藤野 亀之助(ふじの かめのすけ、1867年5月27日(慶応… 藤野 亀之助(ふじの かめのすけ、1867年5月27日(慶応3年4月24日) - 1920年(大正9年)1月7日)は、日本の実業家。大阪株式取引所理事長、大阪電気軌道取締役、電気化学工業監査役、王子製紙取締役、豊田紡織取締役、大日本セルロイド取締役などを歴任した。 埼玉県生まれ。商法講習所(現一橋大学)で外国語を学んだ。三井物産で、綿糸部主任、大阪支店次長、大阪支店長を歴任し、大阪商業会議所特別議員も務めた。また、豊田佐吉の豊田式織機事業を推進し、豊田式織機相談役を務めた。 1915年大阪株式取引所理事長、大阪電気軌道取締役、電気化学工業監査役。1917年王子製紙取締役。1918年豊田佐助の菊井紡織設立にあたり、児玉一造らとともに出資を行い、同年豊田紡織取締役。
原 錦吾(はら きんご、1867年4月30日(慶応3年3月2… 原 錦吾(はら きんご、1867年4月30日(慶応3年3月26日)- 1936年(昭和11年)4月13日)は、日本の実業家である。 江戸の生まれ。高等商業学校(現在の一橋大学)卒業後、同学校の教授となり教鞭を執る。1892年(明治25年)に明治火災保険(現在の東京海上日動火災保険)に入社し、副支配人や代表取締役を歴任した。 1914年(大正3年)には同社の常務に就任するが翌1915年(大正4年)に自身の独立によって辞任し、三井物産の小田柿捨次郎常務取締役から損害保険会社設立のための調査研究の委嘱を受け、大正海上火災保険の設立計画書の立案を行った。 しかし、1917年(大正6年)には平生釟三郎東京海上火災保険専務取締役の反対で、大正海上火災保険での経営への参画を辞退させられ、その後は日本初の火災保険協会であった日本共立火災保険の設立に携わる。
藤瀬 政次郎(ふじせ まさじろう、1867年2月9日(慶応3… 藤瀬 政次郎(ふじせ まさじろう、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1927年(昭和2年)1月7日)は、日本の実業家。三井物産株式会社取締役、東洋綿花株式会社(後のトーメン、現在の豊田通商)代表取締役社長。 長崎県出身。1885年に商法講習所(現在の一橋大学)を卒業し、三井物産株式会社に入社した。同期に高柳豊三郎(のちに株式会社読売新聞社社長)がいた。香港支店を経て、上海支店長、綿花部長を歴任し、取締役に就任。東洋綿花株式会社の設立に関与(同社の設立は、三井物産綿花部が分離独立したもの)。代表取締役社長に就任する。 政財界に幅広い人脈を持ち、東亜同文書院教授で、南満州鉄道社員の山田純三郎を通じて、孫文の辛亥革命を支援したり、犬養毅、新渡戸稲造らとともに南洋協会の設立発起人、渋沢栄一、中島久万吉らとともに日米電信株式会社創立委員などもつとめた、晩年は、財団法人滝乃川学園の理事もつとめ、同学園創立者の石井亮一の事業を援けた。
大田黒 重五郎(おおたぐろ じゅうごろう、慶応2年6月15日… 大田黒 重五郎(おおたぐろ じゅうごろう、慶応2年6月15日(1866年7月26日) - 昭和19年(1944年)7月28日)は江戸出身の実業家。 当時経営が悪化していた芝浦製作所(現東芝)を再建し、同社専務等を務めた後に、各地で水力電気会社を設立した。 また、二葉亭四迷とは、東京外国語学校および東京商業学校(現一橋大学)での親友であり、四迷は大田黒をモデルに小説『浮雲』を執筆した。 徳川幕府の御家人である小牧辰蔵の四男として江戸小石川(後の東京府東京市小石川区、現・東京都文京区)に生まれ、幕府の没落により3歳のとき一家で静岡へ移住し富士の裾野に帰農。没落士族の辛酸を嘗める。 沼津の旧制中学校を卒業後、上京して大学予備門(現東京大学)を受験したが失敗して東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科に入学、二葉亭四迷と親交を結ぶ。
平生 釟三郎(ひらお はちさぶろう、1866年7月4日〈慶応… 平生 釟三郎(ひらお はちさぶろう、1866年7月4日〈慶応2年5月22日〉- 1945年〈昭和20年〉11月27日)は、日本の実業家・教育者(甲南学園創立者)・政治家(廣田内閣で文部大臣・貴族院勅選議員・枢密顧問官)。甲南病院(現在の甲南医療センター)の設置者。住吉村に住まい、その跡地は自ら創立した甲南大学の平生記念セミナーハウスとして活用されている。 明治、大正、及び昭和初期に活躍。1934年(昭和9年)、移民制限を始めたブラジルに対し経済的貢献により移住を確保しようと海外移住組合連合会長だった平生が、訪伯経済使節団長としてブラジルを訪問。ブラジル産綿花を日本に輸出する橋渡しをするなどの貢献を行った。
丸岡 九華(まるおか きゅうか、本名:久之助、慶應2年3月2… 丸岡 九華(まるおか きゅうか、本名:久之助、慶應2年3月25日(1866年5月9日) - 昭和2年(1927年)7月9日)は、日本の詩人、小説家、実業家。 江戸青山生まれ。共立学校(現開成高等学校)、東京大学予備門を経て、1887年高等商業学校(現一橋大学)卒業。 在学中、尾崎紅葉らと硯友社創設に参画し、新体詩などを発表し、卒業後は文学を離れ、矢野二郎校長の勧めで教員となり、1892年からは県立神戸商業学校校長事務取扱を務めた。 のち、実業家に転じ、高田商会横浜支店長等を経て、独立し、イギリスのサン保険会社(英語版)の東京支店開設にあたり同支店支配人となり、同社の契約高や保険料収入を日本国内3位以内にまで育てた。
