細野 剛史がいくっ!(ほその つよし、1985年11月10日… 細野 剛史がいくっ!(ほその つよし、1985年11月10日 - )は、千葉県松戸市出身(但し、出生地と幼児期を過ごしたのは東京都足立区)の柔道家(参段)。東海大学体育学部武道学科所属。身長171cm。体重81kg。足のサイズ29cm。胸囲106cm。ベンチプレス130kg。背筋力140kg。血液型B型。出身道場は松戸警察少年柔道部(松戸市)→榮進館柔道クラブ(葛飾区)
竹谷 知記(たけや ともき、1985年5月15日 - )は、… 竹谷 知記(たけや ともき、1985年5月15日 - )は、青森県出身の日本の柔道家。100kg級の選手。身長は179cm。組み手は右組み。得意技は大内刈、大外刈。 柔道は7歳の時に修志館で始めた。五所川原第一中学から東海大相模高校へ進むと、1年の時に高校選手権の団体戦で2位、2年の時には3位だった。3年の時には金鷲旗で3位、インターハイの100kg級では決勝で国士舘高校の西山将士に敗れて2位だった。全日本ジュニアでは3位となった。アジアジュニアと青島国際ではそれぞれ2位だった。 2004年に東海大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアで再び3位となった。2年の時には体重別団体で優勝した。3年の時には優勝大会と体重別団体でともに2位にとどまった。
福岡 政章(ふくおか まさあき、1984年7月12日 - )… 福岡 政章(ふくおか まさあき、1984年7月12日 - )は、日本の柔道家。熊本県出身。階級は66kg級。身長167cm。得意技は背負投。綜合警備保障を経て、現在は東海大学付属高輪台高等学校・中等部の監督。 柔道は5歳の時に始めた。鎮西高校2年の時にインターハイ60kg級で3位となった。東海大学に進学後は学生チャンピオンになるなど活躍した。社会人になってからは、2007年の体重別決勝でミキハウスの野村忠宏に敗れるが2位に入った。さらに、2009年、2010年と2年続けて同学年のライバルである了徳寺学園の平岡拓晃に決勝で敗れるものの、2位になった。一方、国際大会ではグランドスラム・東京で優勝を飾るなど一定の活躍を示した。
浅野 大輔(あさの だいすけ、1984年3月11日 - )は… 浅野 大輔(あさの だいすけ、1984年3月11日 - )は、富山県出身の、日本の柔道選手である。階級は60 kg級。身長163 cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は背負投。 柔道は8歳の時に中田道場で始めた。小杉中学3年の時に全国中学校柔道大会の55kg級で優勝した。小杉高校3年の時にはジュニア体重別60kg級決勝で天理大学1年の米富和郎に敗れて2位だったが、アジアジュニアで優勝した。2002年に東海大学へ進学すると、1年の時には世界ジュニアで3位だったが、体重別団体で優勝した。2年の時には学生体重別決勝で筑波大学1年の平岡拓晃に敗れて2位だったが、青島国際とベルギー国際で優勝した。3年の時には講道館杯で3位になると、体重別団体で優勝した。
駒木 奈緒美(こまき なおみ、1983年11月4日 - )は… 駒木 奈緒美(こまき なおみ、1983年11月4日 - )は、神奈川県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。現役時代の身長は165cm。体重92kg。組み手は右組み。得意技は大内刈。 柔道は相原中学に入学してから相武館吉田道場で始めた。3年の時には早くも全国中学校柔道大会の56kg超級で3位になった。東海大相模高校へ進むと、1年の時には高校選手権の78kg超級決勝で夙川学院高校2年の上田真央に敗れて2位だったが、2年の時には決勝で汎愛高校1年の杉本美香を破って優勝した。3年の時には全日本ジュニアの78kg級に出場して3位となった。 2002年に東海大学へ進学すると、1年の時には優勝大会で2位となった。
馬籠 恵子(まごめ けいこ、1983年7月7日 -)は滋賀県… 馬籠 恵子(まごめ けいこ、1983年7月7日 -)は滋賀県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。身長は163cm。 松原中学を経て草津高校に入学してから柔道を始めた。2年の時には早くも高校選手権の78kg超級で3位に入った。 2002年に東海大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアで優勝を飾った。青島国際では78kg超級と無差別でそれぞれ3位に入った。2年の時には学生体重別で3位になった。3年の時には優勝大会で優勝すると、学生体重別では決勝で筑波大学2年の杉本美香を破って2冠を達成した。講道館杯では3位だった。4年の時には学生体重別の決勝で杉本に敗れて2連覇はならなかった。講道館杯では昨年に続いて3位だった。
