牧野 宏(まきの ひろし、1937年11月9日 - 1994… 牧野 宏(まきの ひろし、1937年11月9日 - 1994年1月20日)は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 成田高等学校では投手、五番打者として活躍。1955年夏の県予選、南関東大会で3完封、5本塁打を記録。南関東大会決勝で鴻巣高を延長10回の末に破り、夏の甲子園に出場。甲子園では2回戦(初戦)で津久見高の田中喜八郎と投げ合うが、大差で完封負けを喫する。高校同期に左翼手、四番打者の平山正行(南海)がいた。 法政大学へ進学。エース、中心打者として活躍するが、東京六大学野球リーグは当時、長嶋茂雄、杉浦忠らの立大全盛期であり、法大は優勝に届かなかった。しかし1957年秋季リーグで、シーズン最優秀防御率0.19のリーグ記録を達成。
鈴木 耕一(すずき こういち、1937年10月22日 - )… 鈴木 耕一(すずき こういち、1937年10月22日 - )は、日本の映画・テレビドラマの撮影技師。東京都調布市出身。日本映画撮影監督協会(J.S.C)会員。 1956年、法政大学第一中・高等学校(現法政大学中学高等学校)卒業後、父が大映勤務を経て日活の美術関係を務めていたことがきっかけで、日活撮影所に入社。中平康監督作『狙われた男』の撮影助手を務め、萩原憲治に師事する。その後、ポルノ映画路線を変更し、山崎善弘に師事した。
中野渡 春雄(なかのわたり はるお、1937年(昭和12年)… 中野渡 春雄(なかのわたり はるお、1937年(昭和12年)10月14日 - )は、日本の政治家。元青森県十和田市長。 のちの青森県十和田市に生まれる。1962年(昭和37年)3月、立教大学法学部卒業後、1964年(昭和39年)3月、法政大学文学部を卒業する。 十和田市総務部長、民生部長、経済部長などを経て、1997年(平成9年)同市教育長となり、1998年(平成10年)7月、十和田市長に就任した。2009年(平成21年)1月まで在任した。
不破 孝一(ふわ こういち、1937年(昭和12年)9月29… 不破 孝一(ふわ こういち、1937年(昭和12年)9月29日 - 2012年(平成24年)2月6日)は日本の新聞記者、実業家。元BS日本社長。 1937年(昭和12年)9月29日、東京都に生まれる。法政大学経済学部を卒業後、1964年(昭和37年)に読売新聞社に入社する。1990年(平成2年)に世論調査部長、1992年(平成4年)に政治部長、1993年(平成5年)に編集局次長、1995年(平成7年)にメディア企画局長、1998年(平成10年)に取締役BS放送担当を経て、BS日本専務に就任し、2009年(平成21年)に社長に就任する。
林 春生(はやし はるお、1937年8月18日 - 1995… 林 春生(はやし はるお、1937年8月18日 - 1995年2月28日)は、日本の作詞家、テレビプロデューサー。 本名:林良三。島根県大田市出身。 テレビ番組制作の際は本名の「林良三」を、作詞家としての活動の際はペンネームである「林春生」を使用していた。 作曲家すぎやまこういちの妹と結婚し、すぎやまは義兄に当たる。 島根県立邇摩高等学校から島根県立松江高等学校(現:島根県立松江北高等学校)に転校し卒業後、1956年、法政大学文学部に入学。 在学中にニッポン放送でアルバイトをしながら、1960年、卒業と同時にフジテレビに入社。 フジテレビでは『ザ・ヒットパレード』『新春かくし芸大会』『ミュージックフェア』『リブ・ヤング!』等の番組でディレクター・プロデューサーとして活動した。
保谷 高範(ほうや こうはん、1937年〈昭和12年〉5月1… 保谷 高範(ほうや こうはん、1937年〈昭和12年〉5月11日 - 2006年〈平成18年〉8月27日)は日本の政治家。西東京市長(1期)、旧保谷市長(2期)。位階は従五位。勲等は旭日小綬章。 法政大学経済学部卒業後、市長就任前に保谷中町四郵便局長に就任し、特定郵便局長業務推進連絡会保谷部会長を務めた。その後、政界へ進出。 1993年(平成5年)、保谷市長選挙に自由民主党、公明党、民社党、日本新党の推薦を受けて立候補し、5選を目指した都丸哲也を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:74,320人 最終投票率:48.50%(前回比:-pts) 1997年(平成9年)、保谷市長選挙に自民党、公明党の推薦を受けて立候補し、日本共産党推薦の都丸を破って再選を果たした。
梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5… 梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5月19日)は、日本の文芸評論家。本名は佐藤春夫。 新潟県新潟市生まれ。1957年に新津高校を卒業し、法政大学文学部に入る。在学中に、吉本隆明と出会い、雑誌「試行」に文学評論を発表する。1962年より千葉県の県立高校に教諭として勤務し、1998年に退職する。その後、弘前学院大学教授、法政大学大学院講師などを務めた。 2010年5月19日0時8分、千葉市中央区の病院で食道癌による敗血症のため73歳で死去。
小沢 遼子(小澤遼子、おざわ りょうこ、1937年〈昭和12… 小沢 遼子(小澤遼子、おざわ りょうこ、1937年〈昭和12年〉5月4日 - )は、日本の政治家、評論家。 地方議員時代には浦和市議会議員を3期、埼玉県議会議員を1期務めた。 東京都出身。埼玉県立浦和第一女子高等学校、療養生活を経た後に法政大学社会学部心理学科卒。学生時代は学生運動に明け暮れていた。後の平凡パンチのインタビュー[要文献特定詳細情報]で法政大学に入学した理由を「病み上がりだったので入学しやすく、卒業しやすいところを選んだ。」と語っている。卒業後、広告代理店、出版社勤務を経て、1967年、当時継続していたベトナム戦争に異議を唱えるため、ベトナムに平和を! 埼玉市民連合結成、自ら代表としてベトナム反戦運動を展開。
天彦 五男(あまひこ いつお、1937年(昭和12年)2月2… 天彦 五男(あまひこ いつお、1937年(昭和12年)2月20日 - 2009年(平成21年)8月23日)は日本の詩人。元日本詩人クラブ会長。本名は堀田寛(ほったひろし)。 1937年(昭和12年)2月20日、東京府に生まれる。法政大学経済学部を卒業する。『あいなめ』『鴉』に所属。2001年(平成13年)5月から日本詩人クラブ会長を務める(-2003年(平成15年)5月)。2009年(平成21年)8月23日に死去、72歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
柿沼 孝子(かきぬま たかこ、1937年 - )は日本の文学… 柿沼 孝子(かきぬま たかこ、1937年 - )は日本の文学者。立正大学名誉教授。専門は米文学、意味論。 東京女子大学英米文学科を卒業後、法政大学大学院英文学専攻修士課程を修了する。後に立正大学経済学部教授となる。専門の米文学ではマーク・トウェインを主に研究した。2007年に立正大学を定年退任し名誉教授となる。
岩崎 富士男(いわさき ふじお、1937年または1938年 … 岩崎 富士男(いわさき ふじお、1937年または1938年 - 2016年4月9日)は、日本のクリエイティブ・ディレクター、作詞家。広告業界大手の博報堂関西支社長代理で、その後大阪芸術大学放送学科長として教鞭をとった。クロード・Q(クロード・キュー)名義で手掛けたテレビアニメ『キューティーハニー』の同名オープニング主題歌の作詞で知られる。 福岡県出身。法政大学卒業後、博報堂にてクリエイティブ・ディレクターとして活躍した。カンヌ国際広告フェスティバルグランプリなど、国際広告賞を多数受賞した。カンヌで受賞した作品は、パナソニックのCMで、果物の中で電球が光る「光のメニュー」だった。 2000年に大阪芸術大学教授となり、学生にコピーライティングなどを指導。
桜井 康雄(さくらい やすお、1936年12月23日 - 2… 桜井 康雄(さくらい やすお、1936年12月23日 - 2017年4月10日)は、日本のスポーツ新聞記者、プロレス評論家。 元東京スポーツ記者、取締役編集局長を歴任。正確には「櫻井 康雄」。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。法政大学卒業後の1961年に東京スポーツ新聞社に入社。運動部に配属されプロレス記者として活躍、運動部長を経て取締役編集局長にまで出世する。その一方、テレビ東京のプロレスアワー、テレビ朝日の新日本プロレス中継『ワールドプロレスリング』の解説者として、舟橋慶一・古舘伊知郎らとのコンビで1980年代中盤まで親しまれた。 桜井は、日本初のプロレス専門誌「月刊ファイト」で主幹を務めた田鶴浜弘、「日刊スポーツ」で運動部長を務めた鈴木庄一と並んで、昭和以降のプロレス史実を記述した人物として知られる。
