三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - … 三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - 1986年5月16日)は、東京都出身の作曲家、編曲家、ジャズピアニスト、レーシングドライバー、俳優、映画監督。 妻はボーカリストの宮崎正子。 鮎川義介の懐刀で満州重工業開発理事や日本コロムビア社長などを歴任した三保幹太郎の息子。高校時代から、ピアニストの守安祥太郎に師事し、在学中の1950年に「クール・ノーツ」でプロデビュー。慶應義塾大学卒業後は、トミー・パーマー・オーケストラなどでピアニストとして活動。1959年4月、前田憲男、山屋清と「モダンジャズ3人の会」を結成。同年『モグラの唄』で芸術祭奨励賞受賞。1961年、日本ジャズ界の作・編曲分野に大きく貢献し、2度目の芸術祭奨励賞を受賞。
狩野 明男(かのう あきお、1934年〈昭和9年〉10月2日… 狩野 明男(かのう あきお、1934年〈昭和9年〉10月2日 - 1992年〈平成4年〉2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。選挙に立候補するときは「かのう 明男」という表記だった。 1934年(昭和9年)10月3日、神奈川県三浦郡葉山町生まれ。茨城県新治郡志士庫村(後の出島村、霞ヶ浦町を経て現在のかすみがうら市)出身。 1941年(昭和16年)4月、志士庫村立宍倉国民学校入学。小学2年生のときに父がニューギニアの戦いで戦死し、母も6年生のとき死去、狩野他3人の兄弟は親戚で別々に育てられる。1947年(昭和22年)4月、荏原中学校入学。1950年(昭和25年)4月、茨城県立土浦第一高等学校入学。
保利 耕輔(ほり こうすけ、1934年9月23日 - )は、… 保利 耕輔(ほり こうすけ、1934年9月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。
金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 19… 金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 1999年7月2日)は日本の映画作家、評論家、写真家。 東京都生まれ。祖父はうなぎ屋だが、父親は家業を継がず家を貸して不動産収入で遊食していた。足立区立千住小学校から旧制東京都立江北中学校に入学、学制改革を経て、1952年、東京都立江北高等学校卒業。同校在学中は美術部に籍を置き、英語が得意で、成績は学年400人中1番から2番で通していた。東京大学に落ちて1浪で早稲田大学と慶應義塾大学文学部に合格し、後者に入学、1957年、同英米文学科卒業。松竹映画国際部に社長(城戸四郎)付きの通訳として籍を置き、ハーヴァード大学の国際セミナーに参加するうちに米国のアングラ映画作家と知り合い、松竹を休職中にフルブライト基金を受けて渡米、ノースウェスタン大学に1年間留学。
坂口 允彦(さかぐち のぶひこ、昭和9年(1934年)9月2… 坂口 允彦(さかぐち のぶひこ、昭和9年(1934年)9月20日 - )は日本の実業家。元山陰石油代表取締役社長。 坂口合名会社・代表社員会長坂口平兵衛 (2代)の次男。山陰石油代表取締役社長坂口元昭の父。 昭和27年(1952年)米子西高校卒業。昭和31年(1956年)慶應義塾大学経済学部卒業、同年丸善石油勤務。 昭和35年(1960年)山陰石油勤務。昭和44年(1969年)同社代表取締役。 昭和48年(1973年)山陰ユアサ電池を設立、代表取締役社長。 趣味はゴルフ。住所は米子市角盤町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大久保 利泰(おおくぼ としひろ、1934年(昭和9年)9月… 大久保 利泰(おおくぼ としひろ、1934年(昭和9年)9月17日 - )は、日本の歴史学者。 大久保利謙の長男。大久保利通、近藤廉平の曾孫。医師・大久保利晃は従弟。 東京府生まれ。利通以降の大久保家5代当主(曾祖父・利通→大伯父・利和→祖父・利武→父・利謙→利泰)。慶應義塾大学文学部・経済学部卒業。1960年(昭和35年)から1994年(平成6年)まで横浜ゴム株式会社勤務。定年退職後、1997年(平成9年)から社団法人霞会館理事、常務理事。2013年(平成25年)から霞会館顧問。