中野 竜(なかの りゅう、1983年1月2日 -)は、セルビ… 中野 竜(なかの りゅう、1983年1月2日 -)は、セルビアの柔道選手。神奈川県横浜市出身。階級は100kg級。身長は183cm。別名はリュウ・ミヤルコヴィッチないしはミヤルコヴィッチ・リュウ(Rju Mijalkovic)。 父親はユーゴスラビア出身で、柔道のヨーロッパ選手権で5位になったこともある。1960年代に柔道を学びに来日した。その後帰化して「中野由自」と言う名前を持つと、実業家としてワインの輸入などを手がけるとともに、「イタリアンハウスカフェ&バー」と言う店を構えるに至った。竜本人は3歳年上である兄の大に影響されて7歳の時に大竹道場で柔道を始めた。その後、朝飛道場に移った。なお、小学生時代は柔道以外にバスケットボールにも取り組んでいた。
増渕 樹(ますぶち たつき、1982年10月5日 - )は栃… 増渕 樹(ますぶち たつき、1982年10月5日 - )は栃木県出身の日本の柔道家。90kg級と100kg級の選手。身長185cm。得意技は内股。 柔道は10歳の時に西那須野少年柔道教室で始めた。三島中学から白鷗大足利高校に進むと、2年と3年の時にはインターハイ90kg級に出場するも、ともに初戦で敗れた。2001年に東海大学へ進むと、1年の時には全日本ジュニアで優勝を飾った。2年の時には体重別団体で優勝した。3年の時には学生体重別で2位となった。4年の時には学生体重別で優勝すると、優勝大会でもチームの優勝に貢献した。さらには、体重別団体でも優勝を果たした。2005年には旭化成の所属となると、選抜体重別で3位に入った。
松田 邦恵(まつだ くにえ、1982年7月13日 -)は福岡… 松田 邦恵(まつだ くにえ、1982年7月13日 -)は福岡県福岡市出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長157cm。得意技は大外刈。 兄2人の影響で6歳の時に千代柔道育成会で柔道を始めた。沖学園中学3年の時に全国中学校柔道大会の48kg級で優勝を飾った。さらに、全国女子体重別ではこの階級トップの田村亮子と長井淳子が出場しなかったものの、予想外の活躍で決勝まで進むと、同じ中学3年生である永山中学の倉持亜佐美と史上初となるシニアの全国大会における中学生同士の対決となった。全国中学校柔道大会では準決勝で倉持と対戦して判定で破っていたものの、今大会では出足払で技ありを取られて2位にとどまった。
山下 亜希(やました あき、1982年7月12日 - )は、… 山下 亜希(やました あき、1982年7月12日 - )は、香川県善通寺市出身の日本の柔道家。70kg級の選手。身長178cm。組み手は左組み。得意技は内股。 千葉県の市立柏高校に進むと、菊川慶一の指導の下で力を付けるものの、2年の時には全国高校選手権78kg級の初戦で反則負けを喫した。3年の時にはインターハイ団体戦の決勝で福岡工大附属高校と対戦すると、両チームの引き分けが続いて迎えた大将戦において、130kgの前野真由己に払巻込で技ありを取られた他に有効も3つ取られるなど圧倒的にリードされるも、終了20秒ほど前に寝技の展開になった際に崩上四方固で大逆転の一本勝ちを収めてチームの3連覇に貢献する活躍を果たした。
園田 悠二(そのだ ゆうじ、1982年4月2日 - )は、福… 園田 悠二(そのだ ゆうじ、1982年4月2日 - )は、福岡県出身の、日本の柔道選手。階級は73kg級。身長163cm。組み手は右組み。得意技は掬い投げ。 柔道は5歳の時に玉城道場で始めた。沖学園中学から沖学園高校へ進んだ。2001年に東海大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニア73kg級の決勝で世田谷学園高校2年の海老沼聖に敗れて2位だった。2年の時には学生体重別で3位となった。4年の時には選抜体重別で決勝まで進むも、旭化成の高松正裕に小外刈で敗れた。体重別団体では優勝した。イタリア国際で優勝すると、ロシア国際では3位となった。2005年には警視庁の所属になると、選抜体重別と講道館杯で3位、全国警察選手権では2位になった。