長谷川 潮(はせがわ うしお、1936年10月20日 - 2… 長谷川 潮(はせがわ うしお、1936年10月20日 - 2022年9月29日)は、日本の児童文学評論家。東京都生まれ。 東京都立三鷹高等学校定時制卒。国際基督教大学大学図書館勤務(1962年 - 1997年)と児童文学の評論、創作などを行う傍ら法政大学文学部通信制卒業。雑誌『日本児童文学』、『国文学 解釈と鑑賞』、『子どもの文化』、『子どもの本棚』などで評論・研究活動を展開。戦争児童文学についての研究が多く、土家由岐雄の『かわいそうなぞう』に関しては、読者である子どもたちを欺くようにして、事実と異なる創作部分を恣意的に混在させていることを批判している。 1962年、投稿評論「芥川龍之介童話論」にて高山賞論文募集佳作を受賞。
春江 一也(はるえ かずや、1936年10月9日 - 201… 春江 一也(はるえ かずや、1936年10月9日 - 2014年8月2日 )は、日本の作家、外交官。 朝鮮京城に生まれる。法政大学経済学部を卒業後、1962年に外務省に入省する。1968年、駐チェコスロバキア大使館在勤中に「プラハの春」に遭遇し、ソ連軍侵攻の第一報を打電する。その後、駐東ドイツ大使館、在ベルリン総領事館、フィリピン在ダバオ出張駐在官事務所(現・在ダバオ総領事館)等に勤務する。 2000年に定年退官し、同年、日比友好と相互理解推進の功績により、ダバオ市議会より名誉市民称号を贈られる。のち参議院議員政策秘書を経て、チェコスロバキア勤務時代の体験をもとにしたドキュメントタッチのサスペンス・ノベル『プラハの春』を出版し、小説家としてデビューする。
宮里 昭也(みやざと あきや、1936年(昭和11年)9月2… 宮里 昭也(みやざと あきや、1936年(昭和11年)9月24日 - 2017年(平成29年)1月12日)は日本の実業家、新聞記者。元琉球新報社会長。 1936年(昭和11年)9月24日、沖縄県大宜味村に生まれる。1960年(昭和35年)法政大学法学部を卒業し、1961年(昭和36年)琉球新報社に入社する。東京支社報道副部長、政経部長、社会部長、編集局次長を経て、1983年(昭和58年)編集局長に就任する。 1987年(昭和62年)に取締役、1993年(平成5年)に常務、1994年(平成6年)に専務、1996年(平成8年)に社長。同年、政府の諮問機関「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」の委員として、沖縄振興策の策定に関わった。
飯田 哲也(いいだ てつや、 1936年9月17日 - 20… 飯田 哲也(いいだ てつや、 1936年9月17日 - 2023年5月9日)は、日本の社会学者。専門は、家族社会学。 富山市生まれ。法政大学社会学部卒業後、法政大学大学院社会学研究科単位取得退学。1992年、名古屋大学から博士(文学)の学位を取得。日本福祉大学講師・助教授、立命館大学産業社会学部助教授・教授を歴任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
梅崎 利秋(うめざき としあき、1936年9月2日 - 20… 梅崎 利秋(うめざき としあき、1936年9月2日 - 2018年12月31日)は、日本の実業家。新京成電鉄第7代代表取締役社長。 1936年9月2日、山口県下関市生まれ。1955年山口県立豊浦高等学校、1960年法政大学法学部政治学科卒業。 1961年京成電鉄入社。主に経理畑を歩み、同社取締役関連事業部長、常務取締役、専務取締役等を経て、2000年新京成電鉄代表取締役社長となり京成電鉄取締役を兼ねる。2006年新京成電鉄代表取締役会長、2008年相談役。2014年旭日中綬章受章。2018年12月31日、肺癌のため死去、82歳。叙正五位。
島田 幸雄(しまだ ゆきお、1936年8月18日 - )は、… 島田 幸雄(しまだ ゆきお、1936年8月18日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは一塁手。
内山 森彦(うちやま もりひこ、1936年5月27日 - )… 内山 森彦(うちやま もりひこ、1936年5月27日 - )は、日本の俳優、声優。長野県諏訪市出身。アンテーヌ所属。 長野県諏訪清陵高等学校卒業、法政大学文学部日本文学科卒業。 以前は劇団三十人会、プロダクション・エムスリーに所属していた。
