スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
相木 孝仁(あいき たかひと、1972年1月30日 - )は… 相木 孝仁(あいき たかひと、1972年1月30日 - )は、日本の実業家。 フュージョン・コミュニケーションズ社長、コボ最高経営責任者、楽天ヨーロッパ最高経営責任者、鎌倉新書社長、インクリメント・ピー社長等を経て、ベイシア社長。 北海道・旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て、1994年明治大学政治経済学部卒業(体育会硬式テニス部主将)、NTT入社。1999年コーネル大学ジョンソン経営大学院を卒業し、MBA(経営学修士)の学位を取得。同年ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン・インコーポレイテッド入社。 2002年カルチュア・コンビニエンス・クラブに入社し、ツタヤオンラインを担当したのち、2004年ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン・インコーポレイテッド入社。
綿貫 泰之(わたぬき やすゆき、1962年1月8日 - )は… 綿貫 泰之(わたぬき やすゆき、1962年1月8日 - )は、日本の経営者。 北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て、1985年に北海道大学経済学部を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社した。九州旅客鉄道社長の古宮洋二、西日本旅客鉄道社長の倉坂昇治とは、国鉄での同期に当たる。 1987年、北海道旅客鉄道入社。鉄道事業本部営業推進本部営業部長、取締役総務部長、同函館支社長、常務取締役総合企画本部長、取締役副社長を歴任し、2022年6月から代表取締役社長に就任した。道内出身者が社長に就くのは中島尚俊以来11年ぶりとなる。
明石 英一郎(あかし えいいちろう、1960年〈昭和35年〉… 明石 英一郎(あかし えいいちろう、1960年〈昭和35年〉9月30日 - )は、札幌映像プロダクション代表取締役社長。元札幌テレビ放送(STV)アナウンサー。身長173cm。札幌市清田区在住。
原田 直彦(はらだ なおひこ、1959年1月 - )は、日本… 原田 直彦(はらだ なおひこ、1959年1月 - )は、日本の実業家。旭川信用金庫会長、元理事長、一般社団法人北海道信用金庫協会会長。 1959年1月、北海道上川郡当麻町生まれ。北海道旭川東高等学校を経て、立教大学法学部を卒業。 1981年4月、旭川信用金庫に入庫。 2006年6月、同庫理事、2013年6月、同庫理事長に就任。 2023年6月、同庫会長に就任。 2024年6月、一般社団法人北海道信用金庫協会会長に就任。
真弓 明彦(まゆみ あきひこ、1954年5月7日 - )は、… 真弓 明彦(まゆみ あきひこ、1954年5月7日 - )は、日本の実業家、技術者。北海道電力代表取締役社長、同社代表取締役会長を経て、同社名誉顧問、北海道経済連合会名誉会長、北海道大学総長顧問。 北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て、1979年北海道大学工学部電気工学科卒業、北海道電力入社。工務畑を長く歩み、再生可能エネルギーの受け入れなども担当した。2008年理事工務部長。2012年常務取締役流通本部長。2014年取締役副社長流通本部長。 2014年北海道電力代表取締役社長に昇格。2015年から原子力推進本部長を兼務。電力自由化への対応を行い、2018年からは大口向けのガス小売りを開始。
鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年… 鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年11月12日)は、日本の経営者。ドラッグストアチェーン、ツルハホールディングス初代社長。北海道上川郡東旭川村(現・旭川市)出身。 北海道上川郡東旭川村で鶴羽薬師堂(旭川市4条)経営者の平民鶴羽勝の次男として生まれる。旧制旭川中学を経て新制旭川東高校、京都大学医学部薬学科を卒業し、父親の強い要望が有り、厚生官僚の道を諦め、家業の鶴羽薬師堂に薬剤師として就職。 1956年父のツルハ薬局創業に伴いツルハ薬局に転籍、1959年より国鉄購買部が一般販売を始めたため家業のツルハ薬局が廃業の危機に陥る。1961年から経営危機の改善のために旭川市内で国鉄、国策パルプの購買以外では初の薬の廉売を始めた。
八木 祐四郎(やぎ ゆうしろう、1929年8月21日 - 2… 八木 祐四郎(やぎ ゆうしろう、1929年8月21日 - 2001年9月9日)は、日本の実業家。 北海道枝幸郡中頓別村(現・中頓別町)出身。旧制旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)、日本大学法学部法律科卒業。卒業後は国民生活金融公庫に勤務する傍ら、スキー指導に携わり、母校日本大学スキー部監督や全日本スキー連盟専務理事、全国ビルメンテナンス協会会長、日本オリンピック委員会会長を歴任した。
西尾 長光(にしお ながみつ、1929年2月18日- 200… 西尾 長光(にしお ながみつ、1929年2月18日- 2004年3月24日 )は、日本の経営者。丸ヨ西尾社長を務め、セイコーマートの創立者でもある。 北海道札幌市出身。札幌北の誉酒造社長の西尾長平の長男として生まれる。ルーツは石川県金沢市。旧制中学校二年生まで札幌で過ごし、残りの二年は旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)に通った。 1952年に早稲田大学第一商学部を卒業し、同年に丸ヨ西尾商店に入社、常務に就任。1954年に専務に就任し、1960年には北の誉酒造専務に就任し、1977年12月に副社長を経て、1978年に社長に就任。1985年11月に会長に就任。2001年から2004年まで、第15代札幌商工会議所会頭。
