美川 秀信(みかわ ひでのぶ、1891年?(明治24年?) - 1940年(昭和15年)1月11日)とは、戦前の日本及び日本統治時代の朝鮮の水産業技師である。 また「日本マラソンの父」金栗四三と共に東京高等師範学校に入学した、金栗四三の熊本県の同郷の同級生として有名である。 熊本県玉名郡南関町の士族・美川家に生まれる。 玉名北高等小学校(現在の南関町立南関第三小学校)、旧制玉名中学校(現在の熊本県立玉名高等学校)を通して金栗四三の同級生であった。 そして1909年(明治42年)、美川は両親の勧めもあったが「東京へ行きたい」がために金栗を誘い、熊本県で行われた東京高等師範学校の出張入学試験を共に受け、熊本県からは4人の、そして玉名中学校から金栗四三と共に「たった2人の合格者」として東京高師に合格した。
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