福井 菊三郎(ふくい きくさぶろう、1866年4月16日(慶… 福井 菊三郎(ふくい きくさぶろう、1866年4月16日(慶應2年3月2日)- 1946年(昭和21年)) は、日本の実業家。戦前三井財閥の幹部で、三井合名常務理事や、東神倉庫会長、パリ講和会議代表顧問等を務めた。陶磁器収集家としての著書もある。 江戸で中村萬吉の五男として生まれる。1881年福井家の先代むめの養子となる。1883年、商法講習所(現一橋大学)卒業後、18歳で三井物産に入る。同級生に小室三吉元三井同族会理事などがいた。 在学中の成績は良くなかったが、村長や地主に落ち着いた同級生たちを尻目に小室とともに出世頭となり、三井物産シンガポール支配人、三井物産香港支店長、三井物産営業部長、三井物産大阪支店長、三井物産ニューヨーク支店長、三井物産取締役兼東神倉庫取締役を経て、1910年三井物産常務取締役。
尾高 次郎(おだか じろう、1866年4月2日〈慶応2年2月… 尾高 次郎(おだか じろう、1866年4月2日〈慶応2年2月17日〉 - 1920年〈大正9年〉2月4日)は、日本の実業家、銀行家。武州銀行(現埼玉りそな銀行)の初代頭取。岳父は渋沢栄一。族籍は埼玉県平民。 武蔵国榛沢郡下手計村(のちの八基村、現埼玉県深谷市下手計)出身。尾高惇忠の次男。数え3歳の頃、親族の尾高幸五郎の養子になる。1882年、幸五郎から家督を相続する。 1891年、高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、第一銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入行。名古屋支店長、四日市支店長、釜山支店長、仁川支店長、監査役を歴任し、釜山・仁川で日本人商業会議所会頭、居留民会議長も務めた。 1904年、韓国興業専務取締役。
原田 勘七郎(はらだ かんしちろう、旧姓:前原(まえばら)、… 原田 勘七郎(はらだ かんしちろう、旧姓:前原(まえばら)、慶応2年2月14日(1866年3月31日) - 大正7年(1918年)3月18日))は、日本の実業家、政治家。東陽倉庫、帝国製糸の創設に尽力し、名古屋市に日本車輌製造を設立して専務取締役を務め、名古屋市会議員なども務めた。 下野国安蘇郡作原(現在の栃木県佐野市作原町)に生まれる。小学校卒業後、栃木小学校で教鞭を執っていたが、田中正造の知遇を得て森鴎村の家塾に学び、宇都宮市の英学校を経て、明治27年(1894年)に高等商業学校(現在の一橋大学)に入学。経済的な苦労もあったが、島田三郎の玄関番や、佐久間貞一の知遇を得て学生生活を続けた。 しかし、成瀬隆蔵教授や、森島修太郎教授の更迭を求める同盟休校騒ぎ(矢野二郎排斥事件)の首謀者となり、矢野二郎校長の逆鱗に触れ、明治26年(1893年)に退学となった。
小田柿 捨次郎(おだがき すてじろう、慶応元年11月6日(1… 小田柿 捨次郎(おだがき すてじろう、慶応元年11月6日(1865年12月23日) - 昭和3年(1928年)3月5日)は、日本の実業家。三井物産で大正海上火災保険の設立にあたった。 近江国彦根藩出身。3歳のとき父が死去したため、遠縁の相馬永胤のもとに寄宿し、1891年高等商業学校(現・一橋大学)卒業。同年三井物産に入社し、上海支店詰となった。 サンフランシスコ出張員を務めていた1900年には、親友の正田貞一郎の依頼を受け製粉機械の輸入を行い、館林製粉の設立に協力した。 三井物産シンガポール支店詰、三池炭鉱詰、口ノ津支店支配人等を経て、1908年参事長。1909年営業部長。1911年木材部長兼小樽支店長。
江口 定條(えぐち さだえ、元治2年4月1日(1865年4月… 江口 定條(えぐち さだえ、元治2年4月1日(1865年4月25日) - 昭和21年(1946年)3月14日)は、日本の実業家、政治家。 土佐国土佐郡高知城下本町(現・高知県高知市本町)出身。1887年東京高等商業学校(現・一橋大学)卒、同校教諭に就任。その後、三菱合資会社入社。同社専務理事、監事等を経て1920年同社総理事。1925年社団法人如水会初代理事長。1931年6月、経営状態が悪化していた南満州鉄道(満鉄)の副総裁に就任し経営の実務に当たるが、就任直後に満州事変が発生。満鉄総裁の内田康哉が急進的な事変拡大派に転向し、満鉄が関東軍に協力する中で江口は事変拡大に反対し軍部に批判的な立場であり続けた。
牛島 謹爾(うしじま きんじ、1864年2月13日(文久4年… 牛島 謹爾(うしじま きんじ、1864年2月13日(文久4年1月6日) - 1926年(大正15年)3月27日)は、実業家。アメリカに移民し、「馬鈴薯王」と呼ばれた。勲四等、雅号に別天。現地ではジョージ・シマの名で親しまれた。妻は同志社総長, 下村孝太郎の妹である.
