樋川 純(といかわ じゅん、1963年7月12日 - )は、… 樋川 純(といかわ じゅん、1963年7月12日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長180cm。体重120kg。 東海大相模高校3年の時にインターハイ団体戦で優勝した。新人体重別95kg超級では3位になった。1982年に東海大学へ入学すると、1年の時には新人体重別で3位だった。2年の時には正力杯で3位だったが、新人体重別では近畿大学2年の岡田龍司を破って優勝した。正力国際の団体戦では決勝のソ連戦で勝利したものの、チームは敗れて2位だった。3年の時には優勝大会の3連覇に貢献して優勝選手に選ばれた。正力国際の団体戦では決勝のソ連戦で敗れたものの、チームは優勝を飾った。
須貝 等(すがい ひとし、1962年12月29日 - )は、… 須貝 等(すがい ひとし、1962年12月29日 - )は、北海道古平町出身の日本の柔道家。 中学生の時に柔道を始めて、東海大四高に入学後は個人戦や団体戦で全国優勝を果たし東海大学に進学。怪我に悩まされたこともあったが克服して、数々の大会で活躍する。新日本製鐵に入社した年に初の世界選手権代表となり、それまで日本選手がメダルを取ったことのなかった95キロ級で、オリンピックチャンピオンである地元の河亨柱を決勝において見事な体落で破るなど、オール一本勝ちで優勝を果たす。 翌年のアジア大会では2位に終わったものの、1987年の世界選手権では2回戦でブラジルのアウレリオ・ミゲルに苦戦した以外は順当勝ちして2連覇を果たした。
田所 勇二(たどころ ゆうじ、1962年11月6日 - )は… 田所 勇二(たどころ ゆうじ、1962年11月6日 - )は、茨城県出身の、日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長178cm。 多賀高校時代には寝技の名手として知られる柏崎克彦に寝技をみっちり仕込まれて得意にしていった。3年の時には新人体重別71kg級で3位になった。東海大学へ進学すると、1年の時から新人体重別78kg級では2連覇を飾った。2年の時からは優勝大会で3連覇した。3年の時には正力国際で優勝を飾った。4年の時には正力国際の71kg級に出場して決勝で日体大1年の古賀元博と対戦すると、相手得意の一本背負投で効果を取られるも、終了と同時に田所得意の腕挫十字固を極めて審判が一本を宣するも、結局それは試合終了後の動作と判断されたことにより2位に終わった。
滝吉 直樹(たきよし なおき、1961年10月27日 - 2… 滝吉 直樹(たきよし なおき、1961年10月27日 - 2022年6月14日)は北海道出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長184cm。体重143kg。 東海大第四高校3年の時には金鷲旗で、後に95kg級で世界選手権2連覇を達成することになる1年後輩の須貝等とともに活躍して、初優勝をもたらした。さらに、インターハイの重量級でも優勝を飾った。新人体重別では3位だった。1980年には東海大学に進学すると、優勝大会では3度も優勝を果たした。3年の時には優秀選手にも選ばれた。講道館杯でも優勝を果たした。4年の時には講道館杯で2連覇を達成したが、無差別で争われる全日本学生選手権では決勝で天理大学3年の正木嘉美に敗れて2位だった。
宮腰 裕之(みやこし ひろゆき、1960年7月21日 - )… 宮腰 裕之(みやこし ひろゆき、1960年7月21日 - )は、北海道出身の、日本の柔道選手である。階級は71kg級と78kg級。身長172cm。 国士舘高校2年の時にインターハイの中量級で2位となった。東海大学2年の時には新人体重別71kg級で同じ東海大学の久野裕久を破って優勝を飾った。4年の時には講道館杯で3位だったが、正力杯では天理大学の鴨川裕美を破って優勝した。嘉納杯では決勝で東海大学大学院の中西英敏に敗れて2位だったものの、フィンランドのユヴァスキュラで開催された世界学生では個人戦と団体戦で2冠を達成した。初開催となった正力国際でも78kg級の初代チャンピオンになった。 1983年には警視庁の所属となると、講道館杯で3位になった。
