スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
師 茂樹(もろ しげき、1972年 - )は、日本の仏教学者… 師 茂樹(もろ しげき、1972年 - )は、日本の仏教学者。学位は、博士(文化交渉学)(関西大学・乙種〈論文博士〉・2013年)。早稲田大学文学学術院教授。元花園大学教授・情報システムセンター長(専門は因明(仏教論理学)、人文情報学)を歴任。 1972年、大阪府大阪市に生まれ、その後、福島県耶麻郡猪苗代町で育つ。1987年に猪苗代町立猪苗代中学校を卒業、福島県立安積高等学校を卒業後、早稲田大学第一文学部に進学、大久保良峻に師事。1995年に卒業後、東洋大学大学院文学研究科に進み田村晃祐に師事、2001年に同博士後期課程単位取得。2013年、『東アジア仏教論理学の形成と展開 -唯識比量をめぐる文化交渉を中心として-』で博士(文化交渉学)(乙種、関西大学)。
安藤 智重(あんどう ともしげ、1967年〈昭和42年〉 -… 安藤 智重(あんどう ともしげ、1967年〈昭和42年〉 - )は、日本の神職、郷土史家。安積国造神社第64代宮司。 1967年(昭和42年)、福島県郡山市に生まれる。福島県立安積高等学校99期生。早稲田大学教育学部国語国文学科で古典などを学び卒業したのち、國學院大學神道学専攻科にて神道について学びつつ神職資格を取得した。20代のうちに地元郡山に戻る。 2000年(平成12年)7月、安積幼稚園理事長に就任。祖父貞重が設立し、帰幽後休会していた日本酒道会につき、有志が再発足させたいと会長就任を依頼され、2006年(平成18年)10月23日に同会は再出発、会長となった。 2010年ごろから安積艮斎や安積町域の歴史についての執筆活動を始める(#著作参照)。
新田 洋司(にった ようじ、1963年11月29日 - )は… 新田 洋司(にった ようじ、1963年11月29日 - )は、日本の農学者、博士(農学)。福島大学食農学類教授。専門は作物学、栽培学、熱帯農学。 1963年、福島県郡山市生まれ。1982年、福島県立安積高等学校卒業。1987年、東北大学農学部卒業。1989年、東北大学大学院農学研究科博士課程前期修了。1990年、高知大学農学部助手。1998年、茨城大学農学部助教授。2009年、同教授。2018年、福島大学農学系教育研究組織設置準備室教授。2019年、福島大学食農学類教授。2022年、福島大学副学長。2025年、福島大学食農学類長・大学院食農科学研究科長。 研究対象の作物は、イネ、水稲、ムギ類、いも類、トウモロコシ、スィートソルガム、サゴヤシなど。
平石 郁生(ひらいし いくお、1963年3月 - )は、日本… 平石 郁生(ひらいし いくお、1963年3月 - )は、日本の起業家(シリアルアントレプレナー)、スタートアップ投資家。 1963年3月、福島県郡山市生まれ。1982年3月、福島県立安積高等学校卒業(浪人して入学)。1986年3月、東海大学文学部広報学科情報社会課程卒業。株式会社ドリームビジョン代表取締役社、株式会社ラソナ社外取締役、法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科兼任講師、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部専任教員、Infarm - Indoor Urban Farming Japan 株式会社 代表取締役社長、ベルリン市主催APW(Asia Pacific Asia Berlin/SUAB(Startup Asia Berlin)アンバサダー。