中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 201… 中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 2010年4月22日)は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。勲一等瑞宝章、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章。 石川県羽咋郡志賀浦村(現志賀町)生まれ。北海道士別市出身。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)を経て、1941年北海道帝国大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、日立工場回転機部配属。1942年大日本帝国陸軍八戸飛行場の第六航空教育隊入隊。ビルマの戦いに参加しシンガポールで日本の降伏を迎えた。レンパン島での捕虜生活を経て、1946年復員し北海道配電入社。1951年北海道電力入社。
平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月1… 平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月18日 - 1986年(昭和61年)8月6日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 毎日新聞社社長(1976年2月 - 1980年12月)。 北海道旭川市出身(留萌市生まれ)。弘前高等学校では新聞部に所属し、一期下の太宰治とも親交があった。1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、東京日日新聞社(後の毎日新聞東京本社)に入社。経済部記者、東京本社経済部長、論説委員、ロンドン支局長などを経て、1963年取締役。1966年西部本社代表、1968年常務。 1976年2月、巨額の負債を抱え、経営危機に瀕していた毎日新聞社の社長に就任。永野重雄に救済を仰ぎ、翌年「新旧分離方式」の経営再建の方針を固め、登記上の本社で発行部門を担当していた大阪本社を、負債の整理・清算に専念させ(「株式会社毎日(旧社)」)、東京本社(編集部門)と経営を一本化させる形で、新たに東京に新会社「毎日新聞株式会社(新社)」を設立した。
前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月3… 前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月31日 - 1983年(昭和58年)12月17日)は、日本の放送経営者、ジャーナリスト。 第10代NHK会長。ワンマン会長として組織の拡大充実に努め、『NHK中興の祖』と仰がれた。 北海道旭川市出身。庁立旭川中学校を経て東京外語学校(現東京外国語大学)イタリア語科卒業後、ヨーロッパに留学、ローマ大学法科に学ぶ。 1936年朝日新聞ローマ支局に現地入社、記者としてイタリアのエチオピア侵入(第二次エチオピア戦争)などをスクープ。1947年大阪本社外報部長を最後に退社。 出版社経営を経て1950年、NHKに解説委員として入局。その後報道局長・編成局長・専務理事・副会長などを経て1964年、阿部眞之助会長が在職中に死去した事に伴い会長就任、1973年まで務めた。
滝野 啓次郎(たきの けいじろう、1899年(明治32年)5… 滝野 啓次郎(たきの けいじろう、1899年(明治32年)5月10日 - 1973年(昭和48年)1月13日)は、日本の政治家・実業家。北海道旭川市出身。北海道北見市長(1963年 - 1967年、1期)。 北海道庁立上川中学校(現・北海道旭川東高等学校)卒業。1916年(大正5年)野付牛町(現・北見市)に移住、家業である菓子問屋を継いで1940年(昭和15年)北海道菓子卸売協同組合常務、1948年(昭和23年)同組合理事長。1950年(昭和25年)北宝食品代表取締役社長。1953年(昭和28年)北見信用金庫理事長。1955年(昭和30年)北見商工会議所会頭に就任。伊谷半次郎の後継候補として、1963年(昭和38年)北見市長選挙に出馬し対立候補の宇佐美福生を僅差で破って初当選するも1967年(昭和42年)に前回と同じ対立候補の宇佐美福生に敗れ落選した。
前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31… 前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31日 - 1970年(昭和45年)6月2日)は、日本の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 和歌山県名草郡安原村字吉原(現・和歌山市)で前田和一の長男として生まれ、1910年、前田勝之助の養子となる。北海道庁立上川中学校を経て、慶應義塾大学部理財科で学んだ。北海道に戻り農業を営む。 旭川信用組合監事、北日本無尽 (株) 監査役、下村育英財団理事、前田和一商店社長、旭川小型モータース社長、旭川信用金庫理事、旭川瓦斯 (株) 常任監査役、人事調停委員などを務めた。 政界では、旭川市会議員、同議長、北海道会議員、同参事会員を歴任。この間、旭川市長候補者に推薦されたが承諾しなかった。