石橋 誠晃(いしばし せいこう、1936年(昭和11年)5月… 石橋 誠晃(いしばし せいこう、1936年(昭和11年)5月13日 - 2016年(平成28年)12月13日)は、昭和から平成時代の政治家。位階は正五位。愛知県常滑市長。 愛知県出身。法政大学法学部卒業。 常滑市議会事務局長、市消防長、助役を経て、1991年(平成3年)常滑市長に当選。2007年(平成19年)まで4期16年間務めた。 2008年、旭日小綬章受章。 2016年(平成28年)12月13日、肺癌のため死去した。叙正五位。
翁長 助裕(おなが すけひろ、1936年〈昭和11年〉3月1… 翁長 助裕(おなが すけひろ、1936年〈昭和11年〉3月14日 - 2011年〈平成23年〉1月15日)は、日本の政治家、地方公務員。沖縄県副知事、沖縄県議会議員。 1936年(昭和11年)3月14日、沖縄県那覇市古島に生まれる。1959年(昭和34年)に法政大学法学部政治学科を卒業、1962年(昭和37年)に法政大学大学院社会学研究科政治学専攻修士課程を修了し、琉球政府計画局に入る。 1972年(昭和47年)に沖縄県議会議員(2期)に当選し、1977年(昭和52年)に新自由クラブ沖縄県連代表に就任し、1979年(昭和54年)の衆議院沖縄県全県区に新自由クラブ公認で立候補するが落選する。1980年(昭和55年)に沖縄県教育委員(2期)、1984年(昭和59年)から教育委員長(3期)を務める。
中嶋秀子(なかじま ひでこ、1936年3月12日 - 201… 中嶋秀子(なかじま ひでこ、1936年3月12日 - 2017年12月1日)は、日本の俳人。 東京生まれ。本名・川崎三四子。夫は俳人の川崎三郎(1935-1984)。法政大学文学部日本文学科卒。『沖』に参加し、俳誌『響』を創刊、主宰した。1994年度現代俳句協会賞受賞。
山口 節子(やまぐち せつこ、1936年1月29日 - )は… 山口 節子(やまぐち せつこ、1936年1月29日 - )は、日本の児童文学作家。 東京神楽坂生まれ。法政大学文学部日本文学科卒。医学関係の出版社編集を経て、作家。楊名時八段錦・太極拳師範。夫は岡崎ひでたか。
田辺 悟(たなべ さとる、1936年〈昭和11年〉 - )は… 田辺 悟(たなべ さとる、1936年〈昭和11年〉 - )は、日本の民俗学者・歴史学者。三浦市文化財保護委員会会長や、千葉経済大学経済学部教授、横須賀市自然・人文博物館館長を務めた。専門は海村民俗学、民具学、文化史学 神奈川県横須賀市に生まれる。法政大学社会学部を卒業し、中学校の教員として務める。その後、横須賀市自然博物館・人文博物館両館長、千葉経済大学経済学部教授を歴任する。 1996年(平成8年)に『近世日本蜑人伝統の研究』で博士(文学)の学位を法政大学から取得した。 『日本蜑人伝統の研究』で第29回柳田国男賞を受賞。2008年(平成20年)に旭日小綬章を受章する。 また、日本民具学会会長、文化庁文化審議会専門委員などを歴任した。
尾髙 煌之助(おだか こうのすけ、1935年〈昭和10年〉1… 尾髙 煌之助(おだか こうのすけ、1935年〈昭和10年〉12月15日 - )は、日本の経済学者。専門は労働経済学。一橋大学・法政大学名誉教授。紫綬褒章受章。日経・経済図書文化賞、労働関係図書優秀賞受賞。 1935年、尾高次郎の五男である尾高邦雄の子として東京府東京市(現東京都千代田区)生まれた。一橋の設立に携わった渋沢栄一は曽祖父。母・京子は和辻哲郎の長女である。成蹊高等学校理系を経て、1年間の浪人生活を経て、慶應義塾大学経済学部に補欠で合格。大学では、藤林敬三ゼミで学んだ。カリフォルニア大学バークレー校大学院に留学し、1964年に修士課程を修了、1967年に経済学博士号を取得。 米国滞在時に、共同研究のためUCバークレーを訪れていた大川一司一橋大学経済研究所教授の知遇を得る。
