小田 翔夢(おだ しょうん、1998年10月2日 - )は、… 小田 翔夢(おだ しょうん、1998年10月2日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県出身。第2代日本ライト級ユース王者。白井・具志堅スポーツジム所属。かつては琉球ボクシングジムに所属していた。 小学5年生からボクシングを始めて、U-15全国大会で優勝した。中学卒業後、南部農林高校に進学。 2016年5月15日、ネーブルカデナで行われた西部日本新人王戦にて池田知也とライト級4回戦を戦い、1回2分31秒TKO勝ちを収めデビュー戦を白星で飾った。 2016年12月23日、西日本ライト級新人王として、東軍代表石井龍輝を相手に4回38秒TKO勝ちを収めて全日本新人王を獲得した。なおこの勝利でJBCの発表した最新ランキングで初めてライト級日本ランク入りを果たす。
大湾 硫斗(おおわん りゅうと、1998年4月16日 - )… 大湾 硫斗(おおわん りゅうと、1998年4月16日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県うるま市出身。志成ボクシングジム(旧Ambition GYM)所属。かつては白井・具志堅スポーツジムに所属していた。 うるま市立具志川中学校卒業。沖縄県立美来工科高等学校卒業。 幼少期から空手を始めボクシングに10歳で転向し、U-15全国大会優勝。高校インターハイ3位。 2017年4月にB級ライセンスを取得。2017年5月にプロデビュー。 2018年10月11日、後楽園ホールで行われた「ダイヤモンドグローブ」にて荒木哲と日本バンタム級ユース王座決定戦を行うも、8回0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2020年7月31日、プロデビュー以来所属していた白井・具志堅ジム閉鎖に伴いAmbition GYM(現:志成ジム)へ移籍した。
仲里 周磨(なかざと しゅうま、1996年9月24日 -)は… 仲里 周磨(なかざと しゅうま、1996年9月24日 -)は、日本のプロボクサー。第50代OPBF東洋太平洋ライト級王者。第64代日本ライト級王者。ボクシングクラブ・オキナワ所属。沖縄県宜野湾市出身。 父は元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者仲里繁。 中部商業高校卒業後、プロデビュー。 2015年4月5日、プロデビュー戦を初回KO勝ち。 2015年12月20日、西日本フェザー級新人王として、東軍代表萱沼徹平を相手に全日本新人王決定戦を行うも、5回0-1(46-49、47-47×2)のドロー判定となり、優勢点により新人王獲得ならず。 2017年10月16日、後楽園ホールにて行われた「DANGAN-A級トーナメント」で三代大訓と対戦し、6回0-3(54-58×2、55-57)の判定負けを喫しプロ初黒星。
比嘉 大吾(ひが だいご、1995年8月9日 - )は、日本… 比嘉 大吾(ひが だいご、1995年8月9日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県浦添市出身。志成ボクシングジム所属。元WBC世界フライ級王者。 かつては白井・具志堅スポーツジムに所属していた。2018年2月4日のモイセス・フェンテス戦で15試合連続KO勝利を収め、連続KO勝利数の日本記録に並ぶと共に、デビュー戦からの連続KO勝利数で日本新記録を樹立した。入場テーマ曲は「ゴジラのテーマ」。マネジメント会社はトラロックエンターテインメント。 沖縄県浦添市出身で、浦添市立仲西中学校を卒業。父親が少年野球の監督であったことから小学校、中学校と野球に熱中し、甲子園出場を目指して高校でも野球を継続するつもりが、2011年2月11日に井岡一翔がオーレイドン・シスサマーチャイを破り世界王座を獲得したWBC世界ミニマム級タイトルマッチの中継を琉球放送で観戦し、試合が早く終わったため放送された、沖縄出身で元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高のKOダイジェストに心を奪われ、「ボクシングをやろう」と決意した。