佐々木 隆志(ささき たかし、1961年 - )は、日本の会… 佐々木 隆志(ささき たかし、1961年 - )は、日本の会計学者。専門は財務会計論、監査論、公会計論。一橋大学名誉教授。日本会計研究学会学会賞受賞。会計検査院特別研究官等も務めた。 福島県郡山市出身。福島県立安積高等学校を経て、1986年慶應義塾大学商学部卒業。1988年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。1991年同博士後期課程単位取得満期退学。新田忠誓に師事し、森田哲弥ゼミにも所属した。2003年『監査・会計構造の研究』で一橋大学より博士(商学)の学位を取得。審査員は安藤英義、新田忠誓、万代勝信。 1991年広島大学経済学部専任講師。1995年助教授。1997年一橋大学商学部助教授。2000年同大学大学院商学研究科助教授。
新田 章(にった あきら、1956年 - )は、日本の哲学者… 新田 章(にった あきら、1956年 - )は、日本の哲学者。 福島県生まれ。福島県立安積高等学校を経て、早稲田大学第一文学部入学。同哲学専攻卒業後、同大学院修士課程修了、博士課程満期退学。日本仏教の研究で文学博士(立正大学)。早稲田大学・立正大学講師。専門は哲学、倫理学、宗教哲学、比較文学および比較思想。特に、ニーチェ研究家として知られる。
片山 容一 (かたやま よういち、1949年12月14日 -… 片山 容一 (かたやま よういち、1949年12月14日 - )は、日本の医学者、脳神経外科医。医学博士。 青森大学薬学部特任教授・脳と健康科学研究センター長、日本大学名誉教授、青森新都市病院総長・事業管理者。 2005年11月から2014年10月まで日本大学第14代医学部長を務めた。後任の医学部長は高山忠利。 2014年10月から2015年3月まで、駿河台日本大学病院から移転・改称した日本大学病院初代病院長を定年退職までの半年間務めた。 その後は、湘南医療大学を経て、青森大学薬学部特任教授および青森新都市病院病院長に就任し、後に総長・事業管理者となった。
影山 任佐(かげやま じんすけ、1948年2月3日 - )は… 影山 任佐(かげやま じんすけ、1948年2月3日 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は、犯罪精神医学・犯罪精神病理学・臨床犯罪学・精神医学史・臨床精神医学・精神保健学。東京工業大学名誉教授。医学博士。福島県出身。2011年の国際犯罪学会以降、「総合犯罪学」(Comprehensive Criminology) と「統合犯罪学」(Integrative Criminology <Integrated Criminology>) を提唱している。 1948年、福島県郡山市に生まれる。1966年、福島県立安積高等学校卒業。1972年、東京医科歯科大学医学部医学科卒業、東京医科歯科大学神経精神科入局。
渡辺 文夫(わたなべ ふみお、1948年 - )は、日本の心… 渡辺 文夫(わたなべ ふみお、1948年 - )は、日本の心理学者、上智大学名誉教授。専攻は異文化間心理学、異文化教育。 福島県郡山市生まれ。1967年福島県立安積高等学校卒業。1972年上智大学文学部卒業。75年同大学院文学研究科修士課程修了。1979年東北歯科大学歯学部(現奥羽大学)専任講師、86年助教授。1994年東北大学文学部助教授、1996年上智大学文学部教授、総合人間科学部教授。1994年「異文化接触における認知的方略の研究-発展途上国への技術移転における事例的研究と異文化教育への応用をめざして」で上智大学博士(心理学)。この間、イースト・ウエスト・センター文化学習研究所専門研究員、フィリピン心理学研究研修所異文化関係部門部長、フィリピン大学大学院上級講師、アジア経済研究所研究委員。
