永谷 裕香(ながたに ゆか、1977年2月22日 - )は、… 永谷 裕香(ながたに ゆか、1977年2月22日 - )は、東京都出身のフリーアナウンサー、人道支援活動家。 NPO法⼈MUKWANO発起人・代表。結婚後はファイゲンバーム裕香として、米国・ロサンゼルス在住。アナウンサー、ジャーナリスト、ライター、ラジオDJ、司会、MCとしても活動。対応言語は、日本語、英語、ルガンダ語・スワヒリ語(日常会話)。東京大学大学院総合文化研究科修士課程。所属事務所はTBSスパークル(旧:キャスト・プラス)。 大学在学中、2度ウガンダ共和国に滞在し、ウガンダに惹かれる。1999年大学卒業後、1999年3月、東京女子大学現代文化学部言語文化学科を卒業し、同年4月テレビ西日本 (TNC/福岡県) にアナウンサーとして入社。
林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 202… 林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 2021年2月10日)は、日本の政治活動家、経済学研究家。社会主義労働者党委員長、マルクス主義同志会代表を経て、労働の解放をめざす労働者党(略称・労働者党)代表委員。旧組織名・栗木伸一。 元東京女子大学教授・林道義の弟。保守派・反フェミニズムとなった兄については厳しい批判を展開している。 長野県出身。父が教師だっため転居を繰り返す。長野県伊那北高等学校卒業後、東京大学文学部入学。青木昌彦に勧誘され、19歳の時に日本共産党に入党するが半年で離党。離党理由については「お粗末な実態に愛想をつかした」と述べている。その後共産主義者同盟の一員として60年安保闘争に参加。
川田 泰代(かわた やすよ、1916年8月12日 - 200… 川田 泰代(かわた やすよ、1916年8月12日 - 2001年5月5日)は、日本のジャーナリスト、平和運動家。『婦人画報』の編集者、編集長として活動した後、フリーランスの著述業に転じ、アムネスティ・インターナショナルの活動に参画し、もっぱら東アジアの政治犯、いわゆる「良心の囚人」の救援活動に携わった。 大阪府大阪市に生まれる。 1937年に東京女子大学を卒業して『婦人画報』の編集者となるが、1939年に退社して、結婚し、3児の母となる。 戦後、離婚して、1950年に『婦人画報』に復帰し、後に編集長となる。 1960年にはオーストリアで開催された第2回世界ジャーナリスト会議に参加した。またこの前後には、さらに中国、ソビエト連邦、東ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアといった当時の東側諸国から招待を受けて歴訪する。
福永 操(ふくなが みさお、1907年5月8日‐1991年1… 福永 操(ふくなが みさお、1907年5月8日‐1991年1月11日)は、日本の社会運動家、著述家。兵庫県出身。東京女子大学中退。旧姓は波多野、是枝。 1907年、大浦事件の裁判長を務めた波多野高吉と高等女学校教師はまの間に生まれた。1924年、北海道庁立札幌高等女学校(現北海道札幌北高等学校)を卒業し、東京女子大学英語専攻部に入学。在学中に社会科学研究会を結成し、女子学生運動を指導した。 1927年日本共産党に入党後、『無産者新聞』編集長だった是枝恭二と結婚。翌年、三・一五事件で検挙された。1934年2月、治安維持法再犯として起訴され、服役した。 戦後は1955年に日本共産党復党後、地域活動に従事する傍ら、思想研究や運動史研究を行った。
伊藤 千代子(いとう ちよこ、1905年〈明治38年〉7月2… 伊藤 千代子(いとう ちよこ、1905年〈明治38年〉7月21日 - 1929年〈昭和4年〉9月24日)は、昭和初期の運動家。 長野県諏訪郡湖南村南真志野(現・諏訪市)の農家に生まれる。2歳で母と死別、9歳で亡母の実家・岩波家に移り養育される。諏訪高等女学校(現・長野県諏訪二葉高等学校)に進学、同校教諭(のち校長)で歌人の土屋文明から英語・国語・修身の授業を受ける。同校卒業後は諏訪郡の高島尋常高等小学校の代用教員となるが、1924年(大正13年)私立尚絅女学校(宮城県仙台市、現・尚絅学院中学校・高等学校)高等科英文予科を経て、翌年には東京女子大学英語専攻部2年に編入。同大学社会科学研究会で活躍。
陶山 節子(すやま せつこ、旧姓:吉川、1903年12月18… 陶山 節子(すやま せつこ、旧姓:吉川、1903年12月18日 - 2000年8月8日)は日本の宣教師の通訳者、伝道者、福音派の指導者の一人。 1903年(明治36年)に横浜市に6人兄弟の第4子として生まれる。小学校を卒業すると、米国美普教会(メソジスト・プロテスタント教会)本部によって設立された横浜英和女学校(現:青山学院横浜英和中学校・高等学校)に入学し、在学中に第8代目校長のオリヴ・ハジスの薫陶を受け、キリスト教に初めて触れる。 1920年頃、女学校の5年生の時に第三美普教会(日之出町教会、現在の日本基督教団蒔田教会)で洗礼を受ける。 1922年(大正11年)に横浜英和女学校を卒業し、東京女子大学に入学する。
山室 民子(やまむろ たみこ、1900年(明治33年)9月1… 山室 民子(やまむろ たみこ、1900年(明治33年)9月18日 - 1981年(昭和56年)11月14日)は、日本の社会事業家。文部省の最初の女性視学官を務めた。日本救世軍大佐補。 東京府出身。山室軍平、山室機恵子の長女として生まれる。東京市の女子学院で学び、東京女子大学に入学するが、病気のため南湖院に入院し2年間休学する。 東京女子大学卒業後にアメリカのカリフォルニア大学に留学する。1937年(昭和12年)9月にロンドンの救世軍士官学校に入学する。1938年(昭和13年)に万国士官学校、万国本営編集部に勤める。1939年(昭和14年)に帰国する。 1945年(昭和20年)11月、山室、羽仁説子、加藤シヅエ、宮本百合子、佐多稲子、山本杉、赤松常子、松岡洋子の8人が呼びかけ人となり、婦人団体結成に向けた運動を開始。
齋藤 百合(さいとう ゆり、1891年(明治24年)3月31… 齋藤 百合(さいとう ゆり、1891年(明治24年)3月31日 - 1947年(昭和22年)1月17日)は、日本の社会運動家。盲人女性のための教育施設・福祉施設を設置し、その地位向上に力を尽くした。旧名は野口小つる。 愛知県八名郡石巻村(現・豊橋市)にて、野口浪太郎の次女・小つるとして生まれた。父の浪太郎は旅まわりの浪曲師で、母のきくは村の旧家の娘であったが彼に心を寄せ、駆け落ち同然に所帯を持った。二人の間には子どもが5人生まれた。長女のつるは浪太郎の実家の竹上家に引き取られ、次女の小つるが生まれた頃に浪太郎は野口家の養子となり、小つると2人の男の子(沢治・福三郎)は祖父母に預けられ、三女のきんは三ヶ日の外山家に養子に出された。
藤 真知子(ふじ まちこ、8月30日 - )は日本の児童文学… 藤 真知子(ふじ まちこ、8月30日 - )は日本の児童文学作家、環境活動家。東京都出身。 東京女子大学英文科卒業。1985年、『まじょ子どんな子ふしぎな子』で第1回ポプラ社こどもの文学に入選しデビュー。以後、数多くの児童文学を執筆し、『まじょ子』シリーズと『わたしのママは魔女』シリーズはそれぞれ50作を越える長寿作品となっている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。