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海老根 靖典(えびね やすのり、1955年(昭和30年)8月… 海老根 靖典(えびね やすのり、1955年(昭和30年)8月17日 - )は、日本の政治家。元神奈川県藤沢市長(1期)、元藤沢市議会議員(4期)。 北海道生まれ。検察官である父親の転勤に伴い、各地を転居していたが、最終的に湘南、藤沢を気に入り定住することになった。 東京都立小山台高等学校を経て、横浜国立大学経営学部を卒業後、松下政経塾(第2期生)に入塾。 山本捷雄が市議から転じて市長選に出馬する際に「自分は市長に挑戦するから君も市議会議員に挑戦しないか」と誘われ、1991年に初当選(なお、山本は1992年の市長選では当時現職だった葉山峻に敗北。山本の市長就任は葉山の国会転出後の1996年である)。
菅 直人(かん なおと、1946年〈昭和21年〉10月10日… 菅 直人(かん なおと、1946年〈昭和21年〉10月10日 - )は、日本の元政治家・弁理士(登録番号:07558)。勲等は桐花大綬章。 衆議院議員(14期)、厚生大臣(第79代)、副総理(鳩山由紀夫内閣)、財務大臣(第13代)、国家戦略担当大臣、内閣府特命担当大臣(科学技術政策、経済財政政策)、内閣総理大臣(第94代)、旧民主党代表、民主党代表(初代・3代・8代)、民主党政策調査会長、民主党幹事長、民主党代表代行、旧立憲民主党最高顧問、立憲民主党最高顧問を歴任した。中選挙区制時代の選挙区は、旧東京7区。小選挙区比例代表並立制導入後は東京18区及び比例東京ブロック。 1946年10月10日、岡山県出身の父・菅寿雄の勤務先である山口県宇部市に長男として生まれる。
原田 義昭(はらだ よしあき、1944年〈昭和19年〉10月… 原田 義昭(はらだ よしあき、1944年〈昭和19年〉10月1日 - )は、日本の政治家、通産官僚、弁護士、実業家。船井電機代表取締役会長。日韓トンネル実現九州連絡協議会会長代行、原田国際法律事務所代表。 環境大臣(第26代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)(第4次安倍第1次改造内閣)、文部科学副大臣(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、厚生政務次官(第2次橋本改造内閣)、衆議院議員(8期)、衆議院消費者問題に関する特別委員長・財務金融委員長・外務委員長、自由民主党総務会長代理・国際情報検討委員長・外交経済連携本部幹事長・競争政策調査会長・衆議院議員総会副会長・道州制推進本部長・人事委員長・筆頭副幹事長・福岡県支部連合会長・総務会副会長、中小企業庁参事官、通商産業大臣秘書官、関東通産局総務課長を歴任した。
最上 進(もがみ すすむ、1941年〈昭和16年〉7月23日… 最上 進(もがみ すすむ、1941年〈昭和16年〉7月23日 - 2015年〈平成27年〉4月15日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、群馬県議会議員(2期)。群馬県高崎市出身。 1941年(昭和16年)、父・佐藤勇(運輸省官僚、月島倉庫株式会社副社長)と母・俊子の長男として誕生。出生地は朝鮮京城府栄町。 東京都立小山台高等学校卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科へ進学。1962年(昭和37年)、最上政三(立憲民政党所属代議士)、英子(実母・俊子の姉)夫妻の養子となった。1965年(昭和40年)に卒業。同大学院政治研究科修士課程へ進み、在学中より参議院議員の伯母・英子の第一秘書を務める。 1967年(昭和42年)群馬県議会議員選挙に立候補。
中川 嘉美(なかがわ よしみ、1933年(昭和8年)9月17… 中川 嘉美(なかがわ よしみ、1933年(昭和8年)9月17日 - 2005年(平成17年)12月7日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員、参議院議員。 兵庫県芦屋市出身。都立小山台高校を経て、1956年(昭和31年)慶應義塾大学法学部を卒業する。住友商事勤務を経て、1969年(昭和44年)第32回衆議院議員総選挙に公明党公認で衆院旧東京8区から立候補し初当選する。以後衆議院議員当選4回。公明党国際局次長などを歴任する。1986年(昭和61年)第38回衆議院議員総選挙(衆参同日選挙)で落選し、1989年(平成元年)第15回参議院議員通常選挙に回り、比例区で当選し、1期務める。参議院では運輸委員長、科学技術特別委員長などを務めた。
栗原 祐幸(くりはら ゆうこう、1920年〈大正9年〉6月5… 栗原 祐幸(くりはら ゆうこう、1920年〈大正9年〉6月5日 - 2010年〈平成22年〉6月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。 防衛庁長官、労働大臣、衆議院議員(7期)、参議院議員(2期)を務めた。長男は沼津市長や衆議院議員を務めた栗原裕康。 静岡県田方郡中郷村(現三島市)の生まれ。東京府立第八中学校、佐賀高等学校文科甲類を経て1944年東京帝国大学法学部卒業。学徒出陣により中国に出征する。軍隊時代に上官を殴打するなど、若い頃から鼻っ柱が強い性格だった。 戦後、栗原は東大時代の恩師である南原繁より、「戦前の日本は優秀な人材が官僚組織や軍部に集中して民間の裾野が手薄になり、権力の暴走をくい止めることができなかった。