中嶋 舜司(なかじま しゅんじ 1895年〈明治28年〉3月7日 - 1981年〈昭和56年〉3月11日) は、東京都立川市長(2期)。位階は正六位。 東京府北多摩郡立川村(立川町を経て、現在の東京都立川市)生まれ。東京府立第二中学校(現在の東京都立立川高等学校)卒業。立川村会議員、同町会議員、同市会議員を務める。その後、同議長、農業委員会委員長などを務める。 戦後の1947年、立川市長に就任。1期目は市公民館の建設に着手、自治体警察の発足、市営火葬場の建設、児童相談所の開設、上下水道も計画された。 1951年に板谷信一郎に市長を譲るも、1955年に再び市長に就任。立川基地拡張を巡り、反対闘争が起こる。
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