姜 尚中(カン サンジュン、朝鮮語:강 상중、英語:Kang… 姜 尚中(カン サンジュン、朝鮮語:강 상중、英語:Kang Sang-jung, 1950年〈昭和25年〉8月12日 - )は、在日韓国人の政治学者、思想家、エッセイスト。東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。長崎県の学校法人鎮西学院学院長・理事。鎮西学院大学の初代学長。専門は政治学・政治思想史。特にアジア地域主義論・日本の帝国主義を対象としたポストコロニアル理論研究。所属事務所は三桂。 熊本県熊本市出身。在日韓国人二世。通名は永野 鉄男(ながの てつお)。姜尚中の日本式の音読みは「キョウ ショウチュウ」。メディアで論客として活躍。日本の偏狭なナショナリズムを否定し、韓国・朝鮮に対する歴史的な偏見を指摘する。
国崎 定洞(くにざき ていどう、1894年(明治27年)10… 国崎 定洞(くにざき ていどう、1894年(明治27年)10月5日 - 1937年(昭和12年)12月10日)は、日本の衛生学者・共産主義者・社会主義者。社会衛生学の創始者。ドイツで日本人の社会主義者グループを組織して、ドイツ共産党日本語部を結成した。しかしソビエト連邦移住後に大粛清により処刑された。 1894年に熊本県熊本市に生まれる。父の宗英は医師で、村医をしていた対馬で育った。13歳で単身、姉の嫁ぎ先である埼玉県川越町(現・川越市)の田中家に移り寄宿して川越高等小学校、川越中学校(現・埼玉県立川越高等学校)を卒業。さらに第一高等学校第3部(英語組)を卒業。一高では常に3番以内の成績だったという。
蓑田 胸喜(みのだ むねき、明治27年〈1894年〉1月26… 蓑田 胸喜(みのだ むねき、明治27年〈1894年〉1月26日 - 昭和21年〈1946年〉1月30日)は、日本の右翼思想家、反共主義者。慶應義塾大学予科、国士舘専門学校教授、原理日本社主宰、国際反共連盟評議員。 熊本県八代郡吉野村(現・氷川町)生。八代中学校を経て、第五高等学校(五高)に学ぶ。五高での同期には佐々弘雄、細川隆元がいる。 1917年(大正6年)、五高卒業後、東京帝国大学入学。最初は法科大学(法学部)に入学するが、文科大学(文学部)宗教学科に転学し、宗教学者の姉崎正治に師事する。1920年(大正9年)文学部卒業、さらに法学部政治学科に学士入学する。帝大在学中は、天皇機関説と激しい論争を展開したことでも知られる君権学派憲法学者の上杉慎吉が指導していた国粋主義的な学生団体である興国同志会に入会するとともに、三井甲之に私淑するようになる。
新美 卯一郎(にいみ ういちろう、1879年1月12日 - … 新美 卯一郎(にいみ ういちろう、1879年1月12日 - 1911年1月24日)は、明治期の社会主義者である。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人。 熊本県出身。熊本県尋常中学校卒業。東京専門学校中退。 1907年松尾卯一太と『熊本評論』創刊。宮崎民蔵(宮崎滔天の次兄)によって組織されていた土地復権同志会に紙面を提供する。1910年の幸徳事件(大逆事件)で検挙され、1911年1月24日8時55分、市ヶ谷刑務所で絞首刑が執行された。32歳没。
徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年… 徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。