たかだ ゆうこ(本名:高田 裕子、1976年2月24日 - … たかだ ゆうこ(本名:高田 裕子、1976年2月24日 - )は京都府京都市出身の元タレント、女優。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒業。武蔵野美術短期大学空間デザイン学科中退。未婚ながら4児の母。 フロム・ファーストプロダクション(1997年10月から) → クリエイティブ・メディア・エージェンシー → アストラル → オフィス北野(2005年12月まで) 15歳の時に天野天街から「(劇団)少年王者舘に入らないか」と声をかけられたことがきっかけで芸能の世界に入ったという。 高校3年生だった1993年9月、TBSラジオ主催の「第1回 シンデレラドリームオーディション」に合格。 翌10月からスタートした同局の深夜ラジオ番組『シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー』(以下『ミッドナイト☆パーティー』と略す)でデビュー。
おの えりこ(1962年5月5日 - )は、東京出身の漫画家… おの えりこ(1962年5月5日 - )は、東京出身の漫画家。小学館の漫画雑誌『ちゃお』で執筆活動をしている。血液型はB型。 アシスタントをしていた頃に赤星たみこから子供向け漫画を描くのが向いていると言われ、子供向け漫画雑誌の編集長を紹介される。27歳の頃に『ぴょんぴょん』の次回予告漫画で漫画家デビュー。1990年6月号で読み切り漫画として連載が始まった。同年10月から月1の連載漫画として『みい子で〜す!』が連載開始。1990年11月号から『ちゃお』で連載開始。その後題名を『こっちむいて!みい子』に変更。 東京都立井草高等学校出身、武蔵野美術短期大学商業デザイン科卒業。井草高校漫研同期に『あたしンち』の作者けらえいこ、『山おんな壁おんな』の作者高倉あつこがいた。
小谷 陽一(こたに よういち、男性、1952年3月8日 - … 小谷 陽一(こたに よういち、男性、1952年3月8日 - )グラフィックデザイナー 絵仏師。 1952年3月8日、鳥取県岩美郡岩美町出身。 1971年に鳥取県立鳥取東高等学校卒業後、武蔵野美術短期大学商業デザイン科卒業。 1989年にデザインオフィス「有限会社小谷デザインオフィス」を設立。 1998年よりグラフィックデザイナーの業務の傍ら、仏画を描き始める。2005年から全国で仏画展を開き始める。
落田 洋子(おちだ ようこ、1947年11月22日 - )は… 落田 洋子(おちだ ようこ、1947年11月22日 - )は、日本の画家。 埼玉県浦和市生まれ。1968年、武蔵野美術短期大学商業デザイン科卒業。 広告企画の仕事を経て、1976年から油彩画を描き始める。1978年、六本木・青画廊で初個展。1979年、銅版画を開始する。個展やグループ展示会などで作品を発表している。作品は単行本や文庫本などで多く使われている。 1982年、『紅茶と海』でライプツィヒ国際図書デザイン展銅賞を受賞。 個展活動は銀座77ギャラリーを中心に展開している。 グループ展に「ポストコレクション展」(東京セントラル美術館)、「現代形象展」(ストライプハウス美術館)、「チバ・アートナウ'98」(佐倉市美術館)などがある。
河田久雄(かわだひさお、1947年 -)は、日本のイラストレ… 河田久雄(かわだひさお、1947年 -)は、日本のイラストレーター。 長野県飯山市生まれ、現在東京都杉並区在住。武蔵野美術短期大学芸能デザイン科卒業。「イラストレーターズ37」(S.I.年鑑) 国際部門入選。1996年N.Y.ミュージアム オブ イラストレーターズにて13人展。N.Y.ソサエティ オブ イラストレーターズ会員。
和歌山 静子(わかやま しずこ、1940年〈昭和15年〉7月… 和歌山 静子(わかやま しずこ、1940年〈昭和15年〉7月24日 - 2024年〈令和6年〉1月8日)は、日本の挿絵画家、絵本作家。京都府京都市生まれ。神奈川県逗子市に在住していた。 幼少期を函館市で過ごし、戦後間もなく国立市の小学校に入学した。武蔵野美術学校を目指すべく吉祥女子高等学校に進学し、美術部へ入部する。1962年、武蔵野美術短期大学デザイン美術科を卒業。 フリーのデザイナーやイラストレーターとして活動していた1966年、デザイン会社からあかね書房に和歌山の絵を斡旋してもらったことがきっかけで、児童文学者の寺村輝夫に見出され、学習研究社の雑誌に連載する『こびとのピコ』の挿絵を担当する事となった。
吉田 美統(よした みのり、1932年7月7日 - )は日本… 吉田 美統(よした みのり、1932年7月7日 - )は日本の陶芸家。2001年に人間国宝に認定された。本名は吉田 稔。 石川県小松市出身。生家は作陶を生業としており、九谷焼独特の赤絵金襴手(きんらんで)を継承していた。美統も高校在学中から陶芸技法を学び始め、卒業後1951年に家業である錦山窯の三代目となり、九谷の伝統的な絵付け等の技法を習得。1962年には武蔵野美術短期大学の特修生として工芸デザインを学んでいる。釉裏金彩技法を用いた加藤土師萌の作品に出会ったことをきっかけに、自らの作陶にもその技術を取り入れる事を決意する。 九谷伝統の色絵具をかけた素地を本焼きして地色とし、その上に二種類の金箔を文様に切り取ったものを載せて焼き付け、更に仕上げとして全面に透明な釉薬をかけて焼き仕上げる。
中根 櫻龜(なかね おうき)は、日本のガラス職人、美術作家で… 中根 櫻龜(なかね おうき)は、日本のガラス職人、美術作家である。薩摩切子の復元及び制作における第一人者であり、現在もガラス工芸品を製作を行っている。 兵庫県尼崎市生まれ。熊本県立第一高等学校卒業の後、武蔵野美術短期大学工芸デザイン専攻卒業。後に、神奈川県川崎市の「東京ガラス工芸研究所」に入所。同所を卒業直前、鹿児島より薩摩切子復興のための人材派遣の依頼があり、同研究所から推薦をうけ、薩摩切子に携わるようになる。 中根がガラスの専門学校を卒業してすぐに鹿児島に来て、その後尚古集成館のメインに展示されていた薩摩切子『脚付蓋物』を目の前にして「これを復元してください。」と言われる。作品を目に前にした際、本人は「無理だ」と思ったが、周りの期待感を感じ、「出来ることから始めよう」と思い、薩摩切子の復元に携わるようになる。