荒川 亨(あらかわ とおる、1959年(昭和34年)2月1日… 荒川 亨(あらかわ とおる、1959年(昭和34年)2月1日 - 2009年(平成21年)10月23日)は、日本の実業家、システムエンジニア、株式会社ACCESS創業者。 1959年(昭和34年)2月1日、千葉県に生まれる。1977年東京電機大学工学部電気通信工学科入学、逝去後東京電機大学卒業認定。小学校時代から電子工作が好きで、中学生の時にはラジオだ、アンプだ、といろいろなものを作りその後はアマチュア無線を始めた。高校時代から大学を通じてアマチュア無線部所属。大学では無線部とともに体育会系舞踏研究部に所属、頭角を現した。この頃、TI社の論理回路ICが普及し始めた。100円も出せばICが買えて、論理回路が作れた。
神山 治貴(かみやま はるき、1946年(昭和21年)2月5… 神山 治貴(かみやま はるき、1946年(昭和21年)2月5日 - )は、日本の実業家、経営者、マクニカ創業者、マクニカホールディングス名誉会長、神山財団理事長。 秋田県湯沢市生まれ。1969年(昭和44年)3月に東京電機大学工学部第二部電子工学科を卒業。1964年4月日本レミントン・ユニバック株式会社(現・BIPROGY株式会社)、1967年4月株式会社三ツ波、1972年4月インターニックス株式会社を経て、1972年(昭和47年)にジャパンマクニクス株式会社(現・株式会社マクニカ)を創業。 1972年(昭和47年)10月 ジャパンマクニクス株式会社(現・株式会社マクニカ)を創業。 1975年(昭和50年)02月 株式会社マクニカ 代表取締役社長就任。
古川 利彦(ふるかわ としひこ、1940年(昭和15年)3月… 古川 利彦(ふるかわ としひこ、1940年(昭和15年)3月26日 - 2018年(平成30年)7月6日)は、日本の実業家、ソディック創業者。自ら創業したソディックを一代で放電加工機の世界大手企業に育てあげた。 岡山県倉敷市の出身。東京電機大学電機学校卒業後。1976年(昭和51年)8月株式会社ソディック創業と同時に代表取締役社長に就任。1990年(平成2年)6月株式会社ソディック代表取締役会長に就任。2003年(平成15年)2月株式会社ソディックハイテック取締役会長に就任。2013年(平成25年)3月、母校の東京電機大学から名誉博士の称号を授与される。 2015年(平成27年)4月旭日小綬章を受章。
渡辺 浩二(わたなべ こうじ、1928年(昭和3年)7月14… 渡辺 浩二(わたなべ こうじ、1928年(昭和3年)7月14日 - 2009年(平成21年)5月9日)は、日本の実業家、経営者、中央化学創業者。 1928年(昭和3年)7月14日、山梨県に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、1957年(昭和32年)東京都板橋区蓮沼町において、プラスチック製ジュース壜(びん)の製造を開始。 その後、1959年(昭和34年)に有限会社三和樹脂工業所を設立し、ポリエチレン樹脂製の醤油・ソース壜(タレビン)を開発、製造。 1960年(昭和35年)東京都板橋区清水町において、有限会社南部化成を設立し、本格的にタレビンの製造を開始。1961年(昭和36年)埼玉県鴻巣市において、中央化学株式会社を設立。
福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日… 福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日 - 1998年(平成10年)8月19日)は、日本の技術者、実業家、経営者、フクダ電子創業者。 千葉県印旛郡大森町(現在の印西市)に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、大学で学んだ知識を医療に生かそうと、特に1930年代に登場した心電計に着目した。1939年(昭和14年)に独力で福田特殊医療電気製作所(現・フクダ電子)を創業。当時の心電計は直流電池を電源に真空管3本と可動鉄片型ガルバー、ゼンマイ式モーターを使った簡単な構造の心電計で、オシログラフペーパーに記録し現像するという代物だった。 戦後、交流電源を使うようになったが、今度は雑音が激しく専門家が操作を手助けするような状況で、まだまだ臨床での利用にはほど遠かった。
内田 鐡衛(うちだ てつえ、1904年(明治37年)6月29… 内田 鐡衛(うちだ てつえ、1904年(明治37年)6月29日 - 1996年(平成8年)2月18日)は、日本の技術者、実業家、経営者、株式会社コロナ創業者。内田力は長男。 1904年(明治37年)新潟県三条市に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、20歳の時には逓信省電気事業主任技術者の資格を取得。その技術と知識を生かすべく富山電気(現・北陸電力)へ入社。 入社後4年程で、父に呼び戻され家業であるガソリンコンロの販売を手伝うようになる。家業は順調に進み、販売や修理を通して、燃焼効率や操作性などコンロの様々な改良点を発見した鐡衛は、徐々に自分のアイデアを活かしたコンロを自らの手で作り上げたいという思いを強めていく。
戸上 信文(とがみ のぶふみ、1895年(明治28年)5月1… 戸上 信文(とがみ のぶふみ、1895年(明治28年)5月13日 - 1967年(昭和42年)8月9日)は、日本の技術者、実業家、経営者、戸上電機製作所創業者、日本タングステン創業者。 1895年(明治28年)熊本県に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、佐賀市の日本電機鉄工(製麺機の発明で知られる真崎照郷が設立した真崎鉄工場から製麺機以外の電気機械や高圧タービンポンプ部門を引き継いだ企業。社長は藤山雷太。真崎照郷も相談役に就任していた。)の技師時代に自動開閉器配電装置を開発したことで1919年(大正8年)に自動開閉器部を社内に設える事となり、これが戸上電機の源流となった。 1923年(大正12年)に交流電磁石実用化を契機に、1本の回線から昼間線と夜間線を自動的に切り替える「戸上式自動配線装置」と呼ばれる配電装置を考案した。