花村 仁八郎(はなむら にはちろう、1908年3月30日 -… 花村 仁八郎(はなむら にはちろう、1908年3月30日 - 1997年1月4日)は、日本の財界人。従三位。 福岡県飯塚市生まれ。嘉穂中学校 (旧制)、山口高等学校 (旧制)を経て、1932年東京帝国大学経済学部を卒業。 卒業後、国立福岡少年院教官を経て、1942年に東大経済学部時代の同期であった帆足計に誘われ、経団連の前身である重要産業協議会に入り、1946年経済団体連合会(経団連)の設立に伴い、総務部次長となる。 1953年から1954年の海運造船疑獄事件で政治献金への世間の不信が高まったのをきっかけに、当時、経団連副会長であった植村甲午郎の下でそれまでの個々の企業からの献金をやめ、経団連を通じての自由民主党への献金システム作りを担当、企業献金に関わるようになり、後に財界政治部長の異名を取る。
松本 幸市(まつもと こういち、1908年3月10日 - 1… 松本 幸市(まつもと こういち、1908年3月10日 - 1978年1月7日)は、日本の経営者。 鳥取県境港市出身。1927年に山口高等商業学校を卒業し、同年に小野田セメントに入社。1960年に取締役に就任し、1963年に常務、1967年に専務、1969年に副社長を経て、1973年10月には社長に就任。 1976年6月16日心筋梗塞のために在任中に死去。68歳没。
力武 一郎(りきたけ いちろう、1907年5月6日 - 19… 力武 一郎(りきたけ いちろう、1907年5月6日 - 1994年9月9日)は、日本の教育者、山口大学第4代目学長。同大学工業短期大学部元学長。専門はドイツ語。 山口県立医学専門学校ドイツ語講師 。 大学紛争時の1969年8月から1970年3月まで山口大学教養部長を務め、その後、学長代行を経て、1971年4月に、2年間空席となっていた学長職に就き、学長として1973年まで務めた。 同大学構内吉田遺跡の調査団長の一人。他に市川禎治、中村正二郎も加わった。同大学工業短期大学部の学長。
山本 弘(やまもと ひろむ、1905年 <明治38年> 12… 山本 弘(やまもと ひろむ、1905年 <明治38年> 12月6日 - 1986年 <昭和61年> 5月4日)は、日本の経営者。元住友信託銀行社長。位階は従四位。 愛媛県出身。1926年に山口高等商業学校を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。1947年5月に取締役に就任、1948年7月に常務、1960年5月に専務、1963年7月に副社長を経て、1969年5月には社長に就任。1972年5月に会長に就任、1976年9月に取締役相談役を経て、1984年1月には相談役名誉顧問に就任。 1982年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1986年5月4日に急性肺炎のために死去。80歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
湯藤 実則(ゆとう みのり、1904年1月3日 - 1989… 湯藤 実則(ゆとう みのり、1904年1月3日 - 1989年8月24日)は、日本の経営者、銀行家。日本不動産銀行頭取を務めた。広島県出身。 1925年に山口高等商業学校を卒業し、同年に朝鮮銀行に入行した。1957年に日本不動産銀行に就任し、1963年に副頭取を経て、1965年には頭取に就任。1969年に会長に就任。 経済団体連合会、全国銀行協会連合会の各理事も務めた。 1970年に藍綬褒章を受章し、1976年に勲二等旭日重光章を受章。 1989年8月24日脳梗塞のために死去。85歳没。
芳川 周二(よしかわ しゅうじ、1903年8月25日 - 1… 芳川 周二(よしかわ しゅうじ、1903年8月25日 - 1992年3月3日)は、日本の銀行家。関西相互銀行(現在の関西アーバン銀行)社長を務めた。広島県広島市出身。 1926年に山口高等商業学校を卒業し、同年に住友銀行に入行。1958年10月に関西相互銀行専務に就任し、1968年4月には社長に就任。1973年11月に取締役相談役と明光証券社長に就任し、1978年12月に会長を経て、1982年3月から取締役相談役を務めた。 1970年10月に藍綬褒章を受章し、1976年4月に勲五等双光旭日章を受章した。 1992年3月3日急性心筋梗塞のために死去。88歳没。
