スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石井 一孝(いしい かずたか、1968年1月23日 - )は… 石井 一孝(いしい かずたか、1968年1月23日 - )は、日本のミュージカル俳優、シンガーソングライター、音楽監督である。東京都葛飾区出身。上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。 1990年。舞台というものを見たこともなかったのに、知人の勧めで『ミス・サイゴン』のオーディションを受ける。15,000人を超える応募者の中から奇跡的に合格。1992年5月5日、帝国劇場でデビューを果たし、舞台俳優としての道を歩み始める。1993年、ディズニーアニメ『アラジン』の歌を担当。1994年、『レ・ミゼラブル』のマリウスとして大きな一歩を踏み出し始める。 1999年、1st CD『Heart & Soul Cafe』をリリース。
大石 吾朗(おおいし ごろう、本名:輿石 秀之、1946年〈… 大石 吾朗(おおいし ごろう、本名:輿石 秀之、1946年〈昭和21年〉11月20日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者・MC、CS日本番組審議会。委員所属事務所はホリプロ。神奈川県横浜市出身。聖ミカエル学院卒業。 グループ・サウンズ「寺内タケシとバニーズ」のセカンドギタリストを経て、「ジ・エドワーズ」のヴォーカリストとなる。この当時は本名で活動していた。 ニッポン放送と日本テレビの番組『コッキーポップ』では、今も語り継がれる伝説のパーソナリティだった。特に『クイズバトンタッチ』での巧みな話術と臨機応変でスピード感が溢れる進行[独自研究?]は有名[誰に?]。エフエム東京 (TOKYO FM) では永く、モータースポーツ番組『ADVAN サウンドコックピット』のパーソナリティを務めた。
中野 誠也(なかの せいや、1938年〈昭和13年〉9月16… 中野 誠也(なかの せいや、1938年〈昭和13年〉9月16日 - )は、日本の俳優、演出家。本名は同じ。 千葉県市川市出身。東京都立両国高等学校卒。早稲田大学第一文学部演劇科中退。劇団俳優座に所属。 劇団俳優座の第10期生でデビュー。初舞台は『黄色い波』。 1960年代、1970年代に、テレビドラマで二枚目として活躍。「新劇の二枚目俳優」と呼ばれる。主演ドラマは『竜馬がゆく』『次郎長三国志』など。「洋画劇場」や「NHK」の外国ドラマなどで声優も務めた。また、1970年代以降は刑事ドラマや時代劇の常連悪役として活躍している(ただし時代劇でも善人役を演じることがあるなど完全な悪役専門ではない)。 趣味はピアノ、アコーディオン、ハーモニカ。
岡野 耕作(おかの こうさく、1933年2月9日 - )は、… 岡野 耕作(おかの こうさく、1933年2月9日 - )は、日本の俳優。東京都墨田区両国出身。 旧制都立第三中学(現;両国高校)、早稲田大学文学部仏文科卒業。 1955年、俳優として東映へ入社。 1967年、劇団青俳に入団。
高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2… 高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2011年8月18日)は、日本の俳優、声優。演出家。本名:依田 郁夫(よだ いくお)。妻は女優の西乃砂恵(再婚)。 大阪府大阪市出身。東京府立第三中学校卒業。日本大学芸術科(現:日本大学藝術学部)中退(戦況悪化のため)。 1943年、劇団文芸劇場に入団。1945年に大学を中退した後、青年演劇集団に参加。1947年12月に劇団創造座に入団し、1949年12月まで所属、1950年6月、田中明夫、前沢迪雄、西乃砂恵、真木恭介、三島雅夫とともに劇団七曜会を設立に参画。1956年に劇団が分裂した後は七曜会の代表となり、演出家として活動も開始。1963年6月に七曜会を解散し、フリーランスで活動。
花布 辰男(はなぶ たつお、1912年12月17日 - 没年… 花布 辰男(はなぶ たつお、1912年12月17日 - 没年不詳)は、日本の俳優。本名同じ。花布 辰夫と表記に揺れがある。大映の名脇役の一人である。 1912年(大正元年)12月17日、東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)に生まれる。1930年(昭和5年)、東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校)卒業と共に日本映画俳優学校の1期生として入校し、1934年(昭和9年)に卒業する。同期に織田政雄がいた。 1937年(昭和12年)、新興キネマ大泉撮影所に入社し、同年に公開された青山三郎監督映画『煙る故郷』で映画デビュー。以後、脇役として多数の作品に出演した。1942年(昭和17年)、大映に統合された後は東京撮影所に所属し、1971年(昭和46年)に倒産するまで脇役として長く活躍した。
恩田 清二郎(、1910年5月1日 - 1974年11月28… 恩田 清二郎(、1910年5月1日 - 1974年11月28日)は、日本の俳優、男性声優、元活動弁士である。本名同じ。恩田 清次郎と表記に揺れがある。 1910年(明治43年)5月1日、東京府東京市浅草区に生まれる、とされている。『山形県大百科事典』(山形放送)など一部の資料には、出生地は冒頭の通りだが、生年は「明治四十年」(1907年)である旨が記されている。父は埼玉県の地主であった。旧制東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校・附属中学校)卒業。 1925年(大正14年)、映画俳優を志し、当時東亜キネマに在籍していた近藤伊与吉(1894年 - 1944年)に師事。ところが芽が出ず、間もなく俳優業を辞退して浅草電気館の活動弁士に転向し、長く活動した。
山野 一郎(やまの いちろう、1899年12月15日 - 1… 山野 一郎(やまの いちろう、1899年12月15日 - 1958年12月18日)は、日本の活動写真弁士、漫談家、俳優。本名は山内幸一。 弟の山地幸雄(本名:山内倉司)も活動写真弁士である。 1919年、三浦さくと結婚。第1子は夭逝したが、第2子・山内明は俳優、第3子・山内久は脚本家、第4子・山内正は作曲家、また、第5子山内幸子は作曲家小杉太一郎(俳優小杉勇の長男)の妻となった。タレント・エッセイストの山内美郷は孫(明の長女)。 新潟県古志郡半蔵金村生まれ。幼年期に一家で東京に出て、向島に育つ。なお、生涯、自分が東京生まれでないことを隠していたという。東京府立第三中学校卒業。 はじめ俳優を志したが叶わず、三越の店員などを経て弁士となる。
五味 國男(ごみ くにお、1898年1月2日 - 没年不詳)… 五味 國男(ごみ くにお、1898年1月2日 - 没年不詳)は、日本の俳優、映画監督、元子役である。新漢字表記五味 国男。クレジットは五味 國雄(新漢字表記五味 国雄)と表記されることもあった。本名小崎 久雄(こさき ひさお)、父を初代とし、二代目 五味 國太郎(にだいめ ごみ くにたろう、新漢字表記五味 国太郎)を名乗ることもあった。 1898年(明治31年)1月2日、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)に生まれる。父は俳優の五味國太郎(1875年 - 1922年)、妹はのちに女優の五味國枝(1905年 - 没年不詳)になった。生年月日については、初期の文献である『日本映画年鑑 大正十三・四年』には「明治三十年一月二日」(1897年1月2日)、『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』では「明治三十年一月元旦」(1897年1月1日)とされている。