小室 三吉(こむろ さんきち、文久3年7月9日(1863年8… 小室 三吉(こむろ さんきち、文久3年7月9日(1863年8月22日) - 大正9年(1920年)10月18日) は、日本の実業家。戦前三井財閥の幹部で、三井合名参事、三井家同族会理事などを務めた。 江戸出身。ロンドン留学後、1883年商法講習所(現一橋大学)卒業。同期に福井菊三郎。1884年に三井物産入社。香港支店長、上海支店長、ロンドン支店長などを経て、1906年理事。1909年取締役、三井合名参事。のち、三井家同族会理事。1913年三井合名監査部幹事長。1916年東京海上保険取締役。1918年大正海上火災保険監査役。1920年に病気で危篤となり叙従六位。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
宇尾野 藤八(うおの とうはち、1862年3月8日〈文久2年… 宇尾野 藤八(うおの とうはち、1862年3月8日〈文久2年2月8日〉 - 1928年〈昭和3年〉4月2日)は、日本の銀行家・会社役員、新潟県の大地主、篤農家、新潟県多額納税者。族籍は新潟県平民。 新潟県北蒲原郡水原町(現・阿賀野市)・宇尾野友太郞の長男。1887年、東京高等商業学校を卒業する。新潟商業学校長となる。1893年、家督を相続する。 新発田倉庫、新潟貯蓄銀行各監査役、第四銀行取締役・同専務取締役をつとめる。 宇尾野家は古着商で、平凡な一庶民階級であったが、藤八は極めて堅実な人で、よく産を為した。第四国立銀行創設当時、支配人の白勢彦次郎に知られ同行に入り、累進して専務取締役となった。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。
高柳 豊三郎(たかやなぎ とよさぶろう、文久2年(1862年… 高柳 豊三郎(たかやなぎ とよさぶろう、文久2年(1862年) - 明治45年(1912年)2月22日)は、日本の実業家。読売新聞社社長などを務めた。 肥前国佐賀生まれ。佐賀藩士で、1885年に商法講習所(現一橋大学)を卒業し、三井物産入社。同期に藤瀬政次郎がいた。 1890年三井物産を退社。1892年兵庫県立神戸商業学校校長。同年愛知県名古屋商業学校校長。1897年依願退官。 日本郵船入社後、春日丸事務長などを経て、1909年日就社社長。1910年読売新聞社社長。1912年死去。社葬が行われた。 読売新聞社創業者の本野盛亨の甥にあたる。
渡辺 専次郎(わたなべ せんじろう、1860年9月27日 (… 渡辺 専次郎(わたなべ せんじろう、1860年9月27日 (万延元年8月13日) - 1916年(大正5年)9月26日)は、日本の実業家。三井物産専務理事や、三井同族会管理部会員など務めた。 横浜の医師渡邊顯哉の次男として生まれる。商法講習所(現一橋大学)を経て、矢野二郎校長の紹介で岩下清周とともに1879年に三井物産に入社した。1881年横浜支店詰。その後ロンドン支店詰となり、長年イギリスで勤務し、妻の満里はイギリス人。 1885年ロンドン支店副支配人。1886年ロンドン支店支配人。1895年には理事兼ロンドン支店支配人(1899年から支店長に名称変更)となり、紡績機の輸入や米の輸出、山本条太郎上海支店長との連携による石炭の購入などを進めた。
小山 健三(こやま けんぞう、1858年7月23日(安政5年… 小山 健三(こやま けんぞう、1858年7月23日(安政5年6月13日) - 1923年(大正12年)12月19日)は明治時代から大正時代にかけての日本の官僚、教育者、実業家。 前半生は教育者、近代日本教育の建設者として、とりわけ専門教育の礎を築くことに大きな功績を残し、高等商業学校(1902年に東京高等商業学校に改称、現・一橋大学)校長などを歴任。後半生は、三十四銀行(後の三和銀行、現三菱UFJ銀行)第2代頭取に就任して、事業を大きく発展させるとともに、日本の金融界の発展に尽くす。福澤諭吉の養子であり「日本の電力王」と呼ばれた福澤桃介に、「東に渋沢栄一、西に小山健三あり」と言わしめた。貴族院議員。
岩下 清周(いわした きよちか、安政4年5月28日(1857… 岩下 清周(いわした きよちか、安政4年5月28日(1857年6月19日) - 昭和3年(1928年)3月19日)は、実業家。銀行家としてベンチャー企業への積極的な融資を行った。息子は、カトリック司祭で哲学者の岩下壮一、清周本人も聖公会に所属したクリスチャンであった。
南条 新六郎(なんじょう しんろくろう、嘉永元年7月7日〈1… 南条 新六郎(なんじょう しんろくろう、嘉永元年7月7日〈1848年8月5日〉 - 1920年〈大正9年〉10月7日)は、日本の実業家、名望家。第四十国立銀行頭取や、日本製粉社長を務めた。 上野国で館林藩家老の岡谷瑳磨介の第3子として生まれ、のちに同藩の南條源太左衛門の養子となる。御番頭支配中小姓、半隊司令士、歩卒隊長を経て1871年中尉に任命される。退官後、大蔵省銀行局の簿記学講習所(のちの高等商業学校(現一橋大学)附属主計学校)で学ぶ。同窓にのちにともに日本製粉設立に参画した旧館林藩士の笠原圓蔵がいた。 1878年に館林町で群馬県初の銀行である第四十国立銀行を設立し、1891年に頭取に就任した。
