中村 鈴花(なかむら りんか、2001年10月12日 - )… 中村 鈴花(なかむら りんか、2001年10月12日 - )は、熊本県出身の女子競輪選手。日本競輪選手会熊本支部所属、ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪選手養成所第120期生。師匠は松尾正人(66期)。 千原台高校入学後に自転車競技をはじめ、2018年全国高等学校選抜大会6kmスクラッチ3位、2019年全国高等学校選抜大会個人ロードレース2位などの実績を残した。 2020年1月16日、日本競輪選手養成所第120回技能試験に合格。養成所競走成績は6位(2勝)。 2021年5月1日、静岡競輪場でデビューし、1着初勝利を挙げた。
尾方 真生(おがた まお、1999年5月7日 - )は、熊本… 尾方 真生(おがた まお、1999年5月7日 - )は、熊本県出身の女子競輪選手。日本競輪選手会福岡支部所属、ホームバンクは久留米競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第118期生。師匠は藤田剣次(85期)。 熊本県球磨郡で生まれ育った。実家は牛を飼育している畜産農家である。3人姉弟の長女で弟が2人いる。九州学院高等学校出身で、同級生に村上宗隆がいる。高校時代は陸上部に所属し、短距離を専門種目としていた。熊本県高等学校総合体育大会100mで2位となり、インターハイ出場経験を持つ。 小林優香、児玉碧衣ら強豪ガールズケイリン選手が集う藤田剣次に弟子入りし、2019年1月18日、日本競輪学校(当時)第118回技能試験に合格。
嘉永 泰斗(かなが たいと、1998年3月23日 - )は、… 嘉永 泰斗(かなが たいと、1998年3月23日 - )は、熊本県玉名市出身の競輪選手。日本競輪選手会熊本支部所属。ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)第113期生。 熊本市にある中高一貫の九州学院中学校・高等学校出身。野球部に所属していた中学3年生の時、同校の3学年先輩である瓜生崇智(熊本=109期)による高校総体1kmタイムトライアル優勝を新聞記事で知ったことがきっかけで自転車競技に興味を持ち、高校1年生の時に自転車部に入部する。2015年の全国高校総体スクラッチでは6位となる。 高校卒業後の2017年1月、通算2回目の受験で日本競輪学校に第113期生として合格した。
野口 大誠(のぐち たいせい、1989年8月7日 - )は、… 野口 大誠(のぐち たいせい、1989年8月7日 - )は、熊本市出身の競輪選手。日本競輪学校(以下、競輪学校)第105期生。師匠は松川高大(競輪学校第94期生)。父は元競輪選手の野口悦宏(競輪学校第52期生)。 九州学院高等学校を経て、中央大学(以下、中大)へと進む。 その後、中大を中退し、競輪学校へ入校。在校競走成績第1位(29勝)。 2014年7月11日、熊本競輪場でデビューし初勝利を挙げた。 2015年、ヤンググランプリ優勝。
中本 匠栄(なかもと しょうえい、1987年4月10日 - … 中本 匠栄(なかもと しょうえい、1987年4月10日 - )は、熊本県宇土市出身の競輪選手。日本競輪選手会熊本支部所属、ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第97期生。師匠は、小西浩一郎(55期)。 秀岳館高等学校では自転車競技部で活動するも、競輪学校は6度目の受験の末合格。在校競走成績は44位(4勝)だった。 2010年1月2日、高松競輪場でデビューし8着。初勝利は同年1月3日の同場。 2020年9月21日、伊東温泉競輪場で行われた第36回共同通信社杯競輪決勝戦で、逃げる山崎賢人 - 山田英明の九州3番手でレースを進め、1着で入線した山田に続き当初は2着で入線した。
伊木 雪乃(いき ゆきの、1985年2月21日 - )は、熊… 伊木 雪乃(いき ゆきの、1985年2月21日 - )は、熊本県熊本市出身の元女子競輪選手。現役時代は日本競輪選手会熊本支部所属、ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。師匠は実父・伊木博一(40期)。 熊本信愛女学院高校出身。祖父・父・叔父2人が競輪選手という競輪一家に育つ。学生時代にスポーツ歴は全くなく、高校卒業後は地元熊本市のIT企業に勤めていたが、女子競輪再開のニュースを見て、「伊木家の競輪の血を絶やしたくない」と競輪学校の入学試験に応募し競輪選手なったという。 2011年2月25日、競輪学校第102回適性試験に合格。在校競走成績は31位(0勝)。 2012年7月6日、京王閣競輪場でデビューし4着。
