清松みゆき(きよまつ みゆき、1964年1月10日 - )は… 清松みゆき(きよまつ みゆき、1964年1月10日 - )はゲームデザイナー、小説家、翻訳家。グループSNE所属。大分県出身。大分県立佐伯鶴城高等学校卒業。京都大学SF研究会OB。 1989年出版の『ソード・ワールドRPG』のデザイナー、監修者であり、2008年に改版となった『ソードワールド2.0』にも引き続き携わっている。グループSNE内では山北篤と並ぶ理系のゲームデザイナーとして、また、アメリカンフットボールの愛好家として有名。 筆名から間違えられやすいが、男性である。本名は「清松美行」(きよまつ よしゆき)。「みゆき」という筆名は、本名の誤読から度々女性と誤解されることにうんざりしていた本人が開き直ってつけたものという。
甲斐 扶佐義(かい ふさよし、1949年4月18日 - )は… 甲斐 扶佐義(かい ふさよし、1949年4月18日 - )は、日本の写真家、エッセイスト、翻訳家、ほんやら洞(京都市上京区に存在した喫茶店)、八文字屋(京都市中京区)の経営者。「自衛隊米兵人権ホットライン」発起人のひとり。大分県大分市出身。
藤本 敏和(ふじもと としかず、1949年 - )は、日本の… 藤本 敏和(ふじもと としかず、1949年 - )は、日本の元アナウンサー、国際放送ディレクター、韓国語講師、翻訳家。 大分県姫島村出身。東京外国語大学卒業。 1972年、NHKにアナウンサーとして入局し、下関放送局に赴任後、1980年に韓国の延世大学校に留学して韓国語を学ぶ。 帰国後は国際放送局のアナウンサー兼ディレクターに転じ、NHKワールド・ラジオ日本の韓国語番組を制作するかたわら、講師として日本の和光大学、韓国のソウル外国語大学院大学校および慶熙大学校で教鞭をとった。韓国政府から『文化寄与賞』が授与されている 。 2014年、出生地の姫島村に戻り農業を営む。2016年11月、姫島村長選挙に立候補し、61年ぶりに選挙戦が行われることになったが、現職の藤本昭夫に敗れ落選。
直野 敦(なおの あつし、1929年3月18日 - )は、日… 直野 敦(なおの あつし、1929年3月18日 - )は、日本の翻訳家・東欧・ロシア文学者。東京大学教養学部名誉教授。 大分県大分市生まれ。1954年東京大学文学部仏文科卒、1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。金子幸彦ゼミ出身。1958年からルーマニア・ブカレスト大学に学び、1963年同文学部卒業。1965年同大学院修士課程修了、帰国。翻訳を幾つか出し、1969年東京大学教養学部専任講師、1971年11月助教授、1976年12月教授、1989年定年退官し名誉教授、文化女子大学教授、1990年文学部長。2004年退職。 主としてルーマニア語、ルーマニア文学の教育、翻訳を行なった。かつては社会主義思想を信奉していたが、後年は、宗教学者ミルチャ・エリアーデが、初期に書いた小説作品の翻訳で知られる。
浜野 定四郎(はまの さだしろう、1845年(弘化2年) -… 浜野 定四郎(はまの さだしろう、1845年(弘化2年) - 1909年(明治42年)11月14日)は、日本の教育者・英語学者・翻訳家。「慶應義塾仮憲法」制定後の初代慶應義塾長をつとめた。 1845年(弘化2年)、豊前中津藩士浜野覚三の子に生まれ、はじめは丑之助と称す。1864年(元治元年)、福澤諭吉帰郷の際、小幡篤次郎ら同藩の子弟五人とともに福澤に伴われて出府、同年6月に慶應義塾に入塾した。卒業後は教員となり、1874年(明治7年)から1878年(明治11年)までの間、中津市学校の校長として赴任した以外は一貫して慶應義塾に教鞭をとった。中津市学校の校長を辞してのち、再び義塾に戻って、1878年(明治11年)ごろから塾長の任についていたが、1881年(明治14年)1月「慶應義塾仮憲法」の制定により改めてそれにもとづいて初代慶應義塾長に選ばれた。