宇賀 伊津緒(うが いつお、? - 1950年)は、日本の実… 宇賀 伊津緒(うが いつお、? - 1950年)は、日本の実業家、翻訳、文筆家。ペンネームは、宇賀一男、宇賀一朗。日本ではじめてカレル・チャペック『ロボット』を翻訳し、「人造人間」という造語を造った。 山口県周南市出身。1915年、東京高等商業学校に入学。一橋俳句会加入。1917年、東京高等商業学校を卒業し、鈴木商店に就職した。 1919年末から1925年にかけてニューヨーク支社に勤務。宇賀一男のペンネームで『紐育新報』『日米時報』の年賀広告を執筆。テニスプレーヤーとしても活躍した。1923年には、 俳句誌『層雲』にアントン・チェーホフ『手帖』の抄訳やエッセイ「紐育にて」が掲載された。同年7月、『人造人間』を刊行。
三幣 利夫(さんぺい としお)は、日本の実業家。中東住友商事… 三幣 利夫(さんぺい としお)は、日本の実業家。中東住友商事社長を経て、敬愛大学学長兼学校法人千葉敬愛学園理事長。日本貿易会常務理事、日本貿易振興機構監事、国際社会貢献センター理事長等も務めた。 千葉県出身。千葉県立安房高等学校を経て、1968年一橋大学経済学部卒業。外交官の岡本行夫は大学の同級生。大学卒業後住友商事に入社。アメリカ合衆国、カナダ、イラン、バーレーン等に駐在し、ドバイでは中東支配人を務めた。 中東住友商事会社社長兼住友商事理事中東支配人兼バグダッド事務所長を経て、2006年から2010年まで社団法人日本貿易会常務理事。2007年から2011年まで独立行政法人日本貿易振興機構監事。
菊間 邁(きくま すすむ)は、日本の実業家。旭タンカー株式会… 菊間 邁(きくま すすむ)は、日本の実業家。旭タンカー株式会社代表取締役社長、全国内航タンカー海運組合海工務委員会委員長などを務めた。 世田谷区立桜丘中学校、東京都立新宿高等学校を経て、一橋大学商学部卒業後、商船三井に勤務。サウジアラビアおよびロンドンに駐在し、日本に帰国後、代表取締役を務めた。2002年から立石信義の後任として旭タンカー代表取締役社長を務め、ソーラージャパン設立、アムテック設立、上海事務所開設、ロンドン事務所開設、台湾子会社設立などにあたった。全国内航タンカー海運組合海工務委員会委員長、国土交通省タンカーのダブルハル化促進に関する検討会委員等も務めた。
有賀 貞一(あるが ていいち)は、日本の情報技術者、実業家。… 有賀 貞一(あるが ていいち)は、日本の情報技術者、実業家。CSKホールディングス代表取締役、ミスミグループ本社代表取締役副社長、リアルワールド取締役会長、情報サービス産業協会副会長、情報処理技術者試験委員長等を歴任した。経済産業大臣表彰受賞。 1966年東京都立立川高等学校理数科進学コース卒業。1970年一橋大学経済学部卒業。大学では杉田元宜ゼミや磯野修ゼミで計量経済学、数理統計学を専攻し、大学院生だった刈屋武昭の指導も受けた。また1965年に創設されたコンピュータ・クラブ(一橋電子計算機研究会)に参加し、コンピュータの利活用に関する研究等を行った。。 大学卒業後、野村証券の子会社として1966年1月に設立された野村電子計算センターに入社し、システムエンジニアとなる。
河西 良治(かさい りょうじ)は、日本の実業家。ニチメン(現… 河西 良治(かさい りょうじ)は、日本の実業家。ニチメン(現・双日)副社長を務めた。 長野県諏訪部四賀村(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、一橋大学法学部卒業。日綿実業(現・双日)入社。ニチメン(現・双日)専務取締役を経て、同社副社長。2008年ニチメン東京社友会副会長。2010年同会会長。
野村 親信(のむら ちかのぶ)は、日本の実業家。商船三井近海… 野村 親信(のむら ちかのぶ)は、日本の実業家。商船三井近海代表取締役社長や第一中央汽船代表取締役社長を務めた。藍綬褒章受章。 愛知県出身。1964年愛知県立岡崎高等学校卒業。1968年一橋大学商学部卒業、ジャパンライン(現商船三井)入社。1997年ナビックスライン取締役。1999年商船三井取締役。2000年商船三井常務。2002年商船三井近海代表取締役社長。2004年第一中央汽船代表取締役社長。2012年、商工業の発展に貢献したとして藍綬褒章を受章した。2013年首都圏段戸会会長。日本船主協会常任理事、内航大型船輸送海運組合理事、日本船主責任相互保険組合理事なども務めた。
西村 純平(にしむら じゅんぺい)は、日本の実業家。日本貿易… 西村 純平(にしむら じゅんぺい)は、日本の実業家。日本貿易振興会理事長や、日新電機代表取締役社長、関西経済同友会代表幹事などを歴任した。 大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を経て、東京商科大学(現一橋大学)卒業。1925年住友銀行入行。1947年住友銀行常務取締役。1950年関西経済同友会代表幹事。同年日本金融学会理事。1952年住友銀行専務取締役。1953年にはライオンズクラブ大阪支部結成式に参会。1966年山口県同郷会会長。1973年勲二等瑞宝章受章。住友銀行副頭取、日新電機代表取締役社長を経て、1974年日本貿易振興会理事長、対外経済協力審議会委員。