伊達 正三郎(だて しょうざぶろう、1935年12月7日 -… 伊達 正三郎(だて しょうざぶろう、1935年12月7日 - )は、神奈川県足柄上郡松田町出身の俳優。旧芸名:舘 正三郎新東宝映画末期の主演級スター。 生家は酒類小売商で4男2女の2男。神奈川県立吉田島農林高等学校から法政大学法学部法律学科に進み、3年のときアルバイトで知り合った丹波哲郎に薦められ、第5期新東宝ニューフェイスに応募して合格し、1957年4月、新東宝に入社。丹波の本名・正三郎をもらい舘正三郎を芸名として映画『憲兵とバラバラ死美人』(1957年)でデビュー。のち伊達正三郎と改名。時代劇・現代劇両方に出演し、怪談映画の『怪談鏡ケ淵』(1959年)、『怪猫お玉が池』(1960年)では主演を務めるなど、新東宝の若手スターの一人となった。
平野 貞夫(ひらの さだお、1935年〈昭和10年〉12月1… 平野 貞夫(ひらの さだお、1935年〈昭和10年〉12月1日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、参議院財政金融委員長などを務めた。 高知県土佐清水市出身。父は医師。1958年、法政大学法学部法律学科卒業。1960年、法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。衆議院事務局に入局し、園田直の下で副議長秘書、前尾繁三郎の下で議長秘書を務めた後、委員部総務課長、委員部長を経て退職。 1992年7月26日投開票の第16回参議院議員通常選挙に高知県選挙区から無所属(自由民主党、公明党推薦、民社党支援)で立候補し、初当選。国会議員選挙ではそれまでに例のない与党自民党と野党公明党(当時)・民社党(当時)支援の相乗り候補として注目され、小沢一郎と市川雄一によるいわゆる「一・一ライン」の存在が広く知られる契機となる。
深沢 秋男(ふかさわ あきお、1935年11月17日 - 2… 深沢 秋男(ふかさわ あきお、1935年11月17日 - 2021年1月15日)は、日本の国文学者。専門は仮名草子、特に如儡子『可笑記』。また『井関隆子日記』を再発見した功績でも知られる。 山梨県身延町生まれ。身延高等学校を経て、1962年法政大学文学部日本文学科卒。同年、桃源社編集部に就職。1969年誠文堂新光社事典部に転職。1983年昭和女子大学専任講師、1987年同助教授、1994年同教授。2005年定年退職、2008年同大学名誉教授。 鹿島則文旧蔵の桜山文庫、鈴木重嶺旧蔵の翠園文庫を昭和女子大学図書館に収めるにあたり尽力した。
酒巻 英雄(さかまき ひでお、1935年(昭和10年)10月… 酒巻 英雄(さかまき ひでお、1935年(昭和10年)10月25日 - )は、日本の実業家。元野村證券(現在の野村ホールディングス)代表取締役社長。 神奈川県に生まれる。1958年(昭和33年)に法政大学経済学部を卒業し、野村證券に入社する。 1991年(平成3年)6月、同社代表取締役社長に就任する。1997年(平成9年)3月、総会屋に対する利益供与事件で同社代表取締役社長を引責辞任する。また、東京証券取引所理事会議長、公社債引受協会会長を歴任し、アジア・アライアンス・ホールディングス社外取締役を務めたこともある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
村串 仁三郎(むらくし にさぶろう、1935年(昭和10年)… 村串 仁三郎(むらくし にさぶろう、1935年(昭和10年) 10月20日- )は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。専門は労働経済学。 東京に生まれる。1958年に法政大学社会学部(2部)を卒業し、1963年に同大学大学院社会科学研究科経済学専攻修士課程を修了、1969年に同大学院博士課程を単位取得後満期退学する。1969年に法政大学経済学部専任助手、1970年に助教授、1980年に教授に就任する。1982年に『日本炭鉱賃労働史論』で経済学博士(法政大学)取得する。2006年3月、定年退職する。 2016年に行われた『高度成長期日本の国立公園』の出版記念会で、弟子の中村寿徳にスピーチを求め、中村は、環境保護運動で有名な南方熊楠とを対比して述べた。
小坂 佳隆(こさか よしたか、1935年10月12日 - 1… 小坂 佳隆(こさか よしたか、1935年10月12日 - 1987年3月1日)は、神奈川県出身で、広島カープに在籍したプロ野球選手(二塁手)。愛称は「ピョンちゃん」。
芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )… 芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )は日本の元女優。本名:伊藤 幸子(旧姓:芦川)。日活の黄金期を代表する女優として知られる。 東京市北区滝野川田端町で生まれる。後に神奈川県横浜市鶴見区矢向に移り住み、矢向小学校に通った。1944年空襲が激しくなったため、神奈川の桜井村(現在の小田原市栢山)に集団疎開し、戦後になって戻った。1952年に法政大学潤光女子高校を中退し、松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入学する。同期に野添ひとみ、山鳩くるみらがいた。このとき芸名を「芦川いづみ」とする。 1953年にファッション・ショー出演中に松竹の川島雄三監督に認められ、川島監督の『東京マダムと大阪夫人』でデビューする。
木暮 茂夫(こぐれ しげお、1935年10月3日 - 200… 木暮 茂夫(こぐれ しげお、1935年10月3日 - 2009年10月13日)は、栃木県出身の元重量挙げ選手。法政大学出身。 1960年にイタリア・ローマで行われた第17回夏季オリンピックに重量挙げ日本代表として出場し、バンタム級で4位になった。同階級には同じく日本代表として三宅義信が出場し、銀メダルを獲得した。三宅も小暮と同じ法政大学出身であり、三宅は小暮がいたことから法政大学への進学を決めたのだという。 2009年10月13日、足利市西宮町の自宅にて肺がんのため死去。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
藤平 輝夫(ふじひら てるお、1935年10月3日 - 20… 藤平 輝夫(ふじひら てるお、1935年10月3日 - 2025年3月8日)は、日本の政治家。元千葉県勝浦市長(3期)。 千葉県出身。1958年法政大学法学部卒。 勝浦市議会議員を経て、1999年勝浦市長選挙に立候補し、初当選する。1期目にかつうらビッグひな祭りを企画し、開催(2001年に開始)。2003年と2007年に連続当選した(いずれも無所属)。在職中、夷隅郡市広域市町村圏事務組合の管理者を務めた。 2010年に翌年の市長選挙に不出馬を表明、2011年に退任した。「外房線と地域を守る会」の会長を務める。 2012年、旭日小綬章受章。 2025年3月8日に死去。89歳没。この件については勝浦市議会議員の佐藤啓史が自身の公式Youtubeチャンネルにて報告している。
石垣 宏(いしがき ひろし、1935年(昭和10年)8月10… 石垣 宏(いしがき ひろし、1935年(昭和10年)8月10日 - )は、日本の政治家。元石川県七尾市長。 石川県出身。1958年(昭和33年)法政大学経済学部卒業後、能登信用金庫に入庫。 1975年(昭和50年)から七尾市議会議員2期を経て、1985年(昭和60年)七尾市長に当選。2001年(平成13年)まで務めた。
平林 千牧(ひらばやし ちまき、1935年8月10日 - 2… 平林 千牧(ひらばやし ちまき、1935年8月10日 - 2022年7月30日)は、日本の経済学者。位階は従四位。元法政大学総長・日本私立大学連盟常務理事・大学基準協会理事・日本キャリアデザイン学会常務理事・産業ネットワーク多摩副会長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
太田 勝洪(おおた かつひろ、1935年4月28日 - 20… 太田 勝洪(おおた かつひろ、1935年4月28日 - 2004年3月27日)は、日本の歴史学者、国際政治学者。元法政大学教授。専門は中国史、国際政治学。 1935年に東京都で生まれる。東京都立大学附属高等学校を卒業後、東京大学文学部東洋史学科へ入学した。その後、同大学院国際関係論専門課程博士課程を修了する。1965年に国立国会図書館の調査及び立法考査局外務課へ勤め、現代中国に関する研究を行う。1973年に法政大学法学部政治学科助教授となり、1978年に教授に昇格する。1993~98年に中国研究所理事長として活動した。また、大連外語学院訪問教授、東京女子大学非常勤講師などを務めたほか、逝去時まで日本現代中国学会理事であった。