安宅 夏夫(あたか なつお、1934年8月29日 - 202… 安宅 夏夫(あたか なつお、1934年8月29日 - 2020年3月23日)は、日本の文筆家。本名、安宅敏雄。 石川県金沢市出身、慶應義塾大学文学部卒業。金沢市で18年間、高校の国語教員として勤務の傍ら短歌や詩の創作を行う。その後上京して文筆家となる。日本現代詩人会、大衆文学研究会会員。 2003年、『「日本百名山」の背景 深田久弥・二つの愛』で尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞評論・伝記部門を受賞、2012年、第一回群系賞を野口存彌とともに受賞。 2020年3月23日、肺炎のため死去。85歳没。
江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997… 江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997年8月10日)は、東京出身の演芸評論家、エッセイスト、俳人。俳号は滋酔郎。 長女は小説家の江國香織。 小学校は慶應義塾幼稚舎であったが、1945年秋、東京から静岡県庵原郡蒲原町(現在の静岡市清水区)に転校して徹底的ないじめを受ける。当時の経験を後に「怨み骨髄、あのときのいじめの下手人たちの顔も名前も身体的特徴も、いまだに忘れていない」と語り、文筆家になってからも紀行文の中で当時の恨みつらみを吐露している。 静岡県立清水東高等学校を経て慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。卒業後は新潮社に入社して、十年間『週刊新潮』の編集部にいたが、1966年に退社。
嘉納 秀郎(かのう ひでお、1934年8月14日 - 201… 嘉納 秀郎(かのう ひでお、1934年8月14日 - 2010年5月4日)は、日本の経営者。白鶴酒造社長、会長を務めた。 東京都出身。1959年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三菱商事に入社した。1972年6月に白鶴酒造に転じ、取締役、常務を経て、1983年6月に社長に就任し、2001年6月には会長に就任した。 2010年5月4日、肺気腫のために死去。75歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
新田 昌玄(にった しょうげん、本名での読み:にった まさは… 新田 昌玄(にった しょうげん、本名での読み:にった まさはる、1934年〈昭和9年〉8月13日 - 2004年〈平成16年〉11月18日)は、徳島県海部郡木頭村(現:那賀郡那賀町)出身の日本の俳優、声優。旧芸名:新田 昌(にった あきら)。 徳島県立城東高等学校卒業。慶應義塾大学法学部中退。 劇団文化座を経て、1960年から劇団民藝に所属。舞台活動の傍ら、映画、テレビでも主に脇役・敵役として活躍。 2004年11月18日、食道癌のため東京都渋谷区の病院で死去。70歳没。
関谷 哲夫(せきや てつお、1934年 <昭和9年> 8月1… 関谷 哲夫(せきや てつお、1934年 <昭和9年> 8月11日 - 2018年 <平成30年> 2月4日)は、日本の経営者。日本精工社長、会長を務めた。位階は従四位。 長野県上高井郡高山村出身。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本精工に入社した。1985年7月に取締役に就任し、1988年12月に常務、1992年6月に専務を経て、1994年6月に社長に就任し、2002年6月には会長に就任した。2004年6月に相談役に就任。 1998年4月に藍綬褒章を受章し、2016年11月に旭日重光章を受章した。 2018年2月4日、胆管癌のために死去。83歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
中村 正三郎(なかむら しょうざぶろう、1934年〈昭和9年… 中村 正三郎(なかむら しょうざぶろう、1934年〈昭和9年〉7月18日 - 2023年〈令和5年〉9月1日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は旭日大綬章。衆議院議員(9期)、環境庁長官、法務大臣といった閣僚ポストのほか、衆議院大蔵委員長、自民党財政部会長、大蔵政務次官を2度経験するなど大蔵・財政族議員でもある。 千葉県安房郡三芳村(現・南房総市)出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、富士製鐵(現・日本製鉄)に勤務。1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙で初当選。清和政策研究会に所属し副会長まで務めた。以後2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙まで9回連続当選。 1984年、第2次中曽根第1次改造内閣で大蔵政務次官に就任。
