福田 大和(ふくだ やまと、2006年1月27日 - )は、… 福田 大和(ふくだ やまと、2006年1月27日 - )は、日本の柔道家。兵庫県明石市出身。階級は60kg級。身長162cm。段位は二段。組み手は左組み。血液型はO型。得意技は内股、寝技。福田3兄弟の三男で、長男の大悟、次男の大晟も柔道選手。 柔道は3歳の時に二見少年柔道クラブで始めた。小学校6年の時に全国小学生学年別柔道大会50kg級で3位になった。夙川中学2年の時には全国中学校柔道大会の50kg級で2位となった。比叡山高校へ進学すると、1年の時に全国高校選手権60kg級の決勝で福岡大学大濠高校2年の松永烈に技ありで敗れて2位にとどまった。2年の時にはインターハイの決勝で松永を送襟絞で破って優勝した。
大野 萌亜(おおの もあ、2004年3月6日 - )は、熊本… 大野 萌亜(おおの もあ、2004年3月6日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手。階級は57kg級。身長169cm。組み手は右組み。得意技は内股。 玄武館少年柔道クラブで柔道を始めると、託麻中学3年の時に全国中学校柔道大会52㎏級に出場するも3回戦で敗れた。熊本西高校へ進むと、2年の時に高校選手権57㎏級の3回戦で敗れた。2022年に福岡大学へ進学すると、1年の時に優勝大会で3位となった。2年の時に全日本ジュニアで3位だった。3年の時には全日本ジュニアの決勝で筑波大学1年の白金未桜に敗れて2位だった。講道館杯では3位になった。グランドスラム・東京では2回戦で敗れた。グランドスラム・タシケントでは決勝まで進むと、帝京大学4年の大森朱莉に大外刈で敗れるも2位となった。
青野 南美(あおの みなみ、2000年6月3日 - )は、日… 青野 南美(あおの みなみ、2000年6月3日 - )は、日本の柔道及びレスリング選手。階級は63kg級。山口県出身。 柔道は5歳の時に父親の影響で始めた。下関長府中学3年の時に全国中学校柔道大会48㎏級の3回戦で敗れた。豊浦高校2年の時に全国高校選手権63㎏級の準々決勝で新田高校2年の立川桃に内股で敗れて5位だった。3年の時にはインターハイの2回戦で立川に小外掛で敗れた。一方で、柔道以外にレスリングにも取り組むと、高校時代にジュニアクイーンズカップで2位、アジアカデット選手権で3位になるなどした。 2019年に日下部基栄が指導する福岡大学へ進学すると、3年の時には優勝大会決勝の東海大学戦で立川桃に大内刈で敗れてチームも2位だった。
坪根 菜々子(つぼね ななこ、1999年10月16日 - )… 坪根 菜々子(つぼね ななこ、1999年10月16日 - )は、福岡県出身の、日本の女子柔道選手。階級は52kg級。身長156cm。組み手は右組み。血液型はB型。得意技は小内刈。 柔道は5歳の時に大宰府少年武道会で始めた。小学校6年の時に全国小学生学年別柔道大会45kg級に出場するも2回戦で敗れた。沖学園中学から沖学園高校へ進むと、3年の時にインターハイ52㎏級決勝で夙川学院高校2年の阿部詩に内股で敗れて2位だった。全日本ジュニアでは3位になった。2018年には福岡大学へ進学すると、2年の時にはベルギー国際で優勝した。3年の時には講道館杯の準決勝で元世界チャンピオンである了徳寺大学職員の志々目愛に内股で敗れるも3位になった。
立川 莉奈(たつかわ りな、1996年7月14日 - )は、… 立川 莉奈(たつかわ りな、1996年7月14日 - )は、愛媛県四国中央市出身の、日本人の柔道選手である。階級は48kg級。身長158cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は内股。弟は73kg級の立川新、妹は63㎏級の立川桃。 柔道は5歳の時に宇摩柔道会(川之江柔道会)で始めた。上分小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会40kg級で優勝を飾った。6年の時には45kg超級に出場するも予選リーグで敗れた。福岡県の敬愛中学へ進むと、3年の時には全国中学校柔道大会の57kg級決勝で帝京中学3年の西尾直子に敗れて2位だった。 2012年には敬愛高校へ進んだ。1年先輩には芳田司がいた。1年の時には全日本カデで3位になった。
