仁科 熊彦(にしな くまひこ、明治29年(1896年)1月1日 - 昭和62年(1987年)4月10日)は、日本の映画監督である。山中貞雄を助監督として起用し、その脚本を数多く監督した。川谷拓三は義理の息子、仁科貴と仁科扶紀は孫にあたる。 両親とも会津若松(現福島県会津若松市)生まれで、父は会津藩藩士の家系。1896年(明治29年)1月1日、軍人だった父の赴任地、熊本県熊本市新屋敷町に生まれる。福岡県門司(現北九州市)、神奈川県小田原町(現小田原市)で育ち、中学3年のとき会津に戻る。 1916年(大正5年)、福島県立会津中学校(旧制、現在の福島県立会津高等学校)を卒業、上京して早稲田大学を志すも、予備校に通うのみで学業を放棄、天然色活動写真巣鴨撮影所の現像場に職を得、技術部に入社、撮影助手となる。
出典:ウィキペディア「仁科熊彦」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