岡本 雄作(おかもと ゆうさく、1935年2月22日 - )… 岡本 雄作(おかもと ゆうさく、1935年2月22日 - )は、日本の自転車競技指導者。元オリンピック自転車競技日本代表監督。神奈川県出身、法政大学工学部卒業。 1976年のモントリオールオリンピック、日本が不参加となった1980年のモスクワオリンピック、1984年のロサンゼルスオリンピックと、3大会連続で代表監督を歴任。 また、モントリオール大会では長義和がスクラッチ(現 スプリント)で6位入賞、ロサンゼルス大会では坂本勉が同じくスクラッチで銅メダル獲得を果たしたことによる一連の実績を讃えられ、2001年にオリンピック・オーダーの銀章を受章した。 現在は、日本自転車競技連盟顧問。日本オリンピック委員会名誉委員。
岡田 義明(おかだ よしあき、1935年(昭和10年)2月2… 岡田 義明(おかだ よしあき、1935年(昭和10年)2月21日-1989年(平成1年)8月16日)は日本の弁護士。金沢弁護士会会長、日本調停協会連合会理事を歴任する。 1935年(昭和10年)2月21日、石川県羽咋市に生まれる。 1957年(昭和32年)に法政大学法学部を卒業し、1959年(昭和34年)に法政大学大学院法学研究科を修了する。 1989年(平成1年)8月16日、呼吸不全により死去、54歳。 『現代物故者事典』(日外アソシエーツ、1993) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
太田 豊秋(おおた とよあき、1935年〈昭和10年〉2月1… 太田 豊秋(おおた とよあき、1935年〈昭和10年〉2月15日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党元参議院議員。福島県出身。父は衆議院議員などを歴任した実業家・太田秋之助。福島県議会元議長(現・県議会議員)の太田光秋は長男。孫はお笑いコンビ「天明ブラウン」の太田成秋。 福島県立原町高等学校を経て、1959年に法政大学経済学部を卒業。1968年7月、東北建設株式会社の代表取締役に就任。 1978年福島県議会議員に当選し、以後5期務める。県議時代は、参議院議員を経て福島県知事となった佐藤栄佐久の盟友として、知事選挙を取り仕切る。福島県議会議長を経て、石原健太郎の衆議院鞍替えによる1993年の参議院補欠選挙福島県選挙区で初当選し、以降連続当選3回。
安井 俊夫(やすい としお、1935年 - )は、日本の教育… 安井 俊夫(やすい としお、1935年 - )は、日本の教育学者。専門は社会科教育法。東京都生まれ。法政大学法学部卒。千葉県公立中学校教師を経て、愛知大学経済学部教授を歴任。
鈴木 三好(すずき みよし、1935年 - 2019年9月2… 鈴木 三好(すずき みよし、1935年 - 2019年9月27日)は、神奈川県藤沢市出身の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは投手。 藤嶺藤沢高等学校、法政大学を経て、神奈川大学に転校する。大学卒業後は、社会人野球のリッカーに入団する。現役時代は下手投げの投手として活躍した。 1959年から1998年までに神奈川大学の監督を務め、神奈川大学野球リーグでは40回のリーグ優勝を遂げ、日米大学野球日本代表のコーチも務めた。
有馬 三恵子(ありま みえこ、1935年〈昭和10年〉または… 有馬 三恵子(ありま みえこ、1935年〈昭和10年〉または1936年 - 2019年〈平成31年〉4月18日)は、日本の作詞家である。伊東ゆかり「小指の想い出」、南沙織「17才」、 金井克子「他人の関係」、 布施明「積木の部屋」などのヒット曲で知られる。 本名・立石三惠子。山口県防府市出身。法政大学を卒業。1960年代後半から作詞家活動を開始する。 時期は不明であるが、同郷の出身の作曲家で当時音楽之友社『ポップス』誌編集長であった鈴木淳と結婚、鈴木を職業作曲家として確立させた1967年(昭和42年)2月10日発売のヒット曲、伊東ゆかり「小指の想い出」の作詞を手がけ、「おしどり夫婦」と紹介される。
片桐 一男(かたぎり かずお、1934年12月26日- )は… 片桐 一男(かたぎり かずお、1934年12月26日- )は、日本の歴史学者。青山学院大学名誉教授。専攻は、蘭学史・洋学史・日蘭文化交渉史。 1934年、新潟県生まれ。1953年、新潟県立与板高等学校を卒業。1961年、法政大学文学部研究助手。1967年、法政大学大学院人文科学研究科(日本史学専攻)博士課程単位取得退学。 1968年、文部省職員となる。1977年、青山学院大学文学部助教授、1981年、同教授。1983年、学位論文『阿蘭陀通詞の研究』を青山学院大学に提出して文学博士の学位を取得。2003年に青山学院大学を定年退職、名誉教授。その後は、公益財団法人東洋文庫研究員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
