久山 智志(ひさやま さとし、男性、1986年7月14日 -… 久山 智志(ひさやま さとし、男性、1986年7月14日 - )は、熊本県出身のバスケットボール指導者、選手(シューティングガード)である。2020-21シーズンよりBリーグ・信州ブレイブウォリアーズのトップアシスタントコーチを務める。2021-22シーズンより名前の表記を「智士」に変更した。 選手としては実業団を経て2010年にTGI D-RISEと契約しプロ選手となる。2011年には横浜ビー・コルセアーズと契約し、2012-13シーズンにはチーム創設2年目でのリーグ優勝に貢献した。2015-16シーズン終了後に引退し、島根スサノオマジックのアシスタントコーチに就任、指導者の道に進んだ。 荒尾市立第三中学校でバスケを始め、2002年に進学した玉名工業高校では2年生時の2003年インターハイに出場。
小林 慎太郎(こばやし しんたろう、1985年〈昭和60年〉… 小林 慎太郎(こばやし しんたろう、1985年〈昭和60年〉6月29日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。熊本県熊本市出身。現役時代のポジションはシューティングガード。 小林高校から東海大学に進む。一年生からスタメンになり、活躍した。インカレ2連覇を経験する。 卒業後の2008年、パナソニックに入社、バスケットボール部に所属。 2013年のパナソニック休部後は自由契約となった後、地元で新たに立ち上がる熊本ヴォルターズに移籍。 2021年8月16日、2020-21シーズン限りでの現役引退を発表。10月10日に引退セレモニーが開催され、熊本ヴォルターズより背番号7を永久欠番とすることが発表された。
西垣 仁貴(にしがき よしき、1985年6月5日 - )は、… 西垣 仁貴(にしがき よしき、1985年6月5日 - )は、京都府京都市伏見区出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード、シューティングガード。 桃陵中学校を卒業後、名門洛南高校に進学。2年でウィンターカップ優勝に貢献。 東海大学進学後も3年次にインカレ優勝とオールジャパンベスト4を経験する。 卒業後の2008年、富山グラウジーズに入団。 竹内譲次は高校・大学の1年先輩に当たる。
竹内 譲次(たけうち じょうじ、1985年1月29日 - )… 竹内 譲次(たけうち じょうじ、1985年1月29日 - )は、大阪府吹田市出身の日本のバスケットボール選手。バスケットボール男子日本代表。高校時代から双子の兄竹内公輔とともに脚光を浴び、日本男子バスケットボール界で「竹内世代」と言われる一時代を作った。[要出典]身長207cm、体重98Kg、血液型A型。[要出典]ポジションはPF/C。 吹田市立佐井寺中学校1年からバスケットボールを始めた。 2000年、兄同様京都府の名門洛南高等学校に入学、同期に横尾達泰がいた。兄とともにツインタワーとして活躍し、2002年高校3年時ウィンターカップ2002初優勝、同年高知国体高校男子の部で優勝した。[要出典] 2003年、兄とは別に東海大学に進学し、2004年度、東海大学のバスケットチームの2部優勝1部昇格に貢献する。
井上 聡人(いのうえ あきひと、1984年10月8日 - )… 井上 聡人(いのうえ あきひと、1984年10月8日 - )は、東京都出身のバスケットボール選手である。ポジションはF/C。竹内世代のひとり。JBL時代には4チームを渡り歩いたジャーニーマンとして知られる。 2000年4月、八王子高校に進学。2年生時の2001年インターハイに出場し、2回戦進出。同年のウィンターカップではベスト8。3年生時の2002年インターハイにも出場し、初戦敗退。 2003年4月東海大学に進学。竹内譲次らとともに関東リーグ戦優勝BEST5、インカレ優勝BEST5、2007年の第82回オールジャパンでベスト4に貢献する。この大会日本人得点ランキング1位。ウィリアム・ジョーンズカップ日本代表。
阿部 佑宇(あべ ゆう、1984年9月17日 - )は、日本… 阿部 佑宇(あべ ゆう、1984年9月17日 - )は、日本の男子バスケットボール選手である。北海道二海郡八雲町出身。ポジションはガード。身長178cm、体重78kg。竹内世代のひとり。 東海大四高校から東海大学に進み、竹内譲次らとともにインカレ2連覇に貢献。 卒業後の2007年、松下電器に入社しバスケットボール部に所属。ルーキーシーズンより主力となり、オールスターゲームにも選出される。 2013年、休部となったパナソニックの後継として創設される和歌山トライアンズに移籍。
石崎 巧(いしざき たくみ、1984年7月6日 - )は、福… 石崎 巧(いしざき たくみ、1984年7月6日 - )は、福井県福井市出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード、シューティングガード。188 cm、85 kg。 2000年に北陸高校に進学。3年生時の2002年茨城インターハイで優勝。[要出典]。ウィンターカップでは竹内兄弟擁する洛南高校に僅差で敗れたものの準優勝。2003年、東海大学に進み、同期の竹内譲次らとともに全日本大学バスケットボール選手権大会連覇を達成。[要出典] 2007年、東芝に入社。2009年にバスケットボール男子日本代表に選出される。ルーキーシーズンより主力として34試合に出場。オールスターにも2季連続で選出されている。
松山 晃士(まつやま あきひと、1984年〈昭和59年〉5月… 松山 晃士(まつやま あきひと、1984年〈昭和59年〉5月27日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。鹿児島県出身。現役時代のポジションはフォワード。 現在はラ・サール学園寮の寮教諭(2022年現在高校寮教諭)として同学園に勤務している。 鹿児島県立鶴丸高等学校から東海大学に進学し、同期の竹内譲次、石崎巧らとともにインカレ連覇を経験。 卒業後は地元に戻り、鹿児島レッドシャークス(後のレノヴァ鹿児島)に加入。 2011年、bjリーグドラフト会議にて全体3位で信州ブレイブウォリアーズに指名されるが、JBL2の兵庫ストークスに入団。 2014年オフ引退。