17代 石川 弥八郎(彌八郎、いしかわ やはちろう、1934… 17代 石川 弥八郎(彌八郎、いしかわ やはちろう、1934年(昭和9年)7月11日 - 2012年(平成24年)9月21日)は、昭和から平成時代の政治家。醸造家。東京都福生市長。旧名は慶一郎。位階は従五位。旭日小綬章。 石川家は幕府天領(熊川村字南・字熊川牛浜、現福生市熊川)の名主役。13代目の石川弥八郎和吉の時、酒造りを始めた。 1957年(昭和32年)慶應義塾大学法学部卒業後、石川酒造所に入る。1965年(昭和40年)石川酒造設立に際し取締役、1977年(昭和52年)社長。のち会長。 1979年(昭和54年)福生市議会議員に当選。1985年(昭和60年)弥八郎を襲名。1988年(昭和63年)福生市長に就任し、3期務めた。
吉田 ルイ子(よしだ ルイこ、1934年7月10日 - 20… 吉田 ルイ子(よしだ ルイこ、1934年7月10日 - 2024年5月31日)は、日本の写真家、ジャーナリスト。 北海道室蘭市出身。父親は鉄鋼会社の重役であり、裕福な家庭に育つ。小学校時代に同じ学校に通っていたアイヌの生徒への差別を目の当たりにしたことでジャーナリストの道を志す。東洋英和女学院中学部・高等部を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。 NHK国際局の嘱託を経て、朝日放送にアナウンサーとして勤務。1961年、フルブライト交換留学生として渡米し、オハイオ州立大学とコロンビア大学で学び、フォトジャーナリズム専攻で1964年にコロンビア大学より修士号を取得した。 コロンビア大学在学中に、リベラルの白人男性と結婚。
藤森 三男(ふじもり みつお、1934年7月3日 - 202… 藤森 三男(ふじもり みつお、1934年7月3日 - 2020年3月29日)は、日本の経営学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年慶應義塾大学経済学部卒業。1965年同大学商学部助手。1971年カリフォルニア大学ロサンゼルス校School of Management客員研究員。1972年慶應義塾大学商学部助教授。1980年同大学教授。1982年ニューサウスウェールズ大学Faculty of Commerce交換教授兼任。1990年ミネソタ大学ツインシティー校School of Management交換教授兼任。2000年慶應義塾大学名誉教授、立正大学経営学部教授。経済学博士、商学博士。
鈴木 敬介(すずき けいすけ、1934年(昭和9年)6月28… 鈴木 敬介(すずき けいすけ、1934年(昭和9年)6月28日 - 2011年(平成23年)8月22日)は、日本のオペラ演出家。 東京出身。慶應義塾大学在学中から演出や振付、舞台監督の経験を積んだという。オペラとの関わりの記録の初出は1961年(昭和36年)藤原歌劇団靑年グループ第15回公演、ラモー室内楽団・青年グループ提携公演イイノホールでのロルフ・リーバーマン作曲『女房学校』舞台監督である。1962年にも、東京労音2・3月例会 文京公会堂・東京文化会館大ホールでのマスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』レオンカバッロ『道化師』舞台監督を務めている。1963年(昭和38年)に日生劇場に入社。
藤川 桂介(ふじかわ けいすけ、本名:伊藤 英夫(いとう ひ… 藤川 桂介(ふじかわ けいすけ、本名:伊藤 英夫(いとう ひでお)、1934年6月16日 - )は、日本の男性脚本家、小説家、放送作家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、日本脚本家連盟会員。京都嵯峨芸術大学客員教授。 東京都出身。東京都立墨田川高等学校、慶應義塾大学文学部国文学科卒(1958年)。 1960年代中盤から1970年代中盤までは実写のアクション番組や特撮物の脚本家として、1970年代から1980年代はテレビアニメーションの脚本家として活躍した。1980年代中盤以降は、活動の中心を小説の執筆に当てている。代表作に、テレビアニメーション『マジンガーZ』、『六神合体ゴッドマーズ』、『宇宙戦艦ヤマト』、小説『宇宙皇子』シリーズなど。