小村 充広(こむら みつひろ)は、日本の実業家。ジャパンネッ… 小村 充広(こむら みつひろ)は、日本の実業家。ジャパンネット銀行(現PayPay銀行)代表取締役社長、同社取締役会長を経て、フリー株式会社特別顧問、一般社団法人DIGITAL CAMP代表理事、株式会社エクレクト取締役会長。 鹿児島県出身。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1982年一橋大学商学部卒業、三井銀行入行、幡ヶ谷支店配属。さくら銀行ネットバンク準備室長として日本初のインターネット専業銀行の設立にあたり、2000年にジャパンネット銀行が設立されると取締役企画部長に就任。2002年ジャパンネット銀行常務取締役。2006年ジャパンネット銀行代表取締役専務取締役。2012年からジャパンネット銀行代表取締役社長を務めた。
大倉 浩治(おおくら こうじ)は日本の実業家。三菱造船代表取… 大倉 浩治(おおくら こうじ)は日本の実業家。三菱造船代表取締役社長。三菱重工船舶海洋代表取締役社長、三菱航空機取締役、三菱鉱石輸送取締役等も務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島中央高等学校を経て、1980年に一橋大学商学部を卒業し、三菱重工業に入社。化学プラント部門を歩み、海外での大型プロジェクト・ファイナンス等を担当した。三菱重工業経理部次長、経理部長、航空宇宙事業本部長代理等を務めた。 その後、三菱重工業執行役員インダストリー&社会基盤ドメイン船舶・海洋事業部長兼プロジェクト室長に就任し、商船事業等を統括。意思決定迅速化のため造船事業を行う三菱重工船舶海洋の代表取締役社長も兼務した。
増田 宰(ますだ おさむ)は、日本の実業家。アストモスエネル… 増田 宰(ますだ おさむ)は、日本の実業家。アストモスエネルギー代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本LPガス協会会長、日本LPガス団体協議会会長を務めた。 東京都出身。1975年東京都立青山高等学校卒業。1980年一橋大学法学部卒業。大学時代は一橋大学ラグビー部に所属。大学卒業後三菱商事入社。2008年海外石油事業ユニットマネージャー。2010年環境・水事業本部副本部長。2012年理事。2013年アストモスエネルギー取締役副社長。 2014年からアストモスエネルギー代表取締役社長を務め、2016年には東京ガスリキッドホールディングスとの間で包括的な事業提携の基本合意を行った。同年エルピーガス振興センター理事長。
アデバヨ・アロンジ(Adebayo Alonge)は、ナイジ… アデバヨ・アロンジ(Adebayo Alonge)は、ナイジェリア人実業家、薬剤師、発明家。RxAll Inc.共同設立者・最高経営責任者。 ナイジェリアの旧首都ラゴスのキングスカレッジを経て、2008年イバダン大学卒業(薬学士)。イェール大学経営大学院でMAMプログラムを受講し、一橋大学大学院国際企業戦略研究科を修了後、ハーバード大学ケネディスクールに進学し、公共経営修士(専門職)の課程で学んだ。 サノフィ医薬情報担当者、エフ・ホフマン・ラ・ロシュ医薬情報担当者、BASF西アフリカマーケットデベロッパー等を経て、2015年からボストンコンサルティンググループコンサルタントを務めた。2016年にRxAll Inc.を共同設立し、最高経営責任者に就任した。
天谷 昭裕(あまや あきひろ)は、日本の実業家。ジェイアール… 天谷 昭裕(あまや あきひろ)は、日本の実業家。ジェイアールセントラルビル代表取締役社長や、愛知県公安委員会委員長、テレビ愛知放送番組審議会委員長などを歴任した。 1970年一橋大学法学部卒業、日本国有鉄道入社。東海旅客鉄道常務取締役秘書室・法務部・監査室担当を経て、2004年東海旅客鉄道専務取締役秘書部長。2005年テレビ愛知放送番組審議会委員長代理。2006年からジェイアールセントラルビル代表取締役社長を務め、JRゲートタワーの開発を進めるなどした。2011年テレビ愛知放送番組審議会委員長。2012年東海鉄道OB会会長。2013年から1年間愛知県公安委員会委員長を務め、2015年からも2度目の愛知県公安委員会委員長を務めた。
石倭 行人(いしわ ゆきと)は、日本の実業家。日鉄エンジニア… 石倭 行人(いしわ ゆきと)は、日本の実業家。日鉄エンジニアリング代表取締役社長。エンジニアリング協会理事長。 埼玉県出身。1983年一橋大学経済学部卒業。在学中一橋祭運営委員長として環境問題のシンポジウムを企画した。同級だった寮の隣室に住んでいた東井芳隆(気象庁次長を経て関西観光本部代表理事)も一橋祭運営委員を務め、ともに広告募集などに奔走した。 大学卒業後は新日本製鉄(のちの日本製鉄)に入社し、日鉄エンジニアリング取締役を経て、2020年から同社代表取締役社長を務め、カーボンニュートラル化を進めるなどし、コージェネ財団のコージェネ大賞2020産業用部門優秀賞も受賞した。 2023年エンジニアリング協会理事長。