田仲 敦子(たなか あつこ、1984年10月21日 - )は… 田仲 敦子(たなか あつこ、1984年10月21日 - )は、熊本市出身の元女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。現役時代は日本競輪選手会熊本支部所属、ホームバンクは熊本競輪場。旧姓、手柴(てしば)。 中学2年のときにショートトラックスピードスケートをはじめ、熊本市立千原台高等学校時代に国民体育大会に出場。その後、熊本県立保育大学校に進んだが、保健体育の教員を目指すべく、名桜大学に編入学。同校の自転車競技部に入部し、大学4年のとき、全日本大学対抗選手権自転車競技大会(インカレ)のポイントレースで3位に入った。 大学卒業後、臨時採用ではあるが、沖縄県立北中城高等学校の保健体育教諭として教鞭を執ることになった。
手柴 敦子(てしば あつこ、1984年10月21日 - )は… 手柴 敦子(てしば あつこ、1984年10月21日 - )は、熊本市出身の女子競輪選手。日本競輪学校第104期生。
中川 諒子(なかがわ りょうこ、1984年5月29日 - )… 中川 諒子(なかがわ りょうこ、1984年5月29日 - )は、熊本市出身の元重量挙げ選手、元自転車競技選手、女子競輪選手。日本競輪選手会熊本支部所属。現姓、吉成。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)102期生。ホームバンクは熊本競輪場。師匠は藤原憲征(85期)。 実兄は競輪学校85期生の中川誠一郎、夫は同92期生の吉成晃一、叔父は同23期生の瀬口孝一郎(引退)、従兄は同77期生の瀬口慶一郎で、いずれも競輪選手。きょうだいは、誠一郎のほか2歳上の姉がいる。 叔父が競輪選手であったこともあり、幼い頃から競輪のことを知っており、競輪選手に憧れたこともあったが当時はガールズケイリンがなかったこともあり断念、ただ熊本県立第一高等学校時代は何かスポーツをしたいと考え、思いつきで重量挙げを始める。
中川 誠一郎(なかがわ せいいちろう、1979年6月7日 -… 中川 誠一郎(なかがわ せいいちろう、1979年6月7日 - )は、日本の競輪選手、元自転車競技選手。熊本県熊本市出身。日本競輪選手会熊本支部所属、ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第85期生。師匠は従兄の瀬口慶一郎(77期)。 実妹の中川諒子も競輪選手(102期)、義弟(涼子の夫)の吉成晃一も競輪選手(92期)。きょうだいはほかに妹(諒子の姉)がいる。 熊本大学教育学部附属小学校・同中学校、真和高等学校を卒業。 少年漫画『SLAM DUNK』の影響で高校まではバスケットボールをしており(一時期は陸上競技も)、スポーツの勉強を希望して大学入試に臨んだが、全敗。叔父である競輪選手・瀬口孝一郎の勧めで自転車に乗り始める。
合志 正臣(ごうし まさおみ、1977年6月22日 - )は… 合志 正臣(ごうし まさおみ、1977年6月22日 - )は競輪選手である。熊本市北区出身 (龍田小学校-楠中学校-熊工)。 日本競輪学校第81期卒業。ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪選手会熊本支部所属。師匠は青木宏親。初出走は1998年8月8日の熊本競輪場で初勝利は同レース。血液型はA型。
山内 卓也(やまうち たくや、1977年3月1日 - )は、… 山内 卓也(やまうち たくや、1977年3月1日 - )は、競輪選手。日本競輪選手会愛知支部所属、ホームバンクは名古屋競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第77期生。師匠は黒須修典。生姜焼きが好物。 名城大学附属高等学校を経て、1995年に競輪学校に第77期生として入学。同期には小野俊之、小倉竜二らがいる。 1996年4月18日、大垣競輪場でデビューし、初勝利も同日。 2004年、ふるさとダービー(佐世保競輪場)決勝3着。全日本選抜競輪(大垣)決勝戦では、3位入線ながらも2着の伏見俊昭の失格により2着繰り上がりで表彰台に立つ。 2005年、西日本王座決定戦(玉野競輪場)決勝戦に進出。直線中ほどから鋭い伸びを見せ優勝。
池上 洋二郎(いけがみ ようじろう、1974年6月25日 -… 池上 洋二郎(いけがみ ようじろう、1974年6月25日 - )は、日本の元陸上競技選手、元競輪選手。熊本県山鹿市出身。 日本競輪学校第77期生。同期には小倉竜二、小野俊之らがいる。1996年4月13日、小倉競輪場でデビューし、初勝利も同日。 2010年1月26日選手登録削除。通算戦績978戦205勝、優勝8回。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