柴田 敬(しばた けい、1902年(明治35年)9月2日 -… 柴田 敬(しばた けい、1902年(明治35年)9月2日 - 1986年(昭和61年)5月22日)は、日本の経済学者。京都大学教授、山口大学教授、青山学院大学教授などを歴任。数理マルクス経済学の開拓者であり、マルクス、ベーム=バヴェルクへの理論的批判で知られる。 1902年(明治35年)、福岡県福岡市で生まれた。福岡商業学校、山口高等商業学校(現・山口大学経済学部)を卒業後、高商時代の恩師である作田荘一を追うように京都帝国大学経済学部に入学した。そこでは河上肇のゼミに参加し、マルクス経済学を学んだ。また、先輩の高田保馬からローザンヌ学派の研究について学んだ。 卒業後は、京都帝国大学助教授に就いた。
長島恭助(ながしま きょうすけ、1901年(明治34年)9月… 長島恭助(ながしま きょうすけ、1901年(明治34年)9月17日 - 1992年(平成4年)9月22日)は、日本の銀行家、社会福祉活動家、古美術品愛好家。さいたま市名誉市民。 埼玉県大里郡吉見村(のちの大里村、現・熊谷市)小八ッ林の豪農で、のちに吉見村長を務めた長島甚助、せい夫妻の長男として生まれる。 吉見尋常小学校(現・熊谷市立吉見小学校)、吹上尋常小学校高等科、旧制熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)、山口高等商業学校(現・山口大学)を経て、1923年(大正12年)に渋沢栄一が設立に深く関与し、その甥が頭取を務める武州銀行に入行。 1943年(昭和18年)7月の八十五銀行、忍商業銀行、飯能銀行との合併による埼玉銀行の発足と同時に本店営業部長に就任した。
山脇 義勇(やまわき よしとし、1900年11月3日 - 1… 山脇 義勇(やまわき よしとし、1900年11月3日 - 1987年7月14日)は、日本の経営者。ダイセル化学工業社長、会長を務めた。高知県出身。位階は正四位。 1922年に山口高等商業学校を卒業し、同年に岩井商店に入社。1940年5月にダイセル化学工業に転じ、1946年12月に取締役に就任し、1949年1月に常務、1955年1月に専務を経て、1961年1月に副社長に就任し、1964年1月には社長に昇格。1971年1月に会長に就任し、1972年2月には相談役に就任。 1967年に藍綬褒章を受章し、1972年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1987年7月14日肝臓癌のために死去。86歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
松浦 孝義(まつうら たかよし、1900年10月19日 - … 松浦 孝義(まつうら たかよし、1900年10月19日 - 1984年12月21日)は、日本の経営者。日立電線社長、会長を務めた。山口県出身。 1922年に山口高等商業学校を卒業し、同年3月に日立製作所に入社。1946年12月に取締役に就任し、1947年11月に常務、1949年6月に専務、1952年7月に副社長を経て、1956年4月には日立電線社長に就任。1971年11月に会長に就任し、1977年6月には相談役に就任。1961年11月からは日立製作所監査役も務めた。 1963年4月に藍綬褒章を受章 1984年12月21日閉塞性黄疸のために死去。84歳没。
赤間 文三(あかま ぶんぞう、1899年5月31日 - 19… 赤間 文三(あかま ぶんぞう、1899年5月31日 - 1973年5月2日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。 大阪府知事(公選初代)、法務大臣(24代)。大阪府知事時代は東京都知事安井誠一郎とともに、1950年代における都道府県知事のボス的存在として君臨し、赤間天皇の異名で呼ばれた。 赤間岩吉の三男として、福岡県宗像郡津屋崎町(現在の福津市)に生まれる。福岡県立中学修猷館、旧制山口高等学校を経て、1925年3月東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業する。 1926年2月内務省に入省。岡山県属。同年11月高等試験行政科試験に合格。1935年10月大阪府都市計画課長、1939年4月徳島県経済部長まで務めた後、商工省に転じ、1941年11月大臣官房会計課長。