木村 英俊(きむら ひでとし、1934年6月10日 - 20… 木村 英俊(きむら ひでとし、1934年6月10日 - 2019年7月16日)は、北海道出身の音楽プロデューサー。ジーベック音楽出版代表取締役。 実娘はシンガーソングライターの木屋響子(本名・木村恭子)。妻はマリンバ奏者の安倍圭子。 慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。日東金属鉱山を経て、1963年に日本コロムビア入社。1965年に志願して営業部から学芸部へ移籍し、1977年から学芸部長、1989年から制作本部長を歴任した。アニメーション作品・特撮作品の楽曲や子供向けの楽曲をプロデュースし、日本コロムビアの隆盛期の一分野を担う。 1992年、日本コロムビアが新規設立したグループ会社「フォルテミュージックエンタテインメント」(FME)の社長に就任。
鈴木 敬彦(すずき よしひこ、1934年6月7日 - 202… 鈴木 敬彦(すずき よしひこ、1934年6月7日 - 2022年7月26日)は、日本の実業家。遠州鉄道株式会社の第6代社長。 静岡県浜松市出身。遠州鉄道株式会社の第2代社長の鈴木俊雄氏の次男で、1958年に慶應義塾大学法学部を卒業後、遠州鉄道株式会社に入社。1994年から2005年まで11年間遠州鉄道第6代社長を務めた。社長在任中はバブル崩壊後の厳しい経営環境の中で「お客様第一主義」を掲げ、事業の多角化を推進しグループ経営の礎を築いた。また、1988年の遠鉄百貨店開業の担当役員として準備を主導し、1990年 - 1994年には遠鉄百貨店の社長も務めた。また、遠州鉄道の保険事業を全国有数のアメリカンファミリー販売代理店に育てあげたほか、遠州鉄道社長時代に路線バスの利用促進に向けて浜松市と「オムニバスタウン計画」を展開。
楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990… 楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990年1月11日)は、昭和期の政治家。元運輸大臣、元衆議院議員の楢橋渡は実父。 福岡県久留米市に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、三井物産勤務を経て、父・楢橋渡秘書。1973年に父・渡が死去し、父と荒木万寿夫の死去に伴う空席を埋める衆議院議員補欠選挙(福岡3区)に自民党公認で立候補。当選を果たし以降衆議院議員を4期務め、中曽根派に属した。この間、第2次大平内閣で運輸政務次官・第1次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任している。 1983年総選挙では保守乱立の煽りから次々点で落選。返り咲きを目指した1986年総選挙では党の公認を得られず、日本共産党の公認候補の得票をも下回った法定得票数にも満たない惨敗に終わった。
茅 陽一(かや よういち、1934年5月18日 - )は、日… 茅 陽一(かや よういち、1934年5月18日 - )は、日本の工学者。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。2007年時点で地球環境産業技術研究機構副理事長および研究所長。元ローマクラブ本部会員。IPCC国内連絡会座長。
上島 清介(うえしま せいすけ、1934年5月16日 - )… 上島 清介(うえしま せいすけ、1934年5月16日 - )は、日本の経営者。ヤマハ社長を務めた。 石川県出身。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本楽器製造(のちのヤマハ)に入社。1981年7月に専務に就任し、1983年8月に副社長を経て、1992年2月には社長に昇格。1997年6月に会長に就任し、1999年6月に顧問を経て、2000年6月に特別顧問に就任。 2007年10月には日本郵便社外取締役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
久井 恵之助(ひさい けいのすけ、1934年5月12日 - … 久井 恵之助(ひさい けいのすけ、1934年5月12日 - 2011年11月18日)は、日本の経営者。ニチロ社長を務めた。 大阪府出身。1958年に慶應義塾大学文学部を卒業し、同年に日魯漁業(のちのニチロ)に入社。1986年2月に常務に就任し、1991年6月に専務、1993年6月に副社長を経て、1995年6月に社長に就任。2001年6月に会長に就任。 2006年に旭日中綬章を受章。 2011年11月18日肺炎のために死去。77歳没。
井口 樹生(いぐち たつお、1934年5月8日 - 2000… 井口 樹生(いぐち たつお、1934年5月8日 - 2000年1月18日)は、国文学・民俗学者。