板坂 克則(いたさか かつのり)は、日本の実業家。トヨタアド… 板坂 克則(いたさか かつのり)は、日本の実業家。トヨタアドミニスタ代表取締役社長や、トヨタ輸送代表取締役社長、日本陸送協会副会長等を務めた。 石川県出身。1977年一橋大学商学部卒業、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。2005年常務役員に昇格。2009年顧問。同年トヨタアドミニスタ代表取締役社長。2013年からトヨタ輸送代表取締役社長を務め、人手不足が続く中で女性トラック運転手「トラガール」の活躍促進のための環境整備にあたった。日本陸送協会副会長、大阪トヨタ自動車監査役、トヨフジ海運取締役、服部国際奨学財団理事、名古屋フィルハーモニー交響楽団諮問委員等も務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
伊藤 隆夫(いとう たかお)は、日本の実業家。三菱鉱石輸送株… 伊藤 隆夫(いとう たかお)は、日本の実業家。三菱鉱石輸送株式会社代表取締役社長や、八馬汽船株式会社代表取締役社長を務めた。 1977年一橋大学経済学部卒業、日本郵船入社。アメリカ合衆国駐在、イギリス駐在、シンガポール駐在などを務め、2006年日本郵船散貨運輸有限公司董事長に就任。2008年日本郵船経営委員・中国総代表、日郵物流有限公司董事長。2011年三菱鉱石輸送代表取締役副社長。2013年三菱鉱石輸送代表取締役社長。2015年八馬汽船代表取締役社長。2017年にはシンガポールの古書店で購入した神戸古地図を、神戸開港150年を記念して、父親がかつて東京銀行神戸支店時代に務めていた神戸市立博物館に寄贈し、神戸市から感謝状や記念品を受けた。
アンセム ウォン Dato' Seri ANSELM WON… アンセム ウォン Dato' Seri ANSELM WONG, JP、1985年5月6日 - )は、日本在住の投資家および経営者。アジア開発キャピタル株式会社元代表取締役社長であり、 アジアインベストメントファンド株式会社の代表取締役社長を務める。マレーシア出身の華僑三世。慶應義塾大学大学法学部に在籍し、単位を取得した後に中退。ハーバード・ビジネス・スクールのAdvanced Management Programを修了し、一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻においてExecutive MBAを取得している。 Dato Seri が自称であるとサランゴールスルタンが公表し、警察に通報したとの記事がニュースに報道された。
大田 義実(おおた よしみ)は、日本の実業家。企業再建などを… 大田 義実(おおた よしみ)は、日本の実業家。企業再建などを手掛け、サンテレホン代表取締役社長、ミヤコ化学代表取締役社長、VAIO代表取締役社長、バイテックグローバルエレクトロニクス取締役会長等を歴任。 東京都出身。1976年一橋大学商学部を卒業し、ニチメン(現双日)に入社。同社でエネルギー投資、機械販売に従事。石炭鉱石部部長を経て、1999年ブラジル現地法人社長、2002年経営企画部長、2003年執行役員機械・金属カンパニー長。 2004年合併後の双日の常務執行役員に就任。2005年常務執行役員中国総代表。中国総代表兼双日中国会社董事長兼双日中国会社総経理兼双日上海会社董事長兼双日大連会社董事長兼双日天津会社董事長兼双日青島会社董事長兼双日広州会社董事長兼双日香港会社董事長兼北京駐在員事務所長を経て、2008年双日ロジスティクス取締役副社長。
各務 茂夫(かがみ しげお)は、日本の実業家、経営学者。東京… 各務 茂夫(かがみ しげお)は、日本の実業家、経営学者。東京大学教授、開志専門職大学学長、コーポレイト・ディレクション創業パートナー、アイセックジャパン会長、日本ベンチャー学会会長等を歴任。 1982年に一橋大学商学部を卒業し、ボストン・コンサルティング・グループコンサルタント就任。 1986年国内初の独立系戦略系コンサルティングファームであるコーポレイト・ディレクションの設立に参画し、1997年退職まで、創業パートナー、取締役主幹、米国ロサンゼルス事務所長等を歴任。1989年IMEDE(現国際経営開発研究所)経営学修士(MBA)。 2000年ケース・ウェスタン・リザーブ大学経営学博士。学位取得後、世界最大のエグゼクティブ・サーチ会社の一つハイドリックアンドストラグルズ(英語版)にパートナーとして入社、コーポレートガバナンス改革に取り組んだ。