三田 了一(みた りょういち、1892年12月19日 - 1… 三田 了一(みた りょういち、1892年12月19日 - 1983年5月29日)は、日本の昭和期に活動したムスリム(イスラム教徒)であり、指導者。宗教家。ムスリム名はウマル。山口県下関市の出身。イスラミックセンタージャパン元顧問。関西学院大学、北九州大学元中国語講師。 1972年に、ムスリムの手による初めてのコーランの日本語訳を出版(1982年改訂版出版)したことで知られる。この翻訳は、世界初の公認翻訳として承認されている。 1892年、山口県下関市に生まれ、1916年、山口高等商業学校(現・山口大学経済学部)を卒業。その後、南満州鉄道に就職して中国大陸に渡り、現地のムスリムとの交流を経てイスラム教へ改宗する。
石橋 五郎(いしばし ごろう、1892年 <明治25年> 1… 石橋 五郎(いしばし ごろう、1892年 <明治25年> 1月10日 - 1971年 <昭和46年> 1月10日)は、日本の経営者。藤倉電線(現在のフジクラ)社長を務めた。位階は正五位。 佐賀県出身。1913年に山口高等商業学校を卒業し、1922年に藤倉電線に入社。 取締役、常務を経て、1948年5月には社長に就任。1961年7月には会長に就任。 1960年に藍綬褒章を受章し、1965年に勲三等瑞宝章を受章。 1971年1月10日、肺機能障害のために死去。79歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
金子 堅次郎(かねこ けんじろう、1887年3月9日 - 1… 金子 堅次郎(かねこ けんじろう、1887年3月9日 - 1974年9月5日)は、日本の実業家である。元三井物産取締役。日本トレーディング(現・三井物産プラスチック)元社長。 旧制東筑中学(現在の福岡県立東筑高等学校)、山口高等商業学校(現在の山口大学)を卒業後、三井銀行に入社。本店営業部長などを経て、1936年(昭和11年)三井合名常務理事となる。のち三井物産取締役、東京芝浦電気(現東芝)副社長・副会長などを歴任。1947年(昭和22年)日本トレーディング社長に就任。
田村 幸策(たむら こうさく、1887年(明治20年)3月5… 田村 幸策(たむら こうさく、1887年(明治20年)3月5日 - 1985年(昭和60年)2月21日)は、大正・昭和前期の日本の外交官。 山口県大島郡に生まれる。1906年、山口高等商業学校(現・山口大学経済学部の前身)を卒業。1907年、高等文官試験に合格し「書記生」で外務省に入省する。 1914年に外交官領事官試験に合格して、キャリア組に昇格する。安東総領事館、奉天総領事館、在英国日本国大使館に勤務した。チェコスロバキア代理公使/広東領事館・総領事を最後に1925年に退官し、日本生命保険東京支店長を務めた。 1941年に東京帝国大学法学博士の学位を取得。戦後は、1949年から中央大学法学部教授(国際法担当)、1963年から国士館大学教授をそれぞれ務めた。
堀内 謙介(ほりのうち けんすけ、1886年〈明治19年〉3… 堀内 謙介(ほりのうち けんすけ、1886年〈明治19年〉3月30日 - 1979年〈昭和54年〉11月1日)は、日本の外交官。1930年代後半に外務次官及び駐米大使、戦後は駐中華民国(台湾)大使を務めた。 兵庫県多紀郡篠山町(のち丹波篠山市)にて旧篠山藩士堀内令順の次男として生まれる。私立尋常中学鳳鳴義塾、旧制山口高等学校、第一高等学校を経て、1910年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。東京帝大在学中の1909年に文官高等試験合格、さらに1911年10月の外交官及領事官試験に合格(同期は重光葵・芦田均・縫田栄四郎・栗野昇太郎・村上義温・酒匂秀一・桑島主計)、翌11月に外交官補に任じられ清国在勤を命じられた。
清瀬 一郎(きよせ いちろう、1884年〈明治17年〉7月5… 清瀬 一郎(きよせ いちろう、1884年〈明治17年〉7月5日 - 1967年〈昭和42年〉6月27日)は、大正、昭和時代の日本の弁護士、法学者、政治家。学位は法学博士。東京弁護士会会長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 弁護士としては極東国際軍事裁判で東條英機の弁護人などを務め、また政治家としては文部大臣、衆議院議長を歴任。 兵庫県飾磨郡夢前町(現・姫路市)出身。弁護士としては小作争議裁判や思想事件等の他、特許事件を多く手掛けて著作物も多く、工業所有権法(知的財産法)の分野においては実務・学問の両面において草分け的な存在であった。 政界入りしてからは普通選挙運動の推進や台湾議会設置運動への支援、治安維持法への反対などリベラルな政治家として知られてきた。