徳田 美由樹(とくだ みゆき、1981年11月3日 - )は… 徳田 美由樹(とくだ みゆき、1981年11月3日 - )は、山形県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。身長は167cm。 明倫中学から羽黒高校へ進むと、2年の時に高校選手権78kg超級の決勝で土浦日大高校2年の塚田真希に敗れて2位だった。2000年にはコマツの所属となると、2001年の実業個人選手権では決勝でダイコロの柳花美鈴を破って優勝を飾った。2002年の実業個人選手権では決勝でミキハウスの木屋好絵に敗れて2連覇はならなかったが、全国女子体重別では決勝で大阪府警の山本恵を破って優勝を果たした。2003年の体重別では東海大学4年の塚田に敗れるも2位となった。アジア選手権では3位になった。
早田 英美(そうだ ひでみ、1981年8月31日 - )は東… 早田 英美(そうだ ひでみ、1981年8月31日 - )は東京都田無市(現・西東京市)出身の日本の柔道家。63kg級の選手。身長172cm。組み手は右組み。得意技は大内刈、寝技。 柔道は8歳の時に始めた。田無第二中学から埼玉栄高校へ進むと、2年の時に金鷲旗とインターハイで3位になった。全国高校選手権の63kg級では準決勝で桜丘高校2年の谷本歩実に払腰で一本勝ちするが、決勝で夙川学院高校2年の八代谷優子に判定で敗れて2位だった。3年の時にはフランスジュニア国際の決勝で地元フランスのリュシ・ドコスに大内刈で一本勝ちして優勝を飾った。金鷲旗とインターハイではともに2位に終わった。全日本ジュニアでは3位に入った。
江口 啓(えぐち けい、1980年6月19日 - )は、埼玉… 江口 啓(えぐち けい、1980年6月19日 - )は、埼玉県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。現役時代の身長は173cm、体重103kg。 笹目中学から西武台高校へ進むが、この当時大きな実績を上げることはなかった。1999年に東海大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアの78kg超級で3位になった。2年の時には優勝大会でチームの優勝に貢献した。3年の時には優勝大会で3位だった。4年の時には全日本選手権の準決勝で筑波大学4年の薪谷翠に横四方固で敗れるも、3位入賞を果たした。優勝大会で2位にとどまった。 2003年には松前柔道クラブの所属となると、体重別で3位になった。ユニバーシアードでは個人戦の決勝で中国の劉霞に敗れて2位だったが、団体戦では優勝を飾った。
古根川 実(こねがわ みのる、1978年11月11日 -)は… 古根川 実(こねがわ みのる、1978年11月11日 -)は奈良県出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。身長161cm。2015年現在は大阪府警に所属している。また、全日本男子代表コーチも務めている。
北川 勝広(きたがわ かつひろ、1978年5月18日 - )… 北川 勝広(きたがわ かつひろ、1978年5月18日 - )は広島県出身の日本の柔道家。66kg級の選手。身長は168cm。組み手は左組み。得意技は足技。 柔道は7歳の時に始めた。崇徳中学から崇徳高校へ進むと、2年の時に全日本ジュニア65kg級で2位になった。 1997年には東海大学へ進学すると、3年の時には新設された体重別団体の決勝で国士舘大学に敗れた。講道館杯66kg級の決勝では大学の5年先輩である横浜そごうの鳥居智男に敗れるも2位となった。4年の時には体重別と講道館杯で3位になった。正力杯では優勝を飾った。 2001年にはダイコロの所属となると、体重別では3位だったが講道館杯では決勝で綜合警備保障の小見川道浩を破って優勝を飾った。
井上 康生(いのうえ こうせい、1978年〈昭和53年〉5月… 井上 康生(いのうえ こうせい、1978年〈昭和53年〉5月15日 - )は、宮崎県宮崎市出身の日本の柔道家(七段)、柔道指導者。東海大学教授。 妻はタレントの東原亜希。 2000年(平成12年)のシドニーオリンピックで金メダルを獲得。2001年(平成13年)の全日本選手権では絶対的エースであった篠原信一を決勝で破り初優勝。その後、大会3連覇を果たす。 2004年(平成16年)のアテネオリンピックでは日本選手団の主将に選ばれた。周囲からはシドニー大会に次ぐ五輪二連覇を期待されたが、準々決勝でオランダのエルコ・ファンデルヘーストに背負投で一本負けを喫した。敗者復活戦に回るも、三回戦でアゼルバイジャンのモブルド・ミラリエフに大内刈を返されて一本負け。
飛塚 雅俊(とびつか まさとし、1977年6月25日 - )… 飛塚 雅俊(とびつか まさとし、1977年6月25日 - )は、90kg級の柔道家。身長184cm。得意技は大外刈、小外刈