七戸 龍(しちのへ りゅう、1988年10月14日 - )は… 七戸 龍(しちのへ りゅう、1988年10月14日 - )は、沖縄県出身の日本の柔道家。階級は100kg超級。身長193cm、体重120kg。段位は五段。血液型はA型。組み手は右組み。得意技は大内刈。現在は九州電力所属。フルコンタクト空手の一般社団法人極真会館(全日本極真連合会)理事長の七戸康博を父に、ベルギー出身の七戸ベラを母に、100kg級で活躍している七戸虎を弟に持つ。 父親は空手で活躍していたが、「空手でなくても好きなことをやりなさい」とアドバイスされて小学校2年の時に柔道を始めた。空手も習っていたものの、上山中学に進むと空手部がなかったことから柔道一本に絞ることになった。那覇西高校2年の時にはインターハイ100kg級で準決勝まで進むが、埼玉栄高校の小林大輔に合技で敗れて3位だった。
石井 孝法(いしい たかのり、1980年4月3日 - )は、… 石井 孝法(いしい たかのり、1980年4月3日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。身長179cm。全日本柔道連盟のグランドデザインに位置付けられている長期育成指針を作成した。 2024年まで了徳寺大学教養部教授であった。また、2005年から全日本柔道連盟の科学研究部に所属し、2013年から2021年まで日本オリンピック委員会の専任情報科学スタッフ、2024年パリ五輪まで日本柔道ナショナルチーム(強化委員会)のメンターなどを歴任した。 学校法人沖学園隆徳館中学校(卒業は中原中学)から福岡大大濠高校を経て福岡大学に進学すると、3年の時には講道館杯の100kg級3回戦で国士舘大学3年の鈴木桂治に敗れるも、敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。
日下部 基栄(くさかべ きえ、1978年10月11日 - )… 日下部 基栄(くさかべ きえ、1978年10月11日 - )は、福岡県福岡市出身の日本の元柔道選手。現役時代は福岡県警察所属で大外刈などのパワフルな技を得意とし、シドニー五輪(柔道女子57 kg級)の銅メダルを獲得。のちに福岡大学女子柔道部の監督を務める。身長160 cm。 日下部の父親は機動隊に所属する警察官で、子供の頃にネフローゼ症候群で幼稚園も殆ど行けず入退院を繰り返していた。小学校1年生の時に兄の通う東福岡柔道教室を見学し、そこで3歳年上の小さな女子が男子を引きずり回して圧倒するのに感動し、日下部も自ら柔道を始める。なお、この少女は後に世界選手権を6連覇する田村亮子であった。日下部は柔道を始めて半年後には初めて出た大会でいきなり優勝。
小齊武志(こざい たけし、1974年4月23日 - 2006… 小齊武志(こざい たけし、1974年4月23日 - 2006年11月8日)は、福岡県出身の柔道家(四段)、格闘家。 小学校で柔道を始め、講道学舎へ入門。瀧本誠、吉田善行、大山峻護らと同期となる。この由縁により、大山のセコンドにつくことも多かった。 世田谷学園高校の柔道部では、高校三冠を果たした。 福岡大学卒業後、NEXCO(東日本高速道路)柔道部に在籍。100kg級で井上康生、鈴木桂治らとしのぎを削った。 1998年1月24日、ロシア国際柔道の100kg級に出場し、3位入賞。準々決勝では日本デビュー前のエメリヤーエンコ・ヒョードルに一本勝ち。のちに「ヒョードルを倒した男」と呼ばれることとなった。
中橋 治美(なかはし はるみ、1973年8月16日 - )は… 中橋 治美(なかはし はるみ、1973年8月16日 - )は香川県坂出市出身の日本の柔道家。61kg級の選手。身長166cm。得意技は大内刈、袖釣込腰。兄は1992年の嘉納杯86kg級及び2008年の第1回世界型選手権の固の形で優勝した中橋政彦。 実家は中橋産業を経営している。柔道は兄の影響で10歳の時に坂出柔道協会で始めた。坂出中学から高松商高に進むと、1年の時に全国高校選手権61kg級で2位となった。3年の時には全日本女子柔道強化選手選考会で3位に入った。福岡大学へ進むと、2年の正力杯では決勝で埼玉大学4年の北爪弘子に敗れて2位だった。3年の時には拓殖大学4年の宮家江美を破って優勝を飾った。
中嶋 靖宏(なかしま やすひろ、1973年4月16日 - )… 中嶋 靖宏(なかしま やすひろ、1973年4月16日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長172cm。 甘木中学から柳川高校へ進むと、後に60kg級の世界チャンピオンとなる園田隆二の同期となった。2年の時には新人体重別78kg級で3位に入った。1992年に福岡大学へ進学すると、1年の時にジュニア体重別で3位、2年の時には2位となった。3年の時には講道館杯で決勝まで進むが、名張高校教員の堀越英範に敗れて2位だった。グッドウィルゲームズでは2位、体重別と正力杯では3位となった。国別団体世界一を決める第一回のワールドカップ国別団体戦のメンバーにも選ばれるが、2回戦でロシアに敗れるも、その後敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。