深田 甫(ふかだ はじめ、1934年〈昭和9年〉4月30日 … 深田 甫(ふかだ はじめ、1934年〈昭和9年〉4月30日 - 2020年〈令和2年〉3月26日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。慶應義塾大学名誉教授。 千葉県生まれ、満洲で育つ。慶應義塾大学医学部から経済学部に転じ、1958年卒業、1960年同大学院ドイツ文学科修士課程修了。若くして『三田文学』に文藝時評を掲載などし、1961年同法学部副手、1962年助手、1965年専任講師、1968年助教授、1970 - 1971年西ドイツハノーヴァー大学に留学、1973年教授、2000年定年となり名誉教授。 E.T.A.ホフマン全集を22年かけて翻訳した。ほかに英語文学も翻訳、1980年代に人気番組「夕やけニャンニャン」で人生相談を担当。
衆樹 資宏(もろき すけひろ、1934年4月19日 - 19… 衆樹 資宏(もろき すけひろ、1934年4月19日 - 1999年6月25日)は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手(外野手)。 湘南高校では2年生の時、エースとして1951年春の選抜に出場したが、1回戦で長崎西高に0-1で敗れた。1年上のチームメートには、遊撃手の佐々木信也がいた。翌1952年春季関東大会では準々決勝から3試合連続延長戦でサヨナラ勝ち、決勝で宇都宮高を下し優勝を飾った。同年夏の甲子園県予選でもエース、4番打者として決勝に進出するが小坂佳隆らのいた法政二高に敗れた。 卒業後は慶應義塾大学に入学し、野手に転向する。東京六大学野球リーグでは1955年春季リーグで戦後初の三冠王となり、同年の第2回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学リーグ選抜チーム)に選出された。
野村 文英(のむら ふみひで、1934年4月13日 - 20… 野村 文英(のむら ふみひで、1934年4月13日 - 2011年3月24日)は、日本の実業家。野村財閥を一代で築き上げた2代目野村徳七の孫で、野村家当主だった。野村殖産社長、野村ホールディングス取締役、太洋物産監査役。財団法人野村文華財団理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菊池 長右ェ門(きくち ちょううえもん、1934年4月7日 … 菊池 長右ェ門(きくち ちょううえもん、1934年4月7日 - 2020年7月26日)は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、岩手県議会議員、宮古市長を務めた。祖父は立憲政友会に所属した元衆議院議員の菊池長右衛門、父は初代宮古市長で日本自由党に所属した元衆議院議員の菊池長右衛門。叔父は元宮古市長の菊池良三。親子3代揃って同名な為、代々「菊長」と呼ばれる。 岩手県宮古市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1965年、株式会社菊長商店(燃料販売会社)社長に就任する。1983年に自由民主党公認で岩手県議会議員選挙に立候補し、初当選。以後2回当選するが、3期目の途中に県議を辞職。宮古市長選挙に立候補して当選する。
諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 -… 諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 - 2011年(平成23年)3月2日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取。 秋田県鹿角市出身。慶大卒後、秋田銀行入行。 営業、企画、人事と幅広く経験。東北の金融界においても顔が広く行動派と目されていた。 1997年(平成9年)、頭取就任。2期4年の在任中は、1999年(平成11年)の創業120周年、新店頭体制への移行や共同バックアップセンターの設置また、融資パソコンシステムの導入やエリア営業体制の試行のほか、本部にIT戦略室を設置。次世代への布石を打った。 2001年(平成13年)、相談役に退き秋田経済研究所理事長に就任した。 2011年(平成23年)3月2日、肺がんのため死去。
植村 泰一(うえむら やすかず、1934年3月24日 - 2… 植村 泰一(うえむら やすかず、1934年3月24日 - 2022年5月16日)は、日本のフルート奏者・指導者。元日本フルート協会副会長・東京音楽大学学長。 父は東宝の前身の一つP.C.L.映画製作所の創立者の一人植村泰二、伯父は第3代経済団体連合会会長を務めた植村甲午郎。祖父はオリエンタル写真工業会長などを務めた植村澄三郎。 フルートを川崎優、ガストン・クリューネル、オーレル・ニコレに、作曲を清瀬保二に師事した。東京音楽大学にて学長及び理事長を務めた。門下生には著名なフルーティストも多い。また各種コンクールの審査員も務めた。 横溝正史のミステリ小説『悪魔が来りて笛を吹く』にフルート曲が登場するのは、横溝が隣家の植村の練習を聴いて着想したものである。
