スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
稲葉 亜我志(いなば あがし、1999年9月27日 - )は… 稲葉 亜我志(いなば あがし、1999年9月27日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 習志野市立習志野高等学校を経て、静岡産業大学に進学。 2021年12月よりいわてグルージャ盛岡のトライアルに参加。2022年2月、正式加入が発表された。 2024年12月29日、ヴィアティン三重への完全移籍が発表された。 2025年12月29日、現役引退を発表。
西村 慧祐(にしむら けいすけ、1998年2月19日 - )… 西村 慧祐(にしむら けいすけ、1998年2月19日 - )は、東京都出生、千葉県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・モンテディオ山形所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 柏イーグルスSCを経て、進学した習志野高校、専修大学では共に主将を務めた。2019年7月、2020年シーズンから大宮アルディージャへの加入が内定した。同月、JFA・Jリーグ特別指定選手に承認された。 2020年より、大宮アルディージャへ正式に加入した。6月27日第2節千葉戦でプロデビューした。7月4日第3節群馬戦でプロ初ゴールを決めて勝利に貢献した。 2023年より、モンテディオ山形へ期限付き移籍。2024年からは山形へ完全移籍。
池田 廉(いけだ れん、1997年11月10日 - )は、千… 池田 廉(いけだ れん、1997年11月10日 - )は、千葉県船橋市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・大分トリニータ所属。ポジションはミッドフィールダー。 船橋海神スポーツクラブ、FC習志野、習志野高校を経て、拓殖大学へ一般入試で入学した。 2020年より、FC琉球へ加入。同年2月23日のJ2第1節・ジェフユナイテッド千葉戦に先発出場し、Jリーグデビューした。 2021年6月13日、ギラヴァンツ北九州戦で負傷。腰椎横突起骨折で復帰見込みは約10週間〜12週間の診断を受けた が早々に復帰。同年シーズンは、リーグ戦33試合に出場した。 2023年より、大分トリニータへ完全移籍。シーズン開幕前の1月21日のトレーニング中に負傷、全治不明のグロインペイン症候群と診断され離脱することとなった。
佐々木 祐太(ささき ゆうた、1996年2月10日 - )は… 佐々木 祐太(ささき ゆうた、1996年2月10日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 習志野高校を卒業後にパラグアイのインデペンディエンテF.B.C.(スペイン語版)に入団する。その後、ドイツのクラブを経て、2017年2月21日にヴェルフェ矢板に加入したが、2018年1月17日に退団した。退団後はアイルランドに渡って、キャビンティーリーFCなどでプレーした。 2019年12月6日、いわてグルージャ盛岡へ完全移籍により加入すると発表された。 2021年シーズン終了後の年12月9日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した。同年12月15日、岩手との契約が満了となったことが発表された。
安芸 銀治(あき ぎんじ、1994年6月4日 - )は、千葉… 安芸 銀治(あき ぎんじ、1994年6月4日 - )は、千葉県松戸市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。 習志野高校から、流通経済大学へ進学。その後、2016年にJリーグのブラウブリッツ秋田に加入した。 2017年、J3リーグ開幕戦にてJリーグ初出場をした。 2018年、ラインメール青森FCに期限付き移籍。 2018年を以て、ブラウブリッツ秋田、ラインメール青森共に契約満了。 2019年2月、アイルランド3部のクラムリン・ユナイテッドFC(英語版)への移籍が発表された。 2020年はアイルランドのグレンビルFC(英語版)でプレーした。 2021年3月26日、COEDO KAWAGOE F.Cと契約。