河井 浩(かわい ゆたか)は、日本の実業家。横浜護謨製造(現… 河井 浩(かわい ゆたか)は、日本の実業家。横浜護謨製造(現在の横浜ゴム)初代社長。 1873年生まれ。長門国萩町(現在の山口県萩市)出身。1896年に高等商業学校(現在の一橋大学)卒業後、東京製絨取締役、横浜電線製造(現在の古河電気工業)取締役、横浜護謨製造専務取締役を経て、1918年横浜護謨製造監査役。1920年から中島久万吉会長の下、新設された横浜護謨製造社長を務め、ベルト、ホース、パッキングなどの本格製造化を進めるなどした。また1928年三菱銀行のはたらきで森永への融資と共に森永食品工業に入社した。森永煉乳株式会社(現在の森永乳業株式会社)専務取締役を務め、経営を担当し再建に尽力した。その後戦時中の企業統制により乳業部門を統合、それに伴い1941年北海道公農公社(現雪印メグミルク)の初代取締役に就任した。
北田 眞治(きただ しんじ)は、日本の実業家。中国トヨタ自動… 北田 眞治(きただ しんじ)は、日本の実業家。中国トヨタ自動車社長や、中国日本商会副会長等を経て、プライムアースEVエナジー社長を務めた。 山口県生まれ。1982年一橋大学商学部卒業、トヨタ自動車販売入社。2004年、トヨタ自動車調達部第1調達室長。2007年トヨタ自動車中国部事業室長。2009年トヨタ自動車中国部長に就任した。2011年からトヨタ自動車(中国)投資有限公司取締役社長、トヨタ自動車常務役員中国本部副本部長兼中国部長、中国日本商会副会長。 2013年トヨタ自動車常務役員TNGA企画部統括兼部長。2015年からはトヨタ自動車が2020年東京オリンピックの最高位スポンサーとして新設したBRオリンピック・パラリンピック室統括兼室長を兼務し、同年オリンピック・パラリンピック部統括兼部長に就任。
城戸 善浩(きど よしひろ)は、日本の実業家。ヤマキ創業者城… 城戸 善浩(きど よしひろ)は、日本の実業家。ヤマキ創業者城戸豊吉の曾孫で、同社第3代代表取締役社長。伊予商工会議所会頭。全国削節工業協会会長。 1988年一橋大学経済学部卒業、味の素入社。1994年ヤマキ入社。2001年ヤマキ専務取締役。2007年から第3代ヤマキ代表取締役社長を務め、インドネシアのかつお節製造会社と資本提携し、専用工場化するなどした。2019年伊予商工会議所会頭、愛媛県商工会議所連合会副会頭。2021年全国削節工業協会会長、全国削節公正取引協議会長。和食文化国民会議相談役、愛媛経済同友会幹事、愛媛ニュービジネス協議会理事、愛媛県信用保証協会理事、愛媛県産業貿易振興協会理事等も歴任した。
清沢 光司(きよさわ こうじ)は、日本の実業家。三菱地所コミ… 清沢 光司(きよさわ こうじ)は、日本の実業家。三菱地所コミュニティホールディングス代表取締役社長、マンション管理業協会副理事長。元不動産流通経営協会副理事長。 東京都出身。1978年一橋大学法学部卒業、三菱地所入社。2008年執行役員。2009年から三菱地所リアルエステートサービス代表取締役社長を務め、不動産流通経営協会副理事長を兼務した。2012年三菱地所常務執行役員。2015年から三菱地所コミュニティホールディングス代表取締役社長及び三菱地所コミュニティ代表取締役社長を務め、2016年には三菱地所コミュニティと三菱地所丸紅住宅サービスの合併にあたった。マンション管理業協会副理事長も務めた。
久野 昌宏(くの まさひろ)は、テレビ朝日クリエイト代表取締… 久野 昌宏(くの まさひろ)は、テレビ朝日クリエイト代表取締役社長。 1985年一橋大学社会学部卒業後、テレビ朝日に入社。「モーニングショー」などの情報番組担当を経て、1991年から制作局で「ミュージックステーション」のディレクターを担当後、1992年からドラマ班に異動し多数のドラマの演出やプロデュースを手がける。 2006年にコンテンツ事業部に異動し、2009年からはイベント事業部にて舞台や催事部門の統括を担当している。2013年にオープンしたEXシアター六本木では設計・運営に携わり、初代副支配人として活躍した。その後、ビジネスプロデュース局イベント事業センター長、コンテンツ事業部長、公益財団法人民間放送教育協会事務局長を経て、2024年6月より現職。
桑名 哲夫(くわな てつお)は日本の実業家。三菱伸銅株式会社… 桑名 哲夫(くわな てつお)は日本の実業家。三菱伸銅株式会社代表取締役社長、財団法人次世代金属・複合材料研究開発協会副理事長等を務めた。 宮城県出身。1962年一橋大学経済学部卒業、三菱金属入社。1986年製錬事業本部原料部長、1993年取締役・製錬事業本部副事業本部長兼営業部長。1993年三菱伸銅取締役兼任。1995年三菱マテリアル常務製錬事業本部長兼三菱伸銅監査役。1999年三菱マテリアル副社長。2000年三菱伸銅代表取締役社長。2001年には後藤製作所やゴトー・フィリピン・コーポレーションの株式の取得しグループ化し、電子部材事業への進出を本格化した。財団法人次世代金属・複合材料研究開発協会(現一般財団法人素形材センター)副理事長、社団法人日本銅センター理事等も歴任した。