桜井 順(さくらい じゅん、1934年3月14日 - 202… 桜井 順(さくらい じゅん、1934年3月14日 - 2021年9月25日)は、日本の作曲家、作詞家。東京都(麻布)出身。本名は櫻井 峯夫(さくらい みねお)。作詞の際のペンネームに「水木 ひろし(みずき ひろし)」「能 吉利人(のう きりひと)」。櫻井 順と表記される場合もある。 曾祖父(父方の祖母の父)は貴族院議員・慶應義塾長を務めた小幡篤次郎。父方の祖父は三井物産砂糖部長・三越常務取締役・二幸取締役などを歴任した櫻井信四郎。幼稚舎(小学時代)より慶應義塾に学び、慶應義塾大学経済学部を卒業。祖父、父、自身と3代続けて幼稚舎〜経済(理財)を卒業した。 慶應義塾大学経済学部卒業。就職先が決まった頃には朝日放送主催の『ABCミュージカルスポット・コンクール』に応募し、2位に入賞していた(1位は越部信義)。
神谷 聰一郎(かみや そういちろう、1934年3月12日 -… 神谷 聰一郎(かみや そういちろう、1934年3月12日 - 2022年5月11日)は、日本の銀行家。 東京都出身。1956年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に静岡銀行に入行。1983年6月に取締役に就任し、1987年7月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年9月に頭取に就任。1999年6月に会長に就任。 2013年4月に旭日中綬章を受章。 2022年5月11日、死去。88歳没。
登坂 哲朗(のぼりさか てつろう、1934年2月12日 - … 登坂 哲朗(のぼりさか てつろう、1934年2月12日 - 1978年8月30日)は、日本のバスケットボール選手。 中学校より姉の影響でバスケットボールを始め、高校時代に国体優勝等頭角を表し、慶應義塾大学に入学。日本鉱業でさらにバスケットボールに没頭し、日本代表に選ばれ1956年のメルボルンオリンピックに出場を果たした。現役引退後は、共同石油(現ENEOSホールディングス)の女子バスケットボール部の創設に参加し、後進の指導にあたった。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
柏木 英彦(かしわぎ ひでひこ、1934年2月9日 - )は… 柏木 英彦(かしわぎ ひでひこ、1934年2月9日 - )は、中世西洋哲学の研究者。金沢大学名誉教授。文学博士(慶應義塾大学にて取得。)。 東京都生まれ。1985年慶應義塾大学大学院博士課程修了、「ラテン中世の言語と精神」で文学博士。山口大学人文学部助教授、同大学教授を歴任し、金沢大学文学部教授。1997年定年退官、同大学名誉教授。1974年『イスラーム哲学史』で日本翻訳文化賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。
長谷川 端(はせがわ ただし、1934年1月27日 - )は… 長谷川 端(はせがわ ただし、1934年1月27日 - )は、日本の日本中世文学研究者、中京大学名誉教授。中世軍記物語が専門。 1934年群馬県高崎市生まれ。1952年群馬県立高崎高等学校卒業。1956年慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業。1959年同大学院修士課程修了。1962年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 椙山女学園大学短期大学部、中京大学などで非常勤講師。 1987年「太平記の研究」で文学博士の学位を取得(慶應義塾大学)。 1989年3月から5月、国際交流基金より、カイロ大学文学部の客員教授として派遣され、3・4年生の学生を対象に日本中世文学の集中講義を実施。 中京大学文学部助教授、教授、2007年定年退任、名誉教授。
加藤 威(かとう たけし、昭和9年(1934年)1月26日 … 加藤 威(かとう たけし、昭和9年(1934年)1月26日 - )は日本の実業家。加藤商事社長。 元加藤商事会長加藤章の次男。兄は元三井銀総合研究所社長加藤裕。 鳥取県米子市出身。加藤章の次男。家業は建設資材卸売業。 昭和35年(1960年)慶應義塾大学経済学部卒業、同年加藤豊吉商店勤務。昭和39年(1964年)加藤商事専務取締役に就任(加藤豊吉商店を吸収合併)。 昭和52年(1977年)山陰生コンクリート代表取締役社長、昭和55年(1980年)加藤商事代表取締役社長、昭和56年(1981年)白兎生コン代表取締役社長、昭和57年(1982年)赤碕生コン代表取締役社長に各々就任。 趣味は読書、カメラ、旅行。