齊藤 努(さいとう つとむ、1972年4月13日 - )は元… 齊藤 努(さいとう つとむ、1972年4月13日 - )は元競輪選手、元自転車競技選手。熊本県熊本市出身。日本競輪学校第69期卒業。晩年は日本競輪選手会東京支部に在籍した。選手登録番号12555。師匠は中原曙観。弟子はガールズケイリン選手の藍野美穂。 2011年12月までの登録名は横田 努(よこた つとむ)。 小学校時代、水泳自由形で全九州短水路水泳競技大会の優勝を経験。中学校時代にロードバイクを乗り始めたことを契機に、鎮西高等学校に入学後、本格的に自転車競技に取り組むようになった。その後日本競輪学校に第69期生として入学。同期には稲村成浩、澤田義和、豊岡弘、三和英樹らがいた。 卒業後は地元の熊本支部所属としてデビューし、初出走は1992年4月11日の前橋競輪場で初勝利も同日。
清嶋 彰一(きよしま あきかず、1957年1月1日 - )は… 清嶋 彰一(きよしま あきかず、1957年1月1日 - )は日本の元競輪選手、元バレーボール選手。現在は実業家。熊本県熊本市出身。血液型はO型。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第40期生。現役最終時は日本競輪選手会鹿児島支部所属(登録地は沖縄県)であったが、デビュー当初は東京支部所属(ホームバンクは立川競輪場)で、後に福井支部にも在籍した。師匠は黒須修典。弟子には波潟和男らがいる。 駒澤大学高等学校を経て、駒澤大学に進学。学生時代にバレーボールのセッターを務めた。バレーボールでは全日本クラスの実力の持ち主であったが、当時、全日本チームは大型化を目指していたこともあり、身長が180cmそこそこだった清嶋にお呼びが掛かる可能性はなかった。
緒方 浩一(おがた こういち、1952年5月14日 - )… 緒方 浩一(おがた こういち、1952年5月14日 - )は、元競輪選手。現在は競輪評論家。熊本県出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第30期生。現役時は日本競輪選手会熊本支部所属。師匠は大里清一。 九州学院高等学校を経て、競輪学校に第30期生として入学。同期には高橋健二、小池和博らがいた。 1972年10月8日、武雄競輪場でデビューし1着。特別競輪(現在のGI)の決勝戦に8回進出した実績を持ち、最高着順は、1982年のオールスター競輪(高松競輪場)及び競輪祭の3着である。 緒方といえば、中野浩一、井上茂徳を中心とする、俗称九州軍団の参謀役として有名である。九州軍団が「結成」された理由は、当時、関東、南関東地区を中心に、勢力を西日本にまで拡大させていたフラワーラインに対抗するためであった。
矢村 正(やむら ただし、1950年7月5日 - 2024年… 矢村 正(やむら ただし、1950年7月5日 - 2024年10月3日)は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会熊本支部に所属、ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪学校(当時)第26期生。選手登録番号8208。 後述するが、中野浩一の師匠的な役割を果たした選手として有名だった。 デビューは1969年5月24日、26期生としてホームバンクである熊本競輪場で迎え1着。またこの開催では完全優勝も果たす。 現役時代、164cmという小柄な体格ながらも武器としていた鋭いダッシュ力を生かし、高松記念では4連覇を達成。特別競輪(現在でいうGI)においても、高松宮杯(1973年)、競輪祭競輪王戦(1978年)で決勝3着の実績があるほか、1983年の第26回オールスター競輪までは特別競輪に出場した。
山本 清治 (やまもと せいじ、1930年(昭和5年)9月2… 山本 清治 (やまもと せいじ、1930年(昭和5年)9月26日 - )は、元競輪選手である。熊本県出身。熊本県立熊本商業学校(現・熊本県立熊本商業高等学校)卒業。 1949年2月1日、選手登録(期前選手)。登録番号は309。選手時代はヤマセイの愛称でファンから親しまれていた。6人兄弟で、ほかの5人(春雄、金哉、義男、利光、賢一)いずれも元競輪選手。 なお、同姓同名の日本競輪学校(当時)第31期生の元競輪選手(2002年7月31日登録削除)が存在するが、別人である。 山本は熊本県の生まれであるが、熊本商業を卒業後、競輪選手の登録地を大阪とした。 これは、競輪を職業として選ぶ以上、当時自転車産業が盛んで、かつ戦前、自転車メーカーに所属していた選手が大勢いた大阪のほうが早く強くなれるという考えがあったことに起因するものだった。