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宮下 宗一郎(みやした そういちろう、1979年(昭和54年… 宮下 宗一郎(みやした そういちろう、1979年(昭和54年)5月13日 - )は、日本の政治家、国土交通官僚。青森県知事(公選第22代)、青森県むつ市長(3期)。無所属。 父親は元むつ市長の宮下順一郎。 青森県むつ市生まれ。むつ市立大湊小学校、むつ市立田名部中学校、 青森県立青森高等学校、 東北大学法学部卒業。在学中に国家公務員I種試験(法律職)に合格。 大学卒業後、2003年4月 国土交通省入省。国土計画局、道路局、東北地方整備局用地企画課、都市・地域整備局、土地・建設産業局等の旧建設省畑を歩み、主に法案・予算案の企画・立案を担当。2009年 国土交通省都市局まちづくり推進課課長補佐。2011年 国土交通省土地・建設産業局建設業課課長補佐。
小野寺 晃彦(おのでら あきひこ、1975年7月25日 - … 小野寺 晃彦(おのでら あきひこ、1975年7月25日 - )は、日本の政治家、総務官僚。青森県青森市長(2期)を務めた。 宮城県仙台市青葉区に生まれる。小学1年生の時に青森県八戸市に移る。父親の転勤で中学2年の時に青森市に移った。青森市立南中学校卒業。1994年(平成6年)3月、青森県立青森高等学校卒業。1999年(平成11年)3月、東京大学経済学部卒業。同年4月、自治省(現・総務省)に入省。宮崎市財務部長、愛知県総務部財政課長などを歴任。 2016年(平成28年)6月29日、青森市長の鹿内博が、アウガを経営する第三セクター青森駅前再開発ビルが経営破綻状態となった責任を取り、辞任することを表明。
福士 珠美(ふくし ますみ、1965年3月24日 - )は、… 福士 珠美(ふくし ますみ、1965年3月24日 - )は、日本の政治家、元アナウンサー。立憲民主党所属の参議院議員(1期)。1987年から2010年まで青森テレビでアナウンサーを務めた。 青森県北津軽郡金木町(現:五所川原市)生まれ。青森県立青森高等学校(33回生)、日本大学法学部新聞学科(牧田ゼミ)卒業。1987年に青森テレビへアナウンサーとして入社。生ワイド番組『おしゃべりハウス』の初代キャスターを務めたほか、放送部、ワイド番組部、編成部、報道部、業務部、営業部と転業転職に等しい異動を経験した。 2020年11月に同局を退社した後、2015年にあおもり藍に関する特別番組をプロデュースしたことがきっかけで株式会社BLUE LINK PEOJEECTを設立した。
西 秀記(にし ひでき、1964年3月5日 - )は、日本の… 西 秀記(にし ひでき、1964年3月5日 - )は、日本の政治家。青森県青森市長(1期)。 青森県青森市出身。実家は計測機器会社の「西衡器製作所」。 青森市立長島小学校、青森市立南中学校、青森県立青森高等学校を経て青山学院大学理工学部卒業。 大学卒業後はエンジニアとして東京都内にて精密機器メーカーに勤務。 1998年に帰郷し、家業の「西衡器製作所」に入社し、家業の発展に尽力しつつ、青年会議所活動や商工会議所の活動に積極的に参画し、青森市の振興発展へ向けた活動も広く展開するようになる。 2000年に「西衡器製作所」代表取締役社長に就任し、2011年に青森商工会議所副会頭に就任した。 自身が支持してきた青森市長の小野寺晃彦が2023年青森県知事選挙に出馬することを受けて、その後継に名乗りを挙げる形で市長選挙への立候補を検討。
神 ひろし(じん ひろし、1962年9月4日 - )は、日本… 神 ひろし(じん ひろし、1962年9月4日 - )は、日本の政治家、元中京テレビ放送のアナウンサー。名古屋市議会議員(1期)。 本名:神 浩司(読み同じ)。青森県青森市出身。青森県立青森高等学校、茨城大学卒業。血液型B型。 大学卒業後、1986年に中京テレビにアナウンサーとして入社。入社以来、数多くの自社製作番組でスポーツ実況やキャスターなどを担当していたが、2007年6月18日付で報道局報道部へ異動した。後にアナウンス部の部長に就任した佐藤啓とは同い年だが、佐藤は他業種からの転職であるためアナウンサーとしてのキャリアは神の方が長かった。その後2017年まで報道部に異動していたので、現在は佐藤のキャリアが長くなっている。
山中 泉(やまなか せん、1958年8月7日 - )は、日本… 山中 泉(やまなか せん、1958年8月7日 - )は、日本の実業家、著述家、政治家。参政党所属の参議院議員(1期)。 1958年、青森県生まれ。1980年、青森県立青森高等学校卒業後に渡米し、イリノイ大学を卒業。ニューヨーク野村證券勤務後に起業。 2022年現在、東京都に在住し、都内と米国でコンサルティング会社を経営。日本メーカーの北米代表も務める。国際武道空手連合三浦道場師範代として空手を指導。生活者・納税者としての視点から、日本のメディアでは報道されない米国の社会をSNSで発信。 2024年10月、第50回衆議院議員総選挙に参政党公認で比例東北ブロックから立候補したが、比例東北ブロックで参政党は議席を確保できず落選した。