船山 隆(ふなやま たかし、1941年5月2日 - )は日本… 船山 隆(ふなやま たかし、1941年5月2日 - )は日本の音楽学者、現代音楽研究家、批評家。東京芸術大学名誉教授、東京オペラシティ文化財団評議員。戸籍名は舩山隆だが、著作では船山隆という表記を使っている。 福島県郡山市に生まれる。福島県立安積高等学校、東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。1967年、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。1972年から1974年にかけて、パリ第8大学大学院博士課程に在学。1984年、東京芸術大学教授。2009年に定年退任、名誉教授となる。 1987年、第1回津山国際総合音楽祭の副監督に就任。第2回、第3回、第6回、第10回の音楽監督を歴任。津山文化振興財団理事(1998年~2012年)、津山市音楽顧問(2002年~2012年)も務めた。
全田 浩(ぜんだ ひろし、1938年 - 2009年6月7日… 全田 浩(ぜんだ ひろし、1938年 - 2009年6月7日)は、日本の薬学者、薬剤師、薬学博士。福島県出身。1999年 - 2006年まで日本病院薬剤師会会長を勤め、薬学教育6年制の実現や病院薬剤師の配置問題に尽力し、2006年には厚生労働大臣表彰を受けた。 病院薬剤師としての評価が高いが、薬剤師として活躍する前には実は天然有機科学研究者として将来を嘱望されていた。有機化学者としても頭角を現したのは東京大学大学院時代。当時、日本の有機化学会で最もレベルの高い研究をしていた東大薬学部の薬化学教室、ここは近藤平三郎、落合英二、岡本敏彦と当代超一級の有機化学者が歴代の教授を務め、窒素を含む天然有機化合物(アルカロイド)の研究で世界的な成果を次々と発表した。
永井 陽之助(ながい ようのすけ、1924年9月9日 - 2… 永井 陽之助(ながい ようのすけ、1924年9月9日 - 2008年12月30日)は、日本の政治学者。学位は法学博士(北海道大学)、東京工業大学・青山学院大学名誉教授。戦後日本を代表するリアリズム国際政治学者として有名。 東京出身。旧制福島県立安積中学校(現・福島県立安積高等学校)を経て、1945年 第二高等学校文科乙類卒業、1950年 東京大学法学部政治学科卒業。 東京大学では堀豊彦に師事。当初は政治意識の研究など、政治学・政治理論研究にその重点を置いていたが、ハーヴァード大学での在外研究中にキューバ危機という米ソ二大国間のパワー・ポリティクスを目の当たりにし、強い衝撃を受ける。 一方で、依然として日本国内ではそのような権力政治的要素を等閑視し、イデオロギーに規定される形で国際問題についての硬直化した議論が行なわれていることに不満を感じたことから、国際政治に関する研究・評論を開始、『中央公論』1965年5月号に発表した「米国の戦争観と毛沢東の挑戦」で論壇にデビューする。
荒川 秀俊(あらかわ ひでとし、1907年8月4日 - 19… 荒川 秀俊(あらかわ ひでとし、1907年8月4日 - 1984年12月23日)は、日本の昭和期の気象学者。理学博士(東京大学・論文博士・1939年)。 福島県白河市に生まれる。県立安積中学校から第二高等学校を経て、1931年東京帝国大学理学部物理学科卒業後、中央気象台に入る。1939年、理学博士(東京大学)の学位を取得1941年東京大学講師を兼任。1943年軍の依頼により偏西風を利用した風船爆弾の気象調査を行う。1964年福岡管区気象台台長、1966年気象研究所所長、1968年東海大学教授を歴任。1972年藤原賞受賞。勲二等瑞宝章を受章。1984年の年末心不全のため死去。 予報技術の発展に貢献したほか、古文書により気象・災害と歴史的事件の関係を研究し、理論気象、気候学、災害史、気象学史などの分野で業績を残した。