谷津 義男(やつ よしお、1934年〈昭和9年〉7月23日 … 谷津 義男(やつ よしお、1934年〈昭和9年〉7月23日 - 2021年〈令和3年〉6月3日)は、日本の政治家。位階は従三位。旭日大綬章受章。 農林水産大臣(第31代)、衆議院内閣委員長、衆議院議員(7期)、群馬県議会議員(3期)等を歴任。 群馬県邑楽郡多々良村(現・館林市)に、父鶴吉・母イソの長男として生まれる。1953年に群馬県立館林高等学校を卒業し、1957年法政大学法学部政治学科を卒業。親戚筋にあたる衆議院議員・福井盛太の秘書となった。埼玉ダイハツ販売勤務を経て1969年から衆議院議員・坂村吉正の秘書となる。1975年に群馬県議会議員に初当選し、連続3期務めた。 1986年、引退する長谷川四郎の地盤を引き継ぎ、第38回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧群馬2区から立候補し初当選。
古川 啓三(ふるかわ けいぞう、1934年4月25日 - 1… 古川 啓三(ふるかわ けいぞう、1934年4月25日 - 1984年10月6日)は岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
斎田 忠利(さいだ ただとし、1934年4月11日 - )は… 斎田 忠利(さいだ ただとし、1934年4月11日 - )は、プロ野球選手、審判人。元パシフィック・リーグ審判部長。東京都出身。
目黒 吉之助(めぐろ きちのすけ、1934年3月29日 - … 目黒 吉之助(めぐろ きちのすけ、1934年3月29日 - 2019年3月14日)は、日本の政治家。 新潟県議会議員(4期)、衆議院議員(1期)などを歴任した。 福島県只見町出身。1961年法政大学大学院政治学研究科修了。日農新潟県連書記長、長岡労農会議議長などを経て、1979年から新潟県議を4期務めた。1990年の総選挙で旧新潟3区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。1995年の参院選に新潟県選挙区、2000年の総選挙に新潟5区からそれぞれ立候補したがいずれも落選している。2005年、旭日小綬章受章。 2019年3月14日、多臓器不全のため、群馬県渋川市内の病院で死去。84歳没。
梅木 恒明(うめき・つねあき 1934年3月24日 - 20… 梅木 恒明(うめき・つねあき 1934年3月24日 - 2013年10月29日)は、日本のラグビーフットボール指導者。玖珠農在学中ラグビー部に所属している。当時は二足の草鞋を履いて、複数の部活に所属する事は普通であった。 1934年3月24日、大分県玖珠郡玖珠町出身。大分県立玖珠農業高等学校時代は野球部に入り、高校球児として甲子園を目指した経歴を持つ。高校卒業後は法政大学に進学し、法政卒業後に保健体育教師の教員免許を取得するべく日本体育大学に入学した。 教員免許取得後、1961年に私立目黒高等学校に教師として赴任。同校ラグビーフットボール部監督に就任する。同校ラグビーフットボール部監督時代に当時、多摩川べりに在った自宅に部員を下宿させ、毎朝10㎞をランニングさせたり、多摩川の河川敷で真夜中まで練習をさせ、又は梅木の実家がある玖珠町の陸上自衛隊玖珠駐屯地で夏合宿を敢行するなど、「常軌を逸した」(松尾雄治の述懐)猛特訓を行ったという。
園部 勝(そのべ まさる、1934年〈昭和9年〉3月23日 … 園部 勝(そのべ まさる、1934年〈昭和9年〉3月23日 - )は、日本のスキー指導者。群馬県出身。 1934年(昭和9年)、群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)に、園部良雄の次男として生まれる。幼少から園部ヒュッテ前インターハイ発祥の地大穴スキー場でスキーを学ぶ。群馬県立沼田高等学校卒業後、国鉄大井工場で勤務。 法政大学に入学し、全日本学生選手権・全日本選手権を制覇。法政大学を中退し、1961年(昭和36年)プロに転向。1962年(昭和37年)に苗場スキースクールを立ち上げた。 プロ団体「日本職業スキー教師連盟」(SIA)を有志と発足。現在は、全日本スキー連盟(SAJ)でスキースクール代表を務める。