スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大内 登(おおうち のぼる、1974年6月3日 - )は日本… 大内 登(おおうち のぼる、1974年6月3日 - )は日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー、実業家。SWEAT株式会社代表取締役。元お笑い芸人(元ビビる)。福島県郡山市出身。身長177cm、血液型はAB型。福島県立安積高等学校を経て明治大学卒業。既婚者であり子供もいる。 1995年、大木淳と共にお笑いコンビ「ビビる」を結成。コンビではツッコミを担当していた。その後ラジオのパーソナリティーやテレビのバラエティ番組などで活躍する。 順調に活動の場を広げていた2002年4月、『ビビるの@llnightnippon.com』(ニッポン放送)で、突然「ビビる」からの脱退と芸能界からの引退を表明する。
松下 展千(まつした のぶゆき、1968年9月22日 - )… 松下 展千(まつした のぶゆき、1968年9月22日 - )は、ブックオフコーポレーション株式会社代表取締役社長、HITOWAホールディングス株式会社取締役副社長などを歴任。現在はソーシャルインクルー株式会社代表取締役社長。 福島県郡山市生まれ。福島県立安積高等学校を経て、1991年3月、成蹊大学経済学部経営学科卒業。同年4月、日本興業銀行(現・みずほ銀行)入行。 約12年間銀行に勤務し、当時取引先だったブックオフから誘われ、2003年1月にブックオフコーポレーションへ入社。2011年9月から同社代表取締役社長に就任。
大高 善兵衛(おおたか ぜんべえ、1935年6月11日 - … 大高 善兵衛(おおたか ぜんべえ、1935年6月11日 - 2014年8月3日)は日本の実業家、元ヨークベニマル社長。 福島県立安積高等学校を卒業し、父親の大高善雄が創業した紅丸商店(現ヨークベニマル)に専務取締役として入社する。1963年、紅丸商事株式会社(現ヨークベニマル)代表取締役社長に就任。1994年、社長を弟の大高善二郎と交代し相談役に就任。同年から郡山商工会議所第19代会頭を務める。2007年にヨークベニマル相談役及び郡山商工会議所会頭を退任した。
小針 暦二(こばり れきじ、1914年1月1日 - 1993… 小針 暦二(こばり れきじ、1914年1月1日 - 1993年11月7日)は、日本の実業家。
安田 善五郎(やすだ ぜんごろう、1886年〈明治19年〉6… 安田 善五郎(やすだ ぜんごろう、1886年〈明治19年〉6月26日 - 1963年〈昭和38年〉1月10日)は、日本の実業家。安田銀行頭取、京浜電気鉄道社長、安田生命保険社長、大垣共立銀行頭取、四国銀行頭取、肥後銀行頭取等を歴任した。 安田善次郎の三男(善次郎49歳のときの子)。幼名は三郎彦。福島県立安積中学校(現福島県立安積高等学校)17期出身。後年、安積中学校から東京に進学した学生のため、父善次郎の言葉「積善の家に必ず余慶あり」からとった積善寮を牛込に開設し、学費の援助も行った。1919年安田銀行頭取に就任。 1921年京浜電気鉄道社長。同年に安田善次郎が死去すると、辞任した安田善四郎、安田善衛、安田善助の後を受け、安田善雄、安田善兵衛とともに保善社の理事に就任。
紺野 九右衛門(九右衞門、こんの くえもん、1878年(明治… 紺野 九右衛門(九右衞門、こんの くえもん、1878年(明治11年)6月22日 - 1932年(昭和7年)8月12日)は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。幼名・喜太郎。 福島県信夫郡井佐野村(平野村大字井佐野、飯坂町を経て現福島市飯坂町平野)で、農業、先代・紺野九右衛門の長男として生まれる。1920年(大正9年)家督を相続し九右衛門を襲名し、農業を営む。 1893年(明治26年)福島県尋常中学校(現福島県立安積高等学校)を卒業。その後、仙台数学院(現東北高等学校)で学んだ。消防組頭、福島税務署管内郡部所得調査員、福島市共立福島病院組合会議員、平野村農会議員などに就任。若いころから政治活動に熱心で、立憲民政党支部幹事長となり、鈴木寅彦の側近として活躍。
八田 宗吉(はった そうきち、1874年(明治7年)10月9… 八田 宗吉(はった そうきち、1874年(明治7年)10月9日 - 1938年(昭和13年)1月16日)は、日本の政治家、実業家、陸軍軍人である。幼名は吉之丞。立憲政友会所属の衆議院議員。馬議員、鉄道代議士、百姓代議士などの異名があった。 日本医科大学教授で衆議院議員の八田貞義は息子。 福島県河沼郡日橋村(現・会津若松市)出身。福島中学を経て、陸軍軍人となり歩兵大尉まで進級している。故郷である日橋村村長となったのが政治家としての第一歩で、県会議員、参事会員を歴任。実業家としては福島県農工銀行、只見川水力電気、日本化学工業、会津電力の役員を務めている。 1917年(大正6年)福島二区から衆議院議員に初当選。