中西 英敏(なかにし ひでとし、1958年6月3日 - )は… 中西 英敏(なかにし ひでとし、1958年6月3日 - )は日本の柔道家。東海大学体育学部教授。
原口 謙一(はらぐち けんいち、1957年8月26日 - )… 原口 謙一(はらぐち けんいち、1957年8月26日 - )は、熊本県出身の日本の柔道家。階級は60kg級。身長167cm。得意技は巴投、腕挫十字固。 熊本市立藤園中学校、九州学院高校では山下泰裕と同期だった。大学は山下と同じく東海大学に進むと、1976年の全日本新人体重別軽量級で優勝を飾った。1979年には全日本学生柔道選手権大会60kg級で優勝すると、選抜体重別でも国士舘大学教員の森脇保彦を破って優勝するが、世界選手権代表には選出されなかった。1980年には大学を卒業して栃木体育館所属となった。1981年には今市高校教員となり、日本国際柔道大会で優勝すると、1982年にはフランス国際でも優勝を飾った。
山下 泰裕(やました やすひろ、1957年〈昭和32年〉6月… 山下 泰裕(やました やすひろ、1957年〈昭和32年〉6月1日 - )は、日本の柔道家、体育学者。学位は体育学修士(東海大学大学院・1983年) 。第5代日本オリンピック委員会(JOC)会長。東海大学体育学部武道学科 教授(1996年 - )、体育学部 学部長(2009年4月 - )、副学長(スポーツ・一貫教育担当)(2011年10月 - )。 「日本柔道界最強の男」と称された実力者であった。 熊本県上益城郡矢部町(後の 山都町)出身。東海大学柔道部監督。柔道指導員、全日本柔道連盟名誉会長、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長、日本オリンピアンズ協会理事。 過去に、全日本柔道男子強化ヘッドコーチ(1992年 - 2000年)、男子強化部長(2000年 - 2004年)、強化副委員長(2004年 - 2008年)、理事・副会長・強化委員長(2013年 - 2017年)、国際柔道連盟教育コーチング理事(2003年 - 2007年)、神奈川県体育協会会長、朝日新聞社嘱託社員(1986年 - 2017年)、日本オリンピック委員会 (JOC) 会長(2019年 - 2025年)などを歴任。
香月 清人(かつき きよと 1954年(昭和29年)9月25… 香月 清人(かつき きよと 1954年(昭和29年)9月25日 - )は、福岡県田川市出身の柔道家。身長166cm。得意技は小内刈、背負投。現在大阪府警察本部に所属し柔道部師範を務めている。8段。 小学校3年の時に大阪に引っ越して、大阪市立日本橋中学校1年の時に柔道を始めた。初芝高等学校(現・大阪立命館高等学校)に進学した。1971年(昭和46年)、1972年にインターハイの軽量級で連覇を果たした。東海大学に進学し卒業後は大阪府警察に就職した。 1979年世界柔道選手権大会の71kg級に出場し決勝でエツィオ・ガンバを破り金メダルを獲得した。モスクワオリンピックの日本代表にも選ばれたが日本のボイコットによりオリンピック出場は果たせなかった。
ラドミール・コバセビッチ(Radomir Kovačević… ラドミール・コバセビッチ(Radomir Kovačević 1954年3月20日- 2006年6月14日)は、旧ユーゴスラビアの柔道選手。ボスニア・ヘルツェゴビナの第十県出身。階級は95kg超級。身長193cm。100kg。 ユーゴスラビアのレスリングジュニア王者だった1971年に、柔道指導者の山本信明に柔道への転向を勧められたことがきっかけで柔道を始めた。1976年モントリオールオリンピックに出場して、重量級で7位となった。その後、東海大学に柔道留学すると、山下泰裕らとともに全日本学生優勝大会で東海大学の初優勝に貢献した。1979年には世界選手権大会の無差別で3位に入った。1980年モスクワオリンピックでは95kg超級で銅メダルを獲得した。