中村 駿(なかむら しゅん、1994年2月24日 - )は、… 中村 駿(なかむら しゅん、1994年2月24日 - )は、千葉県船橋市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC岐阜所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 2016年、駒澤大学よりアマチュア契約にてザスパクサツ群馬に加入。同年3月、クラブの若手育成方針により、関東サッカーリーグ1部に所属するtonan前橋への期限付き移籍が検討され、一時は前橋のホームページに名前が載るも、移籍直前の練習試合で同じボランチのチアゴが負傷し、そのまま契約解除となったため移籍は見送られた。同年6月7日にはプロ契約に移行したことが発表された。 2017年よりモンテディオ山形へ完全移籍。 2020年12月23日、湘南ベルマーレへの完全移籍が発表。
守田 達弥(もりた たつや、1990年8月3日 - )は、千… 守田 達弥(もりた たつや、1990年8月3日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC町田ゼルビア所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 習志野市立習志野高等学校出身。全国高等学校サッカー選手権大会への出場は無かった。 2009年に京都サンガF.C.に入団。1年目は水谷雄一が全試合出場を果たしたため出番なしに終わった。2010年も当初は水谷の控えだったがチームが下位に低迷したこともあって9月11日のヴィッセル神戸戦でデビューを飾る。その後は水谷から定位置を奪取したが、結局J2降格が決まってしまった。 J2で迎えた2011年は平井直人の引退もあって定位置確保かと思われたが、水谷が定位置を奪い返したため出場機会なしに終わった。
林堂 眞(りんどう まこと、1989年11月21日 - )は… 林堂 眞(りんどう まこと、1989年11月21日 - )は、大阪府出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 習志野高校から駒澤大学に進み、主将を務めた。2011年には、夏季ユニバーシアードにユニバーシアード日本代表として出場し金メダルを獲得。 2012年、ヴァンフォーレ甲府へ入団。9月8日の天皇杯2回戦の福島ユナイテッドFC戦でプロデビュー。しかし同月26日のトレーニング中に左足第5中足骨骨折の怪我を負った影響もあり、リーグ戦の出場はなかった。2013年5月、ガイナーレ鳥取へ期限付き移籍。 2014年からは、愛媛FCへ完全移籍。 2020年からは、カターレ富山へ完全移籍。
池上 礼一(いけがみ れいいち、1983年7月12日 - )… 池上 礼一(いけがみ れいいち、1983年7月12日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手。指導者。習志野高校及び仙台大学卒業。ポジションは主にミッドフィールダー(MF)。 小学校1年生の時にサッカーを始める。習志野高校では主将を務め、高校総体でベスト8入りした。 2002年、仙台大学へ進学。1年次からレギュラーを獲得し、3年次に参加したデンソーカップでは、北海道・東北勢の中で唯一優秀選手に選出された。同年、ユニバーシアード日本代表として同大会で優勝。大学の同期は大橋良隆など。 2005年、JFA・Jリーグ特別指定選手として登録されFC東京に加入。ユーティリティー性を発揮しつつJサテライトリーグで2得点を挙げ、同年9月には翌2006年からの正式加入が発表された。
柴小屋 雄一(しばこや ゆういち、1983年6月16日 - … 柴小屋 雄一(しばこや ゆういち、1983年6月16日 - )は、宮城県仙台市出身のフットサル選手、元プロサッカー選手。サッカー選手時代の登録ポジションはディフェンダー。バレーボール選手の柴小屋康行は実弟。 大分トリニータ在籍時は、皇甫官体制時に当時入団一年目だった深谷友基とCBを組み、三木隆司などベテランを退け開幕からレギュラーを掴んだ。経験不足による失点は目立ったが、空中戦には強く、強豪クラブを抑える活躍をした。 ペリクレス・シャムスカの監督就任後、出場機会が減少。2007年4月に出場機会を求めサガン鳥栖へ期限付き移籍。鳥栖ではセンターバックのレギュラーの座を掴み、第二クールにおいて快進撃の原動力となっていた。
