佐藤 章(さとう あきら、1894年〈明治27年〉10月28日 - 1921年〈大正10年〉11月3日)は、大正時代に活躍した日本の民間パイロット。民間飛行家の草分け。章は飛行家になってからの雅号であり、本名は佐藤要蔵。死後、彼のよき理解者のひとりであった東京日日新聞の小野蕪子からは「飛行詩人」と称された。 秋田県仙北郡金沢西根村字下菻沢(後の美郷町)に佐藤平治・富子夫妻の三男として生まれた。佐藤家は、章の祖父金重の代に永苗字帯刀が御免となった地主で、父平治は幼少期に同じ村の佐藤長左衛門家から養子に出され、のちに生まれた金重の娘富子と結婚した。 金沢西根尋常小学校を4年で修了した後、隣りの平鹿郡角間川町(後の大仙市)の高等小学校に2年通った。
出典:ウィキペディア「佐藤章 (パイロット)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