川満 俊輝(かわみつ としき、1995年8月4日 - )は、… 川満 俊輝(かわみつ としき、1995年8月4日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県・宮古島出身。第46・49代日本ライトフライ級王者。三迫ジム所属。 宮古工業高校卒業後、第一工業大学に入学。なお、後の世界王者比嘉大吾は高校ボクシング部時代の同級生だった。 2018年11月18日、NTTクレドホールで糸賀純一を相手にプロデビュー戦を行い4回2分40秒3-0(40-36×3)で負傷判定勝ち 2019年2月11日、NTTクレドホールでハンダヤスシと対戦し、4回3-0(40-36×3)で判定勝ちを収めた。 2019年8月8日、後楽園ホールで福田康輔と対戦し、4回3-0(40-36×3)で判定勝ちを収めた。
長濱 陸(ながはまりく、1991年10月7日 - )は、日本… 長濱 陸(ながはまりく、1991年10月7日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県那覇市出身。第41代OPBF東洋太平洋ウェルター級王者。石田ボクシングジムに所属、以前は角海老宝石ボクシングジム、白井・具志堅スポーツジムに所属していた。 那覇高校卒業後、沖縄国際大学に入学。 2015年6月30日のプロデビュー戦は引き分け。同年、ミドル級新人王東軍代表として、西軍代表ロックハート・ブランドンシェーンを相手に4回2-0(39-37×2、38-38)判定勝ちで全日本新人王を獲得。 そして2017年8月10日に後楽園ホールで日本スーパーウェルター級王者井上岳志と日本スーパーウェルター級タイトルマッチを行い、8回1分52秒TKO負けで日本王座獲得に失敗。
江藤 光喜(えとう こうき、1988年2月8日 - )は、日… 江藤 光喜(えとう こうき、1988年2月8日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県国頭郡本部町出身。白井・具志堅スポーツジム所属。元WBA世界フライ級暫定王者(JBC非公認)。第40代OPBF東洋太平洋フライ級王者。WBA暫定王座は2013年8月1日、日本人男子ボクサーとして初めてタイで世界戦に勝利し、担当トレーナーの野木丈司らとともに勝ち取ったもの。沖縄県立北部農林高等学校林業科卒業。 “江藤三兄弟”の長男で、双子の弟・大喜と末弟・伸悟もプロボクサー。ボクシングを最初に始めたのは大喜で、最もキャリアが浅いのが光喜である。一軒家で弟2人と暮らし、大喜とともにラーメン店で働いている。タイでのWBA世界フライ級暫定王座挑戦が決まった頃、大喜の怪我や仕事の忙しさから2人の弟はボクシングへの情熱を失いつつあり、光喜には「なんとしても結果を残さなければならない。
安慶名 健(あげな けん、1987年8月2日 - )は、日本… 安慶名 健(あげな けん、1987年8月2日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県名護市出身、横浜光ボクシングジム所属。入場曲は、小柳ゆきの愛情。2011年度東日本ミニマム級東日本新人王、第58回全日本ミニマム級新人王。 2009年10月10日に大平剛に4回判定勝ちでプロデビュー。 その後東日本新人王に入場し予選、準決勝をKOで勝利し、決勝まで進んだが後の日本王者原隆二に4回判定負け。 東日本新人王戦後復帰戦をおこない1回TKO勝ち。 再度東日本新人王に入場し引地昭裕に4回TKO勝利すると、決勝では多打魔炸獅に5回判定で下し悲願の新人王獲得 2011年12月18日に全日本新人王に東軍代表で出場し山本裕貴に5回判定勝利。
嘉陽 宗嗣(かよう むねつぐ、1982年11月16日 - )… 嘉陽 宗嗣(かよう むねつぐ、1982年11月16日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県国頭郡今帰仁村出身。第31代日本ライトフライ級王者。第26代OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者。白井・具志堅スポーツジム所属。身長163cm。左ボクサーファイター。沖縄尚学高校卒業。トレーナーは野木丈司。 3歳上の従兄に興南高校出身で帝拳ジムにてミニマム級中堅選手だった宮城誠。宮城の影響で幼い頃からボクシングに親しみ沖縄尚学高校で金城真吉監督の指導の下アマチュアボクシングの実績を積み、卒業後、同じく沖縄出身の世界王者具志堅用高の営む白井・具志堅スポーツジムに入門。 2001年4月23日、プロデビュー戦に4R負傷判定勝利を収めた。