白瀬 英春(しらせ ひではる、1952年3月28日 - )は… 白瀬 英春(しらせ ひではる、1952年3月28日 - )は、日本の柔道家(講道館8段)。 現役時代は全日本選手権3位や全日本選抜体重別選手権優勝等の実績を持ち、現在は母校・東海大学にて体育学部教授および柔道部部長を務める。 秋田県秋田市土崎港出身。市立土崎小学校時代には少年野球に熱心で、一塁手としてレギュラーを務めた。市立土崎中学への進学に際し、柔道経験者の親類の勧めで柔道部へ籍を置くと同時に地元の土崎道場へも入門し、その両方で稽古に打ち込んだ。団体戦では市の大会で優勝を果たすも、同級生で3番手に過ぎなかった白瀬は県大会の初戦でチームの中堅として出場、この試合で白瀬が敗れたために土崎中の1回戦敗退が決定し、優勝候補に数えられながら結果を残す事はできなかった。
柏崎 克彦(かしわざき かつひこ、1951年9月16日 - … 柏崎 克彦(かしわざき かつひこ、1951年9月16日 - )は、日本の柔道家。岩手県久慈市出身。8段を取得している。1981年の世界選手権で優勝し、その後国際武道大学にて後進の指導に当たる。現役時代は小躯ながら合理的な寝技を使い、柔道界のみならず格闘技界において寝技の代名詞として、その名を知られた。 1951年、三船久蔵十段の生誕の地である縁から“柔道の町”として知られる岩手県久慈市に生まれる。両親をはじめ、親族の多くが教員という家柄だった。 小学5年生より地元の三船十段記念館で柔道を習い始める。若い指導者の久保正太郎が率いる三船記念館の少年部は、県内外に知られた強豪クラブであった。柏崎は、その小柄な体格ゆえ“ニワトリ”とあだ名され、本人曰く柔道の試合で勝った記憶は殆ど無いとの事。
林田 和孝(はやしだ かずたか、1951年8月12日 - )… 林田 和孝(はやしだ かずたか、1951年8月12日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の柔道家。
上口 孝文(うえぐち たかふみ、1948年10月10日 -)… 上口 孝文(うえぐち たかふみ、1948年10月10日 -)は、日本の柔道家。國學院大學人間開発学部名誉教授。現役時代は軽重量級の選手。183cm。100kg。得意技は大外刈。息子は100kg超級で活躍していた上口孝太。 鹿児島県出水郡高尾野町(現・出水市)出身。中学の時に柔道を始めて、出水工業高校から日大に進学した。2年の時には学生優勝大会で日大の優勝に貢献して優秀選手に選ばれた。卒業後は岡野功が主宰する正気塾に参加した。 その後、警視庁に警察官として入庁して、1973年の世界選手権軽重量級の代表に選ばれると決勝まで進むが、東海大学教員の佐藤宣践に釣込腰で敗れた。1976年の全日本選手権でも決勝まで進むものの、日大の後輩である遠藤純男に掬投で敗れて2位にとどまった。
塚田 真希 は、茨城県下妻市出身の女性柔道家。土浦日大高校を… 塚田 真希 は、茨城県下妻市出身の女性柔道家。土浦日大高校を経て東海大学卒業。綜合警備保障教育・訓練部所属。2004年アテネオリンピック柔道女子78kg超級金メダリスト。身長170cm。体重は125kg。血液型はA型。得意技は大外刈り。段位は四段。ニックネームはツマキ、つかちゃん。なお、63kg級でオリンピック2連覇を達成した谷本歩実からはマキティと呼ばれている。