山本 晶(やまもと しょう、1934年〈昭和9年〉1月22日… 山本 晶(やまもと しょう、1934年〈昭和9年〉1月22日 - 2021年〈令和3年〉7月15日)は、日本のアメリカ文学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は、英米文学。東京市出身。 日比谷高校在学中からロイター通信社東京支局に勤務し、慶應義塾大卒業まで続いた。
稲川 素子(いながわ もとこ、1934年〈昭和9年〉1月18… 稲川 素子(いながわ もとこ、1934年〈昭和9年〉1月18日 - 2024年〈令和6年〉5月13日)は、日本の芸能プロモーター。株式会社稲川素子事務所代表取締役。 1934年、福岡県柳川市に生まれた。父は旧家出身で、若い頃にヨーロッパで何年も遊学できるほどの恵まれた環境で育ったという。実家は1万坪の敷地の中にテニスコートが2面あるほどの大きな屋敷で、別府にあった別荘にはグランドピアノが置かれていた。稲川はここで何不自由ない幼少期を過ごした。戦争が激しくなった頃この実家に疎開し、小学校6年生のときに終戦を迎えた。 戦後の農地改革で不在地主として土地を没収されると、家計が火の車に陥り、甚だしい食糧難と貧苦に見舞われた。
明石 元紹(あかし もとつぐ、1934年1月12日 - )は… 明石 元紹(あかし もとつぐ、1934年1月12日 - )は、日本の実業家、文筆家。慶應義塾大学経済学部卒業。日産プリンス東京販売取締役、日産陸送常任監査役。学習院大学馬術部監督。金閣寺住職の有馬頼底らと共に上皇明仁の学友である。 明石元長の子で、陸軍大将明石元二郎の孫にあたる。上皇とは学習院初等科以来の親友で、太平洋戦争時には一緒に日光に疎開した。高等科時代には馬術部のチームメートで、お互いにあだ名で呼びあうほどの仲であった。それらの経験から上皇との親交のエピソードを数々の書籍によって著してきた。しかしながら2019年、眞子内親王と小室圭との結婚問題や昭和天皇の喪中にもかかわらず秋篠宮が婚約を発表されたことなどを例に挙げ、皇室が「公」より「私」を優先させるようになられたことを懸念し、学習院初等科の同窓会に欠席することで上皇陛下に対し週刊誌上で「絶縁宣言」を行った。
小林 喬(こばやし たかし、1934年1月6日 - )は、日… 小林 喬(こばやし たかし、1934年1月6日 - )は、日本の経営者。富国生命保険社長、会長を務めた。 東京都出身。父は日本航空会長や東急電鉄社長、富国生命保険社長などを歴任し、財界四天王の一人とされた小林中。母は子爵・大岡忠量の三女・慶子。1956年に慶應義塾大学経済学部を卒業。三菱銀行での勤務を経て、1968年に富国生命保険に転じ、同年に取締役に就任。1971年3月に常務、1974年5月に専務、1989年3月に副社長を経て、1991年9月に社長に就任した。1998年7月に会長を経て、2003年6月に相談役に退いた。 妻は学習院大学名誉教授の林友春(伯爵・林博太郎の長男)と松濤幼稚園創設者・林貞子の次女・絢子。
川喜田 貞久(かわきた さだひさ、1934年1月4日 - 2… 川喜田 貞久(かわきた さだひさ、1934年1月4日 - 2007年6月6日)は、日本の銀行家。 三重県出身。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1971年2月に百五銀行に転じ、1981年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1988年7月に専務を経て、1993年4月には頭取に就任。2001年8月に会長に就任。1997年6月から2007年6月までに近畿日本鉄道取締役を務めた。 2007年6月6日、肝細胞癌で死去。73歳没。
森澤 寛二(もりさわ かんじ、1934年(昭和9年)- )は… 森澤 寛二(もりさわ かんじ、1934年(昭和9年)- )は、日本の実業家。元・伊藤忠商事副社長、顧問を経て岡山県高梁市の市政アドバイザーを務める。 1934年(昭和9年)父親の仕事の関係で旧満州に生まれる。終戦後、中学2年の時に親の実家のある高梁へ引き揚げた。その後、岡山県立高梁高等学校へ進学した。高梁高校時代は、同期に富士銀行頭取を務めた橋本徹が友人にいる。高校卒業後、慶応義塾大学へ進学。1955年(昭和30年)頃、東京での学生の生活費は月1万円程度であり、仕送りと育英会援助やアルバイトで捻出した。二年間、同郷の大学友人と同じ下宿で生活し、たまに友人の実家から送られてくる米や野菜で食事をつくってたべる生活だったと語っている。