翁長 吾央(おなが ごお、1980年5月5日 - )は、日本… 翁長 吾央(おなが ごお、1980年5月5日 - )は、日本の男性の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。大橋ボクシングジム所属。沖縄尚学高校、東洋大学卒業。 高校入学と同時にボクシングを始め(自身の1学年上の生徒までは興南高校で指導する)金城真吉監督の熱血指導で、1998年インターハイフライ級で決勝で花咲徳栄高校矢代義光に判定勝利。かながわ・ゆめ国体少年フライ級、選抜も制し高校3冠を達成した。アルゼンチン・ブエノスアイレスでの世界ユース選手権ではベスト8(プエルトリコライトウェルター級代表ミゲール・コットとエールを交換した)。 高校卒業後に進学の為に上京、高校時代からの同級生の中真光石と東洋大学ボクシング部に所属し関東大学リーグ戦や全日本選手権、国民体育大会等で活躍した。
伊礼 喜洋(いれい よしひろ、1979年5月8日 - 200… 伊礼 喜洋(いれい よしひろ、1979年5月8日 - 2002年4月9日)は、日本の男性プロボクサー。沖縄県中頭郡北谷町出身。八王子中屋ボクシングジム所属。昭和薬科大学付属高等学校、東京工科大学卒業。左フックを得意とした。 大学入学後に八王子中屋ジムに入門し、2000年6月30日、プロデビューを果たした。翌2001年11月3日、岡村正道(白井・具志堅)に3-0の判定勝利を収め、東日本フライ級新人王を獲得した。同年12月15日、竹村貴宏(明石)に2-1の判定勝利を収め、全日本フライ級新人王を獲得した。 2002年3月24日、八王子市民会館で内藤佳紀(横田スポーツ)とフライ級6回戦を行い、6R終了間際にロープダウンをとられ、55-59、55-59、56-57の0-3で判定負けとなった。
名護 明彦(なご あきひこ、1976年9月26日 - )は、… 名護 明彦(なご あきひこ、1976年9月26日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。第21代日本スーパーフライ級王者。興南高等学校卒業。 アマチュア時代の1994年、全日本高校チャンピオン・全国高等学校ボクシング選抜大会準優勝・わかしゃち国体優勝の実績を残し、高校卒業後、元世界王者の白井義男、具志堅用高氏が共同経営を行っている白井・具志堅スポーツジムにスカウトされ入門。佐藤修とは当時から親友。 日本王座を獲得し、無敗で世界挑戦まで辿り着いた。しかし、世界戦で戸高秀樹に敗れてからは精彩を欠き、消極的な試合が目立つようになる。 徳山昌守に敗れた後、指導方針の違いから具志堅会長と決別。
宮城 竜太(みやぎ りゅうた、1975年2月12日 - )は… 宮城 竜太(みやぎ りゅうた、1975年2月12日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県島尻郡知念村(現・南城市)出身。旧リングネームは竜 宮城(りゅう みやぎ)。 1998年3月22日、沖縄ワールドリングジム所属で沖縄県具志川市(現うるま市)でプロデビューし、2RKO勝ちを収めた。 1999年5月9日、1年2か月ぶりに2戦目を山口県防府市で友部年孝を相手に4R引分に終わると、その後3戦3勝も2年のブランクを作った。 2002年12月2日、東京都文京区の後楽園ホールで復帰戦を1RTKOで勝利すると、2003年11月には東日本ボクシング協会の月間新鋭賞を受賞するなど3戦3勝3KOと無敗を続ける。 2004年4月14日、後楽園ホールにて阪東ヒーロー(フォーラムフォーラム)と対戦し、3回TKO勝ちで10戦負けなし。
塩濱 崇(しおはま たかし、1974年4月20日 - )は、… 塩濱 崇(しおはま たかし、1974年4月20日 - )は、日本のプロボクサー。グリーンツダボクシングクラブ所属。沖縄県宜野湾市出身。元日本ライトフライ級王者。元OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者。 16戦15勝5KO1敗 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