大塚 雅子(おおつか まさこ、1977年1月28日 -)は埼… 大塚 雅子(おおつか まさこ、1977年1月28日 -)は埼玉県出身の日本の柔道家。56kg級及び57kg級の選手。現役時代の身長は158cm。 柔道は6歳の時に2歳年上の麻子に続いて始めた。常盤中学3年の時に全国中学校柔道大会の56kg級で3位になった。埼玉栄高校へ進むと、1年の時には金鷲旗の準決勝で柳川高校の阿武教子に袈裟固で敗れて3位だった。高校選手権の決勝では湊川女子高校2年の植田庸子を破って優勝を果たして、61kg級の赤岡志保、66kg級の清原織恵とともに埼玉栄勢が3階級を制することとなった。2年の時には体重別と強化選手選考会で3位なった。高校選手権では決勝で土浦日大高校2年の西部幸代を破って2連覇を達成した。
藤田 博臣(ふじた ひろおみ、1976年2月23日 - )は… 藤田 博臣(ふじた ひろおみ、1976年2月23日 - )は、青森県五所川原市出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。身長185cm。得意技は浮落、内股、大外刈。 柔道は父親の勧めで五所川原第三中学に入ってから始めた。 中学3年の時に全国中学校柔道大会78kg級で2位となった。東海大相模高校に進むと、1年の全国高校選手権では2位だったが、2年の時には優勝を飾った。 3年のインターハイ団体戦では優勝したが、個人戦中量級では5位にとどまった。 全日本ジュニアでは優勝を飾った。 東海大学に進むと、1年の時に世界ジュニアに出場するが、5位に終わった。 その後ケガなどもあってスランプに陥り、一時は柔道への情熱も失いかけたが、総監督の佐藤宣践による気遣いなどもあって立ち直ると、3年の時には正力杯で中央大学の近藤秀作を浮落で破って優勝し、全日本学生柔道優勝大会でも優勝した。
繁昌 久哲(はんじょう ひさのり、1974年6月15日 -)… 繁昌 久哲(はんじょう ひさのり、1974年6月15日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。95kg級の選手。身長175cm。 小学校5年の時には田崎柔道スポーツ少年団の一員として全国少年柔道大会の団体戦に出場すると、決勝で東福岡柔道教室の深川幸太郎に袈裟固で一本勝ちするも、他のメンバーが敗れて2位にとどまった6年の時には全国少年柔道大会の団体戦決勝で石川県の岩井柔道塾を破って優勝すると、個人戦でも決勝で東福岡柔道教室の深川を判定で破って2冠を達成した。 田崎中学2年の時には全国中学校柔道大会の個人戦78kg超級決勝で、古蔵中学3年の真喜志慶治を破って優勝を飾った。団体戦は3位だった。3年の時には全国中学校柔道大会の個人戦78kg超級決勝で八代第三中学3年の上水研一朗を破って2連覇を達成したが、団体戦では昨年に続いて3位だった。
上水 研一朗(あげみず けんいちろう、1974年6月7日 -… 上水 研一朗(あげみず けんいちろう、1974年6月7日 -)は、日本の柔道家。現役時代は95kg超級の選手。現役時代は身長183cm。体重125kg。得意技は内股、大内刈、体落。2025年現在、東海大学体育学部武道学科教授。さらに男子柔道部監督も務めている。 熊本県出身。柔道は小学校5年の時に始めた。父親が柔道部監督を務めていた八代第三中学3年の時には全国中学校柔道大会78kg超級で2位になった。 東海大学付属相模高校に進学。高校1年の時に全国高校選手権団体戦で2位。高校2年の時は金鷲旗で優勝を飾った。全国高校選手権では個人戦決勝で天理高校1年の牧野貴仁に判定で敗れると、団体戦でも2位に終わった。
徳野 和彦(とくの かずひこ、1974年5月1日 - )は、… 徳野 和彦(とくの かずひこ、1974年5月1日 - )は、愛媛県伊予市出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。現在はコマツ女子柔道部の助監督を務める。 新田高等学校時代はインターハイ2位止まりだったが、東海大学入学後1年生で早くも学生体重別に優勝して注目されるようになり、その後着実に力を付けアトランタオリンピックも代表候補の一人になったが、代表にまでは至らず。 しかしそれ以降は野村忠宏の最大のライバルとして立ちはだかることになり、バンコクアジア大会では圧倒的な強さで優勝を飾り、翌年にはついに野村を破って世界選手権代表になり、そこでも順調に勝ち上がり、キューバのマノロ・プロ相手の決勝でも優位に試合を進めながらも、一瞬の隙をつかれて敗れる。