栗澤 僚一(くりさわ りょういち、1982年9月5日 - )… 栗澤 僚一(くりさわ りょういち、1982年9月5日 - )は、千葉県松戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は柏レイソルのヘッドコーチを務める。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。流通経済大学法学部卒。 兄の影響で6歳の時にサッカーを始める。小学校卒業に併せて柏レイソルのジュニアユース加入を図ったが選考を通らず、中学生時にはなかなか専門的指導を受けられずにいた。トレセンでのプレーが認められ、1998年に県内の強豪校である習志野高校へ進学したが、全国大会での好成績を残せず、千葉県選抜として臨んだ国体も地区予選で敗れたため全国的には無名の存在だった。 習志野高校サッカー部本田裕一郎監督の紹介を受け、2001年に流通経済大学へ進学。
町田 忠道(まちだ ただみち、1981年5月23日 - )は… 町田 忠道(まちだ ただみち、1981年5月23日 - )は、埼玉県本庄市出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
本間 勲(ほんま いさお、1981年4月19日 - )は、新… 本間 勲(ほんま いさお、1981年4月19日 - )は、新潟県北蒲原郡中条町(現・胎内市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは守備的ミッドフィールダー。 2000年のプロデビューから2014年までの15年間、アルビレックス新潟でプレーし、チームの象徴として「ミスターアルビレックス」と呼ばれた。2014年シーズン途中から栃木SCへ移籍し、2017年に新潟に復帰。同年限りで現役を引退した。 8歳からサッカーを始め、地元の中条サッカースポーツ少年団に入団。胎内市立中条中学校を経て、千葉県の習志野高校へ入学後は1998年に千葉県大会で優勝し、第77回全国高等学校サッカー選手権大会に出場している。
関 隆倫(せき たかみち、1981年1月16日 - )は、千… 関 隆倫(せき たかみち、1981年1月16日 - )は、千葉県松戸市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。主に両サイドとトップ下を務める。 東洋大学から2003年に大宮アルディージャに入団。しかし出番に恵まれず、1年で戦力外通告を受ける。 2004年に水戸ホーリーホックに移籍し、右サイドの攻撃的MFとしてその年の第2クールからレギュラーを獲得してブレイクした。 その後、2006年にステップアップのためコンサドーレ札幌へ移籍。札幌では主に左サイドの選手としてレギュラーの座を獲得した。その後、シーズン途中に加入した西谷正也とのポジション争いが起こったため、常時出場というわけにはいかなかったものの、攻撃面に優れるが守備やスタミナに課題のある西谷に対し、守備面と運動量で勝負する関はプレースタイルが違ったということもあり、出場機会を失うことはなく主力の一人としてチームに貢献した。
吉野 智行(よしの ともゆき、1980年7月9日 - )は、… 吉野 智行(よしの ともゆき、1980年7月9日 - )は、東京都台東区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。 習志野高等学校出身、当時の同級生に玉田圭司がいる。高校在学中にU-16、U-18の日本代表に選出、高校3年次の1998年に柏レイソルの強化指定選手(現・特別指定選手)に選出されている。 2007年、自身の誕生日に結婚。翌年には長女が誕生している。 2009年にはガイナーレ鳥取キャプテンに就任、Jリーグ準加盟のチームを率いたが終盤にチームは失速、2年続けて最終節に昇格圏外の5位となりサポーターに対して涙で翌年の昇格を誓った。 2010年度は服部年宏の加入により副キャプテンとしてチームを支える。
玉田 圭司(たまだ けいじ、1980年4月11日 - )は、… 玉田 圭司(たまだ けいじ、1980年4月11日 - )は、千葉県浦安市出身のサッカー指導者。元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 5歳年上の兄は地元では「浦安の翼クン」と呼ばれていた選手で、幼稚園の時にその兄の影響を受けて入船少年SCでサッカーを始め、中学時にはカネヅカFCに入団。幼少時から一貫してフォワードとしてプレーし、中学卒業後習志野市立習志野高等学校に入学。1年からレギュラーとなって国体に3年連続出場を果たすと、3年時には高校選手権千葉大会決勝で市立船橋相手に決勝ゴールを挙げて同校6年ぶりの本大会出場に貢献。本大会では鹿児島工との1回戦でゴールを挙げたものの、試合には敗れた。