宮下 順一郎(みやした じゅんいちろう、1952年5月1日 … 宮下 順一郎(みやした じゅんいちろう、1952年5月1日 - 2014年5月19日)は、日本の政治家。青森県むつ市長(2期)。 青森県むつ市生まれ。青森県立青森高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。卒業後は帰郷し、学習塾を開く。その後、酒販店を経営する。 1995年、むつ市議会議員に当選。2003年から2007年まで同市議会議長。 3期目途中の2007年7月、杉山粛の死去によるむつ市長選挙に立候補し、使用済み核燃料の中間貯蔵施設誘致などを掲げて初当選する。2011年7月の市長選では市庁舎移転や市の赤字解消の実績を強調して再選。 市長を2期務め、2期目在職中の2014年5月19日、同市内のホテルで開催された異業種組織との総会に参加、午後6時過ぎから行われた懇親会で乾杯の挨拶をしようとしたとき意識を失って倒れ、同日午後9時36分、救急車で搬送されたむつ総合病院でクモ膜下出血により急死した。
鹿内 博(しかない ひろし、1948年3月4日 - )は、日… 鹿内 博(しかない ひろし、1948年3月4日 - )は、日本の政治家。青森県議会議員(7期)元青森県青森市長(2期)。青森市議会議員(3期)を務めた。 青森県青森市生まれ。青森市立原別中学校、青森県立青森高等学校卒業。高校卒業後、株式会社信行商会、青森県新生活協議会に勤務した後、1976年から1981年まで青森市社会教育委員を務める。1973年、1977年に青森市議会議員選挙に出馬するも落選し、1981年の青森市議選で初当選を果たした。1991年、青森県議会議員選挙に鞍替えし、当選。青森県議を5期務める。 2009年4月19日に行われた青森市長選挙に社会民主党・日本共産党の支持を受けて無所属で出馬。
佐々木 誠造(ささき せいぞう、1932年10月30日 - … 佐々木 誠造(ささき せいぞう、1932年10月30日 - )は、日本の政治家。前青森市長。旧青森市長を4期(新設合併により途中失職)、新設合併した青森市長を1期務めた。コンパクトシティ構想を推進。
竹内 黎一(たけうち れいいち、1926年8月18日 - 2… 竹内 黎一(たけうち れいいち、1926年8月18日 - 2015年9月5日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(10期)、科学技術庁長官(第38代)、原子力委員会委員長(第38代)、衆議院外務委員長・環境委員長等を歴任した。 父は青森県知事や衆議院議員を務めた竹内俊吉。 青森県黒石市生まれ。旧制青森中学校、旧制弘前高等学校、東京大学経済学部卒業。東大卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞の政治記者、運輸大臣秘書官を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に、青森県知事に転身した父・俊吉に代わって旧青森2区(定数3)から無所属で立候補し、得票数トップで初当選した(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・奥野誠亮らがいる)。
古寺 宏(こでら ひろし、1925年5月 - 1989年7月… 古寺 宏(こでら ひろし、1925年5月 - 1989年7月26日 )は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。
関 晴正(せき はれまさ、1923年11月26日 - 200… 関 晴正(せき はれまさ、1923年11月26日 - 2008年10月26日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(4期)。 青森県五所川原市出身。旧制青森中学校(現青森県立青森高等学校)を経て1945年青森師範学校を卒業。小学校教師となり、日教組中央委員。1951年青森市議に初当選。のちに青森県議を経て、1977年の参院選に青森県選挙区から出馬するが、3位で落選。 1979年の総選挙で青森県第1区から立候補して初当選。当選3回を数えたが、1986年の総選挙で落選。1990年の総選挙で復帰、1993年に引退。地盤を今村修に譲った。 2008年10月26日、脳梗塞後遺症のため青森市内の病院で死去。
竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - … 竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - 1997年7月31日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(5期)。青森県出身。経世会所属であった。
成田 友三郎(なりた ともさぶろう、1917年6月6日 - … 成田 友三郎(なりた ともさぶろう、1917年6月6日 - 1989年10月17日)は、青森県青森市出身のプロ野球選手、政治家。 青森中学校から専修大学へ進学も中退。仙台鉄道局から青森林友を経て1936年に東京巨人軍へ入団。選手としての才能はなかったが、何となく好感のもてる選手だった。1938年秋季頃に体調を崩し、療養に努めたが同年で退団。 1974年に青森市議会へ自由民主党から出馬し当選。4期議員を務めた。