仲里 繁(なかざと しげる、男性、1972年6月13日 - … 仲里 繁(なかざと しげる、男性、1972年6月13日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県宜野湾市出身。右ファイター。第28代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。2005年10月21日に引退。宜野湾高校卒業。長男の周磨もプロボクサー。
平仲 信敏(ひらなか のぶとし、1968年9月13日 - 2… 平仲 信敏(ひらなか のぶとし、1968年9月13日 - 2000年3月24日)は、日本のプロボクサー。沖縄県島尻郡具志頭村(現・八重瀬町)出身。元日本フェザー級王者。 5人兄弟の末っ子であり、元WBA世界スーパーライト級王者の平仲明信は兄。 中学3年時にボクシングを始め、沖縄・南部農林高3年時にインターハイフェザー級でベスト8。高校卒業後に海邦国体で優勝し、その後プロに転向。 1988年4月24日、沖縄ボクシングジムからプロデビュー。 1989年2月27日、全日本新人王決定戦でフェザー級西軍代表として東軍代表の渡辺司に判定勝ち。 1993年に故郷・沖縄を離れ福岡県の筑豊ジムに移籍。 1994年1月25日、世界挑戦経験も有する日本フェザー級王者松本好二(ヨネクラ)と対戦し、10回3-0の判定勝ちを収め王座を獲得した。
新垣 諭(しんがき さとし、1964年2月21日 - )は、… 新垣 諭(しんがき さとし、1964年2月21日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県糸満市出身。元IBF世界バンタム級王者(当時はJBC非公認団体)。奈良池田ジム所属。 沖縄県立沖縄水産高等学校に入学後、1981年のインターハイのライトフライ級決勝戦で、青森商業の玉熊幸人(後のレパード玉熊)に判定勝ちを収め優勝。高校卒業後に船員になる予定をキャンセルし、1982年にプロへ転向。その際、奈良池田ジムが1,000万円で契約したことが話題になった。 渡嘉敷勝男とルペ・マデラがWBAの世界王者だった当時、新垣は同級王座に挑戦する機会を待っていた。しかし、渡嘉敷とマデラは微妙な判定の試合を繰り返し、結果4度の対戦をすることとなり、挑戦の機会が与えられなかった。
平仲 明信(ひらなか あきのぶ、男性、1963年11月14日… 平仲 明信(ひらなか あきのぶ、男性、1963年11月14日 - )は、日本の元プロボクサー。戸籍上の姓名は平仲 信明(ひらなか のぶあき)、一時期のリングネームは平仲 伸章。沖縄県島尻郡具志頭村(現・八重瀬町)出身。元WBA世界ジュニアウェルター級王者。 沖縄ボクサーの系譜では初めて、地元沖縄のジム(沖縄ジム。現琉球ボクシングジム)から世界王者となった。 元日本フェザー級王者の平仲信敏は5人兄弟の末弟。 南部農林高校2年生の終わりにボクシングを始め、数か月後に同じ沖縄県代表の新垣諭と共にインターハイで優勝。ライバル校たる興南高校の監督であり高校の先輩でもある金城真吉からも指導を受けた。 日本大学農獣医学部時代の1984年にはロサンゼルス五輪ボクシングウェルター級に出場し、初戦となった2回戦で敗退した。
浜田 剛史(はまだ つよし、1960年11月29日 - )は… 浜田 剛史(はまだ つよし、1960年11月29日 - )は、日本の元プロボクサー。本名・旧リングネーム:浜田 剛(読み同じ)。沖縄県中頭郡中城村出身。元WBC世界スーパーライト級王者。沖縄県立沖縄水産高等学校卒業。帝拳ボクシングジム所属。現在はプロボクシング解説者、健康食品会社社長。帝拳プロモーション代表。入場曲は『ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO』。 浜田の育った家は総勢21人もの大所帯であった。浜田自身が7人兄弟の末っ子ということもあり、さすがに親の目が届きにくかったのか、幼いころは朝から晩まで自然の中で遊んで育った。 6歳上の実兄・雄二の影響で小学生の頃からプロボクサーを志す。
