡県大野城市育ち。父は元自衛官。生まれた時すでに学生運動は衰退に向かっていた。1983年、大野城市立大城小学校卒業(大野城市立大野東小学校から転校)。1986年、西南学院中学校卒業。西南学院中の同級生に政治学者の施光恒がいる。 福岡県立福岡中央高等学校に落第し、二次募集で新設校の中村学園三陽高等学校に入学するが、校風に反感を覚える。高校入学直後より「反管理教育」の活動家というスタンスで管理教育への抵抗運動を始め、左翼運動を左翼の立場から激烈に批判するようになる。
柴尾 英令(しばお ひでのり、1962年12月12日 - 2… 柴尾 英令(しばお ひでのり、1962年12月12日 - 2018年4月2日)は、日本の文筆家、ゲームクリエイター。本名・旧筆名は柴尾 豊太郎(しばお とよたろう)。 福岡県北九州市出身のゲームクリエイターである。レナスシリーズが代表作として知られている。また、攻略本の執筆や映画の評論などでも知られていた。 福岡県立東筑高校から一年浪人。早稲田大学法学部を中途退学した。なお、ワセダミステリクラブに所属していた。大学在学中から雑誌のライターとして活動。その後、雑誌やゲーム攻略本の編集執筆につとめ、多数の攻略本に携わる。代表的なものとしては、『小学二年生』や『小学三年生』など小学館の学年別学習雑誌にて記事を執筆していた。
高杢 禎彦(たかもく よしひこ、1962年〈昭和37年〉9月… 高杢 禎彦(たかもく よしひこ、1962年〈昭和37年〉9月9日 - )は、日本の歌手、タレント、俳優、著述家。元チェッカーズのサイドボーカル。通称はモク。福岡県久留米市出身。私立柳川高等学校卒業。血液型はA型。現在の所属事務所は地元福岡県にあるフリーダム。 理容室を自営していた夫婦の下に出生。兄弟は他に姉が1人いた。藤井郁弥(現・藤井フミヤ)・尚之兄弟の幼馴染み。この事については両人「物心ついた頃から隣にいた」と語っている。当時未成年だったが酒に酔っていた郁弥にチェッカーズ加入を頼み、2度のテストを経て加入。この間、高杢は2回審査に落とされている。又、アマチュア時代のチェッカーズにデビューの話が持ち込まれた際に高杢が無理矢理加入してきたと噂されたが実際は大土井裕二を勧誘しに大土井の自宅までフミヤ、武内と共に出向いてること、徳永善也を車に連れ込み加入を強要した際に車を運転していたのが高杢であることからこの噂はデマと考えられる。
北嶋 廣敏(きたじま ひろとし、1948年(昭和23年)2月… 北嶋 廣敏(きたじま ひろとし、1948年(昭和23年)2月20日 - )は、文学・美術評論家、翻訳家、文筆家。 福岡県三潴郡大木町生まれ。1971年に早稲田大学第一文学部仏文科を卒業。コピーライターをへて、文筆家。はじめ塚本邦雄論やフランス文学の翻訳をしていたが、のち雑学書などを多く執筆するようになる。
川崎 浹(かわさき とおる、1930年5月5日 - )は、日… 川崎 浹(かわさき とおる、1930年5月5日 - )は、日本のロシア文学者、著述家。早稲田大学名誉教授。 福岡県に生まれる。1948年福岡県中学修猷館、1954年早稲田大学第一文学部露文学科卒業、1964年同大学大学院文学研究科露文学専攻博士課程単位取得満期退学。同年同大学教育学部非常勤講師となり、1965年同大学第一、第二文学部、法学部非常勤講師、1967年同大学教育学部専任講師、1970年同大学教育学部助教授。1971年9月から1973年3月にかけてパリ大学・早稲田大学交換制度による在外研究の後、1974年早稲田大学大学院文学部露文学専攻を兼担。1975年同大学教育学部教授に就任。1984年9月から1985年7月にかけてモスクワ大学・早稲田大学交換制度による在外研究を行う。
真鍋 呉夫(まなべ くれお、1920年1月25日 - 201… 真鍋 呉夫(まなべ くれお、1920年1月25日 - 2012年6月5日)は日本の作家・文筆家・俳人。 福岡県遠賀郡岡垣村(現・岡垣町)生まれの父甚兵衛、母オリとも俳人で父は天門(てんもん)、母は織女(おりじょ)と号していた。 福岡商業学校卒業後、1939年阿川弘之、島尾敏雄、那珂太郎らと同人誌「こをろ」を創刊。1941年、文化学院文学部に入学。句集『花火』(こをろ発行所)を自費出版。1946年復員後、北川晃二と一緒に文芸誌「午前」の編集に携わり、同郷の檀一雄を頼って1949年上京。檀一雄との交流は長く、その後30年にわたり兄事した。1949年、第一創作集『サフォ追慕』にて第21回芥川賞候補となり、新進作家として注目された。
大崎 正二(おおさき しょうじ、1913年1月18日 - 2… 大崎 正二(おおさき しょうじ、1913年1月18日 - 2003年)は、日本の著述家、翻訳家。 旧制福岡県嘉穂中学校卒。1935年に東京外国語学校仏語科卒業、大倉商事に入社。1937年から1944年までパリ支店勤務、次いでベルリン支店に移り、敗戦直前にシベリア経由で帰国。戦後、ロンドン支店長、パリ支店長を経て退職。その間、東京外国語大学講師。フランス文学の翻訳を行った。
常岡 一郎(つねおか いちろう、1899年〈明治32年〉1月… 常岡 一郎(つねおか いちろう、1899年〈明治32年〉1月12日 - 1989年〈昭和64年〉1月2日)は、日本の政治家、参議院議員(2期)、宗教家、文筆家。 1899年(明治32年)福岡県糟屋郡古賀町(現古賀市)に生まれる。慶應義塾大学部理財科に在学していたが、卒業前に結核に倒れ、同大学を中退。闘病と共に天理教の修養を始める。 1935年(昭和10年)修養団体『中心社』を創設。その後、月刊誌「中心」を主宰し中心社主幹。この他、養護施設中心学園、養護老人ホーム中心荘を経営して社会福祉に貢献、健康学園を創建。兼ねてよりの持論である5健運動を推進する。 1950年(昭和25年)第2回参議院議員通常選挙全国区に緑風会から出馬し参議院議員に当選。
堺 利彦(さかい としひこ、1871年1月15日(旧暦明治3… 堺 利彦(さかい としひこ、1871年1月15日(旧暦明治3年11月25日) - 1933年〈昭和8年〉1月23日)は、日本の社会主義者・思想家・歴史家・共産主義者・著述家・小説家。号は枯川、別名は、貝塚 渋六。 堺は没落士族の三男として、豊前国仲津郡長井手永大坂村松坂(現:福岡県京都郡みやこ町犀川大坂字松坂)に生まれる。旧制豊津中学校を首席で卒業して上京後、進学予備校であった共立学校にて受験英語を学んだのちに第一高等中学校に入学するが、学費を滞納して除籍処分される。除籍後は大阪や福岡で新聞記者や教員として勤めながら文学の世界で身を立てるべく、小説の執筆を始める。その後、同郷の末松謙澄の招待で東京に設けられた毛利家編輯所で「防長回天史」の編纂に従事し、同僚の山路愛山らと親交を深める。