田中 敏文(たなか としぶみ、1911年11月9日 - 19… 田中 敏文(たなか としぶみ、1911年11月9日 - 1982年12月20日)は、日本の政治家。北海道知事。青森県出身。
中村 拓道(なかむら たくどう、1911年(明治44年)4月… 中村 拓道(なかむら たくどう、1911年(明治44年)4月22日 - 1974年(昭和49年)5月28日)は、日本の政治家。青森県八戸市の12代目市長。 1911年(明治44年)4月、 青森市に生まれる。旧制青森中学校(現青森県立青森高等学校)を経て、1930年(昭和5年)、青森県師範学校を卒業し、小学校で教鞭を執る。1941年(昭和16年)、 青森県庁に入庁。地方事務所長などを歴任する。1951年(昭和26年) 、青森県議会議員に立候補して初当選、連続四期在職する。農林商工水産農地副委員長、予算特別委員長、水産商工公安副委員などを経て、1961年(昭和36年)、 県議会副議長に就任。1964年(昭和39年)、東北電力(株)監査役に就任。
米内山 義一郎(よないやま ぎいちろう、1909年(明治42… 米内山 義一郎(よないやま ぎいちろう、1909年(明治42年)11月4日 - 1992年(平成4年)10月5日)は、昭和から平成初期の農民運動家、社会運動家、政治家。衆議院議員、青森県上北郡浦野舘村長。 青森県上北郡浦野舘村(上北町を経て現東北町)で、歯科医師・米内山健助、ミキの長男として生まれる。1923年(大正12年)4月、青森県立青森中学校(現青森県立青森高等学校)に入学。同級に津島修治(太宰治)、阿部合成らがいた。 1926年(大正15年)10月、青森中学校を中退して帰郷し青年団活動に従事。1927年(昭和2年)6月、社会民衆党に入党し小作争議に加わる。1928年(昭和3年)全国農民組合青森県連合会の創立に加わり執行委員に就任し、上北地方の農民運動を指導した。
千葉 元江(ちば もとえ、1909年(明治42年)1月15日… 千葉 元江(ちば もとえ、1909年(明治42年)1月15日 - 1992年(平成4年)11月5日)は日本の政治家。青森県青森市長(1期)。 青森県青森市出身。青森県立青森中学校(現・青森県立青森高等学校)、官立弘前高等学校を経て、1933年、東京帝国大学法学部を卒業する。卒業後は陸軍に入り、翌年満期除隊。1937年に高等文官試験行政科に合格、翌年台湾総督府に入り、台中妙農林課長などを歴任した。太平洋戦争中の1942年に陸軍司政官となり、ビルマに派遣され、終戦を迎えた。1946年に復員した。 1947年、青森県庁に入り、人事課長、総務、商工水産の各部長などを経て、1949年に副知事に就任した。副知事は1952年まで務め、その後は青森県北洋漁業協同組合理事、同副組合長、鮭鱒漁業協同組合理事などを務めた。
木村 文男(きむら ふみお、1904年7月18日 - 19… 木村 文男(きむら ふみお、1904年7月18日 - 1965年3月20日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(3期)。息子は青森県知事や衆議院議員を務めた木村守男。孫は元衆議院議員の木村太郎、木村次郎。 青森県南津軽郡藤崎町出身。父健一は藤崎町の助役や町長を務めた。1925年青森県師範学校を卒業。卒業後は教員となり、その後は青森県属、小学校校長、地方事務官などを務めた。 戦後、政治家を志し、1947年に青森県議に当選。1952年の第25回衆議院議員総選挙で青森2区から自由党公認で立候補して初当選。以来連続3回当選した(その後、所属は日本民主党→自由民主党)。この間、第1次鳩山内閣で北海道開発政務次官に就任した。
柿崎 守忠(かきざき もりただ、1900年(明治33年)11… 柿崎 守忠(かきざき もりただ、1900年(明治33年)11月5日 - 1977年(昭和52年)8月)は日本の政治家。青森県青森市長。 青森県青森市出身。青森県立青森中学校(現・青森県立青森高等学校)を経て、1933年、東京高等師範学校を卒業する。卒業後は青森中学、青森県女子師範学校各教諭、県視学官、青森市立高等女学校(現・青森県立青森中央高等学校)、青森中学、青森青年師範学校各校長などを歴任した。 1945年7月28日、青森市長に就任。市長就任当日に青森空襲が起こり、市内は焦土と化した。翌月に終戦を迎え、青森市に米軍が進駐、柿崎は進駐軍との折衝に当たらなければならなかった。市役所は空襲で焼失し、市公会堂を庁舎と使用していたが、進駐軍に接収された。
4代 千葉 伝蔵(傳藏、ちば でんぞう、1890年(明治23… 4代 千葉 伝蔵(傳藏、ちば でんぞう、1890年(明治23年)3月 - 1962年(昭和37年)12月29日)は、大正から昭和時代の政治家、実業家。青森県青森市長。青森県多額納税者。前名は覚郎。 白鳥鴻彰の三男として青森県東津軽郡荒川村(現青森市)に生まれる。1909年(明治42年)青森中学校を卒業し日本大学、大原簿記学校、津田英文簿記学校に学んだ後、帰郷する。青森市役所に奉職したのち1910年(明治43年)魚問屋・千葉家の養子となり、1919年(大正8年)前名を改め4代伝蔵を襲名した。1920年(大正9年)青森製氷の創立に当たって出資し取締役に就任、1922年(大正11年)東京共同水産取締役となり東京隅田運送の取締役も務めた。