渡嘉敷 勝男(とかしき かつお、男性、1960年7月27日 … 渡嘉敷 勝男(とかしき かつお、男性、1960年7月27日 - )は、日本の俳優、テレビタレント、YouTuber、元プロボクサー、元WBA世界ライトフライ級王者。現役時代は協栄ボクシングジムに所属。沖縄県コザ市(現・沖縄市)出生、兵庫県宝塚市出身。 沖縄市生まれだが、親の仕事の関係で乳児時代に兵庫県宝塚市に住居を移転したため、同市で高校までを過ごした。浪速工業高等学校中退。 現役時代の代名詞は“ヤンバルクイナ”。タレント転向後は「トカちゃん」という愛称の方が知られている。 高校時代は喧嘩に明け暮れる不良少年であった。 1977年1月30日、テレビでWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ具志堅用高対ハイメ・リオス(パナマ)を観たことがきっかけでボクシングを始めようと思い立つ。
友利 正(ともり ただし、1959年12月28日 - )は、… 友利 正(ともり ただし、1959年12月28日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。元WBC世界ライトフライ級王者。トレーナーはデビュー当初は三迫将弘、世界戦の直前からエディ・タウンゼント。 私立沖縄高校(現、沖縄尚学高校)3年時に1977年度全日本高校モスキート級チャンピオンとなった。 1978年5月25日、18歳で三迫ジムからプロデビュー。デビューから7連勝(1KO)を飾ると、翌1979年の全日本ライトフライ級新人王を獲得した。 いつしか「具志堅二世」と呼ばれるようになり当然、世界への道も順調に歩むものだと思われた。しかし、世界戦へ挑んだ時の友利は勝ったり負けたりを繰り返す中堅ボクサーになっていたのである(精神面を鍛え直すため、会長三迫仁志が知り合いの僧侶のいる寺院に預けたこともあった)。
フリッパー上原(フリッパーうえはら、1952年2月8日 - … フリッパー上原(フリッパーうえはら、1952年2月8日 - )は、日本のプロボクサー。本名は上原 晴治(うえはら はるじ)。沖縄県那覇市出身。興南高校卒、日本大学文理学部体育学科中退。協栄ボクシングジム所属。元日本フェザー級王者。 WBA世界ジュニアライト級王者・上原康恒は実兄である。 日大一年1970年、全日本アマチュアボクシング選手権大会・フェザー級で優勝を果たした。同年、兄・康恒もライトウェルター級で優勝している。 大学を3年で中退して協栄ボクシングジムに入門、1973年1月11日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスでプロデビュー。ロサンゼルスで4戦4勝し、同年10月28日に5戦目で日本デビュー。
ハリケーン照(ハリケーンてる、本名照喜名 俊三(てるきな し… ハリケーン照(ハリケーンてる、本名照喜名 俊三(てるきな しゅんぞう)、1952年2月3日 - 2014年1月)は、日本の元プロボクサー。第34・36代日本バンタム級王者。プロ現役時代は石川ボクシングジム所属。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立沖縄工業高等学校卒業。 沖縄工業高校在学中はアマチュアで活動。 卒業後に上京し、1970年9月23日、石川ジムよりプロデビュー。 1979年7月16日、阿南弘生を2回KOで倒し日本バンタム級王座奪取。 初防衛戦で阿南とのダイレクトリマッチを返り討ちにする。 1980年1月28日、モントリオールオリンピック日本代表からプロ転向した石垣仁に判定で敗れ王座陥落。 リングネームをハリケーン・テルからハリケーン照に改め、ダイレクトリマッチで9回KO勝利し王座に返り咲く。
上原 康恒(うえはら やすつね、1950年10月12日 - … 上原 康恒(うえはら やすつね、1950年10月12日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。元日本スーパーフェザー級王者。元WBA世界スーパーフェザー級。元リングマガジン世界スーパーフェザー級王座。 沖縄中央高校3年時にインターハイ優勝、日本大学在学時にはライト級、ライトウェルター級の2階級を制覇し専修大学のエース風間清と数回対戦。国際大会でも1970年アジア大会ライトウェルター級銅メダルを獲得。アマチュア通算117勝(87RSC)8敗と抜群の成績を残し、協栄ボクシングジムと当時日本プロボクシング史上最高となる契約金1,000万円で契約した。実弟であるフリッパー上原も元プロボクサー。
具志堅 用高 は、日本の元プロボクサー、タレント。沖縄県石垣… 具志堅 用高 は、日本の元プロボクサー、タレント。沖縄県石垣市(石垣島)出身。元WBA世界ライトフライ級(当時国内ではジュニアフライ級)王者。太田プロダクション所属。