橋本 真由美(はしもと まゆみ)は、静岡県出身の日本の柔道家… 橋本 真由美(はしもと まゆみ)は、静岡県出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級及び52kg級の選手。 浜名中学2年の時に体重別選手権及び強化選手選考会の48kg級で早くも3位になった。3年の時には体重別選手権の決勝で東海大学4年の斉田己幸を破って、山口香以来史上2人目となる中学生での全国チャンピオンになった。福岡国際では準決勝で世界チャンピオンであるイギリスのカレン・ブリッグスに優勢負けするなどして5位にとどまった。 浜北西高校1年の時には強化選手選考会の決勝で水谷中学2年の鈴木若葉を破って優勝を飾った。2年の時には強化選手選考会の52kg級で3位になった。 (出典、JudoInside.com)
塚田 信哉(つかだ のぶや)は静岡県出身の日本の柔道家。現役… 塚田 信哉(つかだ のぶや)は静岡県出身の日本の柔道家。現役時代は71㎏級の選手。 東海大第一高校から東海大学へ進むと、2年の時に新人体重別71kg級で3位になった。4年の時には正力杯で3位になると、正力国際では決勝で京都産業大学4年の生田浩三を崩上四方固で破ったのを始め、得意の寝技でオール一本勝ちして、寝技のスペシャリストとしての貫禄を示した。引退後は東海大高輪台高校や東海大翔洋高校の教員などを経て、東海大学のスポーツ教育センター勤務となった。 (出典、JudoInside.com)。
斉田 己幸(さいた みゆき)は、神奈川県出身の日本の柔道家。… 斉田 己幸(さいた みゆき)は、神奈川県出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。 1978年7月に講道館で初開催となった女子の体重別選手権50kg級に出場すると、決勝で大塚中学2年の山口香に開始早々の小内刈で敗れて初代チャンピオンにはなれなかった。 東海大学1年の時には体重別選手権の決勝で無職の高橋瑞枝に敗れて、ニューヨークで初開催となる女子の世界選手権代表にはなれなかった。2年の時には体重別選手権で3位だった。3年の時には体重別選手権の決勝で日本電気の中原ひとみに敗れた。4年の時には強化選手選考会でも決勝で中原に敗れた。体重別選手権では決勝で浜名中学3年の橋本真由美に敗れて今大会4度目の2位に終わった。
鈴木 克美(すずき かつみ)は日本の柔道家。現役時代は60k… 鈴木 克美(すずき かつみ)は日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。 東海大学時代には新人体重別の軽量級で2位になると、全日本学生選手権の軽量級では優勝を飾った。卒業後に東海大第一高校の教員になると、1978年の講道館杯60kg級では決勝で国士舘大学教員の森脇保彦を破って優勝した。選抜体重別でも決勝で愛媛県警の濱田初幸を破って優勝を飾った。さらに初開催となった嘉納杯でも決勝で森脇を破って60kg級の初代チャンピオンとなった。1979年のフランス国際では3位にとどまった。また、講道館杯と体重別でも3位だった。1980年の講道館杯では決勝で福岡県警の藤木一也を破って2年ぶり2度目の優勝を飾った。
中西 美智子(なかにし みちこ)は、宮城県出身の日本の柔道家… 中西 美智子(なかにし みちこ)は、宮城県出身の日本の柔道家。現役時代は56kg級の選手。旧姓は西條 美智子。夫は71kg級の元世界チャンピオンの中西英敏。 1977年に東海大学へ進学すると、女性としては初めてとなる同大学の柔道部員となった。3年の時には体重別選手権の57kg級で3位に入った。強化選手選考会の55kg級では決勝で接骨院勤務の速水頼子を破って優勝した。4年の時には強化選手選考会56kg級の決勝で日本電気の永井多恵子に敗れて2位だった。 1981年には東海大学の職員になると、体重別選手権の決勝で永井を破って優勝した。1983年の強化選手選考会では決勝で池島接骨院の池島一十衣を破って、今大会2度目の優勝を飾った。