森越 康雄(もりこし やすお、1947年(昭和22年)-)は… 森越 康雄(もりこし やすお、1947年(昭和22年)-)は、日本の教育者。元日教組委員長。
岩手大学:9人
森越 康雄(もりこし やすお、1947年(昭和22年)-)は… 森越 康雄(もりこし やすお、1947年(昭和22年)-)は、日本の教育者。元日教組委員長。
菊地 規(きくち のりみ、1923年〈大正12年〉2月17日… 菊地 規(きくち のりみ、1923年〈大正12年〉2月17日 - 1989年〈平成元年〉1月26日)は、日本の教育者。作詞家。『北上夜曲』作詞者。 岩手県江刺郡田原村(現在の奥州市)出身。岩手県立水沢農学校(現岩手県立水沢農業高等学校)を経て、岩手師範学校(現・岩手大学教育学部)卒。羽田、藤里各国民学校、藤里、厨川各中学校に勤務。1961年(昭和36年)日本音楽著作権協会正会員、1963年(昭和38年)日本作詞家協会会員、1967年(昭和42年)岩手県教育委員会社会教育主事、のち、葛巻小、雫石中の各校長を務め、1983年(昭和58年)に緑ヶ丘小校長で定年を迎えた。定年後は岩手県社会教育指導員協議会会長、県民運動協議会参事などを歴任した。
崔 容根(チェ・ヨングン、朝鮮語: 최용근、1919年11月… 崔 容根(チェ・ヨングン、朝鮮語: 최용근、1919年11月9日 - 1969年8月25日または1973年1月29日)は、大韓民国の教育者、政治家。第3・4代韓国国会議員。本貫は江陵崔氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の江原道江陵郡出身。江陵公立農業学校(現・江陵中央高等学校(朝鮮語版))、春川公立農業学校農林科、盛岡高等農林学校林学科卒。 江陵農高教員、水原農科大学(現・ソウル大学校農科大学)講師、江陵公立農業学校校長、東国大学校講師、大韓教育連合会(現・韓国教員団体総連合会)中央代議員を経て、1954年の第3代総選挙と1958年の第4代総選挙で自由党の候補として2回連続当選し、自由党江陵甲区党委員長、国会財政経済委員長・予算決算委員長を歴任した。
山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月2… 山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月23日 - 1983年(昭和58年)6月2日)は、昭和期の教育者、地方公務員、政治家。衆議院議員。 和歌山県伊都郡名倉村(高野口町を経て現橋本市高野口町)出身。1933年(昭和8年)東京高等師範学校文科を卒業した。 山形県立山形中学校(現山形県立山形東高等学校)教諭、三重県師範学校教諭、京都府師範学校教諭などを歴任。1943年(昭和18年)7月、高等試験行政科試験に合格。1945年(昭和20年)岩手県庁に入庁。学務課長兼厚生課長、労働部長、教育部長を歴任し、1948年(昭和23年)岩手県教育委員会教育長に就任。その後、公共企業体等労働委員会地方調停委員、岩手大学講師、私立修紅短期大学助教授などを務めた。
小菅 健吉(こすげ けんきち、1897年〈明治30年〉3月1… 小菅 健吉(こすげ けんきち、1897年〈明治30年〉3月12日 - 1977年〈昭和52年〉5月30日)は、日本の教育者。栃木県出身。盛岡高等農林学校を卒業。高等農林学校時代、同窓生であった宮沢賢治と学内の文芸同人誌『アザリア』のメンバーとして親交を持った。 栃木県塩谷郡氏家町(現さくら市)に小菅宗吉・ミワ夫妻の三男として誕生。宮沢賢治より7ヶ月後で、早生まれの同学年となる。 1915年、栃木県立農学校(現栃木県立宇都宮白楊高等学校)を経て、盛岡高等農林学校(現・岩手大学)農学科第二部(後に農芸化学科に改称)に入学する。1917年(大正6年)7月、、1917年(大正6年)、宮沢賢治、保阪嘉内、河本義行らと同人誌『アザリア』を創刊した。
菊池 知勇(きくち ちゆう・ともお、1889年〈明治22年〉… 菊池 知勇(きくち ちゆう・ともお、1889年〈明治22年〉4月7日 - 1972年〈昭和47年〉5月8日)は、日本の教育者、歌人。 岩手県東磐井郡渋民村(現・一関市大東町曾慶)出身。奥玉高等小学校に入学したのち下折壁高等小学校を卒業。岩手師範学校(現・岩手大学教育学部)卒業。上京し、慶応幼稚舎の教員となる。1910年若山牧水の『創作』の創刊に参加、1926年初めての綴方専門誌『綴方教育』を創刊。1927年口語短歌誌『ぬはり』を創刊した。幼稚舎での教え子に詩人の薩摩忠がいる。 『ぬはり』は戦時下の用紙統制で1944年、『真樹』(1930年、山本康夫創刊)などと合併し『直毘』(なおび)として刊行された時期もあったが、その後も刊行が続いている。
橋本 綱太郎(はしもと つなたろう、1888年(明治21年)… 橋本 綱太郎(はしもと つなたろう、1888年(明治21年)5月12日 - 1942年(昭和17年)10月13日)は、日本の教育者、文部官僚。 福井県足羽郡東郷村(現在の福井市)出身。1911年(明治44年)に盛岡高等農林学校農学科を卒業。宮城県立農学校教諭、同農事試験場技手、福井県今立郡立農学校教諭、盛岡高等農林学校助教授などを歴任。その後高等文官試験に合格し、福岡県鞍手郡長、同糸島郡長、同事務官を務めた。1928年(昭和3年)に文部事務官に移り、大臣官房会計課勤務、専門学務局勤務などを経て、1934年(昭和9年)に文部書記官・宗教局宗務課長に就任した。1937年(昭和12年)からは東京聾唖学校校長を務めた。
中野 美由紀(なかの みゆき)は、日本の音楽教育者、合唱指導… 中野 美由紀(なかの みゆき)は、日本の音楽教育者、合唱指導者。岩手県北上市立黒沢尻北小学校合唱部顧問。 岩手県立盛岡第三高等学校、岩手大学教育学部卒業。 北上市立江釣子小学校、北上市立黒沢尻東小学校、二戸市立石切所小学校を経て、2009年度より、黒沢尻北小学校合唱部の顧問を務める。 2002年(平成14年)から、北上ミューズコーラス隊の指導にも携わる。
新渡戸 仙岳(にとべ せんがく、(1858年10月5日(安政… 新渡戸 仙岳(にとべ せんがく、(1858年10月5日(安政5年8月29日) - 1949年(昭和24年)9月26日)は、日本の教育者、郷土史家。 1858年(安政5年)、陸奥国盛岡馬町(現在の岩手県盛岡市清水町)にある峯壽院住職の家に生まれる。曽祖父の新渡戸姫岳は与謝蕪村に学んだ俳諧師で、諸国を漫遊した。 盛岡藩の藩校作人館に学んだ後、公立盛岡師範学校を経て初等教育者となる。県内各地の小学校に赴任し、1887年(明治20年)気仙郡立高等小学校校長となるも、1907年(明治40年)の盛岡高等女学校校長を最後に教職を辞した。退職後は『巖手日報』主筆となる。その後、岩手県史編纂委員長、南部藩史編纂委員、史跡名勝天然記念物調査委員などを歴任しつつ、郷土史史料の収集にあたった。