加藤 元気(かとう もとき、1978年8月18日(47歳) … 加藤 元気(かとう もとき、1978年8月18日(47歳) - )は、千葉県船橋市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 高校卒業後、単身ウルグアイリーグのトライアウトへ。リベルプールFCの3軍時に得点ランキング10位。CAフェニックスの2軍時には前期リーグのアシスト王を獲得。50mを5.8秒で走る俊足を生かしたFWだったが、CAフェニックスに移籍後、巧みなテクニックと視野の広さを買われトップ下にコンバートされる。 CAフェニックスの1軍時には2010年ワールドカップMVPのフォルランを始め、元アルゼンチン代表のアイマールやサビオラなどとも試合をした経験を持つ。帰国後、Jリーグ数チームで練習生としてプレーするも、正式契約のオファーはなし。
薮崎 真哉(やぶさき しんや、1978年6月1日 - )は、… 薮崎 真哉(やぶさき しんや、1978年6月1日 - )は、日本の経営者で、元サッカー選手。 千葉県千葉市生まれ。習志野市立習志野高等学校2年生時に1995年の全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会で優勝を経験した。高校の2年後輩に玉田圭司がいる。 1997年に高校卒業後、Jリーグの柏レイソルに入団。同期入団は船橋市立船橋高等学校の北嶋秀朗。ミッドフィールダーとして6年間在籍するもリーグ戦出場1試合、カップ戦出場1試合にとどまり、6シーズン目に戦力外通告を受け退団。 退団後、銀座ダイニングレストランに就職したが、店長の給料が想像よりも安いことで退社、飲食関連の出店コンサルティング会社に営業職として入社した。
福田 健二(ふくだ けんじ、1977年10月21日 - )は… 福田 健二(ふくだ けんじ、1977年10月21日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 小学2年生の時に兄の影響でサッカーを始めた。両親の離婚により母子家庭に育ち、5年生の時に母が生活苦から自殺するという少年時代を過ごした。 父に引き取られて千葉県袖ケ浦市へ転居した後も金銭的な問題からサッカーを諦めかけたが、同級生で同じサッカークラブに所属していた廣山望ら友人たちの助けもあって 中学でもサッカーを続け、1992年のU-15クラブ選手権で全国3位の成績を残した。Jリーグ開幕前だったこともあり、中学卒業時にはサッカーのためにブラジルへの移住を考えるなど当時から海外志向を持っていた。
小田島 隆幸(おだじま たかゆき、1977年9月15日 - … 小田島 隆幸(おだじま たかゆき、1977年9月15日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはDF。 習志野高校時代は1995年インターハイ優勝・1995年国民体育大会優勝(千葉県選抜)を経験。同級生には福田健二・廣山望らがいる。関東選抜、東日本選抜、U-18日本代表候補。 中央大学では2年生からレギュラーになり、4年時には主将。同期にはお笑い芸人のパンサー尾形、寮の同部屋の後輩には中村憲剛がいた。 大学卒業後にはモンテディオ山形に入団し、その年は開幕スタメンで23試合に出場。しかし2年目はシーズン前に原因不明の急性肝炎を患い、2カ月間入院をして出場機会がないままシーズンを終える。
御厨 景(みくりや けい、1977年8月29日 - )は、千… 御厨 景(みくりや けい、1977年8月29日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。 習志野高校卒業後、1996年横浜マリノスに入団。高校の同級生では廣山望、福田健二が同じくプロに進み、小田島隆幸、西脇徹也、桜井啓も大学卒業後にプロ選手となる。横浜Mでは1年目から右サイドハーフとして活躍するが、翌年は監督交代の影響で出場機会が激減。 1997年にはU-20日本代表の右サイドハーフとして、中村俊輔らと共にワールドユース選手権に出場。 1998年にJFLのブランメル仙台に移籍。仙台では主に左サイドバックとしてプレーした。2000年に現役を引退。