金沢 春友(かなざわ はるとも、1884年11月10日 - … 金沢 春友(かなざわ はるとも、1884年11月10日 - 1974年11月21日)は、日本の地方政治家、郷土史家。戦前に旧常豊村町長を1期務め、戦後には塙町町長を2期務めた。また、郷土史家としても、地元である福島県南部の古文書の掘り起こしや、水戸天狗党の研究などに業績を残した。 当時の福島県東白川郡石井村に生まれた。生家は、かつては名主の家柄であった。福島県立安積中学校(後の福島県立安積高等学校の前身)に学んだが、父の死によって1902年に学校を中退し、農業に従事した。その後、常豊村(後の塙町)に移り、酒造業を興し、さらに発電所建設などに携わった。1925年に常豊村村会議員となり、助役を経て、1937年11月14日から1941年6月30日まで常豊村長を務めた。
箭内 亙(やない わたり、1875年〈明治8年〉7月17日 … 箭内 亙(やない わたり、1875年〈明治8年〉7月17日 - 1926年〈大正15年〉2月10日)は、日本の東洋史家、東京帝国大学教授。号は尚軒。モンゴル史研究に業績を残した。次男は歴史学者の箭内健次。 福島県西白河郡泉崎村出身。1889年(明治22年)福島県立安積中学校に入学、1894年(明治27年)3月卒業の後、仙台市の第二高等学校を経て、東京帝国大学文科卒。1907年に第一高等学校講師となる。1908年満州朝鮮歴史地理調査部部員となり、白鳥庫吉の指導で調査にあたる。1910年(明治43年)に教授となる。1919年(大正8年)東京帝大東洋史学科助教授、ついで1925年から教授を務めた。 1926年2月10日、胃潰瘍のため死去する。
小西 重直(こにし しげなお、1875年(明治8年)1月15… 小西 重直(こにし しげなお、1875年(明治8年)1月15日- 1948年(昭和23年)7月21日)は、日本の教育学者。第9代京都帝国大学総長。 山形県米沢市出身。旧名は代吉。尊敬していた杉浦重剛、中村正直より一字をとり「重直」へ改名した。父は旧米沢藩士・富所幸吉。富所家は一刀流師範を務める家であったが、明治維新後の生活は苦しく、父の死後に母は小西と母子心中を企てた。その後母のいとこである旧会津藩士・小西馬之允の養子に迎えられる。私立日新館、福島尋常中学、二高に学ぶ。二高時代は学費に苦しみ、廃屋や廃寺で生活し、襖を布団代わりにしていた時期もあったが、米沢教育会の援助を受け東京帝大を卒業した。卒業論文は「倫理上の自我」。
久保 猪之吉(くぼ いのきち、1874年(明治7年)12月2… 久保 猪之吉(くぼ いのきち、1874年(明治7年)12月26日 - 1939年(昭和14年)11月12日)は、日本の医学者・歌人・俳人。医学博士。京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学、現・九州大学)教授。 明治7年12月26日、陸奥国二本松藩の藩士久保常保の子として現在の福島県二本松市に生まれる。戊辰戦争の当時、猪之吉は6歳、実兄たちは、二本松藩士久保長一郎常保(父親と同名のため父親と誤認されるが、実兄である)、二本松少年隊の久保鉄次郎13歳と久保豊三郎12歳として知られる。猪之吉は兄の豊三郎と共に二本松の戦いに参加したいと母親に懇願したが、懐妊中の母は猪之吉を無言で抱き締めていたと伝わる。
新城 新蔵(しんじょう しんぞう、1873年(明治6年)8月… 新城 新蔵(しんじょう しんぞう、1873年(明治6年)8月20日 - 1938年(昭和13年)8月1日)は、日本の天文学者・中国学者、理学博士、京都帝国大学第8代総長・名誉教授。専門は宇宙物理学および中国古代暦術。戦前の中国天文学研究の権威であった。 福島県会津若松の造り酒屋に六男として生まれる。若松中学校(現福島県立安積高等学校)、第二高等中学校を経て帝国大学理科大学物理学科を1895年に卒業。大学院に進学し、1897年陸軍砲工学校教授に就任。 1900年京都帝国大学理工科助教授となる。その後ドイツのゲッティンゲン大学に留学し天文学を学び、帰国後に教授となる。留学中の1906年(明治39年)9月、万国測地学協会総会中央局から案内を受け、ハンガリー国ブダペストにて開催された第15回万国測地学協会総会に陪席。