宗 真一郎(そう しんいちろう、1972年6月18日 -)は… 宗 真一郎(そう しんいちろう、1972年6月18日 -)は福岡県出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級及び100kg級の選手。身長190cm。 志摩中学から福岡大大濠高校に進むが、この当時は大きな実績を上げていない。福岡大学へ進むと力を付け始めて、2年の時にはジュニア体重別95kg級で優勝を飾った。3年の時には正力杯に出場すると、東海大学3年で187cmの大原尚喜との国内のこの階級では珍しい190cm前後の選手同士による決勝となったが、谷落で敗れて2位に終わった。アジア選手権では優勝を飾った。優勝大会では5位となった。4年の時には正力杯と優勝大会でそれぞれ5位だった。1995年には九州電力の所属となった。
衛藤 裕美子(えとう ゆみこ、1971年7月17日 -)は、… 衛藤 裕美子(えとう ゆみこ、1971年7月17日 -)は、福岡県甘木市出身の日本の女性柔道家。現役時代は48kg級の選手だった。身長151cm。妹の衛藤由佳も48kg級で活躍していた。 甘木中学校2年の時、早くも体重別48kg級で3位になった。柳川高校1年の時には強化選手選考会で2位となると、体重別でも3位に入った。2年の時には強化選手選考会で昨年に続いて2位となった。全国高校選手権では、決勝で成安女子高校1年の永井和恵に判定で敗れた。3年の時には体重別の九州予選準決勝で城香中学2年の田村亮子と対戦すると、ポイントでリードされていたものの終了間際に送襟絞で逆転勝ちするなどして優勝した。この当時の田村は、まだ駆け出しの中学生選手に過ぎなかったものの衛藤はシニアの公式戦で田村を破った最初の選手となった(その後は、田村に4連敗している。
房前 善行(ふさまえ よしゆき、1967年6月13日 -)は… 房前 善行(ふさまえ よしゆき、1967年6月13日 -)は福岡県出身の日本の柔道家。身長173cm。現役時代は86kg級の選手。 花畑中学3年の時に全国中学校柔道大会団体戦の準決勝で古賀稔彦率いる弦巻中学に敗れて3位だった。福岡大学附属大濠高校2年の時に金鷲旗で3位になった。全国高校選手権では決勝で古賀稔彦率いる世田谷学園高校に敗れて2位だった。3年の時には金鷲旗で3位だった。福岡大学1年の時に新人体重別86kg級で2位になった。2年の時には3位だった。3年の時には体重別で3位となった。1990年に九州電力の所属になると、講道館杯では決勝でマルナカの岡田弘隆に敗れるも2位になった。嘉納杯では決勝でフランスのジャン=ルイ・ジェモンに開始早々の裏投で敗れた。
德安秀政(とくやす ひでまさ 1966年4月15日 - ) … 德安秀政(とくやす ひでまさ 1966年4月15日 - ) は、福岡県福岡市出身の、日本の柔道家。階級は71kg級。組み手は、右組。得意技は、大外刈り 払腰。 小学2年生の時に、谷亮子や中村三兄弟を輩出した東福岡柔道教室で柔道を始める。 柔道を始めたきっかけは、家の周りの習い事が限られており剣道、柔道、習字といった選択肢しかなく母の勧めもあり柔道を習い始める。 中学3年生まで東福岡柔道教室で柔道を習い、高校は県内屈指の強豪校である福岡大学附属大濠高校に進学する。高校時代は、寮生活を行いながら柔道の稽古に励み九州大会優勝や金鷲旗3位などの実績を残す。 大学進学の際も、いくつかの選択肢があったが将来的に体育の教員になりたいという気持ちがあったため日本体育大学に進学する。
重松 義成(しげまつ よしなり、1951年2月8日 - )は… 重松 義成(しげまつ よしなり、1951年2月8日 - )は福岡県福岡市出身の日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)及び86kg級。得意技は大外刈。 柔道は中学の時に父親と叔父の影響で始めた。父親が師範を務めていた福岡大学附属大濠高校に進学すると、3年の時には金鷲旗で優勝を飾った。インターハイ団体戦では3位だった。。明治大学に進むと、1970年に初開催となった全日本ジュニア中量級に出場するが、決勝で天理大学の藤猪省太に敗れた選抜体重別では3位となった。1971年の全日本学生柔道優勝大会では岩田久和、上村春樹らとともにチームの優勝に貢献した。選抜体重別では決勝で警視庁の関根忍に敗れた。続く世界選手権では、決勝で藤猪に優勢負けして2位にとどまった。