藤本 哲子(ふじもと のりこ、1974年3月19日 - )は… 藤本 哲子(ふじもと のりこ、1974年3月19日 - )は広島県出身の日本の柔道家。66kg級の選手。身長166cm 黒瀬中学から千葉県の松戸馬橋高校へ進んで柔道部監督の菊川慶一の指導を受けると、1年の時には高校選手権の66kg級で決勝で熊本西高校2年の宮家江美を技ありで破って優勝を飾った。2年の時には高校選手権の準々決勝で柳川高校1年の佐野奈津子に判定で敗れて5位に終わった。 1992年には東海大学へ進学すると、1年の時には正力杯の決勝で福岡大学3年の多田尾優子を破って優勝した。優勝大会の決勝では国士舘大学と対戦して室勝美を技ありで破って1-1にしたものの、大将戦でエースの松尾徳子が相手エースの五十嵐準子に技ありで敗れたために2位に終わった。
中村 兼三(なかむら けんぞう、1973年10月18日 - … 中村 兼三(なかむら けんぞう、1973年10月18日 - )は、日本の柔道家。アトランタオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト。福岡県福岡市出身。東海大学卒業。身長178cm。得意技は内股、寝技。兄の佳央、行成とともに中村三兄弟と呼ばれた。
中野 陽一(なかの よういち、1973年8月1日 - )は熊… 中野 陽一(なかの よういち、1973年8月1日 - )は熊本県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長177cm。 託麻中学から東海大第二高校を経て、1992年には東海大学へ進学した。同期には後にアトランタオリンピックの71kg級で金メダルを獲得することになる中村兼三などがいた。3年の時には正力杯の78kg級で優勝を飾った。嘉納杯では決勝で高校時代からのライバルである福岡大学3年の中嶋靖宏を終了直前に背負投の有効で破ると、試合終了直後には両足を前後に開脚する「コミカルジャンプ」を3度も繰り広げるパフォーマンスを演じて見せた。なお、表彰式ではプレゼンターとして登場した読売ジャイアンツ監督の長嶋茂雄にメダルを授与された。
窪田 茂(くぼた しげる、1973年6月11日 - )は、静… 窪田 茂(くぼた しげる、1973年6月11日 - )は、静岡県富士市出身の日本の柔道家。現役時代は100kg級の選手。身長187cm。得意技は内股。 柔道は小学校4年生の時に始めた。中学には柔道部がなかったのでバスケットボール部に所属していた。3年の時に全国中学校柔道大会に出場するが、上位には進めなかった。東海大相模高校に進むと、1年の全国高校選手権団体戦では2位になった。2年の時には金鷲旗決勝の大将戦で世田谷学園高校エースの田辺勝を合技で破ってチームを優勝に導いた。インターハイ団体戦でも優勝を飾った。全国高校選手権個人戦無差別では、準決勝で71kg級の選手である東海大第五高校の中村兼三を技ありで破ると、決勝でも沖縄尚学高校の真喜志慶治を判定で破って優勝するが、団体戦では決勝で沖縄尚学高校と対戦すると、真喜志に判定で敗れてチームも2位に終わった。
鳥居 智男(とりい ともお、1973年5月20日 - )は石… 鳥居 智男(とりい ともお、1973年5月20日 - )は石川県金沢市出身の日本の柔道家。66kg級及び73kg級の選手。身長170cm。六段。東海大学大学院出身。 柔道は5歳の時に始めた。ロンドンオリンピック柔道57kg級金メダリストの松本薫と同じ岩井柔道塾出身。紫綿台中から石川県立工業高校に進むと、3年の時にはインターハイの軽中量級に出場するが、決勝トーナメント2回戦で東海大第五高校の中村兼三に判定で敗れて5位に終わった。東海大学進学後、4年の時には正力杯65kg級で優勝を飾った。 卒業後は上組所属になると、1997年から実業個人で3連覇を飾った。なお、この大会は2006年からも4連覇を飾っており、計7回の優勝を果たすことになった。
松本 勇治(まつもと ゆうじ、1973年3月6日 - )は、… 松本 勇治(まつもと ゆうじ、1973年3月6日 - )は、神奈川県出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級及び90kg級の選手。身長は174cm。 上菅田中学から東海大相模高校へ進むと、1年の時に全国高校選手権の団体戦で3位になった。2年の時には決勝で世田谷学園高校に敗れて2位だった。3年の時には金鷲旗で優勝すると、インターハイでは個人戦の軽重量級と団体戦でも優勝して2冠を達成した。 1991年には東海大学へ進学すると、2年の時には全日本ジュニアの86kg級で優勝を飾った。4年の時には講道館杯の決勝で、大学の2年先輩となる世界チャンピオンの中村佳央に敗れるも2位となった。優勝大会では3位だった。