佐々 宜央(さっさ のりお、1984年〈昭和59年〉5月13… 佐々 宜央(さっさ のりお、1984年〈昭和59年〉5月13日 - )は、日本のプロバスケットボール指導者。東京都出身。 選手とのコミュニケーションを非常に重要視し、プレー中には激しいアクションで選手を鼓舞する情熱溢れるコーチである。ゲーム中にベンチ前で片膝を立てて座るポーズはファン・ブースターから「佐々ポーズ」と呼ばれ愛されている。 東海大学卒業。父親の仕事の関係でアメリカ在住経験があり、英語が話せる。 小学生からバスケットを始め、成蹊中学時代には都大会で2位の成績を残し、ジュニアオールスターに選出された。 高校時代には、東京都のオールスターゲームである支部選抜対抗戦において、西東京地区(約80校)の代表として選抜され、大会で優勝を果たすなど、プレーヤーとしても活躍した。
内海 慎吾(うつみ しんご、1984年4月28日 - )は、… 内海 慎吾(うつみ しんご、1984年4月28日 - )は、日本の男子バスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。北海道北広島市出身。京都ハンナリーズ所属。
西堂 雅彦(さいどう まさひこ、1983年8月17日 - )… 西堂 雅彦(さいどう まさひこ、1983年8月17日 - )は、鹿児島県出身の元男子バスケットボール選手である。ポジションはF/C。 鹿児島県・川内高から東海大学に進み、2005年、大学4年生時にキャプテンとして挑んだインカレではチームを優勝に導き、優秀選手賞・デフェンス王を獲得。同期には池田雄一、1年後輩には竹内譲次がいる。 卒業後は、黒田電気を経て、2007年にトヨタ自動車アルバルクに加入。 2011年、地元のレノヴァ鹿児島に移籍。 2013年、現役を引退。地元の津曲学園鹿児島高等学校、普通科の体育教師に就任し、女子バスケ部の顧問を務める。 粘り強い性格で最後まで諦めない。特に北入してからは強い。
斉藤 恵一(さいとう けいいち、1980年11月9日 - )… 斉藤 恵一(さいとう けいいち、1980年11月9日 - )は、北海道出身のバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード/パワーフォワード。193cm、85kg。イカイレッドチンプス所属。 宮の丘中学校でバスケットボールを始め、東海大学第四高校、宮田自動車を経て、2005年のbjリーグドラフト全体13位(3巡目)で仙台89ERSに入団。 2007年、実業団のイカイに入団。
勝又 英樹(かつまた ひでき、1980年6月16日 - )は… 勝又 英樹(かつまた ひでき、1980年6月16日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード、パワーフォワード。195cm、80kg。田臥世代の一人。 出身は埼玉県草加市になっているが、生まれは宮城県。両親は宮城県牡鹿郡女川町出身であり、本人も生まれてから6歳まで女川町で過ごした。 草加市立両新田中学校在籍時の13歳の時にバスケットボールを始める。 その後、高校は東京の名門京北高校に進学。1998年インターハイではベスト16入り。 東海大学では2002年インカレでベスト16入り。 大学卒業後、新潟アルビレックスA2(二軍)に入団。 2004年、A1(一軍)に昇格。
斎藤 卓(さいとう たく、1979年1月1日 - )は、日本… 斎藤 卓(さいとう たく、1979年1月1日 - )は、日本のバスケットボール選手・指導者である。 都立駒場高校から東海大学を経て、卒業後はクラブチームの横浜ギガキャッツ、横浜ギガスピリッツ、TEAM-Sでプレー。 引退後は指導者に転じ、2013年のアースフレンズのヘッドコーチから始まり、2014年にアースフレンズ東京ZとしてNBDLに加入するとアシスタントコーチに就任し、2017年にヘッドコーチ昇格。 ヘッドコーチとしては1シーズン指揮した後、スポーツディレクター、育成部ディレクターとしてチームに関与するも、2021年退団。 2021年、レバンガ北海道アシスタントコーチ就任。 2023年、レバンガ北海道アシスタントコーチを退任。
鹿毛 誠一郎(かげ せいいちろう、1975年3月5日 - )… 鹿毛 誠一郎(かげ せいいちろう、1975年3月5日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはセンター。あだ名はBig Daddy。 響南中学校在学中の13歳の時にバスケットボールを始める。高稜高校から九州東海大学(現在は東海大学に統合)、九東クラブを経て、2001年、オーエスジーフェニックスに入団。2007年に怪我のためアシスタントコーチに転じる。2008年、チームのbjリーグ転籍時に選手復帰。2011年引退、チームのアシスタントコーチに転じる。 2013年からは、チームのアシスタントゼネラルマネージャーに就任。
山根 謙二(やまね けんじ、1967年10月11日 - )は… 山根 謙二(やまね けんじ、1967年10月11日 - )は、北海道出身の元バスケットボール選手、プロバスケットボール指導者である。 東海大学付属第四高等学校(現東海大学付属札幌)ではインターハイベスト8、東海大学進学後もインカレベスト8を経験。 卒業後の1989年、マツダオート東京(1991年よりアンフィニ東京)に入社。1991年のオールジャパン2位に貢献。1993年日本リーグオールスター出場。アンフィニ東京廃部後発足した所沢ブロンコスにも選手として2シーズン所属。 2000年現役引退。 2006年7月、bjリーグ埼玉ブロンコスのヘッドコーチとして古巣に復帰。プレイオフこそ逃したものの、前シーズン最下位のチームを浮上させたが契約満了に伴い、退任。