菊村 憂(きくむら ゆう、1947年 - )は、日本赤軍のテ… 菊村 憂(きくむら ゆう、1947年 - )は、日本赤軍のテロリスト。宮崎県出身、宮崎県立小林高等学校卒、東京外国語大学中退。 1974年に渡欧、ギリシャのアテネで書店を経営し、現地の日本人会にも溶け込んでいた。その傍ら1980年代に日本赤軍が拠点を置いていたレバノン・ベカー高原で軍事訓練を受けており、爆弾製造技術を持っていたため、他の訓練参加者にその技術を教える立場でもあったとされる。 1986年にオランダのスキポール空港で荷物の中に爆弾が発見され逮捕。国外追放処分となって日本に送還されたが、細かい規定のため結局釈放された。 1988年4月12日、米ニュージャージー・ターンパイク有料高速道路のサービスエリアで、菊村を挙動不審に思った州警察官によって逮捕された。
日高 敏彦(ひだか としひこ、1944年 - 1976年10… 日高 敏彦(ひだか としひこ、1944年 - 1976年10月2日)は日本のテロリスト、日本赤軍のメンバー。 日本の警察は遺族の訴えを退けて司法解剖を拒否し、そのまま火葬に附される。1977年「団結をめざして -日本赤軍の総括-」によると遺体の灰からは長さ十数センチの金属針が発見された、とある。 好きなハナシ・・・ゾウリムシとワラジムシの話 嫌いな食べ物・・・ネギ
山田 精吾(やまだ せいご、1930年 <昭和5年> 3月1… 山田 精吾(やまだ せいご、1930年 <昭和5年> 3月18日 - 1996年 <平成8年> 2月10日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本労働組合総連合会(連合)初代事務局長。位階は従四位。 宮崎県延岡市生まれ。1946年旧制延岡中学校卒。1948年旭化成工業(現旭化成)ダイナマイト工場に入社、全旭化成労働組合連合会(全旭連)ダイナマイト労組書記長。同年の旭化成争議では青年行動隊長として活躍し、ダイナマイトを腹に括りつけて経営側と対峙したことから「ダイナマイト男」の愛称が生まれた。1950年全旭連ダイナマイト労組執行委員。1951年同労組書記長、副委員長に選出され、全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)化繊連合会に書記として出向。
有田 正憲(ありた まさのり、1912年 - 没年不明)は、… 有田 正憲(ありた まさのり、1912年 - 没年不明)は、宮崎県都城市出身の右翼、特殊株主、政治運動家(笹川良一秘書)、天理教布教師。 この項目は、政治に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 政治学/ウィキプロジェクト 政治)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
斎藤 鶴子(さいとう つるこ、1909年8月20日 - 20… 斎藤 鶴子(さいとう つるこ、1909年8月20日 - 2000年9月30日)は、日本の平和運動家。 宮崎県延岡で、7人兄弟中の3姉妹の長女として生まれた。父は教員で、各地の学校で校長を務めた。 1930年に、東京女子高等師範学校附属高等女学校専攻科を卒業した。在学中は幼児教育を専門とした倉橋惣三に師事し、またテニスに打ち込んだ。その後、結婚して東京・中野に定住したが、戦時中の1944年には山形県に疎開していた。 1950年代に、PTA活動に参加するようになったことをきっかけに、社会問題への関心を深め、1954年の第五福竜丸の被爆事件を機に、安井郁らが組織した主婦学習グループ「杉の子会」に加わり、原水爆禁止運動、平和運動に関わり始め、1955年に『朝日新聞』への投書をきっかけに投稿者らの女性グループ「草の実会」に参加して、1967年には「草の実会」を母体に平和研究グループを組織し、原水爆禁止運動などに取り組んだ。
是枝 恭二(これえだ きょうじ、1904年10月16日 - … 是枝 恭二(これえだ きょうじ、1904年10月16日 - 1934年6月10日)は、日本の戦前の政治運動家。 鹿児島県鹿児島郡谷山村(現鹿児島市)生まれ。父は鉄道管理局建設事務所に勤める官吏であった。鹿児島県立第一鹿児島中学校から宮崎県立宮崎中学校に転校、4年修了で第七高等学校へ進学。 七高在学中の1922年に村尾薩男、喜入虎太郎らと社会科学研究会を創設し、また学生や鹿児島県下の青年に対する啓蒙活動を行なった。1923年東京帝国大学文学部社会学科に進学、新人会、学生連合会、学生社会科学連合会の中心的指導者の一人であった。 1925年10月、共産主義者グループに参加し、志賀義雄、村尾薩男と3人で学生運動に対するフラクションを構成した。