大原 尚喜(おおはら なおき、1973年1月15日 -)は静… 大原 尚喜(おおはら なおき、1973年1月15日 -)は静岡県出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長187cm。 東海大第一中学から東海大第一高校へ進むと、3年の時にはインターハイの軽重量級に出場するが予選リーグで敗れた。新人体重別の95kg級では3位となった。1991年に東海大学へ進むと、1年の時には新人体重別で3位となった。3年の時には正力杯に出場すると、福岡大学3年で190cmの宗真一郎との国内のこの階級では珍しい190cm前後の選手同士による決勝となり、谷落で破って優勝を飾った。優勝大会では3位となった。4年の時には正力杯では決勝で筑波大学4年の湊谷知幹を崩袈裟固で破って2連覇を達成したが、優勝大会では3位だった。
中村 行成(なかむら ゆきまさ、1972年8月28日 - )… 中村 行成(なかむら ゆきまさ、1972年8月28日 - )は、日本の柔道選手。元世界チャンピオン。身長172cm。得意技は内股、掬投、小外刈。兄佳央、弟兼三とともに中村三兄弟と呼ばれた。
岩川 武久(いわかわ たけひさ、1972年7月22日 -)は… 岩川 武久(いわかわ たけひさ、1972年7月22日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。現役時代は71kg級の選手。身長165cm。 鹿屋第一中学から都城商業高校へ進むと、3年の時にはインターハイの軽中量級で優勝を飾った。 1991年に東海大学へ進学すると、1年の時に新人体重別71kg級で3位になった。ブルガリア国際ではシニアの国際大会で初優勝を飾った。2年の時には世界ジュニアの決勝でオーストリアのパトリック・ライターに敗れるも2位となった。4年の時には正力杯で2位にとどまるが、講道館杯では決勝で警視庁の阿武貴宏を破って優勝を成し遂げた。さらには、フランス国際でも優勝を飾った。 1995年にはフジ&トライオーシャンの所属となった。
板楠 忠士(いたくす ただし、1971年12月10日 -)は… 板楠 忠士(いたくす ただし、1971年12月10日 -)は熊本県出身の日本の柔道家、サンビスト。 現役時代は柔道では60kg級の選手であり、サンボでは68㎏級の選手。 身長167cm。組み手は右組み。得意技は背負投 巴投 払腰 腕挫十字固。 別名はヴィクトル板楠(Victor Itakusu)。 現在は熊本中央高校の教諭、柔道部顧問、モンゴル国体育大学客員講師。また、九州サンボ連盟の副会長兼技術委員長も務めている。 柔道は小学校2年の時に兄に無理やり誘われて、近くの松龍館で始めた。何度もやめようと思いながらも兄が怖くて続けていたが、そのうち力を付け始めて、楠中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で優勝するまでになった。
松尾 徳子(まつお のりこ、1971年8月15日 -)は長崎… 松尾 徳子(まつお のりこ、1971年8月15日 -)は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級~72kg超級の選手。身長171cm。段位は四段。現在は三浦市にある南下浦中学の教員を務めている。
藤山 茂(とうやま しげる、男性、1970年12月3日-)は… 藤山 茂(とうやま しげる、男性、1970年12月3日-)は、日本の柔道家。愛知県大府市出身。 小学1年生から柔道を始め、同朋高等学校-東海大学を卒業後、綜合警備保障に入社した。現在は現役を引退し、母校である同朋高等学校で体育教師を務めながら柔道部監督として後進の指導をしている。
中村 佳央(なかむら よしお、1970年10月22日 - )… 中村 佳央(なかむら よしお、1970年10月22日 - )は、日本の柔道家。身長182cm。弟兼三と共に寝技師として知られる。得意技は、寝技。中でも、腕挫十字固を得意としている。また、立ち技では内股、大内刈、払腰を得意にしていた。行成、兼三とともに中村三兄弟と呼ばれた。
北田 晃三(きただ こうぞう、1970年9月12日 - )は… 北田 晃三(きただ こうぞう、1970年9月12日 - )は福岡県京都郡出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長178cm。得意技は大外刈。現在は東海大学付属翔洋高校の柔道部監督を務めている。