河上 肇(かわかみ はじめ、1879年(明治12年)10月2… 河上 肇(かわかみ はじめ、1879年(明治12年)10月20日 - 1946年(昭和21年)1月30日)は、日本の経済学者。 京都帝国大学でマルクス経済学の研究を行っていたが、教授の職を辞し、共産主義の実践活動に入る。日本共産党の党員となったため検挙され、獄中生活を送る。カール・マルクス『資本論』の翻訳(第一巻の一部のみ翻訳)やコミンテルン32年テーゼの翻訳のほか、ベストセラー『貧乏物語』の他に、『第二貧乏物語』『資本論入門』の著作がある。死後に刊行された『自叙伝』は広く読まれた。名文家であり、漢詩もよく知られている。福田徳三とは終生のライバルであった。 山口県玖珂郡岩国町(現在の岩国市)に旧岩国藩士の家に生まれる。
林 博太郎(はやし ひろたろう、1874年(明治7年)2月4… 林 博太郎(はやし ひろたろう、1874年(明治7年)2月4日 - 1968年(昭和43年)4月28日)は明治時代から昭和時代にかけての日本の教育学者、実業家、政治家。伯爵、文学博士。
奈倉 次郎(なぐら じろう、1872年5月〈明治5年4月〉-… 奈倉 次郎(なぐら じろう、1872年5月〈明治5年4月〉- 1947年11月20日)は、日本の英文学者、英語教育者、翻訳家。山口高等商業学校(現・山口大学)教授、立教学校(現・立教大学)英語教授。多くの編著があり、英語教科書や青年英文学叢書など広く読まれた。 1872年5月(明治5年4月)、静岡県伊豆生まれ。兄は静岡県人・奈倉新一郎。 伊豆学校で学んだ後、東京へ出て、東京英語専修学校(立教大学の前身校の一つ)で修学する。英国人アーサー・ロイド(立教学院総理)、米国人ジエーキンボル両氏に就いて英語及び英文学を修める。 1890年(明治23年)、郷里に戻って伊豆学校の英語教師となる。その後、再び東京へ出て、1891年(明治24年)、私立錦城学校英語専攻科を卒業。
伊藤 文吉(いとう ぶんきち)とは、現在の新潟市江南区沢海に… 伊藤 文吉(いとう ぶんきち)とは、現在の新潟市江南区沢海に居を構えた豪農・大地主の当主名。
伊藤 愛 は、山口県を拠点に活動していた日本のフリーアナウン… 伊藤 愛 は、山口県を拠点に活動していた日本のフリーアナウンサー。
彩葉 ゆめ(いろは ゆめ、9月20日 - )は、宝塚歌劇団花… 彩葉 ゆめ(いろは ゆめ、9月20日 - )は、宝塚歌劇団花組に所属する娘役。 山口県山口市、山口大学教育学部附属山口中学校出身。身長162cm。愛称は「ゆめみっち」、「YUME」。 2022年4月、宝塚音楽学校に入学。 2024年3月、宝塚音楽学校を卒業し、第110期生として宝塚歌劇団に首席入団。同月、月組宝塚大劇場公演「Eternal Voice 消え残る想い/Grande TAKARAZUKA 110!」で初舞台。公演終了後、組回りを経て2025年3月11日付で花組に配属。 2025年の阪急阪神初詣ポスターモデルに起用。 2025年7月、宝塚大劇場公演「悪魔城ドラキュラ」新人公演で新人公演初ヒロイン。
杉崎 美香 は、日本のタレント、フリーアナウンサーである。セ… 杉崎 美香 は、日本のタレント、フリーアナウンサーである。セント・フォース所属。
福田 晶平(ふくだ しょうへい )は構成作家・脚本家。山口大… 福田 晶平(ふくだ しょうへい )は構成作家・脚本家。山口大学人文学部卒業。島根県浜田市出身。 †劇団プレステージ † コントライブ「作家福田責任重大ライブ」(脚本・演出・映像製作) ポテト少年団 平成ノブシコブシ セブンbyセブン ライス ゆったり感 オコチャ ピクニック シューレスジョー 囲碁将棋 水上拓郎 ゆったり感 † [Blue Print] † † [Red Print] † この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉武 秀哉(よしたけ ひでや)は、山形大学有機エレクトロニク… 吉武 秀哉(よしたけ ひでや)は、山形大学有機エレクトロニクス研究センター教授 兼 山形大学xEV飯豊研究センター・センター長を務めた。 専門は有機電気化学・電池材料の研究。機能性電解液の世界的第一人者。博士(理学)(2003年、佐賀大学にて取得)。 1986年、山口大学大学院理学研究科修士課程修了、宇部興産(現・UBE)に入社。 1992年、リチウムイオン二次電池溶媒に用いられる炭酸メチルエチル(エチルメチルカルボナート)の工業化に成功(世界初)。1996年、機能性電解液の事業化・工業化に成功(世界初)。2003年、論文「リチウムイオン二次電池負極界面の機能制御と電解液添加剤に関する研究」で佐賀大学より博士(理学)号取得。