黒田 美代子(くろだ みよこ、1934年-2011年)は、日… 黒田 美代子(くろだ みよこ、1934年-2011年)は、日本のイスラーム文化研究者。 専攻は中東現代史、イスラーム文化・社会論。東京生まれ。旧制は倉井。1956年慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。1968年在カイロ、アズハル特別研究科修了。駒沢女子大学人文学部国際文化学科助教授、教授。2005年定年。夫は大学の同期の黒田壽郎で、卒業後結婚した。 カイロ、テヘラン、ダマスカスなど各地に滞在する。私的関係法を中心とするイスラーム法、イスラーム経済について研究。1967年の六日戦争の直後にアレッポのスークを訪問し、のちにアレッポ大学の協力を得て現地調査を行なう。スークの歴史、構成、商人たちの調査を通して、スーク経済をテーマとした『商人たちの共和国』を著した。
宮下 嶺夫(みやした みねお、1934年 - )は日本の翻訳… 宮下 嶺夫(みやした みねお、1934年 - )は日本の翻訳家。日本翻訳協会会員。主に児童書の翻訳を手掛ける。 京都府京都市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山田 祐嗣(やまだ ゆうじ、1934年 - )は、共同テレビ… 山田 祐嗣(やまだ ゆうじ、1934年 - )は、共同テレビ所属のフリーアナウンサー。元ニッポン放送、フジテレビアナウンサー。共同テレビ取締役を経て、現在フジテレビおよびFNN系列局の新人アナウンサーの研修指導講師、アナウンストレーニング講座「アナトレ」の特別講師を担当している。東京都出身。
馬場 禮子(ばば れいこ、1934年 - 2023年9月8日… 馬場 禮子(ばば れいこ、1934年 - 2023年9月8日)は、日本の心理学者、臨床心理士。 1965年慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻修了、「境界例とその周辺領域 ロールシャッハ・テストによる精神力学的研究」で医学博士の学位を取得。東京都立大学 (1949-2011)人文学部教授、1997年定年退官、放送大学教授、東亜大学教授、山梨英和大学人間文化研究科臨床心理学教授。 小此木啓吾に師事。文学、芸術についても論じた。 岩崎学術出版社 2005
安西 孝之(あんざい たかゆき、1933年〈昭和8年〉12月… 安西 孝之(あんざい たかゆき、1933年〈昭和8年〉12月25日 - )は、日本の実業家。昭和電工専務取締役、日本体育協会会長、日本ゴルフ協会名誉会長。袖ヶ浦カンツリークラブ理事長。 東京都出身。父は昭和電工社長を務めた安西正夫、母は昭和電工や日本冶金工業など森コンツェルン創業者森矗昶の娘である満江。1956年に慶應義塾大学法学部卒業後、昭和電工に入社。1995年に同社専務取締役。 父方祖父は、千葉県議会議長を務めた安西直一(二松學舍出身)。父・正夫の兄に東京瓦斯元会長安西浩(子に同社元会長邦夫)らがいる 母方祖父は、森コンツェルン創業者の森矗昶。母・満江の兄妹に森曉、森清、森美秀、三木武夫首相夫人の睦子、田中覚夫人の三重子(前夫との子に松崎哲久ら。
浦 達也(うら たつや、1933年12月14日 - 2016… 浦 達也(うら たつや、1933年12月14日 - 2016年4月)は、元NHKディレクター、江戸川大学名誉教授。 広島県生まれ。特別科学学級の生徒であった。 慶応義塾大学経済学部卒業後、NHKに入局し、『現代文明展望』『現代キーワード探検』などの番組を手がける。 東京大学講師を経て、江戸川大学教授となり、2004年、特任教授。
田波 靖男(たなみ やすお、1933年12月12日 - 20… 田波 靖男(たなみ やすお、1933年12月12日 - 2000年3月21日)は、日本の脚本家・作家・プロデューサー。東京都出身。ペンネームに「梅野かおる」「大井みなみ」がある。名前の表記は「靖」の右下の「月」が「円」になっている旧字も使われている。
伊澤 平一(いさわ へいいち、1933年〈昭和8年〉12月1… 伊澤 平一(いさわ へいいち、1933年〈昭和8年〉12月12日 - )は、日本の実業家。美食家。勝山企業代表取締役を務めた。国際アイスホッケー連盟および日本アイスホッケー連盟オールドタイマー最年長プレイヤー(2019年に85歳3ヶ月の試合で現役引退)。 醸造家で七十七銀行頭取を務めた伊澤平勝(10代目)の長男として宮城県仙台市に生まれる。伊澤平馬は祖父、伊澤平左衛門は曽祖父に当たる。宮城県仙台第二高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、カリフォルニア大学バークレー校大学院政治科にて修士課程を修了(政治学修士)した。慶大時代にアイスホッケーを始める。 1959年(昭和34年)に三和銀行に入行し、1962年(昭和37年)から4年間ロンドン支店に勤務した。