山田 利彦(やまだ としひこ、1970年4月16日 - )は… 山田 利彦(やまだ としひこ、1970年4月16日 - )は、日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長183cm。体重125kg。了徳寺大学教授。また、了徳寺学園の柔道部監督も務めている。 岡山県出身。東海大相模高校時代には団体戦で活躍して、1年と2年の時に全国高校選手権で3位、金鷲旗では2年と3年の時に2位、インターハイは1年と3年の時に3位、2年の時に2位となったものの、全国優勝までには至らなかった。しかし、インターハイ個人戦の重量級では3年の時に優勝している。さらに、新人体重別でも優勝を果たした。 東海大学に進学すると、1年と2年の時に優勝大会で優勝した。また、1年の時には早くも全日本選手権に出場を果たすものの、初戦で綜合警備保障の金野潤に敗れた。
下出 善紀(しもで よしのり、1969年10月27日 - )… 下出 善紀(しもで よしのり、1969年10月27日 - )は、日本の柔道家(6段)。石川県河北郡内灘町出身。
甲斐 康浩(かい やすひろ、1968年4月30日 -)は福岡… 甲斐 康浩(かい やすひろ、1968年4月30日 -)は福岡県大牟田市出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長173cm。
岡泉 茂(おかいずみ しげる、1968年4月2日 - )は、… 岡泉 茂(おかいずみ しげる、1968年4月2日 - )は、埼玉県出身の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長180cm。得意技は背負投。 小学校2年の時に柔道を始めた。前橋商業高等学校、東海大学と進むも、新人体重別で3位に2度入った(1986,88年)以外にこれといった活躍をする事はなかったが、新日本製鐵に入社して社会人になって、それまでの86キロ級から95キロ級に階級を変更してから実力を発揮し始めた。1993年から講道館杯で2連覇するなど実績を積み上げていった。1994年には広島アジア大会代表になり、その決勝では背負い投げからの抑え込みで一本勝ちして見事な逆転勝ちの優勝を飾った。翌年千葉で開催された世界選手権にも代表となり、前回のチャンピオンであるハンガリーのアンタル・コバチを破る健闘を見せるものの、ポーランドのパウエル・ナツラには敗れるが、何とか3位は確保した。
関根 英之(せきね ひでゆき、1967年4月19日 - 20… 関根 英之(せきね ひでゆき、1967年4月19日 - 2024年3月19日【訃報公表日】)は、茨城県の猿島郡・三和町(現・古河市)出身の日本の柔道家。現役時代は95kg超級の選手。身長190cm。体重125kg。 それまで野球に取り組んでいたが、三和町立三和中学校2年の時に体格の良さを見込まれて柔道を始めることになった。 栃木県の作新学院高校3年の時にはインターハイ重量級で3位となった。 東海大学に進むと、1年の時には全日本学生(無差別)で決勝まで勝ち進むが、明治大学の小川直也との史上初となる1年生対決に1-2の判定で敗れた。2年の時には学生優勝大会の優勝に貢献すると、新人体重別では優勝を飾った。
高波 善行(たかなみ よしゆき、1966年6月27日 -)は… 高波 善行(たかなみ よしゆき、1966年6月27日 -)は富山県出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長176cm。得意技は内股。 現在は母校・小杉高校柔道部の監督を務めている。
越野 忠則(こしの ただのり、 1966年4月3日 - )は… 越野 忠則(こしの ただのり、 1966年4月3日 - )は、日本の柔道家(講道館6段)。北海道白糠郡白糠町出身。 1991年の世界選手権で優勝し、1992年のバルセロナオリンピックでは銅メダルを獲得。現在は国際武道大学の准教授を務める。身長159cm。 1966年、釧路支庁(当時)に属する白糠町で、代々漁業を営む家の長男として生まれる。生まれつき大人しく内向的な性格の越野を見かねた両親の勧めで、小学校3年の時に町のスポーツ少年団で柔道を始めた。 心身を鍛えるために始めた柔道がいつの間にか生活の中心となり、町立白糠中学時代には道内でも知られる存在に。中学卒業後は漁師の道を歩むことを決められていた越野だが、柔道を続けたい気持ちを抑えきれず、両親と「中学校の全道大会で優勝したら高校進学、負けたら家業を継ぐ」という約束を取り付け、優勝を成し遂げた。
大村 嘉奈(おおむら かな、1964年10月11日 - )は… 大村 嘉奈(おおむら かな、1964年10月11日 - )は、日本の柔道家。現役時代は72kg級及び72kg超級の選手。広島県出身。 就実高校1年の時に体重別選手権66kg超級決勝で鈴木金属工業の佐藤広世に敗れるも2位となった。続く強化選手選考会では72kg超級に出場して、決勝で宮城学院中学教員の川村順子に敗れた。2年の時には体重別選手権で3位だった。3年の時には体重別選手権の決勝で茂原農業高校の鈴木洋子に敗れて2位にとどまった。 1983年には東海大学へ進学すると、1年の時には体重別選手権の決勝で鈴木を破って、ようやく全国大会初優勝を遂げた。2年の時には体重別選手権の72kg級で3位だったが、強化選手選考会では決勝で浪人生の田辺陽子を破って優勝を飾った。