桜井 啓(さくらい けい、1977年6月30日 - )は、千… 桜井 啓(さくらい けい、1977年6月30日 - )は、千葉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。 2000年にJ2リーグ・ベガルタ仙台に加入したが同年をもって引退した。
廣山 望(ひろやま のぞみ、男性、1977年5月6日 - )… 廣山 望(ひろやま のぞみ、男性、1977年5月6日 - )は、千葉県袖ケ浦市出身の元サッカー選手、現指導者。ポジションはミッドフィールダー。(JFA公認S級コーチ) 千葉県市原市生まれ。幼稚園時に袖ケ浦市へ転居した頃からサッカーを始めた。習志野市立習志野高等学校では1995年に高校総体で優勝、また千葉県選抜として参加した第50回国民体育大会では少年男子の部で優勝した。習志野高校のサッカー部員は普通科ではなく商業科に進学するのが普通だったが、廣山は普通科に在籍し、3年間の評定平均値は4.8で学年1位であった。 1996年にジェフユナイテッド市原に入団。同時に千葉大学教育学部保健体育学科に推薦入学し、初の現役「国立大生Jリーガー」として話題となった。
大塚 真司(おおつか しんじ、1975年12月29日 - )… 大塚 真司(おおつか しんじ、1975年12月29日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 習志野高校在学時の1992年に第71回全国高等学校サッカー選手権大会に出場してベスト4の成績を残した。高校卒業後、ジェフユナイテッド市原に加入。高校の同級生に岩瀬健がいる。 1997年に出場機会を求め、川崎フロンターレに移籍。持ち前の豊富な運動量を生かし、主にボランチとして活躍。98年にはJ1参入決定戦1回戦に出場。99年のチームのJ1昇格に貢献した。その後大宮アルディージャ・モンテディオ山形・コンサドーレ札幌と渡り歩き、長年の経験を生かした読みの鋭いプレーで、いずれのチームでも中心選手として活躍した。
岩瀬 健(いわせ けん、1975年7月8日 - )は、千葉県… 岩瀬 健(いわせ けん、1975年7月8日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。 1994年に浦和レッズに入団。同期には山田暢久などがいる。1995年に途中出場を果たす。1996年は怪我がちだったバインに代わり、背番号10をつけてスタメン出場を果たし、10節のマリノス戦ではJリーグ初ゴールを決めた。 のちに大宮アルディージャに在籍。引退後はPREDATOR FUTSAL CLUB(現:バルドラール浦安フットボールサラ)でフットサルに転向しフットサル日本代表にも選ばれた。その後、浦和レッズハートフルクラブや下部組織でコーチを務め、2013年からは柏レイソルのアカデミーで指導者を務めた。
鈴木 敬之(すずき たかゆき、1973年10月4日 - )は… 鈴木 敬之(すずき たかゆき、1973年10月4日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 1989年に習志野高校に入学し、1990年(2年生時)には全国高校選手権に出場しベスト8、1991年(3年生時)には千葉県選抜として国体に出場し、準優勝及び優秀選手賞を獲得した。1992年に中央大学に進学。同大学サッカー部では大熊清の指導を受けた。同期に新條宏喜。 1996年より東京ガスに入社。社員選手として、大熊が監督を務めるジャパンフットボールリーグ・東京ガスサッカー部(現 FC東京)に加入した。1997年のリーグ戦では、負傷離脱した正GK・堀池洋充に代わって鈴木が据えられ、広い守備範囲と安定した捕球で 堀池に劣らない活躍を見せ、リーグ2位入りに貢献した。
四方田 修平(よもだ しゅうへい、1973年3月14日 - … 四方田 修平(よもだ しゅうへい、1973年3月14日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 サッカーを始めたのは横浜市で小学校に入学してからで、千葉県へ引っ越すまで約1年半プレーした。幼稚園時代から小学校2年生の途中までは岡野雅行と同級生として過ごし、同じサッカークラブに所属していた。千葉県へ引っ越した後は、地元にサッカーチームがなかったため野球を始めたが、小学校5年の時から再び部活動でサッカーに復帰した。 習志野市立習志野高等学校を卒業後、順天堂大学へ入学して蹴球部に所属。この頃から将来の指導者を目指し始めた。筑波大学大学院へ進学してコーチ学を学び、1996年から1998年まで筑波大学蹴球部コーチを務めた。
