橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 -… 橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 - )は、日本の元調教師で、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属していた。宮崎県北諸県郡三股町出身。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、九州産業大学卒業。 大学卒業後の1969年より公営・佐賀競馬で騎手となり1年ほど騎乗、のちに中央競馬へ転じ調教師となった異色の経歴をもつ。1982年に厩舎開業。当時としては先進的な調教法であった坂路調教で頭角を現し、1990年にはJRA最多勝利調教師となる。1992年にGI競走を初制覇して以降、11頭のGI優勝馬を手がけ、地方競馬、日本国外成績との合算では通算1000勝を越える。 JRA騎手であった橋口満朗は実弟、JRA調教師の橋口慎介は長男。
安田 伊佐夫(やすだ いさお、1944年11月22日 - 2… 安田 伊佐夫(やすだ いさお、1944年11月22日 - 2009年3月20日)は、宮崎県延岡市出身の元騎手・元調教師。 息子である安田康彦も元騎手で現在は競馬評論家。 馬事公苑時代の同期には清水出美・久保敏文・鹿戸明・久保田秀次郎・大崎昭一・笹倉武久などがおり、大崎とは同郷の延岡出身で上京する際の列車も同じであった。 1961年に京都・武田文吾厩舎の見習騎手となり、1963年3月にデビュー。初騎乗は同23日の阪神第1競走アラブ4歳以上20万下・ハイ・ヒライワ(9頭中5着)で、初勝利はデビューから6ヶ月が経った9月28日の京都第7競走4歳以上70万下・オンワードスピードであった。1年目はこの1勝に終わるが、2年目の1964年は8勝、3年目の1965年は初の2桁勝利となる16勝をマーク。
池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日… 池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元調教師、元騎手で現在は競馬評論家、馬主である。 騎手時代には「逃げの池江」の異名を取り、通算3275戦368勝、うち重賞で17勝を挙げた。代表的騎乗馬にはヤマピットがいる。1979年に調教師へ転身、メジロデュレンによる菊花賞を始めとして数々のGI級競走を制し、1994年にJRA顕彰馬に選出されたメジロマックイーン、日本生産馬として初めて国外の国際GI競走を制したステイゴールド、2005年に中央競馬史上6頭目のクラシック三冠を達成したディープインパクト(JRA顕彰馬)など、数々の活躍馬を手掛けた。2011年に調教師引退。
吉永 忍(よしなが しのぶ、1934年10月22日 - 20… 吉永 忍(よしなが しのぶ、1934年10月22日 - 2000年8月16日)は、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。 1953年に国営競馬(翌年より日本中央競馬会)で騎手デビューし、1974年まで騎乗。1978年より調教師として開業し、1989年には管理馬サンドピアリスでエリザベス女王杯を制した。2000年に在職のまま死去。 宮崎県北諸県郡高城町出身。農業を営んだ実家では農耕馬を飼養していたが吉永はこれに触れたことさえなく、中学校卒業後には船員として就職が決まっていた。しかし当時身長132cmと非常に小柄で、従兄に騎手をしていた吉永猛がいたこともあり、競馬会の職員を兄にもつ担任教師から騎手になることを勧められる。
二分 久男(にぶん ひさお、1930年12月29日 - )は… 二分 久男(にぶん ひさお、1930年12月29日 - )は、宮崎県都城市出身の元調教師(栗東所属)・元騎手。 妻は師匠である布施文蔵元調教師の次女であり、布施正とは義兄弟の間柄に当たる。 1953年に布施文蔵厩舎から騎手としてデビューし、1219戦60勝(中央以降)をマークし、1965年引退。 引退後の1965年に調教師免許を取得して厩舎を開業し、1968年にクモムラサキでアラブ大賞典(秋)を制して重賞初制覇。1978年にアグネスホープが東京優駿(日本ダービー)2着に入り、1980年にはアラナス産駒のノースガストで菊花賞を制し、クラシック初制覇を達成。1981年にはフォルティノ産駒のテキサスワイポンで中山大障害(秋)を制覇し、1988年から1990年にかけてはウエスタンウインド産駒のシンウインドが短距離戦線で活躍。
吉永 猛(よしなが たける、1926年3月2日 - )は、日… 吉永 猛(よしなが たける、1926年3月2日 - )は、日本の競馬騎手、調教師。 1943年に日本競馬会(のち国営競馬、日本中央競馬会)で騎手デビュー。兵役を経て1947年より復帰し、1965年までに重賞3勝を含む通算276勝を挙げた。騎手引退後は調教師に転身し、1992年の阪神3歳牝馬ステークスを制したスエヒロジョウオーらを手がけた。1999年に定年引退。調教師通算成績は7493戦670勝、うちGI競走1勝を含む重賞13勝。 同じく中央競馬騎手・調教師であった吉永忍は従弟。自身の門下生であった川村禎彦は娘婿。 宮崎県北諸県郡高城町出身。近郊の三股町には競馬場があり、農家であった父と叔父は飼養する馬をそこで走らせていた。