森山 孝臣(もりやま たかおみ、1964年5月30日 - )… 森山 孝臣(もりやま たかおみ、1964年5月30日 - )は、神奈川県出身の日本の柔道家。71kg級の選手。身長172cm。 東海大相模高校2年の時にインターハイ団体戦で優勝を飾った。3年の時には高校選手権の団体戦決勝で旭川龍谷高校に敗れて2位だった。 東海大学1年と2年の時に新人体重別71kg級で3位になった。3年の時には正力杯で3位となった。 1987年に神奈川県警の所属となると、1989年の講道館杯では3位だった。1990年の講道館杯では決勝で世界チャンピオンである日体大大学院の古賀稔彦に袖釣込腰の技ありで敗れた。体重別では3位だった。1992年の全国警察柔道選手権大会では軽量級で2位になった。
松田 亮一(まつだ りょういち、1964年5月2日 - )は… 松田 亮一(まつだ りょういち、1964年5月2日 - )は、熊本県出身の日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長170cm。 東海大第五高校1年の時に金鷲旗で優勝した。2年の時にはインターハイ団体戦で2位だった。3年の時には金鷲旗で2位となった。東海大学へ進むと、2年の時に正力杯78kg級で優勝した。3年の時には正力国際の決勝で日体大3年の鏑木文隆を判定で破って優勝した。4年の時には講道館杯で3位になると、体重別では決勝で福岡大学教員の高野裕光に指導で敗れた。正力国際でも決勝で鏑木に判定で敗れて2位だった。1987年には福岡県教育委員会の所属になった。1988年には糸島高校の教員になると、体重別では決勝で世界チャンピオンである筑波大学4年の岡田弘隆に敗れて2位だった。
村田 正夫(むらた まさお、1964年4月6日 - )は、日… 村田 正夫(むらた まさお、1964年4月6日 - )は、日本の柔道家(講道館7段)。現役時代は中量級の選手として全日本選抜体重別選手権優勝や世界選手権3位等の成績を残し、引退後は新日本製鐵の柔道部監督やイタリア・ナショナルチームのコーチを務め、びわこ成蹊スポーツ大学の准教授および柔道部監督を経て、大阪成蹊大学教授を務める。 愛知県一宮市出身。父の仕事の関係で小学2年生の時に大阪府守口市に転居した。市立第四中学(現在は閉校)を経て柔道の名門・東海大相模高校に進学。高校3年次の1982年に春の講道館杯で3位、夏のインターハイ軽重量級では準優勝した。 高校卒業後、東海大学柔道部に進み、1983年・翌84年と立て続けに全日本ジュニア選手権を制すと、続く85・86年には全日本学生体重別選手権を、卒業直前の1987年1月には正力杯国際学生大会を獲得して、学生柔道界の中量級において確固たる地位を築いた。
小野 幸司(おの こうじ、1964年2月23日 - )は北海… 小野 幸司(おの こうじ、1964年2月23日 - )は北海道出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。身長164cm。2022年現在は帯広緑陽高校の教員を務める。 東海大第四高校から東海大学へ進むと、2年の時に新人体重別の60kg級で2位となった。4年の時には講道館杯で優勝すると、選抜体重別でも3位になった。正力杯で優勝すると、神戸で開催されたユニバーシアードでは個人戦で2位にとどまったものの、団体戦で優勝を飾った。 1986年には東海大学の大学院へ進むと、講道館杯で3位だったものの選抜体重別で優勝を果たした。1986年ソウルアジア大会では決勝でロサンゼルスオリンピック銀メダリストである地元韓国の金載燁に背負投で敗れて2位に終わった。
八戸 かおり(はちのへ かおり、1964年1月4日 - )は… 八戸 かおり(はちのへ かおり、1964年1月4日 - )は、北海道函館市出身の日本の女子柔道家。61kg級の選手。身長162cm。得意技は大外刈と寝技。現姓は森山。 小中学生の頃は水泳を習っていて、全国レベルで活躍する。さらに柔道も中学2年で始める。遺愛女子高校に入学すると柔道に専念して、早くも全日本女子体重別の上位に入る活躍を見せ、東海大学に入学後はついに体重別で優勝を果たし、大学3年の時には世界選手権で3位に入る。 また、無差別の全日本選手権の第1回大会では61kg級の選手ながら、体重を70Kg近くまで増量して出場、決勝では自分より50kgも重い松本宣子と対戦して判定勝ちを収めて優勝を飾った。