堺 正光(さかい まさてる)は、日本の実業家。旭化成建材株式… 堺 正光(さかい まさてる)は、日本の実業家。旭化成建材株式会社・元代表取締役社長。 長野県出身。1980年一橋大学商学部卒業、旭化成工業(現旭化成)入社。2010年旭化成建材・取締役に就任。2015年に発覚したパークシティLaLa横浜杭打ち工事データ偽装問題には取締役常務執行役員として対応し、記者会見で管理担当者につき「ルーズな人間で、事務処理が苦手そうだなと感じた」などと説明を行った。2016年から旭化成建材代表取締役社長を務め、杭打ち工事データ偽装問題に対応し、参議院国土交通委員会に参考人として出席するなどした。 2020年、旭化成建材・社長を退任。
柴田 一彦(しばた かずひこ)は、日本・シンガポールの実業家… 柴田 一彦(しばた かずひこ)は、日本・シンガポールの実業家、投資家、ニューヨーク州弁護士。ヘッジ・ファンド・シンフォニー・フィナンシャル・パートナーズ代表取締役。経営陣との対話を通じたバリュー投資を中心とし、アクティビスト・ファンドによるMBOの交渉などを行う。 1982年一橋大学法学部卒業、野村證券入社。1985年からハーバード大学ハーバード・ロー・スクールに留学し、1986年修了、LL.M.(法学修士)。ニューヨーク州弁護士資格取得。野村證券でM&Aアドバイザリー業務に従事。 2000年野村證券を退社し、シンフォニー・フィナンシャル・パートナーズを共同設立、同代表取締役。2003年に設定したマスターファンドは、3カ月で300億円を集め、年平均17%の収益を実現。
柴山 哲治(しばやま てつじ)は日本の実業家。サザビーズ日本… 柴山 哲治(しばやま てつじ)は日本の実業家。サザビーズ日本法人代表取締役社長を経て、AGホールディングズ代表取締役。ロックフェラー家の資産管理を行った経験などから、企業の社会的責任コンサルティングや芸術家育成事業を行い、京都造形芸術大学客員教授、一般社団法人芸術支援・地方創造機構理事、ハーバード・ビジネス・スクール日本OB会理事等も務めた。 東京都出身。1980年一橋大学経済学部卒業、三菱商事入社。1988年退社し、1990年にハーバード・ビジネス・スクールで経営学修士の学位を取得。 1990年ロックフェラー家投資会社に入社。シュローダー・ベンチャーズ東京事務所出向を経て、1993年ロックフェラー家投資会社東京駐在員事務所勤務。
竹内 紀行(たけうち のりゆき)は、日本の実業家。キャタピラ… 竹内 紀行(たけうち のりゆき)は、日本の実業家。キャタピラー日本代表や、キャタピラージャパン代表取締役会長兼社長、日本建設機械工業会会長などを務めた。 鳥取県出身。1976年一橋大学社会学部卒業、三菱重工業入社。1987年新キャタピラー三菱入社。2006年新キャタピラー三菱執行役員経営企画室長。2009年キャタピラージャパン相模事業所長。2010年キャタピラージャパン代表取締役社長。 2012年キャタピラー日本代表のカントリーマネージャー及びキャタピラージャパン代表取締役会長兼社長に就任。同年から日本建設機械工業会会長を務め、グローバル化への対応などにあたった。2014年キャタピラージャパン代表取締役会長。
坪内 良人(つぼうち よしと)は、日本の実業家。ジェイアール… 坪内 良人(つぼうち よしと)は、日本の実業家。ジェイアールセントラルビル代表取締役社長や、テレビ愛知放送番組審議会委員長などを務めた。 岐阜県出身。1979年一橋大学商学部卒業。在学中一橋大学クリムゾンのキャプテンを務めた。同年日本国有鉄道入社。同社新幹線総局人事課長、JR東海新幹線運行本部人事担当課長、JR東海総務部総務課課長代理、日本国有鉄道清算事業団株式対策室補佐、JR東海幹線鉄道事業本部人事課長、資金課長、JR東海関西支社管理部長、東海鉄道事業本部管理部長、経営管理部担当部長、監査室長、人事部担当部長等を経て、2006年総務部長。2008年取締役総務部長委嘱。 2014年からはJR東海専務執行役員(秘書部・監査部・広報部・総務部・法務部・人事部・管財部担当)を務め、中央新幹線の入札談合事件を受け、公正契約等調査委員会委員長として対応にあたるなどした。
並木 育朗(なみき いくろう)は、日本の実業家。公益財団法人… 並木 育朗(なみき いくろう)は、日本の実業家。公益財団法人原子力環境整備促進・資金管理センター理事長を務めた。 1971年一橋大学経済学部卒業、東京電力入社。東京電力執行役員原子力・立地本部副本部長を経て、2010年から原子力環境整備促進・資金管理センター理事長を務め、原子力の補償などにあたった。原子力発電環境整備機構評議員なども務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野崎 城之助(城之亮)(のざき じょうのすけ、1913年 -… 野崎 城之助(城之亮)(のざき じょうのすけ、1913年 - 1999年)は、日本の経営者。積水化学工業の創業者の1人。 和歌山県出身。1937年東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。端艇部出身。1947年に日本窒素肥料の同僚6人と積水産業(のちの積水化学工業)を設立し、代表取締役に就任した。1967年可塑剤工業会会長。のち、積水化学工業顧問、積水樹脂監査役。