新明 正広(しんみょう まさひろ、1972年7月16日 - … 新明 正広(しんみょう まさひろ、1972年7月16日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手である。ポジションはMF、FW。
名塚 善寛(なつか よしひろ、1969年10月7日 - )は… 名塚 善寛(なつか よしひろ、1969年10月7日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。元日本代表。 習志野高等学校から1988年、日本サッカーリーグ1部のフジタ工業(後ベルマーレ平塚、現湘南ベルマーレ)に加入。高校時代は全国的にも無名な選手で、卒業後は地元ディズニーランドそばのホテルにホテルマンとして就職が決まっていたが、高校の監督の薦めで練習に参加し実力を認められた。 高い技術と冷静な判断力に加え、読みの深さも併せ持ち、ディフェンスの中心選手として活躍。チームの若返り策もあり22歳にして不動のキャプテンを務め、バルセロナ五輪予選でもU-23日本代表の中心選手として活躍した。
大野 俊三(おおの しゅんぞう、1965年3月29日 - )… 大野 俊三(おおの しゅんぞう、1965年3月29日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 習志野高校出身で、同級生に藤川久孝がいる。卒業後に住友金属工業に入社し住友金属工業蹴球団に入部。1992年に同クラブが鹿島アントラーズとなると共にプロ契約を結んだ。鹿島では、奥野僚右や杉山誠とコンビを組み、ヘディングや1on1に強く、パワフルで粘り強いマンマークとロングスローでディフェンダー(センターバック)として活躍し、チームの黄金期を支えた。1993年、Jリーグ1stステージで大きく成長、守備面でチームの優勝に大きく貢献、日本代表にも選出され、国際Aマッチの出場こそ無かったものの、同年10月28日のドーハの悲劇もメンバーの一人として経験している。
藤川 久孝(ふじかわ ひさたか、1964年5月1日 - )は… 藤川 久孝(ふじかわ ひさたか、1964年5月1日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF、DF。 習志野高校出身で、大野俊三は同級生である。 ヘディングが強く、また読みの良さと当たりの強さをいかしたプレー で、守備的ミッドフィールダー、センターバック、スイーパーをこなせるため、リーグ創成期の市原や名古屋で活躍した。 現在は愛知東邦大学サッカー部監督を務め、その傍ら中日スポーツ紙上での評論活動やスカパー!のサッカー中継の解説も行なっている。
奈良 知彦(なら ともひこ、1954年11月8日 - )は、… 奈良 知彦(なら ともひこ、1954年11月8日 - )は、群馬県出身のサッカー指導者。 前橋市立第五中学校 - 習志野市立習志野高等学校 - 東海大学。習志野高では第50回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。大学卒業後の1977年、群馬県立前橋商業高等学校に着任し、サッカー部監督に就任。全国高校サッカー選手権大会10回出場。第67、68回全国高等学校サッカー選手権大会では服部浩紀、鳥居塚伸人らを擁して2年連続ベスト4。サッカー不毛の地であった群馬県をサッカーどころへと押し上げた。前橋商監督時代は山田耕介監督率いる前橋育英高と並んで群馬の双璧を築く。 前橋商業で27年間、サッカー部を指導したのち群馬県立藤岡工業高等学校教頭、前橋市立前橋高等学校教頭、校長を歴任。
田辺 暁男(たなべ あきお、1947年4月20日 - )は、… 田辺 暁男(たなべ あきお、1947年4月20日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW、MF。 習志野市立習志野高等学校、早稲田大学を卒業後、1970年にJSLの古河電気工業サッカー部に入部。シュート力を持ち味に、早稲田大学在学中は日本代表にも選出される。キープ力も兼ね備えた4年目、当時全盛期を迎えていた釜本邦茂と並び、1973年の日本リーグアシスト王に輝く。翌年からは主将としてもチームを引っ張った。30歳を迎えた1977年限りで引退。