平賀 文男(ひらが ふみお、1895年(明治28年)1月20日 - 1964年(昭和39年)4月19日)は、山梨県出身の登山家、郷土史家。 山梨県北巨摩郡穂坂村(現・韮崎市)に、父「延富」、母「ふで」の長男として生まれる。1909年(明治42年)4月に山梨県立甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)に入学したが1911年(明治44年)3月に中退し同年4月に東京の目白中学校に転入。同校卒業後の1914年(大正3年)に早稲田大学政治経済学科に入学し1917年(大正6年)に卒業とともに帰郷。 1921年(大正10年)に穂坂村村会議員に当選、また北巨摩郡農会議員を務めるなど村治や新興産業発展につくし、特に地域の開発に熱心で広く各地の山野を跋歩し、未知の景勝、山岳などを調査研究し、甲斐